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経典のことば(2)
立正佼成会会長 庭野日敬

女人は顔貌の美しさをもって真の美とはしない。心が素直で行いのすぐれたのがほんとうの美しさなのである。
(玉耶女経)

女性は神の最高傑作

 祇園精舎を寄進した大長者の子息がめとった嫁の玉耶(ぎょくや)はたいへんな美人でしたが、わがままで、夫や舅・姑に対して高慢な振る舞いばかりしていました。どんなに教えさとしても改まらないので、お釈迦さまに教化をお願いしました。
 お釈迦さまが長者の邸(やしき)にお着きになると家内一同がお出迎えしましたが、玉耶だけは奥の間に隠れて出てきません。お釈迦さまは神通力をもって目の前に引き寄せられました。玉耶はどうなることかと恐れおののき、真っ青になっておん前に座りました。
 ところが、お釈迦さまは思いのほか優しいお顔で玉耶をごらんになりおだやかに、情理をつくして女性の生き方についてこんこんとお説き聞かせになりました。玉耶はうかがっているうちにしんそこから自分の非を悟り、それ以来すっかり人間が変わってしまいました。ここに掲げた言葉は、その長い説法のなかのいちばん肝心なところを抜いて意訳したものです。
 多くの芸術家や詩人たちが、「女性こそは神が造りたもうた最高傑作である」とほめたたえています。それは決して表面の美だけを見て言っているのではありません。女性の深いところにひそむ永遠性を秘めたいのちと心の美しさをこそ賛嘆しているのです。こうした美しさをいまの女性たちは忘れているのではないでしょうか。

男性の真の憧れは「聖女」

 男性はだれでも、一生に一度か二度はそうした「聖女」に巡り会い、いつまでもその記憶を珠玉のように胸に刻んで忘れないものです。わたしにもそういう経験があります。
 水兵として軍艦に乗り組んでいたころのことです。何十日もの洋上訓練を終えて母港に帰ると、一定の民家に泊まって家庭的雰囲気を満喫させ、心身を休ませるという、味な制度が海軍にはありました。
 わたしの宿の主婦鈴木千代美さんは、当時三十歳で小さなお子さんを持っておられましたが、親切で、きさくで、しかも知性豊かな美人でした。書籍・新聞・雑誌などをよく読んでいて、久びさに上陸したわたしたちに社会や政治のさまざまなニュースを解説入りでよく話してくれました。
 わたしは姉を持たずに育ったので、何となく姉という存在に憧れていました。また、すでに母を失っていたので、無意識のうちに母性的なものに飢渇を覚えていたようです。その二つながらを鈴木さんは十分に満たしてくれたのですが、しかし、二十歳を過ぎたばかりの多感な青年にとっては、それをもう一つ超えた「聖女」的な思慕を覚えさせる人でした。そのほのぼのとした潤いに満ちた思い出は一生消えることはないでしょう。
 わたしが結婚して漬物屋をしていたとき、鈴木さんが訪ねてきてくれたことがあります。夫婦で夜おそくまで明日売る煮豆を煮たり、サケの切り身を切ったりしながら、水兵当時の思い出話をし、温かい記憶をよみがえらせました。貧乏のどんぞこで余分の布団がなく、家内と鈴木さんが一つの布団に寝、わたしは座ったままウトウトして夜を明かしたのでした。
 昭和十三年三月、立正佼成会を創立するとすぐ、わたしは鈴木さんを訪ね、会の青経巻を第一番に差し上げたのでした。
 世に「永遠の男性」という言葉はなく、あるのは「永遠の女性」という言葉のみです。どうか現代の女性の皆さん、この事実をよく味わい直して頂きたい、と願われてなりません。
題字と絵 難波淳郎

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