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開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
【音声】
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
1
...法話コード=開祖-1957-10-05-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=故恩師妙佼先生追悼説法会 日 時=1957(昭和32)年10月5日 録音分=31分 場 所=第二修養道場 出席者=庭野日敬会長(葬儀委員長)、長沼理事長(遺族代表) 会員約5万人 掲 載=『交成新聞』1957(昭和32)年10月15日号1面 見出等 「恩師妙佼先生追悼会」 ...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
2
...○司会 ただいまは、遺族を代表していただきまして、長沼理事長さんのごあいさつをちょうだい致しました。 それでは次に、葬儀委員長としての会長先生より、ごあいさつを賜りたいと思います。(一同 拍手) 会長先生より、ごあいさつをちょうだい致します。(一同 拍手) ○庭野会長(咳払い) え、この度の妙佼先生ご遷化に対しましては、先ほど来、副委員長の柴田先生からご報告がありましたようの経路をたどりまして、(咳払い)支部長さんはじめ幹部諸氏の絶大なるご協力によりまして、滞りなく葬儀は立派に終了致しました。本日まで(咳払い)26日を数えました。なお、ただいま理事長さんからもお話がありましたように、支部長さん方によりまして、毎日お山におきまして、ご給仕をさせていただいております。 先生の思い出は、もう語れば、どこまでいっても果てしがないのであります。なお、岩船さんからも、そういうようなことがいわれましたが、先生を失いまして、まだ、20数日たちますけれども、頭の中はすっかりと整理ができませんで、先生の思い出は皆さんの前になんとか綴って、せいとうい(正当位)にお話をしなければならない、思いつつもそのことがまとまらないのでありまして、ただ漠然とこの5日のご命日に追悼会をやる、その時ごあいさつをしなければならない。こういうようなことで本日まで、日(ひ)を過ごしてまいりましたような次第でございます。皆さん方の追悼の言葉を伺っているうちに、次から次へとあれもそうであったな、そういうこともあったなと、そう思い出しておったような次第でございます。第七(だいなな)支部長さんが、会の創立当時、一緒に歩くというと、体格が違うので、わたしのあとからとぼとぼと歩くのに、駆け足のようにして一緒に歩いたと、この言葉をひとつ聞きましても、全くそうであった。しかも、先生はわたしよりお年が17(じゅうしち)も上である。現在のわたしは、ちょうど先生が交成会が始まって3年目ぐらいの時期の年である。しかるに、どこへ行くのにもいろいろ皆さん方の真心によりまして、本当に下駄を履いてとぼとぼと歩くというようなことなく、車に乗って歩かしていただいている。しかも、体格も先生よりもこれだけ大きな体格に恵まれている、こういう、るるの条件を考えましても、いかに、体をすり減らすような修行をされたか、全く無理の修行を重ねて、させてしまった。非常に求道の友として、善知識として、本当にいい師匠であり、友でありましたが、それに任せて、自分の体の血気に任せて、次から次へと無理を重ねさせてしまった。 こういうことを考えますときに、もう感慨無量でございます。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...いつもほうぼうを歩きますのに、よくあんたは手を振りますね。とそんな悪口をいったのであります。先生は本当に真剣で歩くのですから、どうしても歩くのに勢いこの手をこう振らなければ続いて歩けないから、一生懸命で足だけでは歩けないので手を一生懸命使って歩いたんでありましょう。そうして毎日のように、信者のところを、少し遠いところは自転車に乗っけて、さらにもっと遠いところでは、現在のようでなくいろいろ乗り物は不都合でありまして、沼袋まで乗りまして、第八支部のほうへまいりますときには、電車に乗ったもんでございます。または、(咳払い)野方方面のあの辺には、ほとんど歩いていつも出かけたのであります。そうして、夜遅くまで、あちらこちらと、その信者のために、あそこに行かなくちゃ、ここに頼まれているということで夢中になって、わたしどもは交成会の創立当時を思いますと、大きな会をつくろうとか、人に認めてもらおうとか、そういう考えは毛頭ございません。ただただ自分にまつわるところの因縁に、そうした不運不幸な方とそうした縁を結ばれまして、一人でも多くの人が早く幸せになっていただきたいと、それよりほかに何も考えませんで、映画を一度観に行くでなし、芝居に行くでなし、もう22年前にお導きをさせていただきましてからというものは、毎日(まいじつ)のようにご法のことよりほかになんにも考えないで、一意専心、もうそのことだけに、一切を投じられたわけでございます。 いたって、のんびりしておりますので、先生のようにのんきでは困ります。