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開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...え、そしてまたその、先ほどの社会保障の問題というようの問題でありますが、お年寄りになってやっぱりわれわれは希望を持ってですね、孫の成長や、その自分の子どもさんの、孫さんをその成長させるその努力に、まあ、おじいちゃんおばあちゃんになっても協力してですね、自分の生きてるうちはやっぱりできるだけの協力を惜しまないと。で、しかもそういう暇があったらですね、ま、年寄りだけの場所じゃなくて現在若い人が最も必要なんでありますけれども、若くても年寄りも同じでありますけれども、そういう状態になってきてるんだから、いよいよわたしどもは、本当にこの宗教心を起こしてですね、かつては戦争前、戦争中などは、わたしどもが、この法座を開いているというと、当時のジャーナリストが来てですね、わたしにこういうことをいう記者があった。この忙しい戦争下にですね、なんでももう品物を作らなくちゃならん時に、顔を見るというとみんなお宅へ来てるの一家の主婦だと。年ごろもですね、確かにそうなんです。こういう人を集めているなんて国賊だということいわれた。ま、なるほど、一人でも多く軍事工場で働かなくちゃならないって時には、そういうことも、いう筋もあるかも知れません。ま、しかしそういうことをいわれながらも、わたしどもは真剣に、修行を積んできたわけであります。ま、そういう時にそういう修行した方々が、いま、皆支部長になっているわけですけれども。 ま、そういう、わたしどもは過去からしてのいろいろのことをこう考えた時に、もう少しですね、日本(にほん)国民はやっぱり、わたしどもこれから大いに声を大にして、国際的っていうことになると、決してその頑固だとか、排他的だとかですね、独善的だとかってんでなしに、日本(にほん)国民はもう少し日本(にほん)の国というものをどうするかという国の、国という単位がですね、国際的の場合には国っていう単位が非常に貴重なんだと。 こういうことを考えた時に、われわれがやっぱり安泰であり、日本(にほん)という国が本当に安泰で団結して、そして国が繁栄してるっていうことが、世界のいろいろの間違った国にそういうその、お、示唆を与え、そしてそういう方々を導いて、これから東南アジアあたりのこの、後進国をやっぱりこれから導くという場合にですね、どうしてもこの国の中でもってわれわれがその勝手のことをいって、まちまちのことをその、醸し出そうというようの考え方の人間がどうも、多すぎるようの気がするんですね。やっぱり日本(にほん)の国というやっぱり、国家なんていうことをいうとこれは、庭野会長まだ明治時代の人間だから、頭古いというか知らないけれど、やっぱり、わたしは愛国心、この国家を守るという国家をもっと繁栄させるという、この愛国心ですね。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...本当に人類、愛すという意味からいったならば、やはり国を愛すということで、日本(にほん)の国民そのものがもっとはっきりとしたところの、指導の立場に立つというこの、大きな使命が日本(にほん)国民にあるんじゃないかと。ま、そういうことをわたしは痛切に、い、今度、お、感じてきたわけであります。 イギリスへまいりますというと、空港で、非常に物騒のほどですね、やかましいような態度を取られたんでありますが、非常にやかましいようの態度を取ったかと思うといっぺんに、この使節団は簡単に、え、税関も通していただいて中へ入れていただいた。で、中に入っていろいろ聞いてみるというと、この前の、いー、岸総理大臣の当時に、岸さんがちょうどお回りになった時分には、岸さんが向こう回るという話を聞くというとたちまちに、フィリピンのあたりでもって、その残虐行為をした日本(にほん)人のその、戦争をした日本(にほん)人、そういう国の首相(「しゅそう」と発音)が来るんだというようのことで、たいへんに新聞でもうたたかれたそうであります。そういう状態の中を、岸首相(「しゅそう」と発音)は忍耐してですね、ずーっと回って来られて、しかもそういう国から、いま現在の東海村の原子力の、おういう原子炉などをですね、買い入れたりして、ま、こういうことをこう考えても、政治家というものはやっぱり大きな考えを持って、いろいろの国策というものによって、世界を導いていくという意味においては、われわれよりやっぱり視野が広くて、その専門家だけに素晴らしいことをしてなさるなっというふうにわたしは感じたわけであり。そのおかげでですね、そういういろいろの日本(にほん)の政治家がみなそういう考えで、やってきていただいたおかげに、6年前のその、岸さんのいらした時分の状態と、ここんとこ3年間というものはもう、イギリスの方がガラリって変わってですね、もういろいろの面で、もうすべてのことを、日本(にほん)人というものの見方が違って非常の信頼感をもって、付き合っていただけるようになったと。 ま、こういうことを、も、聞いてきたわけであります。 どこ、行っても、非常に日本(にほん)人は、ソ連に行っても人気がございます。非常に大切に日本(にほん)人だというと大切にしてくださる。ま、こういうことを考えても、先にわたし(「わし」と発音)申し上げましたように、日本(にほん)国民というものの優秀性っていうものを世界中の人類ことごとく認めてると、ことがいえると思うんであります。 それから最後のアメリカへまいりますというと、あのアメリカで、黒人問題っていうようの問題で、わたしどもは遠くで見ているというと、黒人問題、アメリカはけしからんと。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...この、自由国家であっていながら、そのおういうその、こと、しちゃいかんというようのことを、わたしどもは頭んなかへひらめくんであります。ところがこれをですね、実際にその、そばにいる方々の話を聞いてみますというと、これもなるほど、そうせざるを得ないっていうところに黒人のほうもザンゲがあるなということを、まざまざと聞かせられた。こういうこともまたわれわれの、こん、今後の、考え方っていうものに、大きなこれ一つの役割があるんじゃないかとこう思うわけでありますが。