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開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
5
...人がなんといおうと、ひとたびこの法華経の菩薩修行に入られましてからというものは、22年間のあいだ、病の床の中にあっても、ひたすらに人さまのお幸せになること、いかにしたら皆さんが幸福になるか、どうしたら世の中が救えるかということより、何もほかのことは考えておらなかったのでございます。こういう先生が、何回か皆さんにもこういうことを、そばにおる方々には申し上げたのでありますが、わたくしは非常に体も恵まれておりますし、割合と生まれた環境が両親も19歳までおりまして恵まれておりました。そして、いろいろの角度から自分は非常に人さまに奉仕的の気持ちをおじいさんに教えられて、自分で考えておった関係か、奉公にいっても、兵隊にいっても、小言をいわれたことがない、こういうようなうぬぼれた自分は考えをもっていた。 陰ひなたなく稼いで、他人さまに、良心に恥じないような行ないさえしてれば、主人といえども、又、軍隊のあの、軍規の中においても、人さまに決していろいろなことをいわれる必要はないんだ。わたしの通ってきた人生というものは、真心で、自分がまじめにやっていれば、何も小言をいわれる必要はない、こういうようにうぬぼれた、わたしは考えをもっている人間でございます。いろいろのご法に、信仰上あっちこっちと行きましたが、どこの先生に行きましても、ほめてはいただきますが、叱られたことはなかったのであります。 ところが、交成会になりまして、一生懸命に火花を散らしてふたりで、いろいろ皆さんをお導きをする、そのなかに、いろいろな角度からわたしの欠点をいって下さる方は、妙佼先生以外にないのであります。箸の上げ下ろしにいろいろの小言をいわれ、いわれることに一理あるなというふうに有り難く感じて、受けているときもありますが、時によるというと、わたしは親にも小言を言われたことがない人間だ、あんたばかりはよくそう小言をいいますねときには、いろいろの信仰者として恨んではいけない、憎んではいけない、憤って(いきどおって)はいけないとか、いろいろのことをいいますので先生は、悔しくなければ、小言はいえないのだよ、悔しくしていただいて、小言いわしてもらうのだというようなことまでいって、いろいろ鞭撻してくだったのでございます。 そうして一代あれほど小言を、箸の上げ下ろしまいっていただいた方が、なんと最後に何をおっしゃるかと、思いますと、かつて交成会の顧問でいらっしゃいますところの、波木井さんが、波木井さんのお母さんが、非常に波木井さんに小言をいったそうでございます。36歳になっても、何かちょっと返答致しますというと、たたみこまれて、お座りなさいといって小言をいわれたということを聞かされております。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...そのお母さんが、最後に、遺言の中に、遺言状の中に、亡くなったら、岩田上人に大導師として引導を渡していただきたいということを書いてあったそうでございます。それと同じように、これほど小言をいってくだすった方が、亡くなる15日ぐらい前ですか、気分のいい時にいろいろの想い出話をしておるうちに、わたしは、本当に人間の皮をかぶっているものというものは、ことごとく信じられないものばかりだと、本当に信じられるものというものは、世の中にいないと思っておった。しかし、会長先生だけは信じましたね、先生の言葉をわたしは信じて、22年寿命を増益しました。こういうことをほっといわれましたので、びっくりとしたのでございます。こんなに小言をいって、わたしのことをいろいろおっしゃってくださった方が、そんなに信じておっくださったのかと、不思議に思ったのであります。ま、いろいろな話を、その日は気分がよくてされたのでありますが、そのころから、もっとも本当によく岩船さんが、かゆいところに手の届くように、夜、休んでおりましても、ちょっと咳をひとつしても、すぐに起きて、おなかを押さえるというように、岩船さんは、全然毎晩眠らないのじゃないか。 右と左に、両側にわたしと岩船さんと休ましていただいておりましたんですが、いつ咳をしても、わたしが、早く押さえてあげようと思って目を覚まして、ひょっと起きるうちに、もう岩船さんがちゃんと咳を始めると、おなかを押さえている。こういうふうにやっていただきましたので先生が、岩船さんには本当に世話になった。本当に有り難い、これをくれぐれもいっておりました。 また、次にいわれることは、交成会が、今日(こんにち)こうして会長先生を自分のそばに看病にいていただいて、三月(みつき)も四月(よつき)もこうして会のことをちっともかまわないで、わたしのことにかまけていただいているんだと、しかし会は、ちっとも心配なく、すくすくとこうして育っておることは、幹部さん方のご努力なんだよ。