そんなにのんきなことをいってはおられませんというので、常にむち打っていただいたのでありますが、それにもかかわらず、おいでになるうちはついわがままをいったり、よく先生が、人間の皮をかぶっているうちは、なかなか人間は正しいことができないんだ。全く真のサンゲに徹しられて一代でございました。確かに人間の皮をかぶっているあいだは、(咳払い)いろいろの感情あり、欲あり、いろいろの周囲の環境あり、その支配を全然受けないということはこれは不可能でございましょう。これをはっきりと、先生はつかまえての言葉であったんでありましょう。人間の皮をかぶっているうちはなかなか正しいことはできないんだといわれました。その先生が、いま、不滅の道(みち)に入られまして、いよいよ先生にはもう、そういう一切の業障というもの、一切の障りのない、本当の無垢清浄の魂になられまして、常に皆さんが道場の輪のなかで語られておりますところの陰の守護の役に回られたわけでございます。その後(ご)のいろいろの出来事を見ましても、いかに陰の守護の甚大であるかということを如実に現わしていると思うんであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
4
...こういうことは最近のはやりだという、ただ自分の慰みだといわれればそれだけでありますが、例えて申し上げてみまするならば、(咳払い)過日も(咳払い)東京都の選抜チームとして野球が、野球チームが東京都で8チームの中に選ばれて、選抜野球大会に、駒沢大学の、あのグランドに行きまして、やったのでありますが、実際にそのチームの力としてはお互いに同等のように皆さんが非常に練磨を積みまして、軟式野球としてはほとんど現在ではこの8チームとも五分五分でございます。 ところがその試合が、いずれも最後の九回の裏にいって初めて、最後のサヨナラの1点を入れるとか、または10回戦によって、人事を尽くして最後のご守護をいただくとか、これは準決勝も決勝も2回ともそういう刹那にいきまして、もう人間同士の、チーム同士の力は全然差のないところを、交成チームにその凱旋をいただいたというあの状態も、先生は一切の貯金を全部下げられたときに「野球部員はどうしているだろう」わたしがそばに行きますといいましたら、非常にあのスポーツは骨の折れるスポーツで、体でもって、ちょうど法華経と同じように、皆さんが本当に異体同心となって9人のチームが、チーム・ワークがとれて、心の疎通が本当に一糸乱れぬところのチーム・ワークができて、初めてその成果が上がるんだ、そのために非常に皆さんは重労働以上のあれは過激の労働でございます、いう話をしましたら、そうだ、会長先生と岡野さんが好きだから、それじゃ、これをもってって選手にあげて下さい、いってお金を十万円下さいました。さっそく岡野さんを呼びまして、これを野球部員に伝達したわけでございます。 そういうようなことが、ことし、わたくしどもは悲しみのなかに、先生を失って本当に悲しんでるなかに、それほど交成チームが特別の選手をほうぼうから引いたわけでもなく、成り行きにまかして、皆さんの精進にまかして、皆さんのチーム・ワークによってこういう成果が現われる、いうことも、やはりこれは目に見えないところの陰の守護があればこそ、そういう成果があるんである。また、ほうぼうの、こんどの大会におきましても、名古屋におきまして、雨に降られれば、雨が降ったことによりまして、お百姓さんが、だいぶ忙しいのに、雨のために悠々とお話を聞きに来られたというので、あの有名な体育館が、もう、立錐の余地もないほどたくさんの方がお集まりになって、その説法会を聞くことができた。いろいろなことを思い合わしてみますると、本当に生前中、いっときも、ご飯を食べながらもご法の話以外の話はちっともしない人で、ですから普通の方でありますというと、どうも面白くもない、明けても暮れてもご法の話だと、こういうようにいわれた方もあるのであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...人がなんといおうと、ひとたびこの法華経の菩薩修行に入られましてからというものは、22年間のあいだ、病の床の中にあっても、ひたすらに人さまのお幸せになること、いかにしたら皆さんが幸福になるか、どうしたら世の中が救えるかということより、何もほかのことは考えておらなかったのでございます。こういう先生が、何回か皆さんにもこういうことを、そばにおる方々には申し上げたのでありますが、わたくしは非常に体も恵まれておりますし、割合と生まれた環境が両親も19歳までおりまして恵まれておりました。そして、いろいろの角度から自分は非常に人さまに奉仕的の気持ちをおじいさんに教えられて、自分で考えておった関係か、奉公にいっても、兵隊にいっても、小言をいわれたことがない、こういうようなうぬぼれた自分は考えをもっていた。 陰ひなたなく稼いで、他人さまに、良心に恥じないような行ないさえしてれば、主人といえども、又、軍隊のあの、軍規の中においても、人さまに決していろいろなことをいわれる必要はないんだ。わたしの通ってきた人生というものは、真心で、自分がまじめにやっていれば、何も小言をいわれる必要はない、こういうようにうぬぼれた、わたしは考えをもっている人間でございます。いろいろのご法に、信仰上あっちこっちと行きましたが、どこの先生に行きましても、ほめてはいただきますが、叱られたことはなかったのであります。 