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南無妙法蓮華經
【教団史】
お会式
【写真】
お会式
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お会式
【写真】
お会式 万灯行進
【写真】
お会式 万灯行進
【写真】
第2道場 研修会館屋上 法座
【写真】
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
1
...法話コード=開祖-1978-06-12-A 先生名=庭野日敬開祖会長 行事名=国連軍縮特別総会で宗教者として提言 日 時=1978(昭和53)年6月12日 録音分=14分 場 所=国連 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
2
...○庭野開祖会長 (咳払い)この特別総会が、世界宗教者平和会議の一員であるわたくしに、提言の機会を与えてくださいましたことに対し、まずお礼を申し上げたいと存じます。 わたくしは仏教徒でございますので、仏陀の言葉を引用(「えんよう」と発音)させていただきますが、仏陀はこの世界を称して、「三界は安きことなし 猶火宅の如し」と申されております。人間のあくなき貪欲(とんよく)と、それから生ずる奪い合いや争いのために、人類は自ら苦しんでいるという世界の状態を、仏陀は火宅をもって譬えられているわけであります。 事実、わたくしどもはすでに、広島、長崎において文字どおり、その火宅の苦しみを経験してるにもかかわらず、依然としてこれを反省せずにおることを、仏陀は嘆かわしく思っておるのであります。 われわれ宗教者の過去の歴史は、偏見と憎しみの歴史でありました。しかしわたくしは、宗教の目指すところは一つであるという信念をもっております。ところが、ローマの法皇パウロ六世猊下が、1965年の第2バチカン公会議において、過去2,000年の歴史をくつがえして(「くづかいして」と発音)異教徒のわたくしをお招きくださり、「キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がまたキリスト教徒のために祈る。宗教者がそのようにならなければ、人類に貢献する道はない」という、そのときのお言葉をわたくしは忘れることができません。 こうして、10年間にわたる宗教協力活動を積み上げた結果、世界宗教者平和会議は誕生し、その国際本部を国連の前に設置致しておるわけであります。そして現在、世界宗教者平和会議は60カ国以上の主たる宗教の代表によって組織され、戦争の放棄、さらに一歩すすめて、戦争を起こしかねない条件の排除を大きな目的として、努力を致しておるのであります。 京都で開催されました第1回世界宗教者平和会議では、「軍備に基づいて築かれた社会は、正義に基づいた社会を否定するものである。よって、軍縮の達成なくして真(しん)の平和もまたあり得ない」と、宣言を致したのであります。 わたくしども、仏教徒、神道(「しんどう」と発音)、キリスト教徒、ヒンズー教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒など、などをはじめとする世界の宗教者は、おのおのみずからの宗教的伝統を大切にするとともに、世界平和実現のために、宗教者に共通の真理、倫理的洞察に基づいて、世界の政治家が行動されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものであります。 かかる観点から、世界宗教者平和会議は国連の諮問機関として加盟し、わたくしどもの事務総長ホーマー・ジャック氏は、国連本部に、いー、(咳払い)本部の軍縮、NGO委員会の発足(「はっそく」と発音)以来、その議長を務めているわけであります。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
3