なぜ黒人を嫌うかというと、ホテルで泥棒があったといっても、お店で、かっぱらいがあったといってもですね、ほとんどがその犯罪というようのものを、不良の少年というようのもののですね、悪(あく)行為が非常に黒人に、ぶ、この数(かず)が多いという。そこで日本(にほん)人、非常にアメリカの人は信頼してるっていうことはですね、日本(にほん)人は絶対に犯罪を犯さないっていうんです。これはですね、日本(にほん)の中に、え、ひどいのがたくさんいるのに、アメリカへ行った人だけはですねえ、ちっとも犯罪犯さんというんですが、これは誠にお恥ずかしい話でわれわれもう、国にいるものはお恥ずかしい話だけど。それが特にですね、このう言葉がですね、2世ぐらい、まず1世は絶対犯さんそうです、言葉のできないようの、日本(にほん)語でなきゃ話せないようの人はもう全然悪いことをしないそうです。3世になると多少あるそうです。もうこれは全然、言葉、こっちの言葉はわからないで、向こうの言葉だけの人。ま、これがなるほど、まあ、その絶対に悪いことしないというようの、それだけを手放しでほめるわけにもいかないっていうその、一つの理屈もまたあるわけですね。それはどういうことかというと、言葉が通じないからすぐあれ日本(にほん)人だとはっきりわかる、ね。自分が正しくならなければ人さまが正しく用いてくださらないから、自分というものを、護身用のためには、自分が正しくならざるを得ないという条件に置かれるわけなんですよ。ですから、これはやっぱりわたしどもはよほど考えてみなくちゃならんとこだと思うんです。自由が利くからという、自由、自由といって、自由でさえあればいいという主張がだいぶ多いんですが、人間に自由っていうものをあんまり自由放題に与えると何をしだすかわからない現在の日本(にほん)の、犯罪の多いことがそこにあると思うんです。 そういうことで、全然もう日本(にほん)人はひとっつも悪いことしない。その、そういうことがはっきりもう、こんどは統計上出してそのアメリカで信頼してる。お金を貸せば必ず返すっていうんですね、ま、そういう信頼感。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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... で、戦争の時に、日本(にほん)の2世がとにかく非常にこの、自分の本当の国だから、母国であるから、その国に対して何かその寝返りでも打ちやしないかっていうようの向こうで心配したん。ところがもういちばん信用の始まりがそこからだそうですが、日本(にほん)の2世はやっぱり自分の住んでるその国土というものを愛してですね、アメリカに協力したんですね、2世が。非常に勇敢であった、忠実であった。これで日本(にほん)人はやっぱり自分の住んでおるところのその郷土、国土と自分の、す、住んでるところっていうものを守るというその、非常に素晴らしい国民だということで、え、日本(にほん)人を信頼し始めて、それからずーっと調べてみると犯罪は一つも犯していない。公共の事業に非常に力を尽くすと。ま、いろいろの点ですね、正直で絶対にその金を貸しても返すという。ま、そういういろいろの条件を取り上げて日本(にほん)人をアメリカでは信頼してんだと。 ところが、黒人はなかなかそうはいかないんで、あっちでもこっちでも悪いことしたってばもう黒人だろうといってですね。ま、その悪いことをするからまあ、多少また白人のやったのまで片づけられるかも知れませんな。うん、そういうことで損してるかも知れませんが、学校などでは、ですから黒人の子どもが来て、道徳の、その守れない、無作法な、そういう人が学校へ入ってくるというと、白人系の人はもう、おういうのがたくさん来たんじゃ子どもをあの学校置けないっていうので、どっか移転をしてしまわなくちゃならない。そういうような苦労が非常に、あちらにもこちらにもあるので、黒人の中でも心あるものは、これは黒人自体がですね、嫌われないようの国民にならなくちゃいけない。こういうことを中でですね、指導にある人は非常に反省をしつつあるということを聞いてきたんです。 まあ、ですから、ま、終極へまいりますと、わたしどもお互いさま、自分ということになるわけです、自分というものが清くなり、自分というものが正しくなる、自分というものが明るくなると、自分ってものの考え方っていうもの変えるということがですね、自分を守る自分を安泰ならしめるという、そのいちばんの条件だということはもう、これもう、仏法の因縁、善因善果、悪因悪果の法則からいっても当たり前のことでありますが、え、まざまざと、そういう問題を見せつけられて、ま、きたわけであります。 でありまするから、わたしどもは本当に、ただ、わたくしどもの会、という、まあ、やっぱりこの日本(にほん)の国っというものにわたしはさっき力を入れて申し上げたように、宗教団体を本当にそういう方向に、皆さんがともに手を携えていけるような、ことになるのにはやっぱり、相当、佼成会というものがやっぱり、本当に中でですね、われわれの一つの同志が、本当の異体同心となって、仏さまのみ心を体したところの立派の人格者がここへ団結してですね、そして、わたしどもが大いにその、頑張らなければやっぱり日本(にほん)の宗教界を動かすっていうことは、一応、旅行ではうまくいってまいりました。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...これはいま、申し上げましたように、外へ出るというと、頼るものは自分たちのグループだけだ、ね。言葉の通じるのはグループだね、そういうことんなるからもう、仲よくならざるを得ないという条件に置かれたから仲よかったかも知れない。まあ、そんなことをいうと、人さまにお恥ずかしいんですけども、われわれはそれほど人間皆一人ひとり横着のものなんです。なんとか、のさばられるところはのさばるんだけれど、のさばりようがなくて仲よくしよう、言葉の通じるですね、まあ、目的を同じゅうしてるっていう者は、これこれだってことんなると、仲よくなるのに決まってるん。 ま、そういう意味で、今度、国帰って来てもですね、その時の気持ちのようでお互いが、各教団が行ければこれは大したもん、ね。そうなれば、いま、申し上げたことはわたし取り消します。