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...『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 一 仏教の教えは、たいへん難しいもののように思われています。その大きな原因の一つは、仏教の経典がいかにもとっつきにくい外見をしているからだと思います。それも無理はありません。二千年以上も前に、インドの言葉で書かれたものが、昔の中国の言葉である漢文に訳され、それがそのまま日本に伝わって現代におよんでいるからです。 仏教の経典のうちで最もすぐれたものが「妙法蓮華経(法華経)」であることは、もはや動かすことのできない定説になっていますが、今私どもの手元にある仮名まじりのものでも、難しい漢字が多く、たいへんいかめしい感じです。その解説書にしても、おおむね原典そのままの訳を書いてあるにすぎません。そして「法華経」には、幻の世界のような場面があったり、おとぎ話のような物語があったり、かと思うと非常に含みの多い哲学的な言葉が出てきたりして、なんだか現実の生活から離れた、不思議な、神秘的な教えのような気がします。それで、たいていの人が「とても法華経は深遠でわからない」とさじを投げたり、「今の世には通用しない夢のようなものだ」と、あたまから問題にしなかったりするのです。 けれども、釈尊がお説きになった当時は、そんなわかりにくいものではなかったのです。釈尊は、神がかりになって一般の人に理解できないような神秘的なことを言いだされたものでもなければ、独りよがりの考えを押しつけられたものでもありません。釈尊は「この世界とはどんなものか。人間とはどんなものか。だから、人間はこの世にどう生きるべきであるか、人間同士の社会はどうあらねばならないか」ということなどについて、永い間考えて考えぬき、そして「いつでも」「どこでも」「だれにも」当てはまる「普遍の真理」に達せられたのです。 (昭和34年10月【佼成】) 『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 二 「いつでも、どこでも、だれにも当てはまること」が、そう難しいものであるはずがありません。たとえば、「一を三つに分けたものは三分の一である」と言うことのように、だれにも理解できることなのです。「それを拝めぱ必ず病気が治る」と言うような、理性ではわからない、ただ信ずるほかはない教えとは、まるっきり違うのです。 ところが、「一を三つに分けたものは三分の一である」と言うようなことでも、わかるときがこないとほんとうにわからないものです。立教大学の教授で、有名な数学者である吉田洋三氏が、こんな思い出話を書いておられます。小学校三年生か四年生で小数を習って、1÷3=0.333…といつまでも割り切れない計算にぶつかった。しかし、実際に紙を三つに折ってみるとキッチリ三つに折れる。さあ、わからない。理屈では割り切れないのに、実際は割り切れる。さすがに後日数学者になる人だけあって、真剣に「不思議だなあ」と考えていた。すると、五年生か六年生になって分数というものを習った。「三分の一」という新しいものの見方を教わった。それが1を3で割った答えだと聞かされて、初めはなんだかバカにされたような気がした。しかし、その分数というのがたいへんに気に入って、「三分の一」と言うものを一つの数として考えようと、とても努力した。おかげで、実際に紙を三つに折ることができるのはちっとも不思議ではないということがわかった───と言うのです。 仏法も、ちょうどこのようなものです。もともとだれにも必ずわかるはずのものですが、あるところへ達するまでは、ほんの一息というところでわからない。数学でも、初めから分数のような進んだ考えを教えたらよさそうなものですけれども、小学一年生や二年生に一足飛びにそれを教えてもかえってわからないから、まず一とか二とかいう整数から始め、次に小数を教える。あるいは、「三分の一」という頭のうえだけの「考え」を教えないで、まず紙を三つに折って、「これが三分の一だよ」と言う「実際」を教える。釈尊が当時の人々を教えられたのも、ちょうどそのように、相手の理解力に応じ、理解の程度に応じて、いろいろさまざまな説き方をされたのです。たとえ話をされたり、因縁話をされたりしたのです。それで、当時の人々にはよくわかったのです。「法華経」の文章に表われている表面だけを見て、「実際にはありそうにもない幻のような世界が説かれている。とても信じられない」などと考えるのは、実に浅い読み方であって、その精神を読めば、非常に近代的な、科学的な、人間的な真理に満ちているのに驚かざるをえないでしょう。 (昭和34年10月【佼成】) 『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 三 「法華経」は当時の人々にはとてもよく飲み込めたのです。よく飲み込めたから、当時の人々の人生をすばらしいものに一変させたのです。そうでなければ、五十年の短いあいだに、あれだけ多くの人々が仏の教えに心から帰依するはずがありません。しかも、釈尊の教団は、「きたる者は拒まず、去る者は追わず」というきわめて自由なものだったと言います。法華経の方便品第二にでてくる「五千起去」もその例で、五千人もの弟子が一時に法座から立ち去っていっても、釈尊はそれをお止めにならなかった。