メインコンテンツに移動
ユーザーアカウントメニュー
ログイン
Toggle navigation
Main navigation
ホーム
コレクション
お知らせ
規約について
お問い合わせ
利用ガイド
全資源タイプ
機関紙誌
教団史
動画
音声
写真
法話(テキスト)
貴重書
検索
すべて
メタデータ検索
全文検索
リセット
表示件数
18
30
60
90
120
並び順
関連度
作成日 昇順
作成日 降順
タイトルヨミ 昇順
タイトルヨミ 降順
詳細検索
コレクション
- すべて -
『庭野日鑛会長のこころ』~つれづれに想うこと~
『庭野日鑛会長のこころ』~書初めから~
法話選集
年頭法話
庭野日敬法話映像作品集(平和への願い)
心に生きる開祖さま
庭野日敬法話映像作品集(仏教三大行事と釈尊伝)
心が変われば世界が変わる
仏教者のことば
経典のことば
法華三部経の要点
庭野日敬法話映像作品集(教団史)
人間釈尊
お会式
スポーツ
立正佼成会映像作品集
らしんばん
e-story
- すべて -
庭野日敬の世界
資源タイプ
- すべて -
Text
Image
MovingImage
Sound
タイトル名
作成者
公開責任部署
- すべて -
アーカイブズ課
伝道メディアグループ
開祖顕彰資料室
佼成図書館
作成日(西暦 or 和暦)
地理空間情報
ヘルプページ
86 件中の 1 件目~ 18 件目を表示
リスト
サムネイル
交成新聞 真実顕現
【写真】
大聖堂 第三期工事
【写真】
手に法華三部経を持ち説法
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会
【写真】
第3回全国青年部親善競技大会 バレーボール
【写真】
ブラジルへ出発
【写真】
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
【音声】
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
1
...法話コード=開祖-1958-08-22-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=帰朝挨拶 日 時=1958(昭和33)年8月22日 録音分=4分 場 所=行学園バルコニー 出席者=庭野日敬会長 長沼理事長 岡野教務部長 参集者 掲 載=『交成』1958(昭和33)年10月号60頁 見出等 ...
開祖 (19580822A) 帰朝挨拶
2
...○司会 (一同 拍手)ただいまは、理事長さんよりごあいさつをちょうだいさしていただきました。 それでは、会長先生にお願い致します。会長先生のお言葉を拝聴さしていただきます。(一同 拍手) ○庭野会長 (咳払い)皆さま、留守中をいろいろ皆さま方の、大(だい)なる和の結合によりまして、交成会は留守中といえどもますます盛んなることを、いま理事長が申されたように、新聞、または皆さまのお手紙によって聞きながら、2カ月半ものあいだを、楽々と、わたくしどもの出発の目的、所期の目的を達成のために、歩かしていただきました。 幸いに、この2カ月半のあいだに、わたくしが特に、ただ、ひと言(ひとこと)皆さまに覚えておいていただきたいということを、ここに申し上げさしていただきます。 わたくしどもは、日本人(にほんじん)として生まれたということが、無上の喜びであるということであります。 どんな南米の奥地にまいりましても、その先端に、開拓団の、いちばん先端におる方は、ほとんど日本人(にほんじん)でありました。あの広いブラジルに、すでに先端を切って日本人(にほんじん)が活躍しておる。あるブラジル人の方のお話を聞きますと、ブラジルは、建国の始まりに誤りであった、と、こういう冗談のようなことでありますけれども、非常にこれには意義があると思うのであります。もしブラジルに400(よんひゃく)年前に日本人(にほんじん)が入って建国しておったら、いまのブラジルはアメリカをしのぐような発展をしておったろうと。ところがポルトガル人によって、この建国されたことが誤りである、と、こういうようのことをブラジルのお方が、おっしやって方があるのであります。それほど日本人(にほんじん)の、開拓力、創造力、その優秀性というものをわたくしどもはつぶさに拝見さしていただきました。 わたしどもは決して、特別に日本人(にほんじん)が優位であるとか優秀であるかということを、驕慢の気持ちでこれを受け入れてはならんのでありますけれども、しかし実際において、28カ国の国民が集って、ひとつも人種の差別のないあの平等の立場において、日本人(にほんじん)の優秀性を、この50年祭の、官民一体となっての、あの大祭を通して、日本人(にほんじん)の優秀性を物語るということを、つぶさに拝見さしていただいたのであります。 どうか、わたくしどもは、この最大の喜びであるところの、日本(にほん)の国民に生まれまして、日本(にほん)の血を受けたところのわたくしどもは、いよいよ真の仏教徒として、宗教移民を今後ますます、わたくしどもの力によって正しい立派な人を、あの平等である、人種の差別のない南米に発展するときに、世界の平和をもたらす何かのお役に立つことと確信を致しておる次第でございます。 どうぞ、ますます、わたくしどものこの異体同心の精神をもちまして、法華経の教義にわたくしどもは恥じないような立派の仏徒として、仏教徒としての精進をお願い申し上げまして、簡単でございますが、ごあいさつに代えます。ありがとう存じました。(一同 拍手) ○司会 ただいまは、会長先生より親しく、お、え、拝聴さしていただきました。 それではここで、岡野教務部長さんの音頭を、いただきまして、万歳を三唱させていただきます。...