条件によってわれわれは仲よくしたんじゃなくて、本質的に、やっぱり自分は理の上に立ってですね、人間本質の上に立って仲がいいんだと、いうことんなります。そういう状態を、日本(にほん)宗教界が、全部がそういう気持ちになって、もう一歩脱皮してですね、宗教界のやっぱり独善的な考え方や排他的の考え方をやめて、もっと大乗仏教の仏さまのこのみ教えの、要するに妙法華経(みょうほけきょう)の精神っというものによって、教えによって一貫したところの国民の宗教心を盛り立てると、そういうその大きな力を、わだ、わたしどもが、課せられてるんだと。ま、こういうところで、わたしどもの布教がですね、本当のこの、法華経の精神にのっとった、仏さまのみ心にかなった活動を展開して、そして、慈悲、に、日本(にほん)の宗教界が、本当にその、こぞって皆さんが手を携えていけるようの条件をわたしどもは真剣になってつくると。そういうことが今後の平和の問題のわたしはいちばんの要諦じゃないかと。 大いに、幹部、諸公にも話し合ったり、いろいろして、他教団との関係もわたしは、本当に仲よく、力を、お互いに、いー、手を携えていきたいと思っておりますけれども。しかし、本当に他教団をそうして動かすっていうことになると、われわれの教団の中がやっぱりそういう人柄がですね、みんな、一人ひとりがみんなそういう円満の人で、そして堂々と皆さんが説いてごらんなさい。日本(にほん)でまだその、よその宗教界をけなしたりなんしなくてもですね、宗教がなくて、宗教を持たないで、まだ縁がなくて、知らないで、そして本当に迷ってる人がたくさんいるんです。だからどっかの宗教についてる人は、どうかするとですね、この宗教に好きな人は、あっちの宗教へこっちの宗教へ宗教遍歴をして満足してる人がたくさんいる。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...たまたまどうかするとお導きは、喜んでいると宗教遍歴の人がたまたまですね、観光客みたいなのが来ることがある。で、皆さん導いたと思って喜んでると、またいい加減しばらくたつとまたどっかへですね、40日(よんじゅうにち)たつとまた移転するかもしれない (一同 笑い)。 そういう意味で、まあ、あ、その、そういうことを排斥する必要ありませんよ、おいでになったの観光客は大事にして、そのうちに、あ、その、その居つくかもわかりませんから。まあ、そういうこともありますけれども、宗教を持たない人にですね、広くわたくしどもが、大きな、宗教の本義というものをかかげてですね、堂々と布教すると、そういう態勢をわたしどもがとって、そして教団というものが、本当に教団の中にいる人がその立派であり、外との関係も立派のお付き合いができるような内容であって、え、そして教義がちゃんと、これだけの仏さまの教えを立派にわたしどもが行じたならば、これはもう期せずしてですね、教団も大きくなるし多くの人に喜んでもいただけるようになるし、え、多くの方をそうしてわたくしどもが、お導きをさしていただくというその使命感に立って努力をすると、おのずからですね、人さまをどうしても正しくなってもらいたいというそういう願いを込めて一生懸命で努力をしているというと自分が、知らないうちに、だんだんと自分が円満になっておるはずでございます。自分だけなんとかなろうとか、自分だけの顔を売ろうとかですね、どっちか、あっちにもこっちにも顔を売ろうとかなんとかいっても、これはもうたかが知れてる、そのー、姑息(こそく)のことを考えても。それよりも一生懸命で人さまのよくなること人さまの完成することを願って一生懸命に朝っから晩まで一生懸命やってるとね、知らないうちに自分が円くなってるんです。知らないうちに、わたしはそうなると思う。 皆さんが、お導きをした時は、なかなかさまざまのことをいっておる方がですね、このあいだも、こういう人がニューヨークでですね、杉並支部の青年部であったそうですが、コジマカズロウという人が、いま、英語を勉強に行っております。きょうご親戚の人いらっしゃるかも知れませんが、その方がですね、電話をかけてきまして、え、自分はこうして来てるんだから、不都合であったら案内さしてもらおうかっていうんで、うんで、あの電話きた。ああなんにも不都合ないけれども、ちょうどいまお夕飯食べようと思ってるんだから、話をそれじゃするのに、いー、お夕飯ごっそうするから来なさいっていうんで電話かけまして、来てもらった。そしていろいろ話をしてみるとですね、この人の体験などを聞いてみるというと、まったくそれは因果の道理を実によくその現してですね、ま、こんなにやっぱりなるほど、純粋な気持ちになれたかなと思うほど、その青年はですね、奥さんをとにかく北海道へ、お子さんと、お子さんが一人しかいないんですね。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...え、そして奥さんを北海道へ帰して、自分がその佼成会に入って一生懸命でその青年部活動をしてみたら、英語の先生として現在のようの形ではまだ物足りないと。もっとその自分の責任上、本当の英語をですね、使える英語を教えてみたいと、そういう考えで、いま、ニューヨークの学校へ入って、え、一生懸命で先生を自分が、あー、本当の英語の先生になるために、先生なった人が、行って勉強してるわけです。 それ奥さんを北海道へ帰してやってるんですなあ。あー、もう素晴らしい考えでわたしは本当に、その方に合掌しました。 そして、そういう気持ちになった人を聞いてみるとですね、全然信仰気(ぎ)のない人が、東京へぽつんと来て、そして下宿のおばさんから導かれて、そしてまあ、入ってきて、で、だんだんだんだんといろいろの体験をしてるうちに、体中にノミが食ったとかですね、据え風呂が漏った(「むった」と発音)とか、まあいろいろの現象が不思議にあってですね、そのたびごとにですね、支部長さんに結んでもらうというと、ノミがとにかくどうしようもないほどわいたってんですからちょっと東京でノミのわくなんてのはあんまりないんですけれども、この方が、そのー、たいへんに自分で勝手の欲をもってるんですね。兄さんに、相当のその親の財産わけてもらって、そしていても、まだその足りないで、お、兄さんとけんかをして東京へ出て来て、そしてまだその兄さんの分け前(「わけめい」と発音)が少ないっというようの気持ちで欲張った気持ちでやってるというと、ノミが食ってもうどうしようもない、体中がみんなもうおできになるほどノミが食ったっていう、ね。