メインコンテンツに移動
ユーザーアカウントメニュー
ログイン
Toggle navigation
Main navigation
ホーム
コレクション
お知らせ
規約について
お問い合わせ
利用ガイド
全資源タイプ
機関紙誌
教団史
動画
音声
写真
法話(テキスト)
貴重書
検索
すべて
メタデータ(目録)検索
全文検索
リセット
表示件数
18
30
60
90
120
並び順
関連度
作成日 昇順
作成日 降順
タイトルヨミ 昇順
タイトルヨミ 降順
詳細検索
コレクション
- すべて -
『庭野日鑛会長のこころ』~つれづれに想うこと~
『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
庭野日敬語録
年頭法話
庭野日敬法話映像作品集(平和への願い)
心に生きる開祖さま
庭野日敬法話映像作品集(仏教三大行事と釈尊伝)
心が変われば世界が変わる
仏教者のことば
経典のことば
法華三部経の要点
庭野日敬法話映像作品集(教団史)
人間釈尊
お会式
スポーツ
立正佼成会映像作品集
らしんばん
e-story
- すべて -
庭野日敬の世界
資源タイプ
- すべて -
Text
Image
MovingImage
Sound
タイトル名
作成者
公開責任部署
- すべて -
アーカイブズ課
伝道メディアグループ
開祖顕彰資料室
佼成図書館
作成日(西暦 or 和暦)
地理空間情報
ヘルプページ
95 件中の 1 件目~ 18 件目を表示
リスト
サムネイル
佼成新聞 1968年1月5日 ”若先生”庭野浩一氏の近況
【機関紙誌】
佼成新聞 1968年1月12日 盛大にご親教式典
【機関紙誌】
佼成新聞 1968年2月2日 大きくなってネ
【機関紙誌】
庭野日鑛2代会長 佳重夫人 長女・光代さん ご自宅で
【写真】
佼成 1968年7月号 常住坐臥に思う
【機関紙誌】
佼成新聞 1968年7月5日 第一回御本尊・御守護尊神勧請式
【機関紙誌】
庭野日敬開祖 ゴルフ
【写真】
工事終了後の大聖堂
【写真】
開祖 (19820624A) 第2回国連軍縮特別総会
1
...法話コード=開祖-1982-06-24-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=第2回国連軍縮特別総会で国際自由宗教連盟会長として演説 日 時=1982(昭和57)年6月24日 録音分=11分 場 所=ニューヨーク 国連本部 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19820624A) 第2回国連軍縮特別総会
2
...○庭野開祖会長 (一同 拍手)(咳払い) えー、(咳払い)わたくしは、第1回国連軍縮特別総会において、(咳払い)世界宗教者平和会議を代表して、時のカーター大統領とブレジネフ書記長両閣下に対し「戦争のために危険を冒すよりも平和のために危険を冒すべきである」との勧告を行いましたにもかかわらず、世界の危機状況はますます深刻化しつつあります。そして、本日再び国際自由宗教連盟の会長としてお話をする機会をお与えくださいました国連関係者に感謝の意を表するとともに、軍縮に向けて努力される国連の使命を高く評価するものであります。 20カ国、46加盟団体を有するIARFは、人びとの国連支持教化を目指し、さまざまな活動を行ってまいりました。このIARFを代表して、また世界唯一の原爆被爆国日本(にほん)の仏教徒として、わたくしが世界の人びとに訴えなければならないことの第一点は、核兵器が配備されたいま、戦争の意味がまったく一変してしまったということであります。 これまでの戦争には、当事者双方になんらかの正当性を主張し得る根拠を見つけることができました。しかし、核戦争がもたらす恐るべき破壊と殺戮(せつりく)の前には、どのような正義も不正義も吹っ飛んでしまいます。生き残る者のない戦争に勝者も敗者もありません。傍観者であることさえも許されません。あるものは生命の尊厳に対する冒涜、ただそれだけであります。そのことをわたくしたちは広島、長崎によってまざまざと見せつけられたのであります。広島と長崎の犠牲者は、人類が3発目の原爆を絶対に使ってはならないことを教える殉教者でありました。 人類が生き残るためには核兵器を廃絶する以外にはないということも、1年間に使われる6,000億ドルもの巨額の軍事費の一部を開発途上国の援助に回すことによって、世界の飢餓と貧困をなくし得ることをもすでに周知のことであります。 過日、フランスにおいて開かれました先進国首脳会議は、増大をする、世界不況に対する処方せんとして、新技術開発の必要性を強調致しました。しかし、それは武器のための技術開発であってはならず、あくまでも人びとの生活を潤す技術革新でなければならぬことは当然であります。とはいえ、人びとの生活を変えるような目ぼしい技術革新は、いうはやすく、実現はここしばらく望むべきもないというのが実情であります。わたくしは、このサミット会議が、ベルサイユ宮殿の打ち上げ花火に過ぎないといわれるゆえんはここにあると思うのであります。 なぜならば、この会議が単なる希望表明に終わり、世界不況の根本的原因である超大国の軍拡中心の経済政策、及びアメリカの高金利政策に対し、その是正を促すことがなかったからであります。...
