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仏教者のことば(45)
立正佼成会会長 庭野日敬

 片海・市河・小湊の磯のほとりにて昔見しあまのりなり。色形味わいも変らず、など我父母変らせ給いけんと、方違(かたたが)えなる恨めしさ、涙抑え難し。
 日蓮聖人・日本(新尼御前御返事)

孝行の根源は「懐かしさ」に

 故郷の房州からのりを身延へ贈り届けられたのに対する礼状の一節です。当時の良心的な宗教家の常として、修行のため、布教のため、あるいは法難に遭って遠隔の地に流されたりして、ほとんど父母と共に生活することのできない一生でした。
 しかし、聖人の両親に対する思慕の念は非常に深く、この手紙の「父母は、どんなにお変わりになっただろうかと、せっかくの贈り物に方向違いの思いを起こしたりして申し訳ありませんが、父母のおそばにいられぬわが身が恨めしく、涙を抑えることができません」という言葉に、その真情があふれています。
 戦後の日本で、親子の断絶ということが言われ出してから、ずいぶんになります。その原因については、いろいろ論議されていますけれども、わたしは、現代人があまりにも功利的な、計算ずくのものの考え方に偏してしまい、心の美しさ、魂の純粋さを失いつつあるのが一番大きな原因だと考えるのです。
 孝行といえば、何となく倫理・道徳の型にはまった感じで、近ごろの若い人はこの言葉に反発を覚えるようですが、孝行の根源はもっと人間的な「懐かしさ」「慕わしさ」にあるのです。この感情こそ、人と人とを結びつける最も強い絆(きずな)です。その絆が、血を分けた親子の間にも失われつつあるというのは、何よりも悲しいことではないでしょうか。
 そこで、わたしは、社会一般や教育の場で、心の美しさを育てる風潮を取り戻すと同時に、親(とくに父親)は子供に懐かしがられるような親になって欲しい、と願われてならないのです。

背いてもやまぬ思慕を

 男の子はいつかは親のそばを離れて独立し、女の子は他家に嫁入りしてやはり親許から去る……これは生物としての宿命です。その寂しさに親は耐えなければなりません。しかし、人間であるからには、どんなに離れていても、心の通い合いはいつまでも変わりなくあるべきです。親はつねに子を思い、子はつねに親を慕う……その典型が日蓮聖人にあると思うのです。
 宮沢賢治が昭和三年に上京するとき、お母さんは「どうぞ行かないで……」と両手を合わせて止めようとしましたが、賢治はそれを振り切って上京しました。日蓮聖人も、故郷を出られるとき、父母が「手をすりて制し」たと書いておられますが、男の子が広い社会に飛び立つときは往々にしてこんな状況になるものなのです。しかし、東京で肺炎を起こして命も危ないというとき、賢治は父母にこんな遺言状を書いています。
 「この一生の間、どこのどんな子供も受けないような厚いご恩をいただきながら、いつもわがままでお心に背き、とうとうこんなことになりました。今生で万分の一もついにお返しできませんでしたご恩は、きっと次の生、またその次の生でご報じいたしたいと、それのみ念願いたします。どうか信仰というのではなくてもお題目で私をお呼び出しください。そのお題目で絶えずおわび申し上げお答えいたします」
 日蓮聖人や、賢治のご両親のように、子からこれほど恩を感じられ、慕われる親こそ、ほんとうに幸せな親だとは思いませんか。そして、真の親子とはこのようなものだとは思いませんか。
題字 田岡正堂

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