メインコンテンツに移動
ユーザーアカウントメニュー
ログイン
Toggle navigation
Main navigation
ホーム
コレクション
お知らせ
規約について
お問い合わせ
利用ガイド
全資源タイプ
機関紙誌
教団史
動画
音声
写真
法話(テキスト)
貴重書
検索
すべて
メタデータ検索
全文検索
リセット
表示件数
18
30
60
90
120
並び順
関連度
作成日 昇順
作成日 降順
タイトルヨミ 昇順
タイトルヨミ 降順
詳細検索
コレクション
- すべて -
『庭野日鑛会長のこころ』~つれづれに想うこと~
『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
法話選集
年頭法話
庭野日敬法話映像作品集(平和への願い)
心に生きる開祖さま
庭野日敬法話映像作品集(仏教三大行事と釈尊伝)
心が変われば世界が変わる
仏教者のことば
経典のことば
法華三部経の要点
庭野日敬法話映像作品集(教団史)
人間釈尊
お会式
スポーツ
立正佼成会映像作品集
らしんばん
e-story
- すべて -
庭野日敬の世界
資源タイプ
- すべて -
Text
Image
MovingImage
Sound
タイトル名
作成者
公開責任部署
- すべて -
アーカイブズ課
伝道メディアグループ
開祖顕彰資料室
佼成図書館
作成日(西暦 or 和暦)
地理空間情報
ヘルプページ
63 件中の 19 件目~ 36 件目を表示
リスト
サムネイル
グローバルフォーラム マザー・テレサと会見
【写真】
佼成新聞 1988年04月15日 日鑛先生「グローバル・フォーラム」に出席
【機関紙誌】
人間釈尊60
【機関紙誌】
譬喩の名人でもあられた
人間釈尊60
譬喩の名人でもあられた
1
...人間釈尊(60) 立正佼成会会長 庭野日敬 譬喩の名人でもあられた 一滴の水と善根の譬え お釈迦さまが祇園精舎でこのような話をなさいました。 ――わたしがある所で多くの人に法を説いていたら、一人のバラモンが自分の髪の毛を一本抜いてその尖端に一滴の水をつけ、 「世尊、この水をさし上げます。つきましては、この水が風や日光に当たって乾かぬよう、また、鳥や獣にも飲まれぬよう、不増不減のままに保存して頂きたい」 という難問を出してきた。わたしはその髪の毛を受け取ると、すぐガンジス河に投げ入れた―― こう語られてから、次のような解説を加えられました。 「ガンジス河に投げ入れた一滴の水は、大河の水の中にあって乾くこともなく、鳥獣に飲まれることもなく、ついには大海に流れ入って永久に生きつづけるであろう。それと同じように、そなたたちが社会の人たちのために積んだ善根は、たとえ一滴の水ほどの微細なものであっても、広い社会の中で永遠のいのちを持ちつづけるのである」 われわれ現代人でもこの譬えを聞くと、「エネルギー不滅の法則」を思い出して、なるほどと納得させられます。 われわれ人間は死刑囚 また、霊鷲山での説法でこんな話をなさったこともあります。 ――ある死刑囚が、どうしても生きていたいと思い余って脱獄した。その国の法律では、脱獄者は象に踏み殺させることになっていたので、役人は兇暴な象にその男のあとを追わせた。 地響きをたてて大象が迫ってくるのを見た脱獄囚は、ちょうどそこにあった井戸へ飛び込もうとすると、井戸の底には大きな竜が口を開けているのだ。アッと驚いたが逃げ出すわけにはいかず、井戸の中に垂れ下がっている一本のカズラにすがりついていた。 すると、二匹のネズミが出てきて、カズラの上のほうをガリガリかじり始めた。もうダメだ……と絶望感にさいなまれていると、口のあたりにポタリと一滴の蜜が落ちてきた。たいそう甘い。見上げてみると、井戸の上に生い茂ったカエデの大木からしたたり落ちる樹液なのである。 やれ嬉(うれ)しやとそれを嘗(な)めて生命をつないでいるうちに、井戸から出ることもできず、底に下りることもできぬ中途半端な境涯ながら、だんだんそうした暮らしに慣れてきて、ただその一滴ずつの蜜の甘さを楽しみに、いつかはカズラが切れることも忘れ、はかないぶら下がりの生活をつづけていたのであった。 普通一般の人間にしても、この死刑囚と似たようなものである。いつかは必ず肉体の死がやってくるのを忘れ、ただその日その日の歓楽を追って暮らしているのだ―― この話を聞いていますと、それが譬え話だとわかってはいても、なにか惻々(そくそく)と身に迫るものを覚えます。