七百年前に日蓮聖人はお亡くなりになったわけですが、これは仏教の教えからいきますと、肉体が滅しても本体は生きている。すなわち永遠の生命に入れられたというわけで、きょうのお逮夜というのは、〝常に此に住して法を説く〟とお釈迦さまがおっしゃっているような姿に日蓮聖人が生まれ変わった日の前夜ということになります。
本日は、万灯行進をするわけですが、この御旗をご覧いただきますと中央に『妙法蓮華経』と書かれ、両側に『天壌無窮』『異体同心』となっています。この〝異体同心〟の心で万民が一同に〈南無妙法蓮華経〉と唱えたてまつれば、〝吹く風枝をならさず。雨壌を砕かず〟と日蓮聖人がおっしゃっているように、本当に法華経のとおりに自分の行ができるならば、全く安心しきった状態があらわれるのです。
奈良唐招提寺のご上人さまが、鑑真和尚の像を携えて中国へお参りされたことをテレビの放送で聞きましたが、この鑑真和尚が十年もかけて日本に渡ってきたのは、日本人に仏教の戒律を教えるためだったのですね。その和尚の像を、中国の、あまり信仰を必要としないような思想の人々でさえ拝んで、随喜の涙を流していたということです。
仏教の救いというものが何によって得られるのか、ということを考えてみたいと思うのですが、仏教には戒・定・慧という三つの教えがあります。この戒・定・慧の最初の戒律というものを守るところに仏教の真の救いがあると思います。
慣れてしまえば何でもありませんが、毎日、きちんと起きるべき時間に起き、朝夕の決められた時間にご供養をきちっとする。こういう〝戒律〟を毎日行っていますと、ちっともつらくなく、大変すがすがしく楽しいもので、心の安らぎを得られます。あせって心が散乱している時でも、読経三昧に入ると心が静かになってきます。
さらに読経だけでなく、佼成会では、手どりをしなさい、導きをしなさいと言って、皆さまの毎日の大きな修行としているわけです。また、手どり、導きには人さまにご法を伝えるということで大きな功徳があるわけです。
ところが、仏教の生まれたインドではその〝戒律〟がきついからということで守られておりません。その結果、聖者が生まれて、仏となった国でありながら本当の仏教が伝わらず、現在国民の1パーセントぐらいしか仏教徒がいないのです。