、本当に幹部さん方には頭が下がるといって、皆さんに対して心から感謝をされておりました。ともども本当にその通りで、幹部さんあればこそ、こうして毎日、わたしどもはそのお役として、先生のそばで看病さしていただけるんだと、いうことを語りあったのでございます。 しかし、だんだんと食べものも細くなってまいりますし、いろいろの角度から、いよいよ不吉を感ずるようの思いが、1週間、10日(とおか)ほど前からしたのでございます。しかし、最後になればなるほど先生は非常に朗らかになりまして、それまでは多少足がかったるいとか、あそこが痛いとかいうこともありまして、夜でも、少しもんでくれとか、さすってくれとかいうことがあったのが、亡くなる10日(とおか)くらい前から、もうあんた方もたいへんだからというので、咳でもして目が覚めて起きますと、もう咳が定まるというと、ほっておきなさい、ほっておきなさいほっておきなさいと自分で、笑いながら、それじゃほっておきましょうというようなことで、合言葉で、一緒に岩船さんと両方に寝かしていただいたわけであります。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...そういうよう、全く病人のそばにいるようでなく、むしろわたしどもを喜ばしてくれるような言葉をはかれて、ちっとも苦痛というような顔をされないで、10日(とおか)ほどのあいだは、誠に愉快な状態であったのであります。 最後は、先ほど第一支部長さんがなされましたように、8日(ようか)の夕方だけは、いつも夕方、第一支部長さんと理事長さんが、本部のほうがすっかり終りますというとおいでになる。そうすると、もう早く帰りなさい、うちへ早くお帰りなさいといって、追い返すようにいつもいった。ところがその日に限って、理事長さんが階段の下りるところにまいりますというと、もうお前帰るのか。いや、帰るわけじゃありませんが、いまこの戸をはずしたのでございます。ま、わたしがそういいますと「そうか」といいますから、わたしが目で合図をしますと、理事長さんは帰ってこられる。そうすると、先ほど第一支部長さんもおっしゃったように「少し、他人さんにこんなに世話になっているのだから、あんたは少し代わりなさい」ということをいわれまして、わたしにお風呂に行ってきてくれといいますので、わたしはお風呂へ、お風呂をいただきに下に下りたのでございます。 お風呂場に行ってほんの5分もたたないうちに理事長さんがおいでになったから、「どうしました」と聞きましたら、「もうとてもよく休まれました」。こういうことで、「そうですか、それはよかったですね」いうのでわたしも安心を致しまして、お風呂をいただいて2階に上がって見ますると、本当によく休みまして、いつもにない非常に呼吸も楽で、すやすやお休みになっているので、安心して、その晩は、ひと晩中ちっとも起こされないで、3時ごろ1度目を覚まして見たのですが、相変らずいい気持ちで、高いびきで寝てられますので、そのまま朝まで休みました。朝になって、病院の主治医さんをお迎えするまでは、本当に熟睡しているものとばかり考えておりました。主治医さんをお呼びしますというと、岩淵先生が非常に丹念に診察をされますので、どういうわけかと聞きますと「ちょっと様子がおかしいです」ということで「どういうわけですか」と、「こんなによく休んでいるのに」「これはただではありません」ということで慌てたのでございます。 そういうように全く、病気をされてもすべてのことを、全部自分がなすべきことをされて、そして、しかも残されたものは全部、「会長先生と岩船さんで、皆さんのおかげでこんなにわたしは幸せにしてもらったのだから、残った品物は、全部支部長さんや皆さんに分けてやってください」ということを頼まれまして、えー、「理事長さんもみんな知っているんだから、いいやなあ、先生と岩船さんにもう、みな、すっかりお願いしておくから」というようなことを20日(はつか)ほど前いわれた。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...その後、亡くなる2、3日前になって、またさらに、一切のことを全部お願いしますというようなことをいわれますので、なんだかどうも変だと思っておりましたところが、やっぱり先生は、自分ではもう時期が来てるということをおわかりになったんでしょう。わたしどもの目から見ますると、よく休んだとか、食べものを毎日、普通1日3度ずつ、3度の食事を、間違いなく食べていただける、こういうことで安心しておりましても、自分ではもういろいろのこと、「もう、ただではないよ」というようなことを前、前の日にいわれました。前の日は、お医者さんを呼んでくれということを四度(よたび)いわれました。しかし、外見から見ていますというと変わりがないようなので、わたしどもには、どこがどの程度苦しいのかわからなかったのでありますが、先生には、相当9日(ここのか)の日は苦しかったんだろうと、いまになって想像するのでありますが。 