そして、もうその、ノミの食うのがその欲だなんてばかな話はないと思って自分じゃね、ばかにしてたっていうん。ところがだんだんいわれていろいろの体験からですね、奥さんのいろいろの態度やいろいろのことを結んでもらううちに、確かにわたしは欲だなあ、この汚い根性がいけないんだと思ってですね、ザンゲをしたらピタッとノミがいなくなっちゃったっていう(一同 笑)。いやその青年がね、そういうその体験してるんですね。そういう、今度はお風呂がですね、買ったばかりのお風呂が、その漏って(「むって」と発音)ですね、どうにもならない。そして、まあそのいろいろのことでもう、青年のこれ、夜間法座へ出ていろいろこう結んだり、いろいろしてんの聞いてるもんだから、これは、そのー、こういうところがその、お前は全然その信仰気(ぎ)がないと。そういうところを見せてこういう順序なんだから、これを本当に目覚めればね。この、そのお風呂は漏ら(「むら」と発音)なくなるんだということをそのだんなが奥さんにその自信もってゆったというんですからまあ、ちょっと怪しい材質もあったそうです。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...気分的には少々まあ、その、心配であったけれども、まあこの時も「信ずる者は幸いなり」になったわけですが(一同 笑)、まあ、その先輩のいうこと信じて、その前のノミのことがあったもんだから、自信もってゆったってんですねえ。そうしたら奥さんがやっぱりそのいろいろのことを順々こう見せられるもんだから、本当に自分がいけないんだという気持ちになって、奥さんも合掌する気になって、そのー、きたっていうんですね。そうしたところがピタッと、そのー、据え風呂が、漏れ(「むれ」と発音)が止まったっていうんです、ね。 これはまあ、ノミとかね、据え風呂っていうのはこれは、まあ、あのー、外から来るもんだから、これまあ外因縁(がいいんねん)のほうですから、このほうはまだ問題が少ないんですが、もう一つあるんですね。 もう一つはどういうことかっていうと、法座へ来てすぐその、いろいろの話をして、結婚して何年何年たってる、というと、お子さんがいないわけです。お子さんがいなくて寂しいでしょうっていったところが、まあ勉強するっというようのこともあったり、結婚してすぐその肺病になって、1年ほど別れていたと。その次に今度は財産の問題で腹立って東京へ飛び出して来たんで、この時また奥さん1年ぐらい別々になって、いたと。ま、そういうような、非常な不遇の生活、夫婦だけれどもその、結婚してっからその、もう2度もそういうまあ破滅になった。そういう状態してる人だもんだから、わたしどものようの状態ではね、子どもを生んでも育てられないんだと、欲しいと思いませんよ。なんてや、その負け惜しみをいってですね、若夫婦だから子ども欲しくないことはないんですけども、やせ我慢で、結婚して5、6年にもなってるんで欲しいんですけれども、ゆったというんですね。そしてまあ、いろいろのことだんだん聞かされるうちに、そういう考えはこれは罰のあたった言葉を先輩に吐いたとこう思ってですね、そして、ま、その、親不孝の人は七面山に行くというと、そのたいへんにいろいろの因縁が出るからということ聞かされて、七面山をお参りに行って来たと。ところが七面山に行くという問題に対してもその時は、ま、少々、半ば不平があった。不平があって、そのー、わたしに行けって、ほかの人が行く人がたくさんあるのにね、わざわざおれに命令するとは何事だっていうようなまあ考えをまたしたり。ところがそれを素直(「すなわ」と発音)になって行かなくちゃだめだっていうことで、素直(「すなわ」と発音)になって行ってきて、そいで行って帰ってきたところが、知らんうちにですね、赤ちゃんがちゃんと始まっちゃったいう、ね、ね。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...これ、まあその、今度自分の肉体が治っちゃったんですね。そして夫婦がですね、もう思わず知らずのうちに、この、ちゃんと法の、はま、中へはまっちゃった。で、そうして今度の夫婦で別れているのに対してはですね、奥さんも、本当の先生をするっていうのには当然それだけの修行が必要だというので、賛成をしてだんなさまをニューヨークのその学校へやってですね、そういう気持ちだったら、兄さん金を出してくれて、ニューヨークへいま、学校留学してるわけです。ま、そういう話をですね、わたしはニューヨークへ行って佼成会の功徳話聞こうと思っていなかったけれども(一同 笑)、ね。まあ、そのー、そういう人会いたいというからお会いして一ついさめてやろうと思ってまあ、君なんでも、その留学してるというから学生だっていうんだから、いちばんおいしいごっそう、ごっそうしようっていうわけでですね、その、うんと厚いテキを食べさしてですね、一杯飲ましてそしてお夕飯食べて、まあ部屋でもってそういう話を、ホテルの部屋でいろいろ聞いたんでありますが。 まあそういう話を聞いているうちにですね、本当にこの仏法の因果の法則というものは、本当に素直(「すなわ」と発音)になって聞かなけりゃならないんだなっていうことをですね、コジマさんに聞かされてですね、人にしゃべっているんですよ、わたしはもう40年もしゃべってるんだこういうことをね(一同 笑)。ま、しゃべってるんですけど、あまりにもその人がこうてきぱきとこの、いま、現在にその、生々しいそのザンゲによってすべてのことの変わって行く状態を聞かされるとですね。ああー、もっとこれは精進しなくちゃいけないと、もっとこういう苦しみをしてですね、ですからまあ、おそらくあの誘拐を企てる人とか、意志の弱い人で、何かを見て欲しくなってむらむらと泥棒しる人とか、ま、いろいろの人が皆このですね、因果の法則がわからないでですね、そういう間違ったことを犯してると思うんです。これはやっぱりですね、一人もそういう者がいなくなるという状態をお釈迦さまは願ってですね、われわれ人類全体をとにかく、人類救済のために説いた法門なん。で、その法門がいま、こう、使ってみてですね、こんなにはっきりとこうわかるということが自分たちはわかって認識をしていながら、われわれの努力が足りないために、まだ罪人(ざいにん)を次から次へとかもしだしているっていうことは、これ誠に申し訳ない、と考えなくちゃならないと思うんであり。 