こうして、無理に引っぱっていくことも、押しとどめることも一切されなかったにもかかわらず、みるみるうちに帰依者の数が何万何十万となっていったことは、釈尊その人のならぶ者のない感化力や説得力にもよったことはもちろんですが、何よりも教えそのものが尊く、そしてだれにもよくわかったからにほかなりません。 ところが、前に述べたような釈尊の徹底した自由主義は、その入滅後に一時ちょっと困った状態をひき起こしました。と言うのは、入滅されるときの遺言も、ただ「すべての現象は移り変わるものだ。怠らず努めるがよい」という一言だけで、だれがどんなふうに教団をまとめていけよ、というようなことは一言もおっしゃらなかったのです。残された弟子達は、地区ごとに自然なまとまりをもって、釈尊の教えを守っていました。しかし、教義の統制ということがなかったために、広いインドのそれぞれの地区で、あるいはそれぞれのグループで、教えに対する解釈がすこしずつ違っていたのです。 その違いを大づかみに言えば、釈尊がみずからよくお出かけになって説法なさったところでは、法の解釈に生き生きしたところがあり、釈尊から直接説法を聞かずに教えだけが伝わっていったような場所では、伝える人の考え方が加わって、かなり違った形式で伝えられたようです。これは、場所や人の問題だけでなく、時間的にもそういうことが言えるので、釈尊ご在世中や入滅後しばらくのあいだは血のかよった生きた教えだったのが、何百年何千年と経つうちに、ほんとうの精神が失われて、形だけしか伝えられないという結果になったのは、ご存じのとおりです。 (昭和34年10月【佼成】) 『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 四 仏の教えを新しく見直そうという動きは、今や世界全体に潮のように起こっています。欧米の進歩的な人々には、一神教にも、無神論にも、唯物主義にもあきたらず、最後に仏教に解決を求めようとする人が少なくありません。共産主義国である中華人民共和国でさえも、新しい倫理(人間の踏み行なうべき道)の原理として、仏教の教えをとりあげていると聞いています。 ほんとうに、今こそたいせつなときです。今のうちに地球上の人間が仏の教えにたちかえって、「人間の尊厳」ということをしっかりと考え、「自分と他人をともに生かす」という生き方にもどらないかぎり、人類はいっぺんに滅びてしまうことにもなりかねないのです。 このときにあたって、私が一番、残念に思うのは、仏の最高の教えのこめられた「法華経」の見かけがいかにも難しそうであるということです。そしてかぎられた人達の研究の対象か、宗教専門家達の占有物のようになっていることです。そのために、日本じゅうの人々、いな地球上の人々にほんとうに親しまれず、理解されず、したがって人々の生活の中へしみとおっていきにくいということです。 私がこの本(注・『法華経の新しい解釈』)を著わそうと考えた趣意の第一は、ここにあるのです。あくまでも「法華経」の元の形は尊重しますけれども、何よりもたいせつなその精神が、現代の人々に理解され、共感されるようにということを本意として、解説してみようと考えたわけです。 (昭和34年10月【佼成】) 『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 五 「法華経」は、一部分だけ読んだのでは理解されるものではありません。「法華経」は、深い教えであると同時に、すばらしい芸術作品でもあると言われていますとおり、お経の全体が一つの劇のように表わされています。ですから、初めから終わりまで読みとおさなければ、ほんとうの意味をつかむことはできません。ところが、あの難しい言葉の多いお経を初めから終わりまで読みとおして、その意味をつかむのは容易なことではないのです。どうしても、現代人の頭で理解できるような解説が必要なのです。私がこの本を著わそうとした第二の趣意はここにあるのです。 しかし、高度の芸術作品であるだけに、あくまでも元の形は尊重しなければなりません。また、芸術作品であるだけに、その原典(かなまじり訳でもよい)には、私達の魂にしみこんでくるような、なんともいえぬ力強さがあります。 (昭和34年10月【佼成】) 『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経』の発刊 六 私はかつて『法華経の新しい解釈』に、日本人に指導原理を与えて日本の文明を開いたのは仏教である、法華経の精神である──という意味のことを書きましたが、現在の時点においてそれが再び繰り返されようとしています。いや、繰り返さなければなりません。今後の新しい日本を築き、新しい日本人をつくり、そして人類全体に新しい幸福をもたらすのは、正しい明るい宗教でなければならないのです。 正しい明るい宗教とは、人類のすべてが希求するものに対して大光明と大目標を与え、「ここへ来たれ」と指し導くものでなければなりません。その指導原理とは、言うまでもなく法華経の教えであり、一仏乗の精神です。ですから、われわれ法華経の行者は、人生の指導者・人類の導師なのであります。われわれはそういう誇りを持ち、胸を張って世の先頭に立たなければならないのです。(中略) その意味をもって私は、かねてからの念願であった法華三部経の徹底的な解説書を、皆さんのために刊行することにしました。すでに第一巻《無量義経》は印刷にまわっていますが、これは法華三部経に教えられた真理を、科学時代の今日のすべての人に納得できるよう、そして仏教とか法華経とかいう枠の中だけでなく、世界に通用する「宗教の本義」という観点から究明したものであって、前人未踏の境地に歩み入ったものであるとの自負を持っています。私はすべての人々がこの『新釈法華三部経』に目をとおしてくださることを希望するものであります。 (昭和39年01月【躍進】)...