ところが、交成会になりまして、一生懸命に火花を散らしてふたりで、いろいろ皆さんをお導きをする、そのなかに、いろいろな角度からわたしの欠点をいって下さる方は、妙佼先生以外にないのであります。箸の上げ下ろしにいろいろの小言をいわれ、いわれることに一理あるなというふうに有り難く感じて、受けているときもありますが、時によるというと、わたしは親にも小言を言われたことがない人間だ、あんたばかりはよくそう小言をいいますねときには、いろいろの信仰者として恨んではいけない、憎んではいけない、憤って(いきどおって)はいけないとか、いろいろのことをいいますので先生は、悔しくなければ、小言はいえないのだよ、悔しくしていただいて、小言いわしてもらうのだというようなことまでいって、いろいろ鞭撻してくだったのでございます。 そうして一代あれほど小言を、箸の上げ下ろしまいっていただいた方が、なんと最後に何をおっしゃるかと、思いますと、かつて交成会の顧問でいらっしゃいますところの、波木井さんが、波木井さんのお母さんが、非常に波木井さんに小言をいったそうでございます。36歳になっても、何かちょっと返答致しますというと、たたみこまれて、お座りなさいといって小言をいわれたということを聞かされております。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...そのお母さんが、最後に、遺言の中に、遺言状の中に、亡くなったら、岩田上人に大導師として引導を渡していただきたいということを書いてあったそうでございます。それと同じように、これほど小言をいってくだすった方が、亡くなる15日ぐらい前ですか、気分のいい時にいろいろの想い出話をしておるうちに、わたしは、本当に人間の皮をかぶっているものというものは、ことごとく信じられないものばかりだと、本当に信じられるものというものは、世の中にいないと思っておった。しかし、会長先生だけは信じましたね、先生の言葉をわたしは信じて、22年寿命を増益しました。こういうことをほっといわれましたので、びっくりとしたのでございます。こんなに小言をいって、わたしのことをいろいろおっしゃってくださった方が、そんなに信じておっくださったのかと、不思議に思ったのであります。ま、いろいろな話を、その日は気分がよくてされたのでありますが、そのころから、もっとも本当によく岩船さんが、かゆいところに手の届くように、夜、休んでおりましても、ちょっと咳をひとつしても、すぐに起きて、おなかを押さえるというように、岩船さんは、全然毎晩眠らないのじゃないか。 右と左に、両側にわたしと岩船さんと休ましていただいておりましたんですが、いつ咳をしても、わたしが、早く押さえてあげようと思って目を覚まして、ひょっと起きるうちに、もう岩船さんがちゃんと咳を始めると、おなかを押さえている。こういうふうにやっていただきましたので先生が、岩船さんには本当に世話になった。本当に有り難い、これをくれぐれもいっておりました。 また、次にいわれることは、交成会が、今日(こんにち)こうして会長先生を自分のそばに看病にいていただいて、三月(みつき)も四月(よつき)もこうして会のことをちっともかまわないで、わたしのことにかまけていただいているんだと、しかし会は、ちっとも心配なく、すくすくとこうして育っておることは、幹部さん方のご努力なんだよ。、本当に幹部さん方には頭が下がるといって、皆さんに対して心から感謝をされておりました。ともども本当にその通りで、幹部さんあればこそ、こうして毎日、わたしどもはそのお役として、先生のそばで看病さしていただけるんだと、いうことを語りあったのでございます。 しかし、だんだんと食べものも細くなってまいりますし、いろいろの角度から、いよいよ不吉を感ずるようの思いが、1週間、10日(とおか)ほど前からしたのでございます。しかし、最後になればなるほど先生は非常に朗らかになりまして、それまでは多少足がかったるいとか、あそこが痛いとかいうこともありまして、夜でも、少しもんでくれとか、さすってくれとかいうことがあったのが、亡くなる10日(とおか)くらい前から、もうあんた方もたいへんだからというので、咳でもして目が覚めて起きますと、もう咳が定まるというと、ほっておきなさい、ほっておきなさいほっておきなさいと自分で、笑いながら、それじゃほっておきましょうというようなことで、合言葉で、一緒に岩船さんと両方に寝かしていただいたわけであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...そういうよう、全く病人のそばにいるようでなく、むしろわたしどもを喜ばしてくれるような言葉をはかれて、ちっとも苦痛というような顔をされないで、10日(とおか)ほどのあいだは、誠に愉快な状態であったのであります。 最後は、先ほど第一支部長さんがなされましたように、8日(ようか)の夕方だけは、いつも夕方、第一支部長さんと理事長さんが、本部のほうがすっかり終りますというとおいでになる。そうすると、もう早く帰りなさい、うちへ早くお帰りなさいといって、追い返すようにいつもいった。ところがその日に限って、理事長さんが階段の下りるところにまいりますというと、もうお前帰るのか。いや、帰るわけじゃありませんが、いまこの戸をはずしたのでございます。ま、わたしがそういいますと「そうか」といいますから、わたしが目で合図をしますと、理事長さんは帰ってこられる。