そういう意味で、旅行中にですね、いろいろの宗教団体の状態を聞いて、きのうもちょっと申し上げましたが、ジュネーブにおきまして、WCCの、委員長さんがとうとうとこれはですね、キリスト教が、あー、この、プロテスタントだとか、聖公会だとか、ギリシャ教だとか、えー(咳払い)、この、ローマのようのカソリックだとか、そういうようにこのキリスト教の中でもいく色分かれておりますが、そういう考え方をやめて、まず、キリスト教は1本になってですね、正しくその神の声を聞き、この、本然(ほんぜん)のキリスト教にならなくちゃいけないということを提唱しているのが、ば、WCCであります。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...その方々がですね、そういうことは提唱してるんですが、これはまあちょっとね、自慢のようのことになりますので、キリスト教の、もし方がいらして、お気に障ったら、ま、あ、ご勘弁を願いたいと思うんでありますが。でまあ、いろいろこの世界の平和っていうことをもたらすために、根本的の理論はないかというので一生懸命で研究してるけれどその根本理がわからないというようの状態の話になっちゃったん。話をしてるうちに。その時にたまたま仏教界のほうへ行っていましたところの、法相宗の橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生のお弟子さんで、安田っていう方が随行で行っておりました。で、その方が、あのう、その、非常にこの具体的な、どうしたらなるだろう、こうしたらなるだろうっていうことを研究してるっていうんで、いろいろのこう例をあげて向こうでいってるけれども、その根本理は何かっていうことを聞いたら、向こうで、じゃあパーンとこないんですね。 なかなかそのはっきりしたこの根本理がどうして、す、世の中はこう、この、平和にならないかと。人間はどうしてこういうふうになるかっていうことで、まあ、ああいうふうにして、どういうふうにしてって、まあいろいろの具体的の、その方法論ではたくさん出ているけど、根本理がどうもはっきりまだしてない。というと、その法相宗の坊さんが質問をしたわけです。これどうもちょっと向こうで、困ってですね、仏教のほうじゃありますかと今度は聞いてきたわけですよ。そこのところは、ま、これはまあ、さっそくですね仏教側では待ってましたとばかしに、もう、この禅宗の佐瀬さんと、わたしとまあ二人でもうこれをやろうじゃないかっていうわけだ。あの佐瀬さんは、とにかく最後はもう庭野さんあんたやるのに、おれに先やらせろよっていうわけだ(一同 笑)。それでまあ、花を持って、それじゃあまああんたやってくださいってことで、佐瀬さんに花を持たしたわけであります。あとのくくりは、ま、庭野さんやってくださいよっていうようの話だったん。ところが佐瀬さんがはっきりいっちまったから、わたしはいう必要もないからいいませんでしたけれども、それで佐瀬さんいうわけですよ。 仏教のほうでは、人間は貪・瞋・痴というですね、この三毒があるために争いが起こるんだ。三毒を滅しなきゃならないという根本理をはっきりお釈迦さまは教えてるんだという、ま、話になったわけであります。それからあとは、いろいろの雑談でああそうかっていうようのことでありましたが向こうの方はよくわかったかわからないか知りませんが、ま、そういう場面にちょうど出くわしてですね、いろいろこう話をしてみるというと、キリスト教のほうに、根本理がないってことはない、あるかも知れません。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...しかし、え、いろいろの具体策として、こういうああいうということをいっても仏教のようにそういう、はっきりとしたですね、「諸苦の所因は 貪欲これ本なり」と。わたしどもはまあ、お互いさまにですね、例えば、共産主義というものは絶対争いなんて起こらない、理論で割り切れて、それに賛成したものは争いがないとこういうことを豪語したところの共産党がですね、マルクス主義がどうでしょう、現在ではもう、ソ連と中共が割れてきちゃった。こういうことになるとやっぱりですね、共産党も絶対理論で、ま、結ばれて、イデオロギーで結ばれて絶対別れないっていうこといい切れない。資本主義はけんかをする、戦争をする、一つの何になるけれども、社会主義、共産主義は絶対ないとこういっていたのがそうもいかない。ちゃんとそういうものは世の中へ出てきた、これはどこの主義でもイデオロギーでもですね、人間がやっぱりそこだと思うんです。やっぱり国が違うというと国の、損得ということがある、利害ということになるというと、中共とですね、ソ連がやっぱり一国を、統治するところの毛沢東とフルシチョフとでは、やっぱり国の利益という立場んなると、ああいうことにならざるを得ないと思うん。 これを見ても、貪欲(とんよく)がもとになっておるということがはっきりしてるわけです。ま、そういうこと、われわれはもう教義の上では、2,500年前にお釈迦さまお悟りを開いてピタッとこうお示しになってるんですね。これはあのキリスト教のほうでは具体的のことから一生懸命取り上げて、根本理はわからんけれども具体的に行こうとしてる。仏教のほうでは、理の上ではわかっているけれども、やらんでいるっていうことんなると、これは仏教のほうが罪がちょっと深いようの気がしますな。わたしどもわかっていてやらないというの、まあ歌でも、わかっちゃいるけどやめらんねえっていう歌ありますから(一同 笑)、仕方がないっていえば仕方がないですけれども、そういうような意味で、わたしども仏教徒はですね、本当にこの際、謙虚の態度で、仏さまのこのみ教えというものをもういっぺん、真剣にその、仏の恩情をよく心に感じてですね、ちゃんとこういう形で、人間がこういうふうの改革をして、こういうふうな、われわれの三毒を滅して、そしてもう円満の人になれば、争わんでいい世界ができるんだと、いうことをお教えになってるわけであります。 どうか、そういう意味で、皆さまはもうすでにそういうことに気がついて、それを実践してるんでありますけど、わたしども自体、自分自体が、ということでなしに、もっと多くの人に、この仏法の法則っというものを守らせるということに、もっと力を入れたならば、必ず、社会はもっと明るいですね。...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