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...大聖堂の建設 一 満八年の永い年月、みんなで苦労しながらコツコツ造ってきました大聖堂も、ついに完成の日を迎えることができました。去る三月四日(注・昭和39年)の入仏式が終わったあと、独り七階の一隅にたたずんで尊厳の気満ちる大殿堂を見渡しながら、無量の思いに胸の迫るのを覚えざるをえませんでした。 よくぞ皆さん、ここまで私に協力してくださいました。物心両面の協力を惜しみなく注いでくださいました。もとよりこの大聖堂は、私のものでもなければ、教団のものでもありません。初めから皆さんのものであり、仏さまのものであります。 (昭和39年04月【躍進】) 海外の有名な宗教建築は一つの殿堂に百年以上を要したものが多いばかりでなく、数世紀にわたって次第に増補されて今日に至ったものであります。ローマのサン・ピエトロ大寺院をはじめ、パリのノートルダム大寺院、ロンドンのウエストミンスター寺院などはいずれもそのとおりであります。しかるに本会のように創立わずか二十七年を迎えんとする教団が、しかもわずか満八年の驚異的スピード建築でこれだけの規模と構想の大聖堂を完成しえたことは、宗教建築としては世界的にも驚嘆に値するものであると言っても過言ではないと思われるのであります。したがって皆さまの丹精の賜のこの大聖堂は、世界的なものの一つとして数えられる大建築であるという誇りを持っていただきたいのであります。 (昭和39年01月【佼成】) 大聖堂の建設 二 大聖堂が完成し、久遠本仏のご勧請をいただいて、ここに法華経の根本道場が確定したということは、私達が最終的な目標に到達したということではなく、いよいよ真の大衆教化へのスタートを切ったことを意味するのであります。 過去の歴史は「一つの教団が大きな建物を建てると、その日を境として既成化していく」と語っております。たしかに後世に残る大きな建造物を建てた教団のほとんどは、たいていそれを境に次第に活動が不活発になり、それまでの生命力に満ちた機能が老朽化しています。このジンクスを破らないかぎり、私達の使命を遂行することはできません。 私は去る三月四日のご本仏入仏式のみぎり、全国二百万会員を代表して参集なさった人々に向かって次のように申しあげました。「歴史に残る大教団のほとんどは、古今、洋の東西を問わず、伽藍の建立を契機に既成化している。世界平和、人類救済の悲願を達成するため、私達は教団既成化のジンクスを打ち破らねばならない」と。 このとき私は、さしもの大聖堂も壊れるのではないかと思えるほどの大拍手を耳にし、感激の涙を頬にしながら、「よし、やるぞ!!」と言わんばかりに紅潮した顔々々……を眼のあたりにして、“すでにジンクス打破の突破口は開かれたり”の感を強く懐いたのであります。 (昭和39年04月【佼成】) 大聖堂の建設 三 大聖堂全体に使用許可がおりるのは四月に入ってからでありますが、すでに全国各支部から参拝の申し込みが殺到し、係の人達はうれしい悲鳴をあげているようです。参拝なさるおりには、まず第一にご本尊さまの“眼”をご覧になってください。そして「仏さまはこの自分に向かって、何を仰せになろうとしておられるか」を伺っていただきたいのです。必ず何か一つは、悟らせていただけるはずです。 久遠本仏のご尊像にお目にかかるたびごとに自覚と信念を呼び起こし、己の魂の奥底にしっかりとした信仰信念が刻みこまれてこそ、真の法華経行者と言えるのであります。 とくに地方からお見えになられる人達は、ご本仏さまのみ前で自己の使命遂行を祈念し、帰られてからは、ひとりでも多くの人々にお伝えして、一度は必ずご本仏さま参拝をおすすめして、ほんとうの幸せの道を見出せるようにしてあげていただきたいと存じます。また、大聖堂内において修行される人達は大衆に法華経行者の見本を示していただきたいと思います。 (昭和39年04月【佼成】) 大聖堂の建設 四 私の大聖堂建立の基本的構想は、本会の教理をこの建築物に表徴したいということでありました。なぜかと申しますと、この大聖堂が地上にその勇姿を現わしているかぎりは、本会の教理は万古不易であらねばならぬという私の誓願の表明でもあります。 さて、大聖堂を円型にしたのは、本会の所依の経典の法華経は「円教(経)」と呼ばれて、完全円満な経典とされているからであります。この大聖堂の三階に東西から陸橋を架けました。この陸橋を私は「波羅蜜橋」と名付けたのであります。 なぜ私がわざわざこの波羅蜜橋を架けたかと申しますと、地球上の全人類はすべてもろもろの煩悩にわずらわされて、程度の差こそあれ、苦しい生活にあえいでおります。この苦しみの生活(此岸)を平和境たる涅槃の岸(彼岸)に到らしめると言うのが、「波羅蜜(Pāramitā)」の語義であり、これこそ仏教の根本義を端的に表現した言葉であるとともに、本会の特性を最もよく表現するものであると言うことができるからであります。 ですからこの波羅蜜橋を渡って、大聖堂に詣でる人達の心構えは、仏教の本義に基づいて涅槃の平和境建設のためのご法を把握するために渡る波羅蜜橋であることを、心に銘記していただきたいのであります。 (昭和39年07月【佼成】) 大聖堂の建設 五 波羅蜜橋を登りつめたところが大聖堂の三階の位置で、そこが正面玄関になっております。ここの石段を登ると、上に三枚の漆画が掛けられております。 