... さて、わたくしどもは、日本およびベルギーで開催されました、過去2回にわたる世界宗教者平和会議の精神に基づいて、行われた軍縮への根本的アプローチについて提言したのであります。 1、宗教者としてわたくしどもは、軍備(咳払い)競争の終結のために活動している世界の外交官に対し、いまや、計画的、偶発的、もしくはテロ行為による核戦争の危険性がきわめて増大しつつあることを訴えたい。わたくしどもの会議の言葉を引用するならば、「人類が核による絶滅におびやかされている現在、人類は軍備競争によって滅亡する前に、人類が軍備競争を終わらせなければならない。最も基本的な人権とは、人類がその生活を持続することにほかならない」 2、宗教者としてわたくしどもは、軍縮問題がいかに複雑な技術的問題であっても、究極的には心の問題と倫理的決断を待つほかはない。生命(せいめい)の尊さを無視するような政府の決定は、いかに巧みな表現を使う(「つこおう」と発音)とも、わたくしどもをあざむくことはできない。 3、宗教者としてわたくしどもは、世界の為政者、特に偉大なるカーター大統領閣下、ブレジネフ書記長閣下に(「む」と発音)対し、危険を冒してまで武装するよりも、むしろ平和のために危険を冒すべきである、ということを申し上げたい。わたくしどもは軍縮に向かって、あらゆる国で運動が展開されんことを切望する。 4(し)、宗教者としてわたくしどもは、平和の、平和を希求する人々の団結を願う(「ねごう」と発音)ものである。平和を願う(「ねごう」と発音)わたくしどもの祈りは静寂であり、その声はささやかであり、影響力は小さいかもしれませんが、すべての人々が世界平和を渇望し、第三世界は軍備競争の終えんがもたらす経済的成果を待望しております。 5、わたくしどもは、世界の安全が力による恐怖の均衡ではなく、新しい価値観に基づく(「もとざく」と発音)ものでなければならぬことを提案する。世界に1万5,000以上の戦略核兵器が存在する現在、いかなる国も、人間も決して安全ではあり得ない。 6、従って、もし人類が今世紀、生き残るとするならば、全面的完全軍縮の実行以外にはあり得ない。目下、進められている軍縮に関する各種の計画は、まだ、軍縮というよりも抑制の域を出ないものであるが、やがては全面的完全軍縮への橋渡しとなるでありましょう。そして武器によるどう喝をもって政治を行う(「おこのう」と発音)ことの愚かさを反省していただきたい。 7(なな)、NGOの宗教者として、この特別総会に向けて努力された非同盟諸国に対し、称賛の意を表するとともに、このNGOと国連における軍縮問題との関係が制度化されんことを心から願う(「ねごう」と発音)ものである。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
4
...さらにわたくしどもは、国連が核軍縮の問題を最優先されんことを強く主張する。また、わたくしどもは、核拡散防止条約第6項の履行が、倫理的、道徳的、宗教的にも一致しているという理由から、これを優先されんことを提案する。 すでにご承知のごとく、目下、日本代表団によって広島、長崎の被爆写真がこの国連内に展示されておりますが、その悲惨(「ひざん」と発音)さは目を覆うものがございます。日本から持参されたそれらの写真の何枚かは、あまりにも、ひ、悲惨(「ひざん」と発音)さのゆえに、展示を遠慮してほしいという要求があったと聞いております。しかし、その地獄の苦しみの様相から、どうか目を背けないでいただきたい。 この特別総会の宣言草案にもあるごとく、わたくしどもは武装を解除しなければならない、さもなくば滅亡あるのみである、という言葉をいま一度、思い起こしていただきたい。 わたくしどもは国連がさらに強化され、この混乱した世界に法の秩序(「つつじょ」と発音)をもった、もたらす能力をもっていることを確信しておる。そしてわたくしどもは、それぞれの宗教と教団の信者をあげて、この歴史的な国連特別総会が、有意義に成果を収められるように祈って(「いぬって」と発音)おります。そして、国連加盟諸国が現状の流れを変え(「かい」と発音)、平和と真(しん)の進歩のために立ち上がることをもあわせて、祈願致す次第であります。 最後にわたくしは、核の廃絶は夢物語であるという人々に対し、故人の深い洞察の言葉を贈りたい。すなわち、「あらゆる、ひ、人が心の底から願う(「ねごう」と発音)ことは、決して実現不可能なことではない」という言葉と、日蓮聖人の「法華経行者の祈りのかなわぬことあるべからず」という言葉、さらに仏陀の、いま、この、さんが、(咳払い)此の三界は 皆是れ我が有なり 其の中の衆生は悉く吾が子なり 而も此の処は諸の患難多し 唯我一人のみ 能く救護を為すと、「一天四海 皆帰妙法」、万法はみな一つから出ておるのである、「天壌無窮 異体同心」、天地とともに窮(きわ)まりなく、すべての人の心は同じくしなければならない。全人類が心を一つになって世界平和を祈れば、天の救いの主(ぬし)である、主(ぬし)は必ずわれわれを守護したもうことを教えているのであります。全人類が一つの心になるためには、世界政府の樹立が必要であり、世界政府が樹立すれば核兵器など無用の長物となる。そこでわたくしは、全世界の為政者に対し心の改心を願い、人類の未来を信じつつ、神仏のご加護を祈り、わたくしの提言を終わります。ご清聴、ありがとうございました。...