開祖 (19820624A) 第2回国連軍縮特別総会
3
...よってわたくしはここに、1年間に使われる6,000億ドルの軍事費を半分の3,000億ドルにまで削減するという勇気を各国政府首脳に望むものであります。 日本の立正佼成会及び新宗連は、核兵器廃絶と軍縮を求める署名運動を全国的規模で展開致しましたが、わずか2カ月余という短い期間に3,700万人の、うや、上回る国民の署名が得られたのであります。人類の運命は一握りの各国政府代表によって決められるのではなく、草の根の人びとの人類的な広がりと連帯によって決定されなければなりません。 いまを去る41年前(ぜん)、日本(にほん)が真珠湾に奇襲攻撃を加えたその報復として、原爆投下という悲惨な結果を招いた経緯に、仏教徒であるわたくしは深いザンゲとともに因縁の道理を思わずにはいられないのであります。そして、唯一の被爆国となった日本(にっぽん)は、恨みに報いるに恨みをもってしても問題の真の解決にはならないという反省のもとに、現在の憲法を受け入れたのであります。爾来日本(にっぽん)は、ひたすら世界の平和を希求し、平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して今日(こんにち)の繁栄を見たわけであります。 わたくしは、世界がこの日本(にっぽん)国憲法に理解と共感を抱き、やがては同様趣旨の憲法を、共倒れ必至の核戦争という無残な体験を経ずして模索されんことをこいねごうものであります。そのときにこそ信頼と愛による国際的安全保障は可能となると存ずるのであります。 その新しい世界の安全保障への道、全面完全軍縮への第一歩として、わたくしたちは国連並びに各国政府に次のような要望を致します。 一つ、戦略兵器削減交渉の実効ある推進。 二つ、核実験全面禁止条約の締結。 三つ、兵器としての使用を目的とする核分裂物質の製造凍結への交渉開始。 四(よん)、全核保有国に対し、それらの国々が核兵器を決して使用しないという誓約の要請。 五、平和実現と平和維持に関する国連憲章の国連安全保障理事会による実践。 六、世界軍縮キャンペーンへ向かっての精神的、財政的支持。 特に世界にはまだ核兵器の効用に対する迷信を抱く人びとの多くあること、並びに核兵器が人間に与えるむごたらしさをあまりにも知らなさ過ぎる現状をゆうり(憂慮)し、目下の急務は核兵器廃絶のために世界世論を喚起することであると痛感するものであります。 ここに立正佼成会は、平和と国際間の相互理解促進のために向こう1カ年間に100万ドルを世界軍縮キャンペーンの諸活動に拠出することを表明するものであります。(一同 拍手) わたくしは、国連の有効の活動が一層広く展開され、世界恒久平和の、平和を祈念してわたくしのスピーチを閉じたいと存じます。...