向かって右端は獅子に乗られた文殊菩薩で、これは凡夫の智慧を捨てて仏教の本義に基づいた「文殊の智慧」になっていただきたいことを表わしているのであります。大聖堂の中にはいるには、まず凡夫的な見解を捨てて、仏教の本義を理解するという心構えになることから始められねばならぬのであります。 向かって左端には白牛に乗られた弥勒菩薩が描かれております。「慈悲」を代表される弥勒菩薩のように、凡解的な利己主義や闘争的な心の持ち方を改めて、慈悲の心に変わっていただきたいことを、私はこの画像に託したのであります。すなわち凡夫的見解を改めて、仏教的信条への精神革命を断行していただきたいのであります。 中央の画像は六牙の白象に乗られた普賢菩薩であります。「六牙」とは眼・耳・鼻・舌・身・意の六根を表わし、「白象」は旺盛なる生命力によって、六根を清浄にすることを表徴されております。ですからこの画像によって人格完成のための不惜身命の修行をせねばならぬことを、私は会員の皆さまに願っているのであります。 これを要約しますと、初めに卓越した智慧によって仏法の神髄を理解したら、次に仏教的信条に基づく精神革命を断行していただき、最後に人格完成のための不惜身命の修行をしていただくのが、ご本尊の安置してある中央ホールに詣でるための道筋であると言うことを、三枚の画像によって皆さまに示していると同時に、それがまた私の仏道修行の基礎的要求なのであります。 (昭和39年07月【佼成】) 大聖堂の建設 六 大聖堂のドームの頂上にそびえる高さ約十五メートルの大尖塔と、聖壇の上に掲げた横幅十四メートルの大菩提樹について述べておきたいと思います。 それらは共にお釈迦さまがインドのブッダガヤの菩提樹の下で悟りを開かれたことを表わしているのであります。なぜかと申しますと、お釈迦さまが開悟成道されました場所に、マハボディ寺院が建てられておりますが、その頂上にそびえている大尖塔になぞらえて造ったものであるからであります。 ですから、大聖堂の中に入って修行する会員の皆さまに、「お釈迦さまのみ跡を慕って修行させていただこう」と決定をしてもらいたいと言うのが、私の全会員に対する希望なのであります。 (昭和39年07月【佼成】) お釈迦さまのお悟りの内容は何であるかと申しますと、それこそ七階の屋上にそびえる多宝塔によって表現し奉った、四諦、十二因縁、六波羅蜜の三乗の法門であります。この三乗の法門こそ人生苦(此岸)を滅して、私達を、絶対の平和境たる涅槃の境涯(彼岸)に到らしめる唯一の修行法なのであります。これこそ人類救済の大燈明であります。これこそ人類の運命の秘密を解明する原理であり、法則であります。この原理法則の大法(真理)を大悟徹底したもうたからこそ、人間シッダルタ太子は、人間として、はたまた釈迦族として最尊至高の「釈迦牟尼」となりたまい、ここに「仏陀(仏)」となりたもうたのであります。 本会会員は釈迦牟尼仏によって初めて解明された大法に帰依せねばなりません。これを換言すれば仏に帰依し、法に帰依することであります。 (昭和39年07月【佼成】) 大聖堂の建設 七 私が会員に望みたいことは、会員が大聖堂に入って修行しようとするときは、仏と法に帰依することによって、大衆が統理されて、他のいかなる団体にも見られぬ平和境の和合衆(僧伽)が現出されねばならぬということであります。これこそ、三帰依の真精神でありますが、これを如実に大聖堂内において顕現していただきたいのであります。そしてこれを家庭から世界に拡大していただきたいのであります。これによってこそ、初めて本会が三帰依を唱和する目的も、さらにまた、私が円型の大聖堂の建立に際して、波羅蜜橋を架け、三菩薩像を掲げ、さらにまた、大尖塔や大菩提樹、はたまた宝塔などに象徴化した真意を理解していただけると思うのであります。 (昭和39年07月【佼成】) さらに重要なことは、本会の本尊はインドに降誕したもうた人間釈尊の尊像ではなく、永遠の過去から永劫の未来にわたって実在する大生命であるところの久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊(久遠本仏・本仏釈尊・寿量品の仏・本門本尊とも申し上げる)を本尊として奉安していることであります。 (昭和39年07月【佼成】) ご本尊像の胎内に納める「法華三部経」の写経は、鳥ノ子の用紙を巻物仕立てにしますので、一行十七文字詰めの五十一行が一枚となっております。最初の考えでは、寿量品一巻だけにしようかと思っていたのですが、あとで思い返して「法華経」八巻、さらに「開経」と「結経」の二巻を加えて三部経全部を書写することにしたのです。 こうして、初めの一巻、二巻を写すときにはただ早く書き上げなくてはならないという気持ちから早いスピードで書いた結果、背中が痛くなり、また少なからず疲労をおぼえました。それが三巻、四巻、五巻にかかるころから漸次、体の調子が整い、さらに六巻、七巻になるとますます調子がよく、運筆も至極楽になったのです。ことに陀羅尼品になると何だか非常に気持ちよく書写できるようになりました。ところで、私の手元にある新井先生の写経を見ましても、やはり陀羅尼品のところになりますと文字が伸び伸びとしてキレイで、ほんとうに楽しく書かれたことがわかり、時期的にはすでに二十数年の隔たりがあっても、こうして師弟共に同じような調子に書けたことに気づき、驚いたのです。こうは申しましても、何分にも細字で、しかも同じ大きさに書くために眼が疲れやすく、一時間か一時間半おきぐらいに眼を洗いながら書いたのです。