そうすると、先ほど第一支部長さんもおっしゃったように「少し、他人さんにこんなに世話になっているのだから、あんたは少し代わりなさい」ということをいわれまして、わたしにお風呂に行ってきてくれといいますので、わたしはお風呂へ、お風呂をいただきに下に下りたのでございます。 お風呂場に行ってほんの5分もたたないうちに理事長さんがおいでになったから、「どうしました」と聞きましたら、「もうとてもよく休まれました」。こういうことで、「そうですか、それはよかったですね」いうのでわたしも安心を致しまして、お風呂をいただいて2階に上がって見ますると、本当によく休みまして、いつもにない非常に呼吸も楽で、すやすやお休みになっているので、安心して、その晩は、ひと晩中ちっとも起こされないで、3時ごろ1度目を覚まして見たのですが、相変らずいい気持ちで、高いびきで寝てられますので、そのまま朝まで休みました。朝になって、病院の主治医さんをお迎えするまでは、本当に熟睡しているものとばかり考えておりました。主治医さんをお呼びしますというと、岩淵先生が非常に丹念に診察をされますので、どういうわけかと聞きますと「ちょっと様子がおかしいです」ということで「どういうわけですか」と、「こんなによく休んでいるのに」「これはただではありません」ということで慌てたのでございます。 そういうように全く、病気をされてもすべてのことを、全部自分がなすべきことをされて、そして、しかも残されたものは全部、「会長先生と岩船さんで、皆さんのおかげでこんなにわたしは幸せにしてもらったのだから、残った品物は、全部支部長さんや皆さんに分けてやってください」ということを頼まれまして、えー、「理事長さんもみんな知っているんだから、いいやなあ、先生と岩船さんにもう、みな、すっかりお願いしておくから」というようなことを20日(はつか)ほど前いわれた。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...その後、亡くなる2、3日前になって、またさらに、一切のことを全部お願いしますというようなことをいわれますので、なんだかどうも変だと思っておりましたところが、やっぱり先生は、自分ではもう時期が来てるということをおわかりになったんでしょう。わたしどもの目から見ますると、よく休んだとか、食べものを毎日、普通1日3度ずつ、3度の食事を、間違いなく食べていただける、こういうことで安心しておりましても、自分ではもういろいろのこと、「もう、ただではないよ」というようなことを前、前の日にいわれました。前の日は、お医者さんを呼んでくれということを四度(よたび)いわれました。しかし、外見から見ていますというと変わりがないようなので、わたしどもには、どこがどの程度苦しいのかわからなかったのでありますが、先生には、相当9日(ここのか)の日は苦しかったんだろうと、いまになって想像するのでありますが。 そういう経過をたどりまして、まったく久遠のかなたへ、眠るがごとく大往生されて、滅せられたのでございます。 その後(ご)、(咳払い)全国の会員の皆さん、または幹部の皆さま方が、おのおのがそのお役お役を全うされまして、立派のこんな葬儀もしていただき、さらに亡くなられてその後(ご)、ずっと切らさず、毎日支部長さんが五、六人(ご、ろくにん)ずつ交代に毎日夜も徹夜でお給仕をしていただき、皆さんの真心からなるあの告別式、いろいろのことを思い合わせて見ますると、どんなにか故人は満足されて、皆さま方に心から合掌していられると思います。 またわたしどもの、一生懸命、今後正しいご法をお伝えするというこのお誓いに対して、先生は、陰から、いままで以上に大きな力をもって、わたしども守護してくださることをわたしは信じて疑いません。一代を法華経に捧げられまして、色心二法を本当に行じられましたところの立派の大導師を、あの偉大なる宗教家を失いましたことは、わたしどもとして誠に、返す返すも惜しいことでございますけれども、これは生者必滅、会者定離の約束でございまして、なんとも致し方ございません。 お釈迦さまがご入滅の前に、大導師を失ったあと、どうしたらよろしいでしょうか、という質問をされたところが、お釈迦さまは、だれを中心に法をいきましょうかという質問に対して、だれもいらない。自分を灯明として行けよ。法をともしびとして行けよ。自灯明と法灯明ということを教えられたのでございます。宗教は、お互いに縁によりましてお導きを受けて、むちを打たれて、お互いが手をとられて最初は出発致しますのですが、人さまの、人さまを媒介致しまして、いろいろの教団の組織とか、または熱心の信者とかいう方の媒介によりまして、信仰に導かれて、そしていろいろな方便をもちましてお導きをいただくのでございますが、最後へいきますというと、一切のことはやはり自分でありまして、自分をともしび、自分が間違ったことをしておって、どんなに仏さまや神さまにお願いしても、ご利益は出ません。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...自分そのものの行動が、皆さま方に亡くなられた後(のち)までも慕われるような人にもなり、または25万の方々から、本当に惜しまれた告別式にお送りもしていただけるということも、これは本当に自分そのものが、立派にご法をともしびとして、ご法のとおりの行ないをしたことによりまして、初めてそういう成果があるのでございます。 