開祖 (19820624A) 第2回国連軍縮特別総会
【音声】
第2回国連軍縮特別総会
【写真】
長崎教会 ご巡教
【写真】
経典のことば55
【機関紙誌】
まさに水上の泡を観ずべし。
(出曜経第二十四)
経典のことば55
まさに水上の泡を観ずべし。
(出曜経第二十四)
1
...経典のことば(55) 立正佼成会会長 庭野日敬 まさに水上の泡を観ずべし。 (出曜経第二十四) 水の泡で冠を作る このことばを冒頭に掲げられたお釈迦さまは、次のような物語をなさいました。 ある国王に幼い娘があった。あるとき大雨が降って王宮の庭の池に無数の泡ができた。雨上がりの太陽がその泡をさまざまな色にきらめかせ、たいへん美しかった。幼い娘はそれを見て、父の王に、 「あの泡でわたしの冠(かんむり)を作って……」 と言い出した。王は-水の泡で冠など作れはしないよ-と言い聞かせるのだが、子供はダダをこねて承知しない。 もしかすると……と思った王は、町の金銀細工師たちを呼び集めて、あの泡で冠を作れと命令したが、みんな頭をかかえたり、うすら笑いを浮かべるばかりである。そのとき一人の老細工師が進み出て申し上げた。 「もし王女さまが、気に入った泡を取り上げてわたくしに渡してくださいますなら、冠を作って差し上げましょう」 そこで王女は池のみぎわにしゃがんで泡を取ろうとしたが、もちろん手を触れるとたんに消えていくばかりだ。王女はやっと自分の望みがむなしいものであることを知り、「お父さま。やはりわたくしには黄金の冠を作ってください」とお願いしたのであった。 この話をなさったお釈迦さまは、-水の泡が人目には美しく見えるように、この世の物質的な栄えもそのとおりである。人びとはその外見に目をくらまされて、むやみやたらとそれを追い求め、ついには疲れ果てて死を迎えるのである-とお説きになりました。 「徳」こそ永遠のもの このお経を読んでわたしは、その黄金の冠とは何だろうと考えてみました。空(くう)でないもの、実質のあるもの、いつまでも残るもの、となると、それは「徳」にほかならない……と思い当たったのです。 人間の歴史を振り返ってみますと「力」によってはなばなしい活躍をした人物は数々おります。アジア全土からヨーロッパまで席捲(せっけん)したジンギスカン、逆に西から東へと征服の旅を続けついにインドまで攻め入ったアレクサンドリア大王、そうした「力」で成し遂げた偉業の跡はいったい今どうなっているでしょう。まったく泡のように消え去っているではありませんか。 日本でいえば、戦国時代に全国統一を実現した奇略縦横の偉人秀吉も、死に際しては次のような歌を残しています。 「つゆとを(置)き つゆとき(消)へにし わがみかな なには(難波)のことはゆめのまたゆめ」 それらとまったく対照的なのはお釈迦さまです。身にまとわれたのは褐色の衣一枚、財産といえば托鉢用の鉄鉢一つ、八十歳の老齢に及んでも、あの酷熱のインドの地を、背痛をこらえながらハダシで歩いて布教を続けられた。生まれ育たれたカピラバスト国はとうに滅びてしまった。 しかし、その残された「徳」は永遠不滅です。二千五百年後の今日まで絶えることなくアジア諸民族の心の中に生き続け、その魂を浄化しつづけてきました。しかも人類の危機が切迫している現在、ヨーロッパやアメリカの人たちまでが、仏教によって人間的によみがえろうと指向しているのです。 「力」は水の泡です。過ぎ去っていく時間の上にむなしく浮かび、かつ消えるうたかたです。それに対して「徳」は無限のいのちを持つ黄金の冠です。このことを、個人の生きざまの上にも、民族や国家のあり方の上にも、再思三省すべきでありましょう。 題字と絵 難波淳郎...