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...法話コード=開祖-1964-03-04-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=大聖堂入仏式 日 時=1964(昭和39)年3月4日 録音分=19分 場 所=大聖堂 出席者= 掲 載=『』 見出等 ...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
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...○庭野会長 (一同 拍手)(咳払い)皆さま、本日はおめでとうございます。(咳払い)待望の(咳払い)大聖堂が、本日、ご本尊の勧請というお手配まで(咳払い)、予定のとおりの進行をみまして、先ほど、委員長からのご報告にありましたように、非常に(咳払い)困難がたくさんありましたにもかかわらず、その困難を完全に克服して、着々とわたしどもの理想実現に向かって、8年間の精進が、ここに実を結びまして、久遠実成の釈迦牟尼世尊をここに勧請申し上げた訳でございます。 (咳払い)本日は、もう何を申し上げましょうか、(間)ただわたくしから申し上げることは、皆さま方の今日(こんにち)までの、ご精進に対してあつくお礼を申し上げるほかはないのであります。 (咳払い)この大聖堂は、皆さまもういろいろの角度から、今日(こんにち)まで8年間、夢の中の理想像を、どんなふうにできあがるか、そういうことであったわけでありますが、本日はそれが、すっかりと、形となって現われ、え、ただいま、錦戸先生からのお話のように、このご本尊は、え、三国仏教史にかつてない、久遠実成の釈迦牟尼世尊を、法華経の教説によるところの本尊を建立したのでありまして、どこにも、この、おー、図顕されたものは、まだかつてないのであります。 お釈迦さまの像というのはあちらにもこちらにもございますが、久遠実成の釈迦牟尼世尊を図顕したということは、かつてないのであります。 え、そういうご本尊を、わたくしどもの決定(けつじょう)によりまして、わたくしどもの真心の結集(けつじゅう)によりまして、つくり上げたわけであります。 読経(どっきょう)を致しますところの最初に、三帰依文を読誦致します。あのご文章にありますように、わたくしどもはまず第1番に、仏に帰依ということから始まりまして、え、最後には「僧に帰依」というところで三宝になるわけでありますが、その最後の三宝でありますが、こういう大きな仕事、仏さまの理想を実現するというのには、一人や二人、特定の人の力でやるというようのものでなくて、多くの人がその仏さまのご理想を、達成するという心の集まり、その精神の結集(けつじゅう)、わたくしどもの物心両面にわたっての、この献身的の努力が、本日ここに聖堂を完成させ、ご本尊の勧請という順序になったわけであります。(間) 最近に至りまして、ようやく、わたしどもの叫びが、だんだんと、政治家の胸の中にも芽生えてまいりまして、人づくり、国づくり、しかもその人づくりの根底をなすものは、道徳教育、さらには、道徳ではまだもの足らない、宗教をバックボーンとしたところの道徳教育をしなければならないと、え、そういうようなことを、だんだんと、政治家が口にするようになってくる。...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
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...これに呼応して、各学校でも、教育施設はことごとく、宗教に対する関心をもってきている。 え、こういう順序に、だんだんとお導きをいただいたということは、これはとりもなおさず、わたくしども、正法を護持する者、正法を護持する者が、どういう生活をしておるかと、信仰をもつ者が、どういう活動をしておるかと、え、そういうことを、たくさんの方にご覧になっていただいて、わたくしどもの生活と、信仰のない者の生活と、そういうことを、よく比較対照致しまして、だんだんと心ある人は、宗教の必要性、教育というものもただ知的だけでなく、知情意に満ちたところの、知情意円満なるところの教育、そういうところに初めて人間ができる、そういうことが、だんだんと、わかっていただくような状態になってきたわけであります。 しかしながら、わたしどもは、この大殿堂をつくり、教義的の本尊の勧請を完成し、え、しかも、教団は全国津々浦々、現在では、一応、アメリカにも、支部をもち、だんだんと世界的の宗教にも発展しようという、そういうところまで、ようやくこぎつけたわけであります。 ただし、過去の宗教、過去の宗教の在り方を見ましたときに、今日(こんにち)までのジンクスといいますか、宗教団体は大きな殿堂(「でんとう」と発音)を建てるというと、大きな伽藍、大きな建物、本部というのを建てると、布教がにぶくなってくる、大きな建物ができたときにはもうすでに、布教の意欲がなくなって、そういう大きな殿堂(「でんとう」と発音)を必要とするような形になってくると、もう宗教はだんだん、堕落しつつある、とまで、過去の宗教の歴史は言ってるのであります。 どうでしょうか。このジンクスを破って、この大聖堂をして、いよいよ、本仏の理想を実現するということでなければ、今日(こんにち)この大聖堂を建てた意義はないわけであります。(一同 拍手) 仏国荘厳であるところの、ご本尊をここに荘厳なる殿堂(「でんとう」と発音)に勧請申し上げ、いよいよ信仰の対象がはっきりと致しまして、これからが本当のわたくしどもの宗教活動である、今日(こんにち)まで満26年間、満26年間のわたしどもの修行は、これからの修行をする土台つくり、礎を築いたにすぎないのでありまして、いよいよこれからが本当の意味の宗教活動としての活動であります。 そういう意味におきまして、いよいよ本日このあとで、辞令を差し上げるわけでありますが、布教態勢は、いままでの、この建造物、この教育施設、現在の佼成会の医療施設、教育とか医療とか、そういういろいろの施設を今日(こんにち)までいよいよ、一応の形はつくったのでありますが、成果はこれからであります。...