わたくしども仏教徒と致しまして、おのおのが、仏心を持ちましたところの、最初はお導きをしたとか、されたとかいうことは、縁はそれにありますけれども、終局におきましては、自分自体が本当に正しい、仏さまとおんなし気持ちになって、同じ理想をもちまして、同じ立場に立たれまして、世の中のために、社会のために、宇宙のために、世界人類のためにわたくしどもは働かなければならない。そういうご法が、すなわちわたくしどもの日々(にちにち)、所依の経典としておりますところの法華経の経典でございます。その経典、ご法のとおりにわたくしどもが精進することによりまして、ご法をともしびとしていくことによりまして、わたくしどもは2陣3陣と妙佼先生と同じような人格を完成して、そして大往生を遂げて、人間としての生きがいを感ずることができるのだと、わたくしは信じておるのでございます。 どうか仏教の本質をわたくしどもは考えまして、お釈迦さまは最初にお悟りを開きましてお説きになりました最初に、四諦の法輪を説かれて「生老病死を説き、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求めるものには、十二因縁の法を説き、諸々の菩薩のためには阿耨多羅三藐三菩提を説いた」ということでございます。 その涅槃にいうところの大法(たいほう)というものは、やはり自分が本当に仏教の教義に則りまして、戒定慧の三学を行じまして、六度の教えをわたくしどもが忠実に実行しまして、菩薩道を行ずることによりまして、一人ひとりが仏さまに近くなり、仏さまに近い人格をわたくしどもが完成をしまして、一代の修行としなくちゃならないのであります。 どうかこの際に、先生をお慕いする気持ちを、本当にご法に一切を捧げて、先生と同様の生活をすることを、ここに大本尊の前にともどもにお誓いを致しまして、今後の精進に拍車をかけることをお願い致しまして、本日のごあいさつに代える次第でございます。 ありがとうございました。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生より、ごあいさつを賜りました。 それでは、お題目を三唱させていただきます。...
開祖(19731012A) お会式
【音声】
開祖(19731012A) お会式
1
...法話コード=開祖-1973-10-12-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=第24回本部お会式 日 時=1973(昭和48)年10月12日 録音分=24分 場 所=大聖堂 出席者= ...
開祖(19731012A) お会式
2
...○庭野会長 (一同 拍手) 皆さま本日はご参拝いただきまして誠にありがとう存じます。 ご承知のように、ことしは、日蓮聖人ご生誕750年という、60年の生涯をご法のためにささげられた、きょうのお会式のこの行事と致しましては、692回目だということんなっております。で、こういう行事が、わたくしどもお互いさまに、お祝いを申し上げるといっても、本来はご入滅の日でありまするから、お逮夜で涙を流すということに、情の上ではなるかと思うのであります。しかし、日蓮聖人とか、またはいろいろの、聖者といわれるようの方々は、この、生身(なまみ)の体、肉体がなくなられてご入滅になさっても、魂はいよいよ永遠の魂に、生まれ変わるというこの入滅ということのこの大きな問題は、逆に、い、永遠に生きるという生に変わっていくということで、ある意味では、も、不変の魂、不変の、お、働きということでありまして、そういう意味からいうとおめでたいともいえないことはないわけであります。しかしご入滅のお逮夜ってことですから、手放しでおめでたいだけを、おめでたいというわけにはいかんと思うのであります。 いつも申し上げますように、正法を守るという、正しい法を堅持するということはたいへん難しいことでありますが、真っ向からこの正法護持という問題を掲げられた日蓮聖人、その日蓮聖人の正直さといいますか、ひとつもその臆面(おくめん)なしに自分の信ずるところを、発表されたと。過日もバイブルの中のお話をちょっと、増谷先生の、お、法話から申し上げましたように、人間というものが本当に、信ずるところに、その信というものから義があらわれるという、義というものは信からあらわれる。その、あらわれてくる義というものをこんどは人さまに言い表すことによって救いとなると、ま、そういう言葉がバイブルにもあるということであります。言い表すということでありますが、日蓮聖人のいい表わし方は非常に痛烈でありまして、時の執権に対しても、汝(なんじ)信仰の寸心を改めて速(すみやか)に実乗の一善に帰せよ、と、こういうふうに命令をされるような、強い語気でおっしゃってるわけであります。信仰の寸心を改めなきゃ駄目だと、ま、こういうことを、お、700(ななひゃく)年前におっしゃったわけでありますが、いままた人類がたいへんそれから進歩したように一面は見えております。 科学的の問題は長足の進歩を遂げまして、日本(にほん)などでも、そのおかげで、たいへん人間の長生きということもできて、寿命の伸びたことはたいへんにもう伸びたようであります。そういう、う、一面があるかと思うと、たいへんにまたもう、お、すぐそこに危険性が来ておると、ともいえるのであります。...