たしかにわれわれはカズラにぶら下がっている死刑囚のようなものです。しかし、絶望してはならない。現実のカズラのほかにもう一本の見えざる堅固な綱をわれわれは知っているのです。言うまでもなく、人間のいのちの永遠を説く仏道にほかなりません。このことが、この譬え話の底にかくされているわけです。 理屈っぽくなった現代人は、ともすれば譬喩というものにソッポを向きたがります。しかし、お釈迦さまの説かれた譬喩にはじつに深い哲学が秘められているのです。法華経の七つの譬え話もそのとおりです。素直な心になってよくよく味わいたいものです。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊61
【機関紙誌】
良い説法の四つの要素
人間釈尊61
良い説法の四つの要素
1
...人間釈尊(61) 立正佼成会会長 庭野日敬 良い説法の四つの要素 議論のための議論は空しい お釈迦さまの十大弟子の一人に摩訶倶絺羅(まかくちら)という尊者がいますが、じつはこの人は舎利弗の母の弟なのです。 一家は秀才ぞろいだったようで、倶絺羅があるとき舎利弗をみごもっていた姉と哲学上の議論を闘わしたところ、苦もなく言い負かされてしまいました。倶絺羅は「いつもの姉と違う。きっと腹の中の胎児が教えているに違いない。生まれない前からこうだから、生まれて大きくなったらどんな知恵者になるかわかったものではない。いまのうちに諸国を行脚して勉学を重ねておかなければ……」と考え、バラモンの修行者の仲間に入って南インドへ旅したのでした。 そこでバラモン教の十八大経をことごとく読破し、ひとかどの大学者になったつもりで、故郷のマガダ国へ帰ってきました。帰ってみると、家族はほとんど死に絶え、まだ見ぬ甥(おい)の舎利弗が最近にわかに有名になったゴータマ・ブッダの弟子になっていると聞きました。 さっそく竹林精舎を訪れた倶絺羅は、まずゴータマ・ブッダなる人に論戦をいどんでみました。倶絺羅は、 「わたしは懐疑論者です。人間がうち立てた一切の説を認めません。あなたの説はどんな説か知らないが……」 と切り出しますと、お釈迦さまは、 「一切の説は認めないこと、それもそなたがうち立てた説ではないか。その論法でいけば自分自身の説をも認めないことになる。そのようなのを議論のための議論といい、自分も悟れないし、世間の人をも救えないのだぞ」とさとされました。倶絺羅は一言もなく恐れ入ってしまいました。 それからお釈迦さまは、縁起の法をはじめ、諸行無常の理から四諦の教えまで順を追ってお説き聞かせになりましたので、にわかに夢から覚めたようになり、その場で入門をお願いして許されたのでした。 舎利弗が入門して十五日目のことでしたが、舎利弗はそのときお釈迦さまをうしろからあおいでさしあげていながら、それらの法門を初めて開き、そくざに悟りを開いたといいます。 現代にも必要な「四弁」 倶絺羅もほどなく仏法に通達するようになり、とりわけ教義を説く弁舌においては並ぶ者がないといわれるようになりました。あるときお釈迦さまは、大勢の比丘たちに倶絺羅の説法ぶりを次のようにお褒めになりました。 「比丘たちよ。倶絺羅はこの世に行われているあらゆる思想に通じ、その意義を明らかに解説することができる。これを『義弁』という。 また倶絺羅は、如来の説いた法のすべてを総括して心得、欠けるところなくそれを説く。これを『法弁』という。 さらに倶絺羅は、仏の言葉はもとより、世の人々が話す俗語にもよく通じ、たくみにそれを用いて法を説く。これを『辞弁』という。 また倶絺羅は、法を説くときいささかも憶することなく堂々と説き、大衆は知らず知らずのうちにそれに引き込まれて法悦を覚える。これを『応弁』という。 比丘たちよ。そなたたちも法を説くときは摩訶倶絺羅のように『四弁』を具備することを心がけるがよい」 この「四弁」は、二千五百年後のわれわれ仏弟子にとっても、そのまま服膺(ふくよう)すべき心得であると思います。一つ覚えのように仏法を古典的な解説のみで説いても、人々はよく納得できず、魅力をも覚えません。あるいは現代科学に裏づけさせたり、あるいは社会情勢の現実に即したり、あるいは流行語などを用いてユーモラスに説いたり、さまざまな工夫が必要なのであります。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊62