開祖 (19780612A) 国連本部会議場演説
【音声】
開祖 (19830407A) 第1回庭野平和賞贈呈式
1
...法話コード=開祖-1983-04-07-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=第1回庭野平和賞贈呈式 日 時=1983(昭和58)年4月7日 録音分=8分 場 所=東京港区 ホテルオークラ 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19830407A) 第1回庭野平和賞贈呈式
2
...○司会 それでは、あ、ここで、えー、財団の、おー、庭野総裁から、あー、ごあいさつをちょうだいしたいと思います。庭野先生どうぞ、よろしくお願い致します。 ○(一同 拍手) ○庭野開祖会長 第1回庭野平和賞の授与式を挙行するに当たり、当財団総裁として、ひとことごあいさつを申し上げたいと存じます。 まず初めに、わたくしが申し上げたいことは、この地球が、全く新しい時代を迎えているということでございます。世界の片すみで起こった事件も、ニュースとしてたちまち世界中に知らされますし、どんな局地的な紛争さえもが、なんらかの形で他の多くの国々に影響を与えるという時代であります。 また、人口の増加に反比例(「はんひれい」と発音)して、地球の資源は枯渇し、枯渇しつつあるという事実。さらには富の偏在するいつぽうで、餓死線上の人々が多数存在するという事実。あるいはまた人権抑圧や差別。そして核の脅威など、わたくしどもの胸を痛める様相は、この地球上に至るところに顕著に現われております。 かつてわたくしどもは、戦争のない状態をもって平和と呼んでおりましたが、もはやそのような概念では、とうてい平和を語ることはできない時代になっているのが実情であります。 したがって、非人間的なあらゆる扱いを消滅させ、人間の心に平安をもたらし、世界の平和を創造するために努力することが、宗教者の平和観でなければならぬとわたくしは確信致しておるのでございます。そのためには平和の担い手であるべき宗教者が、互いの壁を取り払い、一つのテーブルに着かねばならない。そして具体的に何をなすべきか、何ができるかを真剣に語り合わねばならないというのが、わたくしの多年の思いであったのでございます。 そしてこの思いは、1965年の第2バチカン公会議に招かれ、パウロ6世猊下にお会いしたときに、ますます強まったのであります。そのとき猊下は、「いまやキリスト教をはじめとして諸宗教が分裂しているときではない。キリスト教徒が仏教徒のために祈り、仏教徒がキリスト教徒のために祈る。そのようにならなければ、宗教者として世界の平和に貢献する道はない」と申され、わたくしに宗教協力について熱心に語りかけられたのをわたくしはいまは、いまもはっきりと覚えておるのでございます。 こうして世界平和を念願する宗教者が、一堂(「いつとう」と発音)に会するという世界宗教者(咳払い)会議の開催への期待は、わたくしの胸の中にいよいよ高まり、ついに1970年、京都において第1回世界宗教者平和会議をもつことができたのであります。 わたくしは、本日受賞されましたブラジルのヘルダ・カマラ大司教さまにお会いしたのは、実にそのときであったのであります。...
開祖 (19830407A) 第1回庭野平和賞贈呈式
3
...同氏のご活躍の数々につきましては、先刻カトリックの白柳先生がご紹介くださいましたので省略させていただきますが、とにかく宗教こそ違え、同じ道を歩む同志としてのわたくしは、平和のために献身されるカマラ大司教さまが、わたくしどもの第1回平和賞を快くお受けくだされましたことを何よりも光栄に存ずるものでございます。 宗教にとって祈りはもちろん大切であることは申すまでもございません。しかし、それのみにとどまる平和を、阻害するあらゆる要因の除去に怠惰であってはなりません。 またいつぽう、こうしたことに対して活動することを世間では政治的過ぎるとか、非宗教的であるとして批判する傾向があることも否定できません。しかし、宗教は、りそよの、理想の世界を目指しつつも、なお常に現実の幸福を阻む諸問題を直視し、取り組む、それがカマラ大司教さまにあっては愛の奉仕であり、わたくしども仏教徒にとりましては慈悲行であり、そこにこそ神と仏のおわしますと、神と仏はおわしますとわたくしは信じている者でございます。 何はともあれ、カマラ大司教さまに対し、心からお祝い申し上げるとともに、さらに多くの宗教者が同氏のご活動に啓発され、平和のために邁進されんことを心から祈念致しまして、わたくしのごあいさつを終わりたいと存じます。 皆さま、ご清聴誠にありがとうございました。(一同 拍手) ○司会 どうもありがとうございました。 ...
