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『庭野日鑛会長のこころ』~つれづれに想うこと~
『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
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南無妙法蓮華經
【教団史】
庭野日鑛2代会長 高校1年生
【写真】
お会式・お逮夜法要
【写真】
佼成 1964年12月号 庭野会長インドへ出発
【機関紙誌】
躍進 1964年2月号 青年部西日本役員大会
【機関紙誌】
完成に近づく大聖堂(最終回)
【機関紙誌】
緞帳 どんちょう
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
【音声】
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
1
...法話コード=開祖-1964-03-04-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=大聖堂入仏式 日 時=1964(昭和39)年3月4日 録音分=19分 場 所=大聖堂 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
2
...○庭野会長 (一同 拍手)(咳払い)皆さま、本日はおめでとうございます。(咳払い)待望の(咳払い)大聖堂が、本日、ご本尊の勧請というお手配まで(咳払い)、予定のとおりの進行をみまして、先ほど、委員長からのご報告にありましたように、非常に(咳払い)困難がたくさんありましたにもかかわらず、その困難を完全に克服して、着々とわたしどもの理想実現に向かって、8年間の精進が、ここに実を結びまして、久遠実成の釈迦牟尼世尊をここに勧請申し上げた訳でございます。 (咳払い)本日は、もう何を申し上げましょうか、(間)ただわたくしから申し上げることは、皆さま方の今日(こんにち)までの、ご精進に対してあつくお礼を申し上げるほかはないのであります。 (咳払い)この大聖堂は、皆さまもういろいろの角度から、今日(こんにち)まで8年間、夢の中の理想像を、どんなふうにできあがるか、そういうことであったわけでありますが、本日はそれが、すっかりと、形となって現われ、え、ただいま、錦戸先生からのお話のように、このご本尊は、え、三国仏教史にかつてない、久遠実成の釈迦牟尼世尊を、法華経の教説によるところの本尊を建立したのでありまして、どこにも、この、おー、図顕されたものは、まだかつてないのであります。 お釈迦さまの像というのはあちらにもこちらにもございますが、久遠実成の釈迦牟尼世尊を図顕したということは、かつてないのであります。 え、そういうご本尊を、わたくしどもの決定(けつじょう)によりまして、わたくしどもの真心の結集(けつじゅう)によりまして、つくり上げたわけであります。 読経(どっきょう)を致しますところの最初に、三帰依文を読誦致します。あのご文章にありますように、わたくしどもはまず第1番に、仏に帰依ということから始まりまして、え、最後には「僧に帰依」というところで三宝になるわけでありますが、その最後の三宝でありますが、こういう大きな仕事、仏さまの理想を実現するというのには、一人や二人、特定の人の力でやるというようのものでなくて、多くの人がその仏さまのご理想を、達成するという心の集まり、その精神の結集(けつじゅう)、わたくしどもの物心両面にわたっての、この献身的の努力が、本日ここに聖堂を完成させ、ご本尊の勧請という順序になったわけであります。(間) 最近に至りまして、ようやく、わたしどもの叫びが、だんだんと、政治家の胸の中にも芽生えてまいりまして、人づくり、国づくり、しかもその人づくりの根底をなすものは、道徳教育、さらには、道徳ではまだもの足らない、宗教をバックボーンとしたところの道徳教育をしなければならないと、え、そういうようなことを、だんだんと、政治家が口にするようになってくる。...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
3
...これに呼応して、各学校でも、教育施設はことごとく、宗教に対する関心をもってきている。 え、こういう順序に、だんだんとお導きをいただいたということは、これはとりもなおさず、わたくしども、正法を護持する者、正法を護持する者が、どういう生活をしておるかと、信仰をもつ者が、どういう活動をしておるかと、え、そういうことを、たくさんの方にご覧になっていただいて、わたくしどもの生活と、信仰のない者の生活と、そういうことを、よく比較対照致しまして、だんだんと心ある人は、宗教の必要性、教育というものもただ知的だけでなく、知情意に満ちたところの、知情意円満なるところの教育、そういうところに初めて人間ができる、そういうことが、だんだんと、わかっていただくような状態になってきたわけであります。 しかしながら、わたしどもは、この大殿堂をつくり、教義的の本尊の勧請を完成し、え、しかも、教団は全国津々浦々、現在では、一応、アメリカにも、支部をもち、だんだんと世界的の宗教にも発展しようという、そういうところまで、ようやくこぎつけたわけであります。 