そういう経過をたどりまして、まったく久遠のかなたへ、眠るがごとく大往生されて、滅せられたのでございます。 その後(ご)、(咳払い)全国の会員の皆さん、または幹部の皆さま方が、おのおのがそのお役お役を全うされまして、立派のこんな葬儀もしていただき、さらに亡くなられてその後(ご)、ずっと切らさず、毎日支部長さんが五、六人(ご、ろくにん)ずつ交代に毎日夜も徹夜でお給仕をしていただき、皆さんの真心からなるあの告別式、いろいろのことを思い合わせて見ますると、どんなにか故人は満足されて、皆さま方に心から合掌していられると思います。 またわたしどもの、一生懸命、今後正しいご法をお伝えするというこのお誓いに対して、先生は、陰から、いままで以上に大きな力をもって、わたしども守護してくださることをわたしは信じて疑いません。一代を法華経に捧げられまして、色心二法を本当に行じられましたところの立派の大導師を、あの偉大なる宗教家を失いましたことは、わたしどもとして誠に、返す返すも惜しいことでございますけれども、これは生者必滅、会者定離の約束でございまして、なんとも致し方ございません。 お釈迦さまがご入滅の前に、大導師を失ったあと、どうしたらよろしいでしょうか、という質問をされたところが、お釈迦さまは、だれを中心に法をいきましょうかという質問に対して、だれもいらない。自分を灯明として行けよ。法をともしびとして行けよ。自灯明と法灯明ということを教えられたのでございます。宗教は、お互いに縁によりましてお導きを受けて、むちを打たれて、お互いが手をとられて最初は出発致しますのですが、人さまの、人さまを媒介致しまして、いろいろの教団の組織とか、または熱心の信者とかいう方の媒介によりまして、信仰に導かれて、そしていろいろな方便をもちましてお導きをいただくのでございますが、最後へいきますというと、一切のことはやはり自分でありまして、自分をともしび、自分が間違ったことをしておって、どんなに仏さまや神さまにお願いしても、ご利益は出ません。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
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...自分そのものの行動が、皆さま方に亡くなられた後(のち)までも慕われるような人にもなり、または25万の方々から、本当に惜しまれた告別式にお送りもしていただけるということも、これは本当に自分そのものが、立派にご法をともしびとして、ご法のとおりの行ないをしたことによりまして、初めてそういう成果があるのでございます。 わたくしども仏教徒と致しまして、おのおのが、仏心を持ちましたところの、最初はお導きをしたとか、されたとかいうことは、縁はそれにありますけれども、終局におきましては、自分自体が本当に正しい、仏さまとおんなし気持ちになって、同じ理想をもちまして、同じ立場に立たれまして、世の中のために、社会のために、宇宙のために、世界人類のためにわたくしどもは働かなければならない。そういうご法が、すなわちわたくしどもの日々(にちにち)、所依の経典としておりますところの法華経の経典でございます。その経典、ご法のとおりにわたくしどもが精進することによりまして、ご法をともしびとしていくことによりまして、わたくしどもは2陣3陣と妙佼先生と同じような人格を完成して、そして大往生を遂げて、人間としての生きがいを感ずることができるのだと、わたくしは信じておるのでございます。 どうか仏教の本質をわたくしどもは考えまして、お釈迦さまは最初にお悟りを開きましてお説きになりました最初に、四諦の法輪を説かれて「生老病死を説き、涅槃を究竟せしめ、辟支仏を求めるものには、十二因縁の法を説き、諸々の菩薩のためには阿耨多羅三藐三菩提を説いた」ということでございます。 その涅槃にいうところの大法(たいほう)というものは、やはり自分が本当に仏教の教義に則りまして、戒定慧の三学を行じまして、六度の教えをわたくしどもが忠実に実行しまして、菩薩道を行ずることによりまして、一人ひとりが仏さまに近くなり、仏さまに近い人格をわたくしどもが完成をしまして、一代の修行としなくちゃならないのであります。 どうかこの際に、先生をお慕いする気持ちを、本当にご法に一切を捧げて、先生と同様の生活をすることを、ここに大本尊の前にともどもにお誓いを致しまして、今後の精進に拍車をかけることをお願い致しまして、本日のごあいさつに代える次第でございます。 ありがとうございました。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生より、ごあいさつを賜りました。 それでは、お題目を三唱させていただきます。...
開祖 (19571005A) 故恩師妙佼先生追悼説法会
【音声】
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