そして八巻全部を写そうという気持ちになったときにはほんとうに、もし自分に使命があるのならば、たとえ眼が見えなくなってもかまわない、全部書かせていただこうという真剣な気持ちになったのです。そのうちに七巻、八巻に取りかかるようになりますと、まるで嘘のようにスラスラと楽に書かせていただくことができたのです。このようにして一行に十七文字、一枚五十一行ずつの用紙を一日平均三枚の割合で書写し、だいたい三日半で一巻を書き上げることができたのです。実際問題としまして、一字一句誤りのないように注意力を集中して筆を運んでいますと、一枚二時間は優にかかるのですから、一日に三枚書くことは肉体的にもかなり疲労するわけです。ある時には無理を承知で、運筆を早めて一日に四枚書いたこともありますが、そのような晩には興奮してなかなか眠れなかったのです。それからは努めて無理をしないで三枚平均にしますと、夜十時ごろに就寝して翌朝五時までグッスリと熟睡ができたのです。 この五十五日間の私の日課は、まず毎朝斎戒沐浴から始まりました。次いで朝のご供養をして、食事の後、八時ごろから写経にかかり午前中に一枚半を書き、午後は昼食後の一時から三時ごろまで、日盛り炎天下の山坂道を散歩して帰ってきますと、不思議にもかえって腰がしっかりとして、筆の運びが楽で、疲労も少なくなったのです。もっとも写経の初めのうちは、筆を持つ右手はその割合に疲れないのに、肘を曲げてただ巻紙を押さえているだけの左手が疲れるのでした。こうして私は法華経八巻、すなわち字数にしまして六万九千三百八十四文字を、私の年齢五十五と同じ数の五十五日間で書き上げることができ、あとは「開経」と「結経」の二巻だけ書けば、私の所蔵しております“国宝・藤原基衡の写経”と同じく、法華経十巻の書写が完成することになるのです。 (昭和35年10月【佼成】) 大聖堂の建設 八 ご本尊を間近に拝すればわかると思いますが、中央のご本尊像を中心にして、雲舟型光背の上には多宝塔中の多宝如来と、向かって右上に上行菩薩、右下に無辺行菩薩、左上に浄行菩薩、左下に安立行菩薩などの四大菩薩を配しております。 すなわち中央の釈迦牟尼仏はインドにおける人間釈尊ではなく、永劫の大生命体であり法宝・法則であり、全人類の帰依尊崇すべきご本尊ということであります。このようなご本尊の表現形式はこれこそ法華経の虚空会の説相であり、寿量品の仏の表現でもあり、さらには日蓮聖人の確実なご遺文のご指南を芸術的に表現したものなのであります。したがって三国仏教史上に未曽有のご本尊と言えるのであります。この意味において、本会は単なる釈尊のご本懐を顕現し奉る仏教教団に止らず、人種や国境や時間を超越して全人類の帰依し信仰せねばならぬ大法を、身・口・意に行ずる大使命を有する教団であると自覚するものであります。 これを要するに、われわれは不惜身命の大勇猛心をもって精進させていただき、そのすべての心構えや行動が久遠本仏のみ心にかなった八正道(正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定)の軌範に則った人格完成の大目的に到達せねばならぬのであります。大聖堂の周辺に八つの円型の小塔を建てたゆえんもここにあるのであります。 (昭和39年07月【佼成】) 大聖堂の建設 九 信者の皆さんからはこの八か年の間、大聖堂建設のために真心からの献金とお力添えをいただきました。その中には毎日のおかず代を十円ずつ倹約して、献金を続けてくださった奥さまがたもございました。また、新聞配達をして働いた汗の結晶の中から、毎月百円ずつを大聖堂建設に奉納してくださった少年もいました。そしてこの少年は献金の領収書が、毎月一枚ずつ増えていくのを何よりも楽しみにして働かれたと聞いております。そうした枚挙にいとまのないほどの皆さまの善意の一つ一つが、きょうご覧いただけますような成果に結晶したわけでございます。小さな善意と心がけとが集まってこのような大事が成就したことを考えますとき、人間の和の力、共同の力の強さとすばらしさを、私はつくづく感じるのであります。 (昭和39年05月【速記録】)...
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...第二バチカン公会議への出席 一 私は若いころから、あらゆる宗教は手を握り合って進まねばならないという信念を持っており、とくに立正佼成会を創立してからは二十七年間、常にそれを念願し主張し、実践し続けてきました。 ところが、こんどバチカン公会議に異例の招待を受けて出席し、教皇にお目にかかっていろいろと話し合った結果、ますますその信念を強め、これこそ自分に与えられた天の使命であるという決定を新たにしたのであります。 (昭和40年11月【躍進】) 教皇パウロ六世にお会いしたのは、十五日(注・昭和40年9月)の夕方でした。私は合掌して「公会議に列席の機会をいただき、感謝しています」とごあいさつしますと、教皇は「お!」と感嘆の声を上げて、両手をさし出し、白い数珠を持つ私の手をしっかと握りしめられたのです。私も思わず、教皇の手を両手で握りしめ、固い握手をかわしたのでありますが、「よくきてくださった。私は日本に対してとくに関心を持っています。“アジアのなかの日本”の動きに大きな期待をかけ、あなたの今後の努力を祈っています」と、教皇は最初から最後まで握った両手を放さず、眼を輝かせて、信教の自由と世界平和の問題に対して語り続けられました。 この固い握手は、仏教とカトリックの協力・友好・相互理解を言葉を超えて、それ以上に温かい血のかよったものとして象徴しているのであります。