ただし、過去の宗教、過去の宗教の在り方を見ましたときに、今日(こんにち)までのジンクスといいますか、宗教団体は大きな殿堂(「でんとう」と発音)を建てるというと、大きな伽藍、大きな建物、本部というのを建てると、布教がにぶくなってくる、大きな建物ができたときにはもうすでに、布教の意欲がなくなって、そういう大きな殿堂(「でんとう」と発音)を必要とするような形になってくると、もう宗教はだんだん、堕落しつつある、とまで、過去の宗教の歴史は言ってるのであります。 どうでしょうか。このジンクスを破って、この大聖堂をして、いよいよ、本仏の理想を実現するということでなければ、今日(こんにち)この大聖堂を建てた意義はないわけであります。(一同 拍手) 仏国荘厳であるところの、ご本尊をここに荘厳なる殿堂(「でんとう」と発音)に勧請申し上げ、いよいよ信仰の対象がはっきりと致しまして、これからが本当のわたくしどもの宗教活動である、今日(こんにち)まで満26年間、満26年間のわたしどもの修行は、これからの修行をする土台つくり、礎を築いたにすぎないのでありまして、いよいよこれからが本当の意味の宗教活動としての活動であります。 そういう意味におきまして、いよいよ本日このあとで、辞令を差し上げるわけでありますが、布教態勢は、いままでの、この建造物、この教育施設、現在の佼成会の医療施設、教育とか医療とか、そういういろいろの施設を今日(こんにち)までいよいよ、一応の形はつくったのでありますが、成果はこれからであります。...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
4
... しかも宗教活動は、いよいよ、この大聖堂ができて、きょうからが、いよいよ、活発に、その宗教活動の、本義を、わたくしどもは、守らなきゃならないと思うのであります。 そういう意味におきまして、理事長さんはじめ各理事さん方が、全国の各地に、じかに自分がその地に行って、その土地の皆さま方の、いろいろの気風とか、その習慣とか、その状態に、身をもって触れて、全国の、かつ、宗教活動をまず第1番に、活発にする。国際布教ということもありますけれども、それはだんだんとわたくしどもの力に応じて、まずとりあえず、わたくしどもは、日本の国というもの、日本の国というものの立場を、はっきりとしないことには、ただむやみと場所を増やしたり、ただむやみと、太平洋を泳いでいくような考えでは、ならないと思うんであります。 え、そういう意味におきまして、宗教活動を全国的に活動は、いよいよきょうから始まるわけであります。 幸いにして、この聖堂の完成と、ともに、幹部の皆さんが非常に歓喜勇躍して、いよいよこれからやるんだという気構えで立ち上がってるわけであります。 過去にありますところのジンクスを、佼成会をして、完全に、宗教活動が殿堂ができて、とどまると、いうようのことを、破る。これは、歴史は何か繰り返すというようなことも言いますが、仏さまのお説から言うならば、諸行無常で、同じ状態ということを考えておったのでは、本当のその意味を理解してないと思うのであります。 そういう意味で、釈尊の予言に、わたくしどもが応えるならば、後五の五百歳、その末法濁悪のときには、法華経を唱えるところには、雲のごとく、たくさんの方が集まってくる、そういう現象を、予言されているわけであります。 現在、この、聖堂を中心としたところの、佼成会のこの周辺、約2万7,000坪の地所を、現在では獲得したわけであります。この地所にあふれて、収まららないほど全国から、参拝者が、ここに集まってくる。 そして、ここで、その根本道場としての使命をわたくしどもが、完全に果たすか果たさないかっということが、仏さまの予言のごとく、この後五の五百歳の、非常に、大量殺戮(「せつりく」と発音)が行なわれ、そうの、救いか滅亡かというような二つの岐路に立つところの人類が、ここに、救われるか救われないか、食うか食われるかという問題だと思うのであります。 そういう意味におきまして、仏さまの予言が、正しいものであるならば、わたくしどもの今日(こんにち)からの修行が、いよいよ約束された、ひとつの宿命とわたくしどもは考えるわけであります。 どうか、この、入仏式の、この日を記念と致しまして、いよいよ26年間の、活動は、まさに、今日(こんにち)、これからの、ための準備、活動であったので、、本格的の活動はこれからである、こういうふうにわたくしどもは心を新たに致したいのであります。(一同 拍手) 幸いにして、まだわたくしも、非常に健康にも恵まれておりますし、理事さん方がみんな地方へ出ましても、大いに本部におって、留守番をがんばるつもりでございます。 そして、全国の状態を、つぶさに、各理事さん方が、把握して、そして皆さまの本当に求めとるものを与えていく、え、そこに大乗仏教の、わたくしは在家仏教としての使命があると思うのであります。(一同 拍手) どうか、この、わたくしどもの感激、意義ある今日(こんにち)を迎えまして、いよいよ、決定(けつじょう)を新たに致しまして、あすからの精進をここに、ご本尊の御前(みまえ)にお互いさまにお誓いを致しまして、活動に励んでいただきたいことお願い申し上げまして、ごあいさつに代える次第でございます。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生(音声途切れ)...
