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250 件中の 221 件目~ 240 件目を表示
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46
...日蓮聖人 一 お釈迦さまがご入滅になって、もう二千五百年近くもたちます。この長い間、法華経の布教はいろいろのかたによってなされてきました。とくに日本では法華経は聖徳太子の時代からたいせつにされました。 一般にご法とか妙法という言葉を使うときには、その奥に法華経という意味がただよっており、ただ法という字だけが文献に出ている場合は、…
47
...四箇格言 一 仏教が日本に渡って約七百年たった鎌倉時代には、仏教が形式的となり、専修的になってきていました。そうした仏教はけっして本当のお釈迦さまの教えではないというので、日蓮聖人が「念仏無間 禅天魔 真言亡国 律国賊」ということを言われました。 当時の既成教団のあり方が、本当の仏さまのお気持ちではないということを指摘されたのが、…
48
...立正安国 一 日蓮聖人は鎌倉幕府に対し、『立正安国論』を突きつけて、一切経は、どのお経もみな仏の金言には違いないが、それらのお経の魂となるのは法華経であることを、明言されております。 この『立正安国論』の中に「間違った悪政をしいているところには、善神が去ってしまって、悪神が入れ代わる」ということがいわれています。 …
49
...一天四海・皆帰妙法 一 私どもがお互いに努力していますことは、本当の人間になろうということでございます。 日蓮聖人は「一天四海 皆帰妙法」とおっしゃっております。一天四海というのは、つまり、森羅万象のことです。その森羅万象はすべて妙法によって生かされているのであります。 そのことの意味を、その真理をはっきりと把握して、おのおのが真のあり方、…
50
...法則活用の意義 一 立正佼成会で姓名学をやっているとか九星学をつかっているというと、「ああいうものはみんな迷信だ」というふうに一笑に付してしまうかたが多いのであります。あるいはまたこれを非難の材料にしがちであります。 これはなるほど知らない人にはぜんぜん想像もおよばぬことですから、迷信といったほうが簡単でありましょう。…
51
...法則活用の心得 一 みなさんが鑑定をした場合、悪い因縁の人の鑑定をしたときほど、あとあとまで忘れないで記憶に残るものです。これと同じように、鑑定を受けて悪いことだけが頭に残り、あとからいろいろ結んでもらったことが耳に入らない人があります。 ですから、そういう人には注意深く指導しなければなりません。 ──悪い因縁というものは、…
52
...召集解除 一 昭和十六年八月八日、私に召集令状が来た。中日戦争の末期、そして日米戦争の危機がだんだん濃くなっているころであった。 (昭和51年08月【庭野日敬自伝】) 昭和十六年十二月に太平洋戦争が始まったのですが、戦争が始まらないうちに、もう海軍は四方八方に手を回していました。私の弟などは前年の八月に海軍に召集され、…
53
...本部落成 一 昭和十六年、そのころは会員が千名ばかりになり、私も妙佼先生も、商売をしながら信者の世話をする生活はもはや限界に達していた。 ちょうど、氷屋にも企業整備があり、配給所という形になることになったので、それを機に、まず妙佼先生が店をやめて宗教活動一本に打ち込む決意をした。 ある夜、妙佼先生が夢知らせに神示を受けた。 「…
54
...留置事件 一 昭和十八年に一大試練が訪れた。三月十三日のこと、とつぜん本部にヒゲづらのお巡りさんがやって来て、私と妙佼先生に「ちょっと警察に来てください」と言うのである。 何か聞かれるのだろう……ぐらいのかんたんな気持ちで、私はふだん着の和服のまま、妙佼先生も大島のちゃんちゃんこを着て、一緒に出かけた。すると、杉並警察署に連れて行かれて、…
55
...家族との別離 一 応召した会員の人たちが全部めでたく帰還したのに、終戦後七年たっても、八年たっても、自分の家へ帰れない一家族があった。ほかでもない、私の妻子たちである。(中略) 妙佼先生に下がった神示によって妻子を故郷の菅沼に送ったのは、昭和十九年八月十二日であった。数え年で長女知子が十四歳、次女羌子が十二歳、三女佳子が九歳、長男浩一が七歳、…