しかも「宗教協力の必要性」について、双方の意見がまったく一致したことは、このうえなく喜ばしいことでありまして、私はこのことを生涯忘れずに“二大宗教のかけ橋になろう”と、遠く離れた日本を思い、立正佼成会を思い、胸に万感の決意を深くしたのでございます。 パウロ六世との話し合いを通じて、私は仏教もカトリックも、その本質は同じであると感ぜずにはいられませんでした。キリストが説いた神の愛も仏教の大慈大悲も、少しも変わりがないという、大きな心を教皇は持っておられます。言葉や説き方は違いますが、本質的なもの、つまり、人間が平和になる道や人間の生きる道はなんであるかという点など、まったく同じで、お釈迦さまが「二もなく三もなく、みな一仏乗である」とおおせられたそのお言葉が、このたびほど身にしみて感じられたことはありませんでした。 会見の終わりに教皇から、「あなたのやっておられる尊い行動には、必ずや、神のご守護がかかるでしょう」というお言葉をいただきましたが、この会見は神と仏のご照覧によってなされたのでありましょう。私は、このことによって、自分に課せられた使命の重大さを痛感するとともに、立正佼成会の使命、さらに会員ひとりびとりの使命の大きさを、いままで以上に強く感じたのであります。 (昭和40年11月【佼成】) 第二バチカン公会議への出席 二 私は公会議への出発に際して、「批判する気持ちでなく、謙虚に素直な気持ちで出席してまいります。そして、全知全能の神が私に何をおさずけくださるか、それを有り難く受けてまいります」と話しました。また、皆さまに対しては「自分達の信仰といった小さな信仰観や立正佼成会のための教団といった考えから脱皮しなければならない」と申し上げました。 私は公会議出席中も、教皇パウロ六世にお会いしたあとでも、この二つのことをヒシヒシと胸に感じ、その決意をなお新たにした次第です。同時に、本会の使命の重大さをよりいっそう痛感いたしました。 (昭和40年10月【佼成新聞】) 第二バチカン公会議への出席 三 バチカン公会議は、九月十四日午前九時から開会式が行なわれましたが、その三十分前に、サン・ピエトロ大聖堂内には、全世界から集まられた二千五百名の司教が、目も鮮やかな正装に威儀を正し、粛然として、所定の席に着かれました。やがて九時、高さ百三十二メートルの大ドームに、讃美歌の妙なる調べが満ちあふれ、おりからステンドグラスが虹の光をさっとさしかけるその中を教皇パウロ六世は、十二人の使徒に囲まれて静かにお出ましになり、その中央で厳粛にミサがとり行なわれました。 私はミサの行なわれるすぐそばに席をいただき、その様子を手にとるように拝見させていただきましたが、その荘厳さ、見事さは、一堂に会する者の全身を感激で貫き、そのまばゆいばかりの立派さに、私はまさに“仏国荘厳”の情景もかくありなんと思うとともに、眼のあたりにする厳粛な儀式から、千九百六十五年の伝統を持つキリスト教が、一面「殉教の歴史」と言われたほど苦難の多かったことに思いを及ぼしたのであります。 ユダヤがローマ帝国の支配下にあったときに出現されたキリストの殉難はもとより、歴代の教皇の中には、時の権力者からの迫害や法難に遭って、殉死されたかたが現在までに六十五名、とりわけ三世紀のころまでには、三十数名にのぼるということであります。また、今回公会議の行なわれた寺院は、使徒ペテロが十字架にかけられたところと承りましたが、寺院の壁や天井には、殉死したペテロの一代を物語る絵が、一面に描き連ねてありました。 キリストの第一弟子ペテロは、暴君ネロの弾圧と残虐きわまる迫害から、一時、身をかくす決心をして、ローマを後に、杖にすがって歩きはじめました。すると急に、金色の輝きが空を染めて、キリストが出現したのです。ペテロは驚いて、 「クオ・バデス・ドミネ?」(主よ何処へ行きたもう)と問うと、 「なんじが我が民を見捨てんとする故、われは再び十字架につけられんとてローマに行く」という声が、悲しく爽やかに響きました。 この言葉に、地に平伏していたペテロは“はっ”として立ち上がり、七つの小山の都、ローマへと引き返し、心揺ぐ人達の魂を、命を捨てて、イエス・キリストにしっかと結び着けたのであります。そして、処刑されるにあたり「弟子の私が、師キリストと同じ形では不遜であります」とみずから願って、逆さまに十字架に着きましたが、常に謙虚って身を屈めていた漁人のペテロが、死に臨んでの端厳たる態度は雄々しく、群衆は悲しみを忘れて死の刹那を祝福し、「ウルビ・エト・オルビ!」(この都よ、この世界よ!)と叫んだのであります。 こうして、永劫の輝きは、バチカンの山の間に停ったのでありますが、命をかけて法を護り、法を伝えた人々の強い信念と厳しさに私は深く感激し、正法を護持する者は、この不自惜身命の精神に徹しなければならぬと決意を新たにする思いでございました。 (昭和40年11月【佼成】) 第二バチカン公会議への出席 四 カトリックでは、教皇の権威は絶対的なものです。教皇はキリストに成り代わって、神の権威を受け継ぐ人なのです。ですから、教皇の発表されたものは、全世界の信徒がその教えどおり実践するのです。教皇の言葉が絶対であるからでしょう。したがって教皇は発表や指令には慎重のようでした。バチカン公会議を招集して世界の動向にどう対処していくかを検討するのも、その現われなのです。 しかし私は、その絶対者とも思える教皇の謙虚な態度にうたれました。開会式のときに教皇パウロ六世は約一時間にわたってあいさつされましたが、その中で「あらゆる人種、あらゆる宗教の人にも、神の愛は平等に与えられなければならない」と言われました。