【機関紙誌】
仏も貪欲であられた
人間釈尊62
仏も貪欲であられた
1
...人間釈尊(62) 立正佼成会会長 庭野日敬 仏も貪欲であられた 倒れても前へ杖を投げて お釈迦さまが祇園精舎におられたとき、比丘たちに次のようなむかし話をされました。 ――あるところにシュミラという修行者がいた。シュミラはたいそう説法が上手で、よく人々を良い道へみちびいた。 あるとき国王に呼ばれて法を説いたところ、ことのほか気に入られて、 「そなたに褒美をとらせよう。望みの物を言うがよい。何なりとかなえてやろう」 と言われた。シュミラは、 「では申し上げます。わたくしのために広い土地をください。そこに僧坊を建ててください」 とお願いした。王は、 「よろしい。そなたが一瞬も休むことなく走りつづけて行き着いた所までの土地を残らずそなたに寄進しよう」 と約束された。そこでシュミラは身軽ないでたちになって走り出した。しだいに息が切れ、足も重くなった。しかし、少しでも広い土地が欲しいという一心から、けんめいに走りつづけた。 やがて、もはや一歩も進めないほどヘトヘトになってしまった。しかし、なおも最後の力をふりしぼってヨタヨタと歩いて行った。 いよいよ精も根も尽き果てたシュミラは、ばったりと地上に倒れた。しかし、彼は土に爪を立てるようにして這(は)って行った。そのうち這う力もなくなった。すると今度は体を横にして転がり始めた。が、ついにその力も尽きてしまった。 そのときシュミラはどうしたでしょうか? 持っていた杖(つえ)を前の方へ投げて、 「この杖の落ちた所までがわしの土地だ」 と叫んだのであった―― これが仏の貪欲 この話をなさったお釈迦さまは、 「わたしもこのシュミラと同じく貪欲なんだよ。もちろん土地が欲しいのでもなく、僧坊が欲しいのでもない。一歩でも多くの土地へ行って一人でも多くの人を救いたい。できることならこの三千世界の生きとし生けるものすべてを救いたい。これがわたしの貪欲なのだ。 しかし、わたしも人間だ。体力にも寿命にも限りがある。いつかは倒れてしまうだろう。その時までわたしは走りつづける。布教の旅をつづけるのだ」 とおおせられました。 そのお言葉のとおりのことを、お釈迦さまは実行されたのでした。八十歳にもなられて、リューマチ性背痛という持病を持ちながら、なおも布教の旅に出かけられたのです。 ベールヴァという村にさしかかられたとき、ちょうど雨期に入りましたので、そこで雨安居(第二十七回参照)をされたのでしたが、その年は米が不作でやむなく馬糧を召し上がったために、ひどく胃腸を害され、死の一歩手前を彷徨(ほうこう)されたのでした。 それでも、たぐいなき精神力をもってその重病を克服されると、衰弱した肉体に鞭(むち)うつようにして再び北へ向かって旅立たれたのです。 そしてついに力尽きてクシナーラという村でお倒れになりました。いよいよご入滅という時に、スダッタという異教徒が教えを乞(こ)いに来ました。阿難が――世尊はご臨終であられるから――と言って面会を断っているのを聞かれたお釈迦さまは、 「阿難よ、法を聞きに来た人を拒んではならぬ。通しなさい」 と言って枕元に呼ばれ、四諦の法をお説きになったのでした。それこそが、シュミラが倒れても前方へ杖を投げて「ここまでわたしの土地だ」と叫んだ所行そのままだったのです。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊63
【機関紙誌】
異端者をも追放されず
人間釈尊63
異端者をも追放されず
1
...人間釈尊(63) 立正佼成会会長 庭野日敬 異端者をも追放されず プレイボーイ迦留陀夷 迦留陀夷(かるだい)は、浄飯王の師であるバラモンの子で、美ぼうと才気と弁舌で知られた貴公子でした。浄飯王はシッダールタ太子に出家の気配があるのを察し、快活明朗な彼を太子の侍者とし、太子の気持ちをなんとか現世の快楽へと引き戻そうとされましたが、結局その効はなかったのでした。 太子が出家された後、迦留陀夷はカピラ国の大臣となり、友好国の舎衛国によく出かけ、ハシノク王にもしばしばお目にかかっています。舎衛国の大臣・密護とも親友の間柄でしたが、いつしか密護の奥さんとも不倫関係に陥るというプレイボーイでした。 