開祖(19731012A) お会式
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...少し、全然風のない日になるというとスモッグ、なんで光学スモッグなんというともう、何か息が詰まるような、せっかく学校の生徒がこの体育祭を始めておっても、お-、ただちにその活動をやめるというような、誠に、有り難くない、も、何かこう胸の詰まるような問題がそこに来てる。で、そういうことになりますると、いよいよ日蓮聖人の言葉のこともういっぺんこのう思い起こしてみなくちゃならないというようなことになると思うんであります。で、聖人は、一人ひとりの信心強盛(ごうじょう)にして、ということもいっておるんでありますが、いつも時の執権に向かって、信仰の寸心を改めろ、と言われると同じように、天下万民諸乗一仏乗と成って、というような言葉で、妙法が独り繁昌する時に万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、吹く風枝をならさず、というようなことをおっしゃった。すべての自然というものもお題目を唱えるということから決まっていくんだと、というように天下万民に要するに呼びかけてるわけであります。いままたこの、お、世界中の人類が、ここで信仰の寸心を改めて、本当の信じられるものをはっきりと、お、ごまかしでない、これはこのとおりであるという、このとおり歩まなければならない、このとおり行じなければならない、そういうものをはっきりとつかまなければならない。で、いまとなって初めて、この日蓮聖人のような大きな号令が、もう、お、万民が心得て、何かその本当の救いってものはないかと、そういうような時代になってきたのであります。 で、そういうことになりますると、お、過去の日本(にほん)のお祖師さまといわれる方の中で、お祖師さまというと不思議に、まあこの真言宗の方にすれば弘法大師さまがお祖師(「そす」と発音)さまだし、浄土真宗にすればお祖師(「そす」と発音)さまといえば親鸞聖人、念仏宗にすれば法然上人ってことなんですが、不思議にお祖師さまとこうただいっただけでは、万民がこれ等しく日蓮聖人をお祖師さまとこう思うというんですねえ。これは無理なくそこへ皆、どの宗の人も行ってしまうという、それほどの祖師の力を持っておる、そういう日蓮聖人。どうしてそんなに力があるかと、こう考えてみますると、非常に正直に信じておった、そしてまたその正直に言い表しておったと思うんです。ご法というものを守れば必ず、すべてにかなわないことはない、というような強い言葉で、法華経行者のかなわぬことはない、という強い言葉でいう。また万民が一同にお題目を唱えれば、吹く風も枝をならさず、というように、すべてのことがそれによって決まると。代は義農の世となって人生に長生の術を得る、人間の長生きの術もそこから始まってくるというような、素晴らしい言葉で、教えているわけであります。 ...
開祖(19731012A) お会式
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...で、そういう正直の、また信じたことを本当に真っ向から表現をされた、言葉に表して、そこに救いがあると思うのであります。 でー、日蓮聖人は、非常に、たくさんの言葉が残されておりますが、ほかのお祖師さま(「おそっさま」と発音)は大体、例えば、真宗の『歎異抄』というようのあれも、法然上人が、話されたことをあとで書いたんだというようのことになっておりますが、日蓮聖人の御遺文というのは自分でお書きになって残されて、それがいま現在でも厳然と500余編あるわけですね。ですから、だれが聞いて、書いたというようなものではないので、ま、それはどちらが、うーん、どちらでなくちゃならんということもないわけでありまするけれども、皆さんもお聞きんなっていると思うのでありまするが、きのうときょうでございますか、如是我聞という問題、是の如き我聞ききという問題を、『人生読本』でお話があります、あしたもう1日あると思うんでありますが。その如是我聞、わたくしはこのように仏さまの言葉を承りましたということから、お経は始まるわけでありますが。それと同じように、どなたか確実にご説法なさるときそのまま書いておいて残してあれば、それでもいっこう差し支えはないわけ、自分で書かなくちゃならんということはないんですけれども、日蓮聖人の御遺文だけは自分でお書きになって残されてありまするから、例えば、あとから付け加えてまねをしても、それはどうにもならない。もうお聖人さまのお書きになったものが、厳然と、その筆跡がそのままに残っていらっしゃる、こういう祖師はまたこれどこの祖師も、どの祖師にもまさった素晴らしい、厳然となさったことが皆実力として、真のそこへ記録となって残っているという、そういう、祖師であります。で、わたくしどもはそういう意味で、この、法華経というお経を所依の経典とさしていただいている。で、法華経の有り難いってことは聖徳太子以来、日本(にほん)では伝教大師もおっしゃっておりますし、たくさんの方が、あ、法華経に帰依されたわけでありまするけれども、この日蓮聖人ほど、はっきりと力づおく、このとおり行けば間違いないというような、この、力をこう、息吹を与えてくだすった方はないと思うんであります。 で、そういうきょうはたいへん、その日蓮聖人のご入滅のお逮夜ということで、わたくしども、こうして一つの、1年のうちの大行事の一つになっておるわけであります。お互いさまに、たいへんにこの、仏教というものは、どこまででも、そのいろいろの問題が、例えて申し上げますと、方便力ということになりますれば、観音経にありますように、三十三身を現じて法を説くというので、わたくしどもの目の前にあらわれたところのすべての現象界は、皆、仏さまの説法であるというふうに受け取れるようにならなければならない、ていうことでありまして、問題はたいへんに広範でありますけれども、しかし、また率直にそのまま拝読して、そのまま正直に受け取れば、その言葉自体がもうはっきりと救われていく。...