開祖 (19640304A) 大聖堂入仏式
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... しかも宗教活動は、いよいよ、この大聖堂ができて、きょうからが、いよいよ、活発に、その宗教活動の、本義を、わたくしどもは、守らなきゃならないと思うのであります。 そういう意味におきまして、理事長さんはじめ各理事さん方が、全国の各地に、じかに自分がその地に行って、その土地の皆さま方の、いろいろの気風とか、その習慣とか、その状態に、身をもって触れて、全国の、かつ、宗教活動をまず第1番に、活発にする。国際布教ということもありますけれども、それはだんだんとわたくしどもの力に応じて、まずとりあえず、わたくしどもは、日本の国というもの、日本の国というものの立場を、はっきりとしないことには、ただむやみと場所を増やしたり、ただむやみと、太平洋を泳いでいくような考えでは、ならないと思うんであります。 え、そういう意味におきまして、宗教活動を全国的に活動は、いよいよきょうから始まるわけであります。 幸いにして、この聖堂の完成と、ともに、幹部の皆さんが非常に歓喜勇躍して、いよいよこれからやるんだという気構えで立ち上がってるわけであります。 過去にありますところのジンクスを、佼成会をして、完全に、宗教活動が殿堂ができて、とどまると、いうようのことを、破る。これは、歴史は何か繰り返すというようなことも言いますが、仏さまのお説から言うならば、諸行無常で、同じ状態ということを考えておったのでは、本当のその意味を理解してないと思うのであります。 そういう意味で、釈尊の予言に、わたくしどもが応えるならば、後五の五百歳、その末法濁悪のときには、法華経を唱えるところには、雲のごとく、たくさんの方が集まってくる、そういう現象を、予言されているわけであります。 現在、この、聖堂を中心としたところの、佼成会のこの周辺、約2万7,000坪の地所を、現在では獲得したわけであります。この地所にあふれて、収まららないほど全国から、参拝者が、ここに集まってくる。 そして、ここで、その根本道場としての使命をわたくしどもが、完全に果たすか果たさないかっということが、仏さまの予言のごとく、この後五の五百歳の、非常に、大量殺戮(「せつりく」と発音)が行なわれ、そうの、救いか滅亡かというような二つの岐路に立つところの人類が、ここに、救われるか救われないか、食うか食われるかという問題だと思うのであります。 そういう意味におきまして、仏さまの予言が、正しいものであるならば、わたくしどもの今日(こんにち)からの修行が、いよいよ約束された、ひとつの宿命とわたくしどもは考えるわけであります。 どうか、この、入仏式の、この日を記念と致しまして、いよいよ26年間の、活動は、まさに、今日(こんにち)、これからの、ための準備、活動であったので、、本格的の活動はこれからである、こういうふうにわたくしどもは心を新たに致したいのであります。(一同 拍手) 幸いにして、まだわたくしも、非常に健康にも恵まれておりますし、理事さん方がみんな地方へ出ましても、大いに本部におって、留守番をがんばるつもりでございます。 そして、全国の状態を、つぶさに、各理事さん方が、把握して、そして皆さまの本当に求めとるものを与えていく、え、そこに大乗仏教の、わたくしは在家仏教としての使命があると思うのであります。(一同 拍手) どうか、この、わたくしどもの感激、意義ある今日(こんにち)を迎えまして、いよいよ、決定(けつじょう)を新たに致しまして、あすからの精進をここに、ご本尊の御前(みまえ)にお互いさまにお誓いを致しまして、活動に励んでいただきたいことお願い申し上げまして、ごあいさつに代える次第でございます。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生(音声途切れ)...
開祖 (19640515A) 大聖堂落成式
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...法話コード=開祖-1964-05-15-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=大聖堂落成式 日 とき=1964(昭和39)年5月15日 録音分=27分 場 所=大聖堂 出席者= 掲 載= 見出等 ...