お釈迦さまが成道されてから、浄飯王は何度も使いを送って帰国を促されましたが、使いの者はみんなお釈迦さまのもとで出家してしまい、一人として帰って来ません。浄飯王は最後の手段として迦留陀夷を使者として出されたのですが、彼もどうしたわけか出家してお弟子になってしまいました。 しかし、迦留陀夷は「ぜひ一度お帰りになるように」とお釈迦さまを説得しましたので、お釈迦さまも老父王を慰めに行こうというお気持ちになられ、歴史的な帰国となったのでした。ぜんぜん違った性格と思想の持ち主なのに、どこか気の合うところがあったのではないかと推測されるのです。 家庭教化の名手でもあった 迦留陀夷は比丘となってからも相変わらずやんちゃぶりを発揮していました。六群の比丘という暴れ者仲間のリーダーとなって、祇園精舎の森のカラスを何十羽も射落としたり、少年比丘たちを引き連れて町を練り歩き、人々をからかったり、いたずらをしたりしました。 王宮にも自由に出入りできたのですが、ある時フト末利夫人の裸体を見たことから、祇園精舎に帰って「おれは王妃の裸を見たぞ」と触れ回ったこともありました。そのほか、比丘尼や町の女性と問題を起こしたことも度々あったのです。 もちろん、その都度、お釈迦さまは彼を呼びつけ厳しく叱責されたのですが、戒律の定めでは、ある違反を初めて犯した時は「教団からの追放」という最大の罰は与えないことになっていましたので、その規則の通りいつもお叱りだけにとどめられたのでした。 そうした問題児だった一方では、酸いも甘いも噛み分けた、いわゆるワケ知りだけに、親子・夫婦のいざこざを納めるのが上手で、家庭ぐるみ教化して仏法へ導いた数が舎衛城だけで九百九十九家に達したといいます。 ところが、最後に教化しようとしたある主婦が、ひそかに情を通じていた盗賊の首領との仲を割かれるのではないかと思い、その男をたきつけて迦留陀夷を殺そうとたくらんだのでした。そして、迦留陀夷が女の招きによってその家に行って法を説き、夜道を帰るところを、一刀のもとに斬り殺されたのでした。じつに壮烈な殉教だったのです。 翌日、全比丘の集会がありましたが、迦留陀夷の姿が見えないのでみんなが不審に思っていると、お釈迦さまは神通力で昨夜の殉教を知っておられ、 「迦留陀夷とわたしは若い時分からの親しい友であったが、ああ、いまついに別れることになった」 と、悲しげにおおせられたといいます。 この一語に、お釈迦さまの迦留陀夷に対する特別なお気持ちがうかがわれるように思います。単なる師弟という間柄を超えた人間的愛情をそこに感じとっても、仏さまに対する冒瀆にはならないのではないでしょうか。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊64
【機関紙誌】
釈尊の前世物語
人間釈尊64
釈尊の前世物語
1
...人間釈尊(64) 立正佼成会会長 庭野日敬 釈尊の前世物語 人民の犠牲となった猿の王 お釈迦さまが祇園精舎で大勢の人たちにこんな話をなさいました。 ――むかしある所に五百匹の猿を従えた猿の王がいた。ある年がたいへんな干ばつで、山の木々にも実がよく生(な)らなかった。それもほとんど食べつくしてしまった。ところが、川一つ隔てた王城の園林には果樹がたくさん栽培されているので、猿王(えんおう)は一族を引き連れて移り住み、命をつないでいた。 しかし、園林の番人がそれを見つけて厳重な檻(おり)を作り、そこへ残らず追い込んでしまった。檻の一方だけは開いていたが、そこは川に面したけわしいがけになっており、逃げ出すことはできなかった。 猿王は一族の猿どもに命じて藤蔓(ふじづる)を集めさせ、それをつないで一本の綱とした。その一方の端を木に結びつけ、他方の端を自分の腰に結びつけ、ブランコのように川の上空を飛んで対岸の木の枝につかまった。そして蔓をその木に結びつけようとしたが、ほんの少しだけ長さが足りず、前足でつかまっているのが精いっぱいだった。 そこへ番人が見回りに来る気配がしたので、猿王はしっかと木の枝にしがみつき「みんな、早く渡れ」と叫んだ。五百の猿たちは藤蔓を伝い、最後には猿王の背中を渡って、無事に川を渡ることができた。 そのとたんに猿王は精根つきてバッタリと地上に落ち、気を失ってしまった。それを見た番人は猿王を捕らえて国王の前に引き据えた。猿王は「王さまの園林を荒らして申し訳ございません。これはわたくしの命令でしたことですから、どうぞわたくしだけを処刑して一族は見のがして頂きとう存じます。