開祖 (19830407A) 第1回庭野平和賞贈呈式
【音声】
仏教者のことば1
【機関紙誌】
日日是好日(にちにちこれこうにち)
雲門禅師・中国(碧巌録第六則)
仏教者のことば1
日日是好日(にちにちこれこうにち)
雲門禅師・中国(碧巌録第六則)
1
...仏教者のことば(1) 立正佼成会会長 庭野日敬 日日是好日(にちにちこれこうにち) 雲門禅師・中国(碧巌録第六則) 無限の生命を持つ名句 唐時代の名僧雲門禅師がある日、講堂に集まった弟子たちに言いました。 「十五日以前のことは問わない。十五日以後のことを一句で言ってみよ」 十五日以前というのは過去のことです。十五日以後というのは未来の意味です。つまりこの問いは「これから先のそなたたちの生きざまを、一言で言ってごらん」という意味です。 弟子たちは俊秀ぞろいでしたが、一句で言えとなるとなかなか答えが出てきません。みんな押し黙っていました。そこで雲門禅師はみんなに代わって答えを出しました。 「日日是好日」 来る日も来る日も好い日ばかり……というのです。禅の問答や文句には意味のつかみにくいものがたくさんありますが、これなどは例外中の例外で、だれにも分かりやすく、しかも鮮烈な印象を残す名句です。以来千年以上もたった今日でも、いや、これから時代がどう変わろうとも、「生命をもつことば」としてわれわれに無限の教訓と勇気を与えてくれるでしょう。 人間の心は、その場その場の状況によって左右されやすいもので、朝起きて天気がよければ「ああ気持のいい日だ」と感じ、雨がシトシト降っておれば「うっとうしいなあ」と思いがちです。今日はゴルフに行くのだという朝は心が浮き浮きし、税務署に出頭する日だなと思い出すと、とたんに気が重くなります。 そういう心のありようはまるで浮き草のようなものです。大地にしっかと根をおろしていない、頼りない生きざまです。それに対して「日日是好日」の悟りは、その場その場の感情やちっぽけな自己中心の考え方から一歩抜け出して、「自分はまぎれもなく宇宙の一片なのだ。宇宙の大いなる生命に生かされているのだ。だから今日を精いっぱい生きればそれでいいんだ」という、しっかりした人間観と自己認識の上に立つ心のありようなのです。これでこそ、毎日毎日が有り難くなるのです。 人生を変える座右の銘 ある駆け出しの記者が、気むずかしいことで有名な作家に執筆の依頼に行くことになりました。面会の約束を取りつけたその日があいにくの台風で、電車も止まり、タクシーも通りません。しかし、彼は重い気を取り直し、レーンコートをビショ濡れにさせながら、約束の時間どおり相手の邸の玄関に立ちました。すると、その作家は「こんな日によく来たね」と上機嫌で迎え、執筆の依頼も快く承知してくれました。これが「日日是好日」の生き方です。 人生にはいろいろなことがあります。得意の日もあれば挫折の夜もあります。病気をすることもありましょうし、災難に遭うこともありましょう。しかしどんな失意のときも、困難の日にも「これが人生なんだ」という悟りを持ち勇を鼓してその状況を乗り越えていけば、その人はひとまわりずつ大きくなっていくこと請け合いです。 中国の古典『大学』に出ていることですが、殷(いん)の湯王は、銅製の洗面器に「まことに日に新(あらた)にせば、日日新に、また日に新なり」と彫りつけ、毎朝顔を洗うごとに一日一日自分を新しく成長させていくことを、自身に言い聞かせたそうです。 それに見習って、あなたも、あるいは洗面所に、あるいは鏡の傍に「日日是好日」と書いた紙を貼りつけておかれたらどうでしょう。あるいは、一日中いつでも、フト思い出してはこの句を口に出して唱えるようにしたらどうでしょう。きっとあなたの人生を明るく変えるに違いないと思います。 題字 田岡正堂...
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