目連よ。釈迦族の積んだ業の報いを、代わりに他に受けさせることができようか。
粗野でなく、真実を伝える語を用い、言葉によって人の感情を害することがない――そのような人を、わたしはバラモンと呼ぶ。
底の浅い小川の水は音を立てて流れ、大河の水はおのずから静かである。
世間の衆生は生に貪著して老死を厭うが、菩薩は生あれば必ず老死あることを知り、平然としている。
よく多くの人を利し、安楽を得しむる者は、最上最善なり。
如来には憂悲苦悩なし。しかも大慈悲を以て憂悲あるを現じて衆生を見ること羅睺羅の如し。
如法に生くる夫(お)と妻は 互いに愛語して かれらの福利いや栄(さか)に 安穏楽は生まれ来る
落ち穂を拾うて生き、妻を養いつつも、乏しき中から他に施すは、善業道の法を歩むものなり。
自らなせる功徳は、未来のその友なり。
恭敬(くぎょう)する相手のいないのは苦しいことである。
阿難よ。堅固な大樹でも、大きな枝が先に枯れることもあるのだ。
忿(いか)りの領に行くことなかれ。
法の集会においてなすべきことは、法について語り合うことと、聖なる沈黙である。
東方は父母、南方は師、西方は妻、北方は朋友、下方は召使、上方は聖者と思って礼拝せよ。
若いからといって軽んじてはならない。
法には、沙門と婆羅門と同じものと、同じでないものがある。わたしは、同じものはこれを取り、同じでないものは捨ておく。
人の命ははかない。智者はこれを頼みとせず、ただ徳を修めて精進し、道を求めて怠らぬのみである。
リッチャヴィ人たちよ。わたしはすでに明日、娼婦アンバパーリの供養を受けることを約束したのだ。
与える前には心楽しく、与えつつある時は心を清浄ならしめ、与え終わっては心喜ばし。
広く人を救おうという大心の灯は、大海の水を注ごうとも、嵐の烈風を以てしても、消すことはできない。