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人間釈尊(38)
立正佼成会会長 庭野日敬

釈尊の絶妙な方便

死んだ子を抱いて歩く女

 舎衛城の町を一人の女が、三歳ばかりの子供の死体を抱いて、フラフラと歩き回っていました。そして行き会う人ごとに、
 「この子に薬をください。お願いします」
 とけんめいに頼むのでした。この女は商人の妻でキサー・ゴータミーといいましたが、一人子を急病で失って半狂乱になっていたのでした。
 薬をくれと言われても、だれも相手にしません。ただ一人、心すぐれた男がいて、彼女に告げました。
 「城外の精舎に仏陀といわれるお方がおられるから、そのお方にお願いしてごらん」
 ゴータミーはさっそく祇園精舎に行ってみますと、大勢の人に囲まれて説法しておられる神々しいお方がおられます。それを見てとったゴータミーはおん前に進み出て、
 「仏さま、この子に薬をくださいませ」
 とお願いしました。お釈迦さまは、
 「よく来たゴータミー。これから町へ行って、むかしから今まで死人を出したことのない家から芥子(けし)粒を一粒ずつもらってきなさい。そうしたら、いい薬をあげよう」
 とおっしゃいました。
 ゴータミーが町へ引き返して一軒一軒回ってみましたが、これまでに死人を出したことのない家は一軒もありませんでした。
 そこでゴータミーはハタと気がつきました。――死んだのはこの子だけではないのだ。仏さまはそのことをお教えくださったのだ――。
 そして町の外の墓場に行って子供の遺体を葬り、スッキリした気持ちでお釈迦さまのみもとへ戻ってきました。

自身も聖なる道へ回生した

 「ゴータミーよ。芥子粒は手にはいったか」
 「いいえ、み仏さま。もう芥子粒は要りません。み教えはよくわかりました」
 そこで世尊はお説きになりました。
 「自分の子や家畜に心を奪われ、愛におぼれて執着しているうちに、死はそれらをさらって行くであろう。人びとが眠っている間に洪水が村を押し流して行くように」
 このお言葉は法句経の二八七番に残されていますが、この一偈を聞いたゴータミーはますます心が開け、出家して仏法に精進したいと決意しました。
 お許しを得て比丘尼僧院に入ったゴータミーの進歩は目を見張るほどで、ほどなくアラカンの悟りに達しました。とくに、粗末な衣を着、質素な暮らしをしていることは比丘尼中で第一であると、お釈迦さまに褒められたのでした。
 法句経三九五番にある次のお言葉は、キサー・ゴータミーをお褒めになったものだといわれています。
 「たとえ拾いあつめて作った、見苦しい衣を着ていても、身体は瘠せ、静脈が浮かび上がって見えるほどであっても、ひとり林中で心を静めて瞑想している、わたしはそのような人をバラモンと呼ぼう」
 なお、キサーというのは「瘠せ女」という意味だそうで、ゴータミーの得名だったのです。
 彼女自身が詠んだ偈も、南伝の長老尼偈経の二一三番から二二三番に記されています。その最後に、
 「わたしは聖なる八つ道(八正道)を修習して、不死の境地に達し、法の鏡を見た。わたしは(貪・瞋・癡の)矢を抜きとり、心の重荷を下ろし、解脱することができた」
 とあります。女性として、母として最大の不幸に陥った人が仏法に救われた一例ですが、それにしてもお釈迦さまの方便の見事さはどうでしょう。「方便即真実」とはこのことなのです。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎

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