また「いたらない者であるが、自分はカトリックのおきてに従ってキリストに成り代わって教皇を務めるのだ」という謙虚な態度であったのです。 神の権威を押し付けることもなく、実に謙虚でした。その半面、キリストの使いであるという自分の使命、職責に対しては強い自覚を持っておられるようでした。 私は、教皇のお言葉を、有り難く拝聴したのです。 (昭和40年10月【佼成新聞】) 第二バチカン公会議への出席 五 今や世界は“宗教協力”の大理想に向かって、確固たる歩みを進め、仏教徒がキリスト教徒のために祈り、キリスト教徒が仏教徒のために祈りをささげるようになったのです。 (昭和40年11月【佼成】) 日本においても、仏教関係の宗教協力という段階から、広くキリスト教との協力も必ず推し進められるものと確信しております。ローマでは日本の司教団と話し合いをして、意見の一致をみたことから、また教皇のお考えから見て、それは当然のことでしょう。 二十七年間の立正佼成会を中心とした活動、さらには四十年間の宗教生活、六十年の生涯をかけて積み上げてきた“宗教協力”という大理想が、今着々と築かれようとしております。今回の公会議出席によりまして、その信をますます深めてまいりました。教皇からも「ますますご精進を……」とのお言葉をいただきました。 しかし、教皇のお言葉は、私には、教皇をとおして“庭野よ、まだ怠っているところがあるぞ、もっと精進をしろ”という神のお言葉に受けとれたのです。その神のお言葉は、本会の使命を改めて自覚させると同時に、私の胸に深く響いてまいりました。私達は自分の悩みは一応解決し、社会もその教えの尊さを認めてくれるようになりました。今回の公会議招待によってそれを神も認められたのです。 (昭和40年10月【佼成新聞】)...
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...政治浄化 一 人間の心を正しく、明るく、豊かにする〈宗教〉と、人間の現実生活を正しく、明るく、豊かにする〈政治〉とは車の両輪であって、どちらを欠いても社会はアンバランスな状態に陥るのです。 これは、一家の中にたとえて考えれば、よくわかることと思います。父はよく働いて豊かな収入を得、母はじょうずに家事の切り盛りをして、子ども達に不自由をさせない家庭があったとします。いわば〈政治〉のよく行なわれている家庭です。ところが、父も母もそういう物質的な豊かさと、技術的な家政の巧みさだけを持っていて、心は冷たく貪欲でとげとげしい人だったとしたら、その家は果たして幸福な家庭と言いうるでしょうか。近ごろ非行少年が何不自由のない家庭から多発する事実が、このことをハッキリと物語っています。 その逆の条件も、やはり幸福な家庭をつくるものではありません。どんなに清らかな美しい心を持っていても、父は一向に働かず、人に欺されてばかりいて一家を食うに困らせ、母は家中をゴミだらけにし、料理一つ満足にできないというのであれば、おせじにもよい家庭とは言えますまい。 一国にしても、一地方自治体にしても、それとおんなじです。宗教は心の面から、政治は現実生活の面から、ともどもに住民の幸福を推し進めていかなければならないのです。両方の力がうまくかみ合い、渾然一体となって上向きのエネルギーとなり、そのエネルギーが世の中全体をたえずグイグイと押し上げ、引っぱり上げていってこそ、ほんとうの意味のよい社会が現出するのであります。 (昭和43年07月【躍進】) 政治浄化 二 人間もイキモノの一種である以上「物」から離れることはできません。いかに「心」が立派でも、「物」がなくては生きていくことはできません。お釈迦さまのような聖者でもやはり最小限の衣服は身にまとわれ、最小限の食事は取られ、病気をなされば薬を召し上がり、ケガをなされば耆婆の手術を受けられたのです。 ところで、お釈迦さまのようなかたならば「心」が最高であるゆえに「物」は最少、最低でもすんだのですが、われわれのような平均的人間は、とうていそのまねはできません。「心」と「物」との両面が平均して豊かであってこそ、安らかな楽しい生活ができるのです。そこで人間社会には、宗教が必要であると同時に、政治もなくてはならないのです。ですから、宗教者といえども、決して政治に無関心であってはならないのです。ましてや、われわれ在家の信仰者は、すすんで関心を大きく持ち、積極的に政治を正すという姿勢を取らなければなりません。昔から「宗教者は政治にかかわってはならない」と言われてきていますが、それは古い時代の封建的な独裁的な体制下における戒めであります。そのような体制下における政治権力者に宗教者が近づき、それと癒着するようなことがあれば、必ずその宗教が本来の使命を忘れて、一つの権力に堕落してしまうからです。 ところが、現在の日本のような民主政治の国においては、国民ひとりびとりが国の主人公なのですから、いかなる人といえども、政治にかかわらざるをえないのです。政治にかかわらない人は国民としての資格を欠くと言われても仕方がないのです。 (昭和52年06月【佼成新聞】) 政治浄化 三 今の時代は、人類のあらゆる階層が、あらゆる英知をふり絞って、どうすれば地球上に生きながらえ、共存共栄することができるかという方途を必死になって考えなければならないときです。そして、その方途がつかめたら、人類みんなが一体となって、その実現のために、ありとあらゆる努力を傾けなければならない時です。 