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人間釈尊71
【機関紙誌】
大いなる人は去ったが
人間釈尊71
大いなる人は去ったが
1
...人間釈尊(71) 立正佼成会会長 庭野日敬 大いなる人は去ったが 臨終に際しても説法 その夜、クシナーラの町に住むスバッダという異教の修行者が、ぜひお釈迦さまの教えを聞きたいとやってきました。 阿難が、もうご臨終が間近いのだから世尊をわずらわしてはならないと断りますと、「だからこそお命のあるうちにお目にかかりたいのです。わたくしには大きな疑問があるのですから……」と言って動きません。 そのやりとりをお聞きになった世尊は、 「阿難よ。道を聞きに来た人を拒んではならない。通しなさい」 とおおせられました。スバッダはお床の近くへにじり寄ると、まず多くの宗教家の名前を次々に挙げ、 「こういう人たちは、教団を持ち、多くの弟子や世間の大衆に崇敬されていますが、かれらは自分の知恵で悟っているのでしょうか。あるいは悟っていない者もいるのではないでしょうか」 と、お尋ねしました。すると世尊は、 「そんなことは問題にならない。スバッダよ。ある宗教において、ものごとを正しく見、正しく考え、正しく語り、正しく行為し、正しい生活をし、正しい努力をし、正しい方向へ向けて思念し、正しい瞑想をして不動の心境に達するという八つの聖なる道を教えない者は、それは『道の人』とは言えないのだよ」 と、お説きになりました。スバッダは目が覚めたようになり、お弟子に加えていただきたいとお願いし、特に入門を許されました。彼がお釈迦さまの最後のお弟子となったのでした。 思えば、お釈迦さまが鹿野園で五人の修行者に初めて法をお説きになったときも、この八正道の教えをお説きになり、ここで最後にお説きになったのも、やはり八正道だったのです。ということからしても、仏教の実践面の教えは――布施ということ以外は――この八正道に集約されていると断じても差しつかえないでしょう。 限りなく懐かしい人 さて、夜もしんしんと更けてきました。お釈迦さまは阿難に向かって次のような遺言をなさいました。 「わたしが死んだからといって、『自分たちの師はいない』などと考えてはならない。わたしが説いた教えと、わたしが制定した戒律がそなたたちの師である。ただし、細かい戒律の項目は、教団のみんなの同意があれば廃止してもよろしい」 お釈迦さまはしばらく沈黙しておられましたが、再び口を開いておおせられました。 「さあ、比丘たちよ。質問はないか。あったら今のうちに聞いておきなさい。わたしが死んでから、聞いておけばよかったと後悔しないように……」 しかし、だれひとり質問を発する者はありませんでした。そこでお釈迦さまは、 「では比丘たちよ。すべてのものごとは移り行くものである。怠らず努力するがよい」 そして、優しいおん目で比丘たちを見回されてから、静かに、安らかに、息をお引き取りになったのでした。まことに「大いなる死」でありました。 長部経典に、お釈迦さまのお人柄を集約して、こう記されています。(中村元先生訳による) 「修行者ゴータマは、実に『さあ来なさい』『よく来たね』と語る人であり、親しみのあることばを語り、喜びをもって接し、しかめ面をしないで、顔色ははればれとし、自分のほうから先に話しかける人である」 われわれは、仏としての世尊を限りなく尊崇すると同時に、人間釈尊として無限の懐かしさを覚えざるをえないのであります。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊72
【機関紙誌】
仏塔から生まれた法華経
人間釈尊72
仏塔から生まれた法華経
1
...人間釈尊(72) 立正佼成会会長 庭野日敬 仏塔から生まれた法華経 比丘は葬儀にかかわるな お釈迦さまがクシナーラの沙羅の木の下で偉大なる死を遂げられると、土地の住民であるマルラ族が、そこから一キロばかり離れた、同族が聖なる地としている場所まで野辺の送りをし、そこで火葬に付し奉りました。 なぜお弟子たちがそれをしなかったかといいますと、お釈迦さまのご遺言によるものなのです。ご臨終が近づいたとき、阿難が、「ご遺体をどうしたらいいのでしょうか」とお尋ねしたところ、世尊は、 「阿難よ。そなたたちはそのようなことに心を煩わしてはならない。比丘というものは最高の善に向かって努力するのがつとめなのだ。わたしの遺骸は、わたしに帰依している世俗の人々が処置し、供養してくれるだろう」 とおおせられたのでした。 それにしても、――わたしの遺骸は林の中に捨てて鳥や獣に食わせてくれ――とか、――灰をガンジス河に流してくれ――とかおっしゃらなかったところが、あくまでも「中道」の人であったお釈迦さまらしいと思われてなりません。 さて、ご入滅を聞いたマガダ国のアジャセ王や、ヴェーサーリー国のリッチャビ族や、カピラバストの釈迦族をはじめ、七つの国や部族たちがご遺骨を渡してくれと要求してきましたが、クシナーラのマルラ族は頑としてはねつけ、争いが起ころうとまでしました。そのとき、あるバラモンが仲裁に入って仲よく分骨することになり、それぞれが仏舎利塔を建ててお祀りしたのでした。 師の最高の遺産・法華経 そこまでは、お釈迦さまは大衆の心の中にしっかりと住んでおられたのですが、だんだん年月がたつにつれ、仏の教えを受け継いだ比丘たちが世間から離れて寺にこもり、自分の解脱のみを目的とした修行に専念するようになりました。 百年たち、二百年たつと在家の信仰者たちはお釈迦さまが懐かしく、恋しくてたまらなくなりました。そこで、富裕な商人(長者)たちを中心として仏塔を建て、そのまわりに集まってお釈迦さまをしのび、お残しになった教えをおさらいしました。 そして、一般民衆のみんなが一緒に救われるというのがお釈迦さまのご精神だったのだ……として、さまざまな経典を編集し、それを大乗(大きな乗り物)の教えだと唱え、比丘たちの守っている教えを小乗(小さな乗り物)とさげすみました。それに対して比丘たちは――おまえたちの経典は世尊の教えとは違う――といって反論し、論争がはてしなく続きました。 そのとき、仏塔礼拝者の中から、――いや、お釈迦さまの教えには小乗も大乗もない。ただ一仏乗しかないのだ――と主張する一団が現れ、お釈迦さまが最晩年に霊鷲山で説かれたこの教えこそがその一仏乗の教えだとして編集したのが、法華経にほかならない……といわれています。 そういえば、後世にはお釈迦さまが「この世は苦だ」とお説きになったことだけが増幅され、前(69回)に書いた「この世界は美しいものだし、人間のいのちは甘美なものだ」とおおせられたような一面はすっかり忘れられているようです。 その点、法華経は明るい人生肯定の経典で、お釈迦さまのみ心の底の底にあったお気持ちをよく表していると思われてなりません。お釈迦さまが悟りをひらかれた瞬間につぶやかれたという「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生みな如来の徳相を具有す」という言葉を思い出してみますと、そのことが胸に落ちるようにわかります。 お互いさま、師がお残しになった最高の遺産である法華経を、いのちと魂の糧として、この世を明るく元気よく生きていこうではありませんか。 (完) 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
脇祖さま-慈悲行に徹しられて- 2000.09.07
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「草創期をふりかえる」 創立66周年記念式典送出作品 2004.02.25
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開祖記念館ミニシアター作品2006.05.12
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庭野日敬開祖平和への情熱 2006.07.13
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開祖さまの願生(ねがい)2007.01.18
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開祖さまの願生 The Wish to Be Bone (English telop ver.)
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