皆様、本日はようこそお詣り下さいました。
このようにたくさんの方が妙佼先生のご冥福をお祈り下さって、大変お喜びだろうと思います。
またただ今は、体験の多い十日町の教会長さんが、今日は前座をつとめて下さいまして、妙佼先生のありし日のことを、非常になつかしくお話し下さいました。本当に当時のことがありのままに思い起こされました。今日の池田さんの説法の口調が、妙佼先生と同じような調子の説法でありまして、――随分久し振りに池田さんの説法を聞いたんですが――何か妙佼先生が話しているような感じがしました。「あんたは駄目だよ」とか「着物がないんだろ」なんていうことで「これ持っていきなさい」と着物のない人には着物を与え、また食物のない人には食物を与え、というように、妙佼先生は、もう顔色を見ると、すぐにその人の境涯がよくわかる。ですからすぐ図星を言われる。ですから大抵の人が、妙佼先生に一遍会うと、一遍に陥落してしまう。なかなか入会しないというような人でも、入会をしようという気持ちが出て来るわけであります。
遠い昔のことのような気が致しましたが、池田さんはなかなかよく覚えておられた。まあ、高松宮さまのお邸へ祀り込みに行くというときは、実際は妙佼先生が行った。宮さまの奥さまがおいでになって、そして学習院の恩師であるその先生もご婦人であります。そういう関係で、ご婦人がお祀り込みに行ったほうがいいだろうということで、私が行かないで妙佼先生がお祀り込みに行ったのであります。
私どもは一生懸命にご先祖さまのご供養を、真心をこめてやらせて頂いているつもりでありますけれども、その心の遣い方が、宮さまのこの奥さまの仏さまに対する態度が、妙佼先生は本当に「教えられた」と言って、非常に感心して帰ってこられた。当時の本部は妙佼殿の隣にあった旧本部の、わずか二十五坪の本部であります。その本部のご宝前に、九尺のご宝前がありますが、奥さまはそのご宝前の中をじっと、こうお立ちになって覗き込んでご覧になっておられました。そうしますると、そのとおりに大工さんに頼んで御殿の中にそのご宝前を造ったわけです。白木で、佼成会と同じように檜で、みなお造りになった。そしてお榊をちゃんと両側に、そして前のほうに花を置いて、もう本部と全く同じようにお飾りになって、ちゃんとしてあった。