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69
...神々の降臨 一 霊友会では、降神して啓示を聞くことを、重要な行としていた。私も、妙佼先生も、新井先生から系統的な指導を受けていた。それが、立正佼成会を創立して一年ぐらいたったころから、ひじょうに強く現われるようになった。朝から晩まで〈神〉に引きまわされた。下がってくる〈神〉は、不動明王、八幡大菩薩、毘沙門天、七面大明神、日蓮大菩薩が主だった…
70
...証明役として 一 妙佼先生は、長く病身で、また精神面の悩みがあり、明けても暮れてもせいせいした気持ちになれなかったかたです。それが、信仰の道に入り、一転して幸福になってみなさんの前に立ち現われたのです。 そして「私を手本にしなさい。この法華経を持った者はかくのごとく幸せになる。商売も繁盛する。病気も治って健康になる」と、事実を端的に示し、…
71
...遷化 一 妙佼先生は、三十一年の晩秋あたりから、健康の衰えが目につきはじめました。それと反比例して、その布教活動はますます激しくなりました。以前に乳ガンの手術をされたことがありましたが、退院五日目には壇上に立って説法されたのです。それほどの強い精神力の持ち主でした。 しかし、こんどの場合は何かようすが違うように感じられました。…
72
...方便時代 一 ふりかえってみますと、不思議と十年ごとに竹の節のような節があり、その節を境としていちじるしい躍進をとげているのであります。 第一の十年は、いわゆる日中戦争のさなかに本会が創立され、その戦争がしだいに泥沼におちいり、ついに太平洋戦争に突入し、そして日本国はじまって以来の大敗北を喫し、みじめな戦後社会を迎えるという大動乱期にあって、…
73
...方便時代の意義 一 わが会は菩薩の集団です。行動的仏教者の集まりです。それゆえ、草創の時代は、六波羅蜜の順序のとおり、いきなり「布施」から入ったものです。 「何はともあれ、人を救うのだ。現実に悩み苦しんでいる人を、とりあえずその現実の苦悩から救うのだ」と、ガムシャラともいうべき布教、法施の行を展開しました。そして、じつに爆発的な成果をあげたのです…
74
...創立二十周年を迎えるにあたって 一 これまで立正佼成会は、教義を二義的に考え、実践中心でまいりました。あれも実行、これも実行、一にも実践、二にも実践ということで来たのであります。 (昭和32年11月【速記録】) 私どもは、成仏を願い、一生懸命信仰しているのです。成仏は言葉を換えて言えば、人格の完成です。 まず、家庭にあっては、…
75
...新しき時代へ 一 妙佼先生の死によって、“神”の声を直接聞くことはできなくなった。私はこの現実を、「直接聞く必要がなくなったから聞けなくなったのだ」と、受け取ったのである。 妙佼先生に下がった“神”は、不動明王・八幡大菩薩・毘沙門天・七面大明神が主だった。すべて仏教を守護する“神々”であって、法華経を信奉する者の究極的な帰依の対象ではない…
1
...真実顕現の宣言 一 真実顕現といっても、特別なことではありません。今まで“理屈を言うな”の一点ばりで「行」さえやっていればいいという行き方できたものを、その「行」の内容を具体化して、大勢の人々を教化していくうえでの指導理念を、教義的にもはっきりとしたものとして知らしめていくことに、ほかならないのです。このことによって、すべてのことにおいて、…
2
...久遠本仏の勧請 一 創立当時の立正佼成会は、神さまの啓示を中心にして、教化を推し進めてまいりました。所依の経典は法華経でありますけれども、われわれの修行の足りない点を、神さまのご降臨というかたちでご指導いただき、そのご指導によって本尊も決めてきたわけであります。そのような神さまの啓示、神さまのご指導に私どもは純真そのものの気持ちで接し、…
3
...教学研修の開始 一 本会創立当初よりこのかた、会員が実行してきたことは菩薩行そのものであって、それなればこそ枚挙に暇のないほどすばらしい結果現証が出てきたわけですが、その現証のみをもって、「ご法は有り難い」と言いながら歩きましても、その尊い仏法とは果たしてどういうものであるかということを、みずからが知らずして信仰している、つまり“…
4