交成1958年11月号お会式
【機関紙誌】
『交成』1958年11月号巻頭口絵本部お会式特集
佼成新聞 1958年11月25日 大聖堂各階構造
【機関紙誌】
法華三部経の要点8
【機関紙誌】
無量義とは一法より生ず
法華三部経の要点8
無量義とは一法より生ず
1
...法華三部経の要点 ◇◇8 立正佼成会会長 庭野日敬 無量義とは一法より生ず 性欲無量だから説法無量 これまで「この世のすべてのものごとの変化のありさまをよく観察しなさい」と教えられてきましたが、ここで一転して、それを人々の説法のしかたに絞り「是(かく)の如(ごと)く観じ已(おわ)って、衆生の諸の根性欲に入る」とおおせられました。いよいよこの無量義経(もちろん後につづく妙法蓮華経も)の眼目である「人を救う」という本題に入るわけです。 根というのは「機根」のことで、その人が持っている根本的な能力のこと。性というのは性質。欲というのは欲望。この三つは人それぞれによって持ち前が違います。人を救うには、まずその持ち前を見究めよというわけです。そして、こうお説きになります。 「性欲(しょうよく)無量なるが故に、説法無量なり。説法無量なるが故に、義も亦(また)無量なり」 性質と欲望は人によって千差万別です。金銭を極度に欲する人、愛欲に溺(おぼ)れる人、名誉欲にかられている人、権勢には目のない人等々、数えあげればきりがありません。 いや、そのようにある欲求を極端に求める人もありますが、世の多くの人はそれらの欲求をおおむねいくらかずつ持ち合わせており、その持ち合わせ方の分量が人によって違うわけです。よくコーヒーなどでいろんな種類の品種を混ぜ合わせるのをブレンドするといいますが、人間の性質や欲望もそれと同じで、ごく普通の人でもさまざまな性質や欲望を自分なりにブレンドして持ち合わせているのです。 そのブレンドのありようがじつに千差万別なのです。ですから、人に仏法を説いて救いに導くには、その人の性質や欲望のブレンドのありようをしっかりと見究めて、それに応じた教えを説かなければならない……というのが「性欲無量なるが故に、説法無量なり。説法無量なるが故に、義も亦無量なり」の意味なのです。 どうかすると、どんな人に対しても型にはまった同じような説き方をする人がありますが、それでは現実に人を救えるものではありません。われわれの教団では「会員即布教者」を旗印としていますから、この「性欲無量なるが故に、説法無量なり」という一句こそは、全会員が常に頭に刻み込んでおかねばならぬ金言なのであります。 久遠本仏の大いなる慈悲 この一句は人を導く現実的な手段を述べられたものですが、しかし、その手段の枝葉末節ばかりにとらわれていますと、つい小手先の導きに終わり、大事な根本を忘れてしまう恐れがあります。そこで、続いて、 「無量義とは一法より生ず。其(そ)の一法とは即ち無相なり、是の如き無相は、相なく、相ならず、相ならずして相なきを、名(なづ)けて実相とす」 とお説きになるのです。 それぞれの人の性質・欲望に応じてそれにふさわしい内容の法を説かなければならないのだけれども、その千差万別の説法の内容(無量義)も必ず宇宙の真理である一つの法にもとづくものでなければならない……というのです。 そのあとにつづく「其の一法とは即ち無相なり」に始まる実相ということはたいへん難しい教えですが、宗教的にわかりやすく言いますと、「この世の一切のものは、久遠本仏の大いなる慈悲によって生かされているのだ」ということになりましょう。 一人びとりは、現象面ではさまざまな姿・形・性質・欲望を持っているのだけれども、もとをただせば、久遠本仏の実の子という尊い存在だということです。別の言葉で言えば、みんな仏性をもっているのだということです。そのことをしっかりと胸の底におさめていてこそ、ほんとうの教化、ほんとうの救いができるというのです。 ...