開祖 (19640515A) 大聖堂落成式
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...○庭野会長 (一同 拍手)(咳払い)えー、本日は、(咳払い)わたしども会員の待望の、聖堂が落成を致しまして、めでたく、この落慶の式典を挙行できますこと、皆さまとともにお祝いを申し上げます。(咳払い) えー、本日はまた、全国各地から、ご遠路、わざわざ来賓諸先生方には、公私ともご多用の中を、ご臨席の (聞きとれず) かたじけのう致しまして、わたくしどものこの落成式に、錦上花を添えていただきましたことを、厚くお礼を申し上げる次第でございます。 えー、ただいま(咳払い)委員長の報告のとおり、えー、満8カ年の時日(じじつ)をかけまして、200万会員の善意によりまして、皆さんの真心によりまして、ご覧のような、聖堂が完成をしたわけでございます。 この8カ年のあいだ、信者の皆さまから、真心からなる、献金、ご協力をいただきましたその中に、素晴しい、美談がたくさんございますが、中の1、2をご紹介申し上げますと、毎日のおかず代を10円ずつ倹約をされて献金をくださる奥さん方、さらに、新聞配達をしていなさるところの少年が、その血の出るような、汗の結晶を毎月100円ずつ、この聖堂建設に奉納をしてくださる。そして、その領収書を、100円の領収書を毎月1枚ずつふえることを非常に楽しみに、心からなる布施をしていただきました、というようのお話が枚挙にいとまないほど、数々の、皆さま方の善意が、本日ご覧になっていただきますようの、この成果をおさめたわけでございます。(間) 小さな善意が、そういう心がけが、こうした大きなことを成し遂げるものであると、その人間の、輪の力、共同の力、その強さ(「つおさ」と発音)をつくづくと感じさせていただきますときに、8年間の皆さま方のご苦労に対して、衷心から厚くお礼を申し上げる次第でございます。(間) (咳払い)この道場は、皆さまのおいでをいただきます、東のほうと西のほうと両方から陸橋がかかってございます。この橋を波羅蜜橋と名前をつけてございます。で、波羅蜜とは、わたくしども菩薩行の六波羅蜜の修行。皆さんご承知のように、その波羅蜜ということは、わたくしどもの、この此岸(しがん)、こちらの岸。わたどもの住んでいるこの娑婆国土は、非常に変化の多い、いろいろの困難の多いところとされております。で、仏さまの岸は彼(か)の岸、向こうの岸。その岸は、誠に安楽で、素晴しい極楽であると、いわれております。そういう意味で、波羅蜜橋をずーっと登ってまいりますと、この聖堂の正面においでをいただきますと、第一番に石段を上がりまして、この4階の正面には、彌勒菩薩、文殊菩薩と普賢菩薩を左右につけましたところの、壁画が、まだ未完成ではございますが、飾られてございます。...
開祖 (19640515A) 大聖堂落成式
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... これはわたしどもが、六道の輪廻に苦しんでおるところの人生から、その波羅蜜橋を登っていただきますと、そこに、この4階に入るときには、十界のうちの四聖という、声聞、縁覚、菩薩、仏界という、その経文に示されたようの順序で、この中においでをいただいて、根本仏教の教義を勉強をしていただきまして、お互いに修行をさしていただきまして、そして、人格の完成、一人ひとりの個人の完成という修行を、法座という形式によりまして、あらゆる心の悩みをお互いに語り合って、そこから人間の和、恨みとか、悲しみとか、そういうものを一つ一つ法門に照らしまして解決をする場としての、修行の道場を、ご覧のようにつくったわけでございます。 えー、そういう意味で、この4階は全部椅子席でございますが、5階、6階、7階はじゅうたんを敷きまして、みなさんがお座りになっていただいて、とっくりと、腹の中から、いろいろの人生苦を語り合って、その人生苦の根源はどこにあるのかと、そういうことを、お互いに、研鑚(けんさん)をし、勉強をしまして、おのおのがその解決をこの道場におきまして、仏法の法則によって一つ一つ解決をしていく、そういう道場に、つくったわけでございます。 しかし、本日のように、こういう場合に、5階以上の各階は、この模様がよく見えないわけであります。声は聞こえましても、見えないというと、やはり、百聞一見にしかず、とかという諺がありますように、皆さんに同じようにご覧になっていただく、説法をする表情をよくご覧になっていただくと、そういう意味で、テレビを取り付けたわけでございます。でありますから、4階以上はもとより、3階も、この下の3階も2階も1階も、テレビをもってご覧になっていただきますると、全館がことごとく手にとるように、どこにおいでいただいても修行の場とできるわけでございます。 ま、そういうわけで、この伽藍は、みなさんご覧のように、8年の歳月をかけまして、200万信者の真心によりまして、つくったのでありますが、建築に対しましては、先ほど報告にもありましたように、銭高組、社長さんをはじめ、東京支店長さん、また現場の監督のナカガワさん、この設計にあたられました、オイカワ設計主任、または現場の建築主任、各部門に配置をされましたところの方々が、まったく、利害、損得を超越して、この世紀の殿堂をつくるのだというので、あらゆる物心両面にわたって献身的のご奉仕をいただきましてできたのでございます。ここに、本日、落成式にあたりまして、この建築にたずさわる皆さま方に、重ねて厚くお礼を申し上げる次第でございます。 えー、さらに、この道場の中には、最も大切のことは、ここに(咳払い)勧請を申し上げておるところの本尊でございますが、宗教建設と致しますると、その中心になる、本尊はいかなることにするかと、こういう問題になるわけでありますが、これに対しましては、(咳払い)この本尊の表現ということになりますると、教義上は昭和20年に、神の啓示によりまして、すでに、久遠実成の釈迦牟尼仏を本尊とすべし、という言葉がありまして、決まっておったのでありますけれども、これをどういうふうに表現するかということに対しましては、本会の教学顧問でいますところの鴨宮成介氏、ならびに岩田日成師、さらに(咳払い)宮原龍遷画伯の3人の方々から専門的の研究をしていただきまして、古来の仏教施設のいろいろの仏像の関係、また経文によるところの、二尊四士、という方法をとりまして、現在の本尊が出来上がったわけでございます。...
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