皆さま、本日は盂蘭盆会、まことにおめでとうございます。早いもので、ことしも半年余りが過ぎてしまいました。
お盆がまいりますと、いつも目連尊者のことが心に浮かんできます。
この目連尊者のお母さんは、自分の子供を立派にしようとなさった、そういう立派な方が地獄の一劫で苦しんでおられたというのは、これは、まことに悲劇であります。しかし、これはよく考えてみますと、人間を本当に幸せにしてあげたいと願われ、また、人間というものが、幸せをつくりだすことのできるものであるということをよくご存じの仏さまが、十大弟子の一人、神通第一という目連尊者にこと寄せて、ご指導をくださったということになると思うのです。
これは、佼成会でいう〝結び〟ということになるのですが、仏さまの結び方というのは、「夏の安居(あんご)に大勢のお坊さんが集まっておられる、ちょうどその時をねらって、この方たちが皆さんそろって、ありがたいお経を真剣に読誦し、供養なさることによって、霊界の方の成仏も可能である」と、このことを現証として、はっきり示すために、目連尊者のお母さんを引き合いに出された、こういうことであろうと思います。
無量の義は〝一〟
そこできょうは、法華経の順序次第に従ってご供養についてお話をしようと思います。
法華経の序品第一に入る前に、無量義経の徳行品、説法品、十功徳品の三品があります。
この無量義経をずっと読んでいきますと〝義は無量であるから、仏さまのお説きになるご法門もまた、たくさん、いろいろな方向から説明しなければならない〟ということが言われています。
しかも、その無量の義というものが、一つの義(法)から起こっている。つまり〝一の義(法)より百千万の義が生ず。また百千万の義を縮めて一となす〟というように、その無量の義を縮めると一つになると言われています。
この一つというのは、私は、一人一人の心というところへもってこなくてはならない、と思います。
佼成会では、皆さん「自分が変われば相手が変わる」と、合言葉のように言いますが、これは仏教の奥義を端的に表した素晴しい言葉だと思います。
あまり義がたくさんあるので、どうしたらいいだろう、どの義をとらえたらいいかわからない、ということになりがちですが、たった一つ、自分の心を仏さまのみ心の方向に変えればいいわけです。
これが、いわゆる〝仏性の開顕〟、自分の仏性に目覚めるということです。
無量義経というのは、そういう意味で法華経二十八品のお経に入る前の心構えとして、第一義をちゃんとおさえていなくてはならない、ということでお説きくださっているわけで、一つ一つ順序に従って階段を上がるように、いかにして皆にわからせようかという、ご苦心のほどが見えるわけです。