法華三部経の要点9
【機関紙誌】
真実の慈悲とは何か
法華三部経の要点9
真実の慈悲とは何か
1
...法華三部経の要点 ◇◇9 立正佼成会会長 庭野日敬 真実の慈悲とは何か 仏の掌の外へは出られない 前回までに解説した無量義の説法の結論として、お釈迦さまは次のようにおおせられています。 「菩薩の皆さん。このような真実の相(すがた)を悟り、その悟りがすっかり身についてしまったときに起こる慈悲心というものは、はっきりした根拠の上に立った慈悲心でありますから、その働きは、必ず立派な結果となって現れるものです。すなわち、それぞれの境遇そのままで、多くの人々の苦しみを抜き去ってあげることができましょう。苦しみを抜き去ったら、そこで再び法を説いて、多くの人々に生きる喜びを与えることができましょう」と。 このお言葉の最初にある「このような真実の相」というのは、前回に述べたように「この世の一切のものは、久遠本仏の大いなる慈悲によって生かされているのだ」という真実を指すのです。 この真実を悟ることこそが最高の悟りなのです。考えてもごらんなさい。ひと握りの土、一匹の虫、一本の草、ひと片(ひら)の雲、一人の人間、どれとして久遠本仏の大いなる慈悲に生かされていないものがありますか。そのような存在を想像できますか。できないでしょう。そのとおりなのです。 人間の知恵がいくら進んだからといって、この本仏の大いなる慈悲の埒外(らちがい)に出ることはできないのです。孫悟空がお釈迦さまの掌(てのひら)から飛び立って三千里も飛んで行き、違った世界へ出たと思って着地してみたところ、やはりお釈迦さまの掌の上だった……という説話は、この真実を如実に物語っているのです。 共に生かされている一体感 では、そのような悟りに達したとき、われわれの心にどんな変化が起こるのでしょうか。一言にしていえば、「この世のすべてのものは自分と同じように仏に生かされているのだ」という思いが、切々として胸にわいてくるのです。あの人も、この人も、自分と同じように本仏に生かされている兄弟姉妹だ……という思いです。あの虫も、この草も、自分と同じように仏性をもっている同胞だ……という思いです。切実な一体感です。 そのような一体感が心の底に定着すればどうなるか。例えば苦しんでいる人を見れば、我を忘れて「ああ、なんとかしてあげたい」という思いがおのずからわいてくるのです。それがほんとうの慈悲心というものなのです。本仏の大慈悲に直結する真実の慈悲なのです。原文に「是(かく)の如(ごと)き真実の相に安住し已(おわ)って、発する所の慈悲、明諦(みょうたい)にして虚しからず。衆生の所に於(おい)て、真に能(よ)く苦を抜く」とあるのは、そこのところを言っているのです。 ロシアの文豪ツルゲーネフが、朝早く散歩に出ると、一人の男が近づいてきて、「どうぞお恵みを」と手を差し出しました。ブラリと出た散歩だったので、あいにくお金を持っていなかったツルゲーネフは「許してくれ。わたしは今お金を持っていない。今わたしにできるのはこれだけだ」と言って、その男の手をしっかりと握ったのです。そして「からだに気をつけなさい。そして、早く何か仕事をみつけて働くことですよ」と励ましました。その男は感激して、「だんなの握手が何よりのお恵みです。これからしっかり働きます」とはっきり誓って立ち去ったということです。 これこそが真の慈悲というものです。思わず手を握って励まさずにはおられなかった……そこに大きな一体感があったのです。だからこそ、そのたった一つの行動が相手にほんとうの幸せをもたらしたのです。 ...
法華三部経の要点10
【機関紙誌】
四十余年には未だ真実を顕さず
ページ送り
カレントページ
1
Page
2
Page
3
Page
4
Page
5
次ページ
››
最終ページ
»