信心からくる真心の灯
昨日も日蓮宗のお坊様に説教をしたのであります。日蓮聖人は、七百年前の時には日本に仏教が入って七百年たって祖師仏教になってみんながこり固まっていて、そういうこり固まった人たちに対して、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊というように、お釈迦様を忘れている仏教に変形しているということに悲しんで、あの叫びをされたと思います。今もし日聖様がお生まれになっていれば、私と同じような説き方をするだろうと、昨日申し上げましたら、(拍手)茂田井先生は苦笑いをしながら、それはそうだな、時代が違うなとおっしゃっていました。
みんなに、こちらの方に向いてもらいたい、私の意見を聞いて下さいと言っても聞き手がないという時には、荒療治でもって他宗を謗るような言葉に変えて、しかもあの根底にあるものはどうかというと、その仏教の本質を当時の鎌倉幕府の面前において正邪を論じようと、対決しようということなのであります。
ああいう時でありますから、対決という言葉を使ったと思うのであります。今ならば宗教協力という形になっていくだろうと、私は思うのであります。そういうことでは、私どもは昔の言葉そのままに考えていく時に、何か佼成会は日蓮様の教えよりも甘いような気がします。柔らかいようです。異質のような気がするかも知れません。しかし私は、大乗仏教の精神というものは、一仏乗というすべての人が同じ乗物に乗って、凡夫の迷いの岸から悟りの岸に向かっていくところの法門ということになれば、あの時はあのような強い形で叫ばなければ、日蓮聖人のお気持に耳をかたむける人がいないということだったと思います。
そういう意味で、六十年の生涯を大願を身に帯びながらお説きになって頂いたそのおかげさまで、私どもがあるのです。私どもの教団が発足して、来年で四十周年というのですが、こうして多くのご参加を得られ、また明社運動などで全国的にいろいろの宗教、宗派を超えて、明るい社会、平和な社会をつくるために努力されています。大乗の精神によってみんなの和をつくり、真の平和の輪を拡大していくという努力をしなければならないという方々が全国的に出てきたということは、大変ありがたいことだと思います。
そういうことで本日は、日蓮聖人の「二陣、三陣続けよかし」というその一言に自信をもって、うちわ太鼓に合わせて行列をして頂くわけでございます。
万灯というものについても、いろいろの説がありますが、立派なものよりも、真心のこもった万灯が良いわけです。信心による真心の灯をみんなに見て頂こう、そしてご縁にふれた方々に法華経の意味をわかって頂いて幸せになってもらう、そういうために今日は行列をさせて頂くのでございます。