大聖堂入仏式
【写真】
佼成新聞 1964年3月6日 聖堂特集号
【機関紙誌】
聖堂特集号 庭野会長法話 私たちの誓い
佼成新聞 1964年3月6日 聖堂特集号
聖堂特集号 庭野会長法話 私たちの誓い
1
...庭野会長法話 (私たちの誓い) 八年の歳月を費やして 私たち立正佼成会会員にとって大きな願望であった大聖堂が、三月四日の入仏式をもって完成しました。昭和三十一年二月二十四日に地鎮祭を行なって以来、満八年と九日の歳月を費やして、ここに完成の日を迎えたわけです。 この間、全国津々浦々の会員が寄せた真心の結集は、なみなみならぬものがあります。 全国各地に咲いた、そうした美しい話題は佼成新聞を通じて数多く紹介されてきました。こうした数々の話題を耳にするたびに、私は、正しい教えをいただく人びとの強い信仰観と、不断不屈、常精進の精神に、強く胸を打たれたものです。 ★末法照らす久遠の法灯 末法万年を照らす久遠の法灯はこのようにして、正しい教えを奉る人びとの集まり、正定聚にはいった人たちの手で、いまここに、完成の日を迎えたわけです。 昭和三十九年三月四日。私たちは、この記念すべき日を、喜びをもって迎えることができました。それというのも、諸仏諸天善神のご加護と、宇宙の真理にそった正しい教えがあればこそで、さらに私たち自身も、足りないながら一つ一つ、その教えの実践に励んできたからにほかなりません。 私はいままで“法華経行者に叶わぬことはない”ということを、繰りかえし繰りかえし述べてきました。これは、日蓮聖人のご遺文にもはっきり書かれてありますが、同時に私自身のこれまでの体験から割り出して「まさしくそのとおりだ」という強い確信があるからです。「法華経行者に叶わぬことはない」私はいま、声を大さくしてみなさん方にこう申しあげます。 当代一流の彫刻技術をふるって造られた久遠本仏のご尊像。現代科学の粋をあつめた電機室。地下に眠っていた宝石ジャスバーを探し出して、周囲の壁を美しくいろとりどり近代的な調和の美をととのえた正面玄関や聖壇等等、美観と設備を誇る法華経のの根本道場が、今日ここに築かれたのも、全会員が一丸になって、法華経行者の修に励み、仏法にそった正しい願いの実現に努力したたまものです。 ★完成は最終目標ではない しかしながら、大聖堂の完成は私たちの最終的な目標ではありません。むしろ、大聖堂が完成されたその日から、私たちのきびしい修行がはじまるのです。つまり大聖堂完成はゴール(到着点)ではなく、スタート(出発点)なのです。 これまで「一つの教団が大きな建物を建てると、その日を境いに既成化していく」といわれてきました。いろいろな教団の歴史をみると、たしかにそのような傾向は総体的に現われています。後世に残る大きな建造物を建てた教団のほとんどはたいてい、それを境に次第に活動が不活発になり、それまでの生命力にみちた機能が老朽化しているのです。 現在、既成宗教といわれる教団は、多かれ少なかれ、みなこうした悩みをもっています。それというのも、建物を建てたことで全信者が安心してしまったり、あるいはそれまでの成果に満足したり、りっぱな建物を維持することだけに心を奪われてしまうからです。要するに、建物を建てたために教団が既成化するのではなく、自分たちが建てた建物の中に自分たち自身がおのれの心を閉じこめてしまうところに、既成化の根本原因があるわけです。 ★既成化のジンクス破ろう とはいえ、歴史に残る大教団のほとんどは古今、洋の東西を問わず、伽らんの建立を契機に既成化しております。世界平和、人類救済の悲願を経典に示された教主釈尊の教えを世界の隅々に伝えるためにも、私たちは、教団既成化のジンクスを打ち破らなければなりません。スポーツの世界では「ジンクスは破れるもの」ということがいわれています。人間が作ったジンクスなら、人間が破れないはずはない--というのです。事実、水泳にしても陸上競技にしても世界記録はつぎつぎに更新されてきています。