開祖(19731012A) お会式
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...わたくしどもの安心ができる、信じられる、う、そういう問題がたくさんあるわけであります。仏さまを、親と、自分の真の親であるという、この主・師・親の三徳を具えたお釈迦さま以外に、自分の本当のこの、お、師とも、主とも、親とも、頼むものはない、そういうことを日蓮聖人は非常に強く仰せになりまして、いろいろの、仏さまはお釈迦さまの説法の中に生きているのであって、で、この娑婆に生まれて出たお釈迦さまのお説法に間違いがないんだと、こういうことを身をもって、一つ一つ、現証を挙げて、ご説法をなすっていただいているわけであります。 そして60年の生涯を、本当に自分のやってることに一分(いちぶん)の誤りもないという自信たっぷりのお気持ちでやっておるのでありまするが、当時は本当に、たいへんの時であったわけでありまして。日蓮聖人のようの正直の表現をするというと、仏法の敵だというので、島流しにされたり、首切りの座へ乗ったりしるような、大難四箇度、小難は数知れず、というので、いつやられるかわからないようにねらわれたことがもう数知れずあったわけでありまするが。そういういろいろのことがあっても、いっこうにそういうことにはもう頓着なしに、堂々と自分の主張を声高らかに掲げて、60年の生涯を、池上本門寺におきまして大往生をされたわけであります。ですから、法華経を本当に行じている者は、確かに長生の術を得(え)るという、大往生を約束されているというところの、あの大信念、そういう信念があればこそあれだけの大業ができたわけだと思うのであります。そういうことをきょうはしっかりとお互いさまにかみしめまして、ご法門というものは口先では駄目だ、体でやらなければ駄目だ、身をもってやらなければ駄目だと、法華経というのは、あ、行じなければ駄目だと、自分の行為にあらわさなけりゃだめだ。仏法というものは自分で体験したことを自分でちゃんと言葉に表して表現をしなければ救われないんだと、こういうことを教えているわけであります。 どうかひとつ、う、皆さんこの万灯(まんど)行列、万灯(まんど)行列というのはご承知のように、あの、お釈迦さまの説法の場所に、この、立派の、お金持ちの人の、お、たいへんの、万灯につけたところの明かりと、貧者(「ひんじゅ」と発音)の一灯というので、貧乏ではあるけれども自分の頭の毛を売ってまで、ともしびとしてお釈迦さまの説法に歩きなさる足元を照らそうという、その真心のあらわれ方をおほめになられたり、お釈迦さまがお喜びになったと。そして、立派な万灯は風が吹いたら消えてしまったけれども、その貧者の一灯は、真心であげたところのともしびというものはお釈迦さまの足元を本当に照らして、どんな風にも消されなかったと。...