...『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 一 仏教の教えは、たいへん難しいもののように思われています。その大きな原因の一つは、仏教の経典がいかにもとっつきにくい外見をしているからだと思います。それも無理はありません。二千年以上も前に、インドの言葉で書かれたものが、昔の中国の言葉である漢文に訳され、…
5
...大聖堂の建設 一 満八年の永い年月、みんなで苦労しながらコツコツ造ってきました大聖堂も、ついに完成の日を迎えることができました。去る三月四日(注・昭和39年)の入仏式が終わったあと、独り七階の一隅にたたずんで尊厳の気満ちる大殿堂を見渡しながら、無量の思いに胸の迫るのを覚えざるをえませんでした。 よくぞ皆さん、ここまで私に協力してくださいました。…
6
...第二バチカン公会議への出席 一 私は若いころから、あらゆる宗教は手を握り合って進まねばならないという信念を持っており、とくに立正佼成会を創立してからは二十七年間、常にそれを念願し主張し、実践し続けてきました。 ところが、こんどバチカン公会議に異例の招待を受けて出席し、教皇にお目にかかっていろいろと話し合った結果、ますますその信念を強め、…
7
...政治浄化 一 人間の心を正しく、明るく、豊かにする〈宗教〉と、人間の現実生活を正しく、明るく、豊かにする〈政治〉とは車の両輪であって、どちらを欠いても社会はアンバランスな状態に陥るのです。 これは、一家の中にたとえて考えれば、よくわかることと思います。父はよく働いて豊かな収入を得、母はじょうずに家事の切り盛りをして、…
8
...明るい社会づくり運動の推進 一 自分の住む社会がほんとうに平和で明るいものであってほしい、と願わない人はありません。地球上の一切の人がこぞって、そういう願いを心の底に持っているはずです。ところが、願いというものは、ただ心の底にボンヤリと持っているだけでは、かなえられるものではないのです。ボンヤリと願うのでなく、強く願わなければなりません。それも、…
9
...普門館の建設 一 普門会館の設立ですが、これもつまるところは、国民皆信仰運動の一環にほかなりません。もちろん、第一義的には会員の皆さんのための研修の場でありますが、それと同時に日本中はもとより、広く世界の人々への布教の拠点となるものです。それも、狭い意味の布教ではなく、人間を幸福にするためのすべての宗教・学問・芸術その他の文化活動のために開放し、…
10
...世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 一 そもそも、この「世界宗教者平和会議」の構想が芽生えたのは、一昨年すなわち一九六八年一月に開かれた「平和のための日米諸宗教者京都会議」の席上であります。それまで私とは一面識もなかった外国の宗教者と語り合ううちに、世界平和に対するお互いの熱意を確認し合い、同志を見いだしたという喜びを懐いたのであります。 …
11
...普門示現の時代へ 一 創立してから、およそ二十年ぐらいの間は、病気・貧困・家庭の不和と言った現実の苦しみを、仏さまの神力をもって救ってあげることに一途でした。そして、その現実の救いを契機として、法の道に入っていただく……そういったパターンが一般でした。ですから信者のかたがたには、仏さまを、天上かどこかにおられる偉大な神力の持ち主のように、…
12
...「信」について 一 〈信〉ということですが、たいていの人がこれを信仰者だけが持つ特別な心のように思っているようです。しかし、それはちょっと違うのです。〈信〉というものはわれわれが生きていくうえに、もっと厳密に言えば、「幸せに生きていくうえに」一刻たりとも欠いてはならぬ条件なのであります。 (昭和46年01月【佼成】) …
13
...「信仰の充実」とその要諦 一 よく、信仰は悩みから出発すると申します。すると自分には悩みがないから信仰する必要がない、などと言い出す人がいますが、その人は悩みがないのではなくて、反省がないからわからないのです。私達は社会の一員なのですから、自分だけ悩みがなければいいというものではないのです。 (昭和34年12月【佼成】) 「信仰の充実」…
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