経典のことば56
【機関紙誌】
悪(あ)しき業(わざ)を楽しみとしてはならぬ
酒を飲まば程を過ごしてはならぬ
(小部経典・大吉祥経)
経典のことば56
悪(あ)しき業(わざ)を楽しみとしてはならぬ
酒を飲まば程を過ごしてはならぬ
(小部経典・大吉祥経)
1
...経典のことば(56) 立正佼成会会長 庭野日敬 悪(あ)しき業(わざ)を楽しみとしてはならぬ 酒を飲まば程を過ごしてはならぬ (小部経典・大吉祥経) いじめはどうして起こる このおことばをつくづくと味わってみますと、お釈迦さまはなんという人心の機微を鋭くとらえておられた方だろう、そして何というものわかりのいい方だろう……と感歎せざるをえません。というのも、悟りを開かれる前に二十九年ものあいだ俗人としての生活をなさったせいではないだろうか……と思われるのです。 悪いことを楽しみにしてはならない、とはどんなことでしょうか。 人間は動物の一種であるからには、闘争心というものを根底に持っています。残虐性すら潜在意識の中に潜ませているのです。 子供たちは、トンボのしっぽをむしり取り、草の茎などを差しこんで飛ばすような残虐なことをします。お釈迦さまが、小川で捕らえた魚を踏んづけて遊んでいる子供たちに、「お前たちがこのようにいじめられたら苦しいだろうとは思わないか」と質問され、子供たちが「苦しいと思います」と答えたところで、「そうだろう。そのことを考えればいじめるのはよくないことだとわかるだろう」と諭された話は有名です。 子供はよくケンカします。たいていのケンカは一過性のもので、「腹が立ったからなぐった」「なぐったからなぐりかえした」で、たいてい終わりになるものです。 ところが、そうした「悪しき業」を楽しみにするようになったら、恐ろしいことになります。いま教育の問題を超えて社会問題にまでなりつつあるいじめは、じつにこうした心理から起こっているのです。弱い子をからかい、いじめることに楽しみを感じ、快楽を覚えるからこそ、しつこく、そして、次第に悪質なやり方でいじめるようになるわけです。 このことに深く思いをいたし、お釈迦さまがなさったように自省心を起こさせるか、あるいは楽しみをほかのことに振り向けさせるような指導がぜひ必要ではないか、とわたしは思います。 酒はほどほどに 次にお酒のことですが、お釈迦さまが不飲酒戒を定められたからといって、心のどこかで罪悪感を覚えながら飲んでいるような人がいるかもしれませんが、お釈迦さまのご本意は「自制せよ」というところにあったようです。 ということは、比丘に対する不飲酒戒が定められたいきさつからも推察することができます。(魔訶僧祗律巻二十)にこうあります。 お釈迦さまがクセンミ国にとどまっておられたとき、クセンミ国にかんばつが続いているのは悪竜のせいだとして、人々がサーガタという比丘に調伏(じょうぶく)を頼みました。サーガタは神通力をもって見事に悪竜を調伏したので、雨が降り、五穀が豊かに実るようになりました。 人々はサーガタを招待して、たいへんなごちそうをしました。そのとき出された酒を飲み過ごしたサーガタが精舎に帰りますと、ちょうど世尊は大衆を集めて法を説いておられました。 それほど酔ったとは思っていなかったサーガタが、その席につらなって説法を聞いているうちに、酔いが発してきて、いつしか世尊の前で横になり足を伸ばして寝込んでしまったのです。 世尊がどうしたわけでこんな不作法をするのかと他の比丘にお尋ねになりますと、その比丘は「飲酒すること多きに過ぎて酔臥するなり」と答えました。そこで、世尊は「今日より後、飲酒することを許さず」と仰せになりました。この問答からしても、それ以前は飲み過ぎない程度なら許されていたようなのです。 いずれにしても、少量の酒は百薬の長ともいわれていますし、不飲酒戒を「絶対」と考えなくてもいいように思われます。 題字と絵 難波淳郎 ...
ページ送り
カレントページ
1
Page
2
Page
3
Page
4
Page
5
Page
6
次ページ
››
最終ページ
»