わたくしの肉はほんの少しですけれども、王さまはじめ皆さまの一晩のおかずにしてください」と申し上げた。 王はその心根に感動して、猿王を許したばかりか、国内に布告して猿たちが餌を取るのを妨げないようにと命じたのであった。 その猿王がいまのわたしであり、国王は阿難、五百の一族はいまの五百人の比丘たちである――と。 ジャータカの持つ意義 このようなお釈迦さまの前世の物語をジャータカ(本生譚)といい、仏典に出ているだけで約五百五十あります。普通の人間は、出生と同時に過去世のことはすっかり忘れてしまうのだといわれていますが、非常な神通力をもたれた世尊はあるいはそのような記憶を持っておられたのかもしれません。法華経でも、提婆達多品や常不軽菩薩品で前世の思い出を語っておられます。 仏教学者たちは、ジャータカは――世にもすぐれたお釈迦さまのお徳はとうてい現世の修行だけで達成されたものとは考えられないとした後世の信仰者たちが創作したものだ――としています。おそらく大部分のジャータカがそうなのでしょう。 しかし、だからといって、ジャータカを一種のお伽噺(おとぎばなし)として軽く見てはならないのです。わたしたちも子供のころ巌谷小波(いわやさざなみ)のお伽噺に夢中になったものではありませんか。時代が変わっても、子供たちはアンデルセンやグリムの童話をむさぼり読み、それがどれぐらい子供たちの胸に美しい感動を刻みこみ、どれくらい温かな情緒を育て、一生の人間形成に役立ったか、計り知れないものがあります。 ですから、お釈迦さまの説かれた譬え話や、仏典に出てくる因縁話などを、けっして――ありえないこと――などと軽く見過ごしてはならないのであります。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊65
【機関紙誌】
譬喩から思索は限りなく
人間釈尊65
譬喩から思索は限りなく
1
...人間釈尊(65) 立正佼成会会長 庭野日敬 譬喩から思索は限りなく 麻を背負った二人の男 お釈迦さまが祇園精舎で多くの人々にこんな話をなさいました。 ――ある所に二人の友だち同士があって、仕事を求めて旅に出た。山を越え野を越えして歩いていると、ある荒野に麻がたくさん生い茂っているのを見つけ、これはお金になると早速それを刈り取り、背負えるだけ背負って故郷へ帰りかけた。 すると途中の山かげにたくさんの銀塊が転がっていた。第一の男は、背負っていた麻を捨てて、その銀塊を袋に入れて背負った。第二の男はそれを見向きもしなかった。 また旅を続けていると、土の中から金らしいものが顔を出しているのを見つけた。第一の男がそこを掘ってみると、金の塊がゴロゴロ出てきた。「これはすごい」と、すぐに銀塊と取り換えたが、第二の男はちょっと欲しそうな顔をしただけで取ろうともしない。 第一の男が――天からの授かりものなのにどうして取らないのか――と聞くと、 「麻をしっかり背負いこんでいて、おいそれと背中から下ろせないんだ」と言う。 「ぼくが手伝ってやるよ」 「いや、このままでいい。せっかく遠方から運んで来た麻だ。いまさら捨てるわけにはいかない」 「愚かなことを言うな。こうしてやる!」 第一の男は強引に友だちの麻の束を解き下ろそうとしたが、あまりしっかり結びつけてあるので、容易に取れない。第二の男は、 「余計なことをしてくれるな。おれに構わず先に行ってくれ」と言う。 仕方なくそのまま家に帰った彼は、莫大な財産を持って帰ったので、家族にも喜ばれ、一生幸せに暮らした。 それにひきかえ、第二の男は家族からは愚か者と呼ばれたばかりか、一生貧乏暮らしをしなければならなかった。 一つの譬喩から拡がるもの 中阿含経に出てくるこの譬え話は、読みようによっては別の解釈もできますが、ここでは善をみつけたら、それまで身につけていた悪を躊躇(ちゅうちょ)なく捨てて、善へ乗り換えよ……という教訓だとされています。 しかし、現代のわれわれがこの譬え話を読みますと、それをヒントとして、いろいろな連想が限りなくひろがっていくのです。 たとえば、ある低俗な信仰にはまりこんでいる人が、すぐれた高等宗教に巡り合ったとき、それに見向きもせず相変わらず迷信にとらわれておれば、一生を迷ったまま過ごさねばならない。 また、たとえば、ある思想を「これこそ真理だ」と固く思い込んでいた人が、それが誤った考えであり、もっとすぐれた思想があることを知っても、以前から背負っている思想を捨てるのは無節操だという無用のこだわりから、誤った思想にかじりつき、かえって世の中に害毒を流す。