かつては、日本のお家芸だから、他国の選手は絶対に勝てまいといわれていた水泳や三段跳も、いまでは主客転倒の形になっています。してみれば、いま米国やオーストラリヤに勝てまいといわれる水泳競技の栄冠を、日本がとりかえせないとだれがいえましょう。宗教とてこれと同じです。 しかし、ジンクスを破るにはそれなりの努力を払わねばなりません。努力のないところには、進歩もジンクスを破る力も、出てこようはずはないのです。 ★広宜流布は全会員で では、どのようにして既成化のジンクスを打ち破っていくか--。 まず考えられるのは、過去を分析して現在の悪い傾向を小さいうちにつみとることです。これは前車の轍(わだち)を踏まぬために、絶対忘れてならないことです。他教団が残してくれたにがい経験を謙虚に学び、他山の石として、私たち自身の中にある悪い芽を早く除く、そのために努力する--この努力を怠ってはならないのです。 最近「布教は、支部長とか幹部だけかするもの。自分にはその任務などない」といって、布教の任務、広宣流布の使命を特定の人に課せられたものと思いこんでいる会員が、一部にみられるようですが、これなどは教団の既成化を促進する端的な例といえるでしょう。日本の既成教団は、これと同じ考えに害されて、ますます既成化しつつあるのです。 たとえば、長い伝統を誇る仏教教団では長い間、住職の説法方式を教義流布の方法としてきただけに、その習慣から抜けきれず、既成化の泥沼からはいあがれずに苦しんでいます。それともう一つ古くから伝わる檀家制度の上にアグラをかいていたことも見落とすわけにはいきません。檀家制度に安住し、布教も常に同じ人が一方的に話す方法しかとっていなかった--これでは既成化するのも当然です。牧師あるいは神父だけが教えを説いているキリスト教もこれと同じことがいえます。 ★“私は布教師”の自覚を 私たちは他教団が歩んだ既成化への道を選び、みずからの墓穴を掘ってはなりません。きのう導かれた人がきょうは布教師となって日常生活の実践をとおして正法流布の活動を展開する。これが常に新しさをもつ宗教活動なのです。科学が発達し、文化が向上して、人間社会は日ごと夜ごとに進歩し発展しています。私たちは、そうした社会の進歩発展に即応した活動を展開しなければなりません。宇宙の法則にそった教主釈尊の教えを正しく認識したならば、だれもがこのような心になれるはずです。教団をを支えるすべての人がそれぞれの家庭で、あるいは職場で、道を歩くとき、人と話をするときなど、日常生活のありとあらゆる場所で、教えにかなった行ないをとおして人びとを教化する。これが新しい教団のもつ偉大なエネルギーなのです。布教は支部長や幹部だけがするものという、きわめて受動的なあやまった考えをもっていた人は、この際、きれいさっぱり捨てていただきたい。そして支部長や幹部は、そのようなあやまった考えをもっている会員に、その考えが間違っていることを、やさしく、じゅんじゅんと説いて、早く改めるよう指導していただきたい。佼成会が既成化するかしないかは全会員が“私は布教師”の自覚に立つか立たないかにかかっているのです。 大聖堂完成、久遠本仏勧請という喜ばしい日に固める“私たちの誓い”おのおのが「われは八万の大士」「私は布教師」の自覚と奮起であることを、重ねて申し述べます。(文責在記者) (1面) ...
大聖堂開堂式初使用
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第1回勧請式
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山下清画伯 来会
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大聖堂落成式前夜祭 花火
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