56
...終戦 一 昭和二十年八月十五日がやってきた。その日は、本部にはいりきれないほど、たくさんの信者たちが集まった。そして、涙のうちに〈玉音放送〉を聞いた。それから、ご宝前で長い供養がいとなまれた。 (昭和51年08月【庭野日敬自伝】) 当時、日本という国は世界一の国であるという誇りをみんながもっていました。軍国主義をあおり立て、…
57
...本尊勧請の神示 一 立正佼成会が昭和十三年三月五日に創立いたしまして、以来「修行中には法華経以外は絶対に雑誌も新聞も読んではいけない」という神さまのご指導により、私は昭和二十年まで、そのとおりの修行をさせられたわけです。 (昭和32年11月【速記録】) 本尊勧請の神示 二 昭和二十年のお釈迦さまの涅槃会の日、二月十五日に、突然、…
58
...宗教法人立正交成会の設立 一 終戦後、教勢はみるみる伸びていった。二十年末に千三百世帯だった信者は、二十二年末には、一万世帯にふくれ上がっていた。 二十三年八月十一日には、新しく制定された、宗教法人令によって〈宗教法人 立正交成会〉とし、同日付をもって登記を完了し、東京都知事に届け出た。 (昭和51年08月【庭野日敬自伝】)…
59
...青年部の誕生 一 青年部の発足に当たって内容の細目ははなはだ漠然としていますが、具体的なことは逐次決めていったほうがよいだろうと思います。青年部のみなさんの精進いかんで、将来はすばらしい発展を遂げることと思います。 また、青年部のみなさんにとくにお願いすることは、物ごとすべてを善意に解釈することと、不退転の努力をなすことです。…
60
...機関誌「交成」発刊 一 戦後昭和二十三年八月に立正佼成会が宗教法人となったときの定款第一章に「社会浄化を図るため機関誌を発行する」と規定してあったのですが、これが実現して「交成」と名付けて機関誌の発刊を見たのは二十五年六月でした。 (昭和35年07月【速記録】) 機関誌「交成」発刊 二 昭和二十三年、旧本部拝殿ができたころ、すでに幹部の間から…
61
...諸施設の充実 一 その年(昭和二十三年)の暮れには、信者数一万八千世帯となっていた。 わずか二十五坪の本部兼道場ではどうにもならなかった。(中略)毎日毎日庭にむしろを敷き、ヨシズを張って、できるだけのことをしてみたが、それで追いつくものではなかった。 そこで、保谷にあった、もと軍需工場の練成道場を買い取って、移築し、本部修養道場とした。 (…
62
...会員激増 一 信者の少ないはじめのころは、一年一年が苦難の連続だったのです。しかもまた、その苦難が一面において信仰の法悦とでも申しますか、楽しい苦しみであったということもできたのです。 しいて言えば、私どもは創立当初においては、人間的考え方や常識をこえた神示と霊示による精神的修行を幾年か続けたのですが、それを信者の末端に、…
63
...地方布教 一 地方布教と名がつくほどのものは、昭和二十二年の茨城の野崎支部が最初で、その後、静岡・千葉・埼玉・神奈川・山梨・長野などがそれに次ぐ。 それも、現在のような計画的な布教ではなく、支部の発会式とか、道場の地鎮祭や落成式などにでかけたのを機会に、付近の信者たちに集まってもらい、説法をしたり、幹部指導をしたりしたものだった。 もっとも、…
64
...公益事業 一 新しい宗教といえば、世間の人びとのうちには、なんでも批判的に見たがるかたがあり、ややもすると新興宗教は現世利益を看板に掲げて、信者の数だけを増やそうとしているというように非難するのでありますが、私どもはつねづねみなさまに申し上げておりますとおり、立正佼成会の信仰はけっして病気治しや金儲けのための信仰ではないということであります。 …
65
...読売事件 一 最近、立正佼成会の発展をいろいろの眼でごらんになるかたがございまして、痛烈な批判──というよりりも攻撃せんがための攻撃を二か月余りも続けた大新聞もございます。 しかし、そのほとんどが的外れの批判であり、攻撃でありまして、立正佼成会の核心を衝いた本質的なものはないのであります。このようにたくさん頂戴したご批判の中に、あるいは二、…
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