そのことに気づいて立て直しをしようとしている国が、世界に二つほどあります。 また、たとえば、金権政治と官僚主義を背中に固く結びつけている一国の指導層が、自由自在で創造的なやり方が目の前にあっても、勇敢にそれに乗り換えることをせず、国民をほんとうに幸せにできない国もどこかにある。 また、たとえば、二千年前の宗教上の恨みを麻の束のように捨てようとせず、いまだに争いを繰り返し、お互いが不幸になっている国々が中東にある。 このように、一つの譬え話から、思いは限りなくひろがっていき、そこから正しい道がおのずから見えてくるものです。ですから、仏典に出てくる譬え話を一概に無知の人のためのものと決めつけてはならないのです。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
開祖 (19880608A) 第3回国連軍縮特別総会「第3回国連軍縮特別総会への提言」
【音声】
開祖 (19880608A) 第3回国連軍縮特別総会「第3回国連軍縮特別総会への提言」
1
...法話コード=開祖-1988-06-08-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=第3回国連軍縮特別総会「第3回国連軍縮特別総会への提言」 日 時=1988(昭和63)年6月8日 録音分=6分 場 所=ニューヨーク、国連本部 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19880608A) 第3回国連軍縮特別総会「第3回国連軍縮特別総会への提言」
2
...○庭野開祖会長 関係各位に厚くお礼を申し上げます。 わたくしは幸運にも第1回並びに第2回の軍縮特別総会に際しましても意見発表の機会に恵まれました。 その間(かん)わたくしが一貫して米ソ首脳に主張し続けましたことは、「危険を冒してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである」ということでございました。 と同時に世界の安全が力による恐怖の均衡ではなく、新しい価値観に基づくものでなければならぬということを申してまいりました。 そして現在、米ソ間のINF全廃条約が締結されましたことは、新しい軍縮時代の幕開けとして高く評価したいと存じます。 時間の制約がございますので、次に要約した5項目だけでも6月25日の閉会までに、全会一致で採択されますことを、わたくしは心から願うものであります。 一つ、戦略核ミサイルのうち、少なくとも5割を廃棄すること。 二つ、包括的核実験禁止の合意と調印は、すべての国が速やかに実施すること。 3、現存する核兵器を凍結すること。 4、世界のあらゆる国は、西暦2,000年までに全核兵器を廃棄すること。 5、宇宙は平和的研究にのみ使われるべきものであるという見地から、SDIの開発には特に留意すべきこと。 さて、わたくしが所属している世界宗教者平和会議では、1970年の共同会議におきまして、次のように決議していることを報告したいと存じます。 すなわち「われわれは日本(にっぽん)の平和憲法を全人類に推奨したいと思う。われわれ宗教者はこのような憲法のあり方を守ろうとしている日本の国民に敬意を表明し、日本の国民がこの悲願の達成するよう、世界の宗教者がこれに協力するよう、心から訴えるものである」。 ところが現在、日本の防衛費をもっと増やすべきでは、(咳払い)増やすべきではあるまいかという声も聞かれますが、それはアジアの国々に、いたずらに不安を与えるだけであります。 それは軍縮にいちばん必要な信頼の醸成に反するものであります。 平和とは、つとに人類の生存の問題であり、安全とは他者とともに生きるという自覚の上に成り立つものであります。 その意味で、わたくしは「外(そと)なる平和」とともに、「内(うち)なる平和」にもっと留意すべきことを申し述べまして、わたくしの意見発表と致します。 ご清聴ありがとうございます。(一同 拍手)...
人間釈尊66
【機関紙誌】
パセナーディ王との別れ
ページ送り
先頭ページ
«
前ページ
‹‹
Page
1
カレントページ
2
Page
3
Page
4
次ページ
››
最終ページ
»