開祖(19731012A) お会式
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...ま、そういうような、ことわざも残っておりますように、わたくしどもの真心のともしびというものは、かっこうよく立派に、大げさのことをすることだけが決して喜ぶことではないわけなんであります。そういうわたくしどもの真心の一灯が、このご法の、ご法を説くお釈迦さまの足元をよく照らして、どこまでもこのご法が広まるようにという意味が、きょうの万灯(まんど)行列にも含めてあるわけであります。法の広まるところ、法の広める場所を明らかにしておる、いうことは、そういう大きなひとつの信心、信心から出てくるところの身をもっての布施というものがいちばん大事だと、こういうことをも含めたひとつの、万灯(まんど)の行列になるわけであります。 どうかひとつきょうは、そういうことをもういっぺん思い起こして、自分の真心のあるところの法華経を広めるところの役目というものが、いかに大事であるか、そしてその役目を本当に果たすというところに真の救いがあるので、これを信じて本当に行じている人には、今日(こんにち)のようないろいろの世の中の変化、動揺、いろいろのことがございまして、何もかにも信じられないような世の中の、お、考え方によってはそういうことんなっております。ところが、仏さまのみ教えを本当に信じて行じてる人にしてみれば、たいへん結構の世の中で、正しいことを堂々と臆面(おくめん)なしに天下に向かって、叫んでも、日蓮聖人のときのように、島流しに遭うこともございませんし、刀で首を切られるようのこともないのであり。ですから、いまこそ正法を本当に叫ばれるとき、そして叫んでもそれに決してそういう被害、う、その弊害が伴うようの時でなく、そしてしかも大衆がこれをどうしても守らなければ、仏さまの仰せのとおりの、殺されるようのことはないけれども、下手をするというと人類滅亡の方向に行きかねないような、そういう条件もまたいま出てるわけであります。そういう間違った条件を正す意味から、お、その意味でも、正法(しょうほう)を守るということはいかに難しいことであるかっということであります。どうかそういうお気持ちで、きょうの万灯(まんど)行列、またきょうのお参りを一つの、起点と致しまして、法華経に対する信心をつおく起こしていただきまして、信心のつおいところには救いがある。自分が絶対安心であるという、これはいくら高いところからわたしが強調致しましても、自分の信心によってのことでございまして、信心のある人は、一つも動揺なく心は安らぎを持っていられるわけで、大安心(だいあんじん)を持っていられるわけです。信じられない人は、ああじゃねえか、こうじゃないかという、ご苦労が多いわけであります。...
開祖(19731012A) お会式
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... きょうは、日蓮聖人は首切りの座へ乗っても、これほどのよろこびを笑えぞかし、といって、日朗聖人をいさめるというような、非常に胆(たん)のすわった、度胸のすわったあの竜ノ口(たつのくち)の牢屋において、首切りの座へ乗せられて、あした朝になると見苦しいから、夜のうちに早く首をはねなさいと、こういってこの、首切りをとにかく自分のほうから、どうせ殺すんなら昼間になって、この首を切られたのはみっともないから、夜のうちに切って片づけなさいという請求をする、そして法華経のおんために命を捨てるということならば、これは、海の、この砂の、砂と小判を交換するよう、というような言葉まで吐いて、金(こがね)に沙(いさご)をその、あきなうようのもんだと、それほど法華経のためには命なんというものはなんでもない、このくらい命を捨ててとにかく正法に懸けておったわけであります。ですから日蓮聖人は、どんな難が幾度来(こ)おうとも、そういうことには決して心配なく、60年の生涯が堂々と、阿弥陀さまのお迎えをうけて大往生されたわけであります。 これはまたお釈迦さまがご入滅のときに沙羅双樹のもとで亡くなられた、これがやはりこの、お悟りを開いて法を説かれたところから、ちょうどこの丑寅(うしとら)の方向行って、大往生を、80年の生涯を、お、遂げられたわけであります。その儀式に従って、知らずに来たか知って来たか知りませんが、身延から池上へお越しになりまするとちょうど、丑寅(うしとら)のほうの同じこの鬼門の線でございますね、そこへちゃんと、お歩きになって、そして池上へ来て大往生をされたという、これは如来の、お、このお経の中にありますように、三世諸仏の説法の儀式によって、三乗を説くというようの言葉がありますが、如来の入滅もそのような一つの、お、儀式があるということもいわれておりますが。その儀式をとろうというお気持ちであったか、なかったか、あるいは本来は常陸のお湯に行って、温泉に行って少し養生をしようという目的でお出ましになったのでありましたが、如来の法則に沿って池上において大往生を、60年の生涯を閉じられたと。こういうことも、いかにご法のとおりの歩みをされておったか、その歩みのとおりに歩んでおれば、そのように危険の場所がどんなにあっても、最後にはちゃんと大往生、大自然の天寿をまっとうして、非業の死でなく、堂々と大往生が遂げられると、こういう大功徳をいただいて、仰せになったところの法華経行者のかなわぬことはないというそのことを、また、臨終の事を習ふて他事を習ふべし、と自分で叫ばれたその言葉のとおりに、臨終のときにはお弟子さんがまくら元へみんな、あ、そろって、そして大聖人を囲んで、本尊を飾って、そこで御題目(おんだいもく)を唱えながら大往生をされたということであります。 誠に、一代がそのように、法華経のために、めでたく大往生がされたと、こういう意味からも、ある意味では、大きくいえばおめでとうという言葉もまたそこに当てはまると思うのであります。どうかそういう意味をかみしめて、このお会式を通じてまた一段と大聖人のみ跡を慕い、2陣、3陣つづけぞかし、と号令をされました日蓮聖人のみ跡を、わたくしどもが、一人でも多くの人に呼びかけて、一人が一人を導くというこの、仏国土の、けんせん、建設、その仏さまの本願成就という大誓願のもとに、皆さま方の今後のご精進を、お、お願いを申し上げまして、本日の説法を終わりと致します。ご清聴ありがとうございました(一同 拍手)。 ...