昔のノンキな時代なら、政治が気に入らぬと言って野に隠れたり、世の中がイヤだと山に籠ってしまったりしても、その人はそれなりに幸せな一生を送ることができたでしょうが、今はそんなエゴイズムは通用しません。山奥に隠れても、死の灰が上空から降ってくることもありましょうし、離れ小島に逃げても、釣った魚が毒物に汚染されていることもありましょう。世界は狭くなったのです。そして、われわれは、しょせん、この地球丸という狭い船の中で暮らすほかはなく、逃げも隠れもできはしないのです。 逃げも隠れもできないからには、みんなが力を合わせて、この地球丸が沈没しないように、安全な航海が続けられるように……と、精いっぱい工夫するほかないのではないでしょうか。その工夫を結集し、討議し、最善の方途を決定し、そして実施していくのが政治の場なのですから、今となっては、ただのひとりとして政治に背を向けてはならないのです。どんなに現在の状態が気に入らなくても、政治を放棄してはならないのです。それを放棄することは、みずからの生存を放棄することであり、人間の仲間から出て行くことになるのです。 (昭和49年06月【躍進】) 政治浄化 四 立正佼成会は宗教団体であります。信仰のうえにおいては、異体同心の堅い団結を形づくっています。仏・法・僧の三宝に帰依し、その三宝のためには身命をも惜しまぬという点においては、われわれは一枚岩であります。しかし、政治とか選挙とかいう問題については、しかるべき人を推薦したり後援したりすることはあっても、最終的には個人の意思を尊重するのが会としての建て前であり、それが民主主義の大道でもあると確信するものであります。 (昭和46年09月【佼成】) 立正佼成会はどの政党を支持するのか、という質問が、外部の人からも内部の人からもよく出されます。はっきりお答えいたしましょう。立正佼成会はどの政党をも固定的に支持はいたしません。なぜならば、立正佼成会は仏法の真理のみに絶対忠実でありたいと願う団体であるからです。 そもそも仏法の真理とはどんなものかと言いますと、根本仏教の三法印にしても、法華経で説かれた諸法実相(十如是)にしても「われわれが住んでいる現象の世界に絶対の存在はない。すべてのものが因と縁によって生じ、滅し、またすべての存在がお互いに関係し合い、影響し合いつつ変化するものである」と説き、そして、「現象世界のすべてが変化し、流動するものであるからには、それを正しいほうへ、善いほうへ、美しいほうへと変化・流動させるのが、人間としての当然のあり方である」と教えられているのです。 この世に絶対なものはないのです。ただ「現象世界に絶対なものはない。すべては相対的な存在だ。だからこそ、それを正しく善く美しくすることができるのだ」というこの真理だけが絶対なのであります。われわれが特定の政党を支持しないのも、それが絶対ではないからです。絶対でないものと固定的なつながりを持つことは、真理に背く行為であります。真理に背けば、堕落し失敗することは必至なのです。 そこでわれわれは、どの政党でもどの政治家でも、他と比べてより正しく善く美しいものはこれを支持し、またより正しい、より善い、より美しい政治をするように支援し、すこしでも仏法の真理をこの現実世界に顕現せしめようと願うのであります。 相手が変わることがあっても、この基本的態度だけは不変なのであります。 もう一つ言っておきたいことは、われわれは決して急がないということであります。民主主義とは、時間と手数のかかる、たいへんノロマなものです。なぜならば、必ず大勢の人の考えを聞き、たとえ少数意見であろうとそれに耳を傾け、糺すべきものは糺し、その中から「これこそみんなのためになることだ」という方針を煮詰めていくのが民主主義の進め方であるからです。 こういう進め方は、たいへん時間と手数のかかるものですが、それだけに大きな失敗がありません。小さな失敗はあるにしても、国民大勢の意見に基づいてやったことですから、ある程度の納得ができます。また、やり直しもききます。ところがヒトラーやムッソリーニや東条首相がやったような独裁政治となりますと、政策を打ち出すのも早いが、それが実行されるのも迅速果敢で、うまくいくときは実に見事な成果を上げるのですが、しかし、失敗すれば取り返しのつかない、壊滅状態に陥ってしまうことは、皆さん痛いほどご承知のことと思います。 お釈迦さまは徹底した民主的なおかただったそうですが、その教えを正しく受け継いでいる立正佼成会会員は、現実生活の面においてもあくまでも真正の民主主義を貫かねばなりません。急がず焦らず、信ずるところに従って行動しなければなりません。 (昭和46年09月【佼成】) 政治浄化 五 われわれ信仰者は、どのようにして政治に参加すればいいのでしょうか、私は、次の三つの行き方があると思います。 一つは宗教が教える天地と根本道理を常に堅持し、現実の政治をもその根本道理の軌道に乗せるよう、積極的に世論を盛り上げていく努力をすることです。つまり、正法を世の底辺に広く浸透させ、その大きなマス(塊り・多数)の力によって、政治をも正しい方向へ導いて行こうというのであって、これは信仰者として最も正統的な行き方であります。そのためには、政治の動向をよく監視し、もし根本道理に外れて大多数の人々を不幸に陥れるような立法や行政があったならば、敢然とそれに抗議する行動性をも持たなければなりません。 監視とか、抗議とかは信仰者としてはイヤなことだと考える人があるかもしれませんが、これは民主主義社会の一員として当然の行為であり、それに罪悪感を持つのは、一種の感傷に過ぎません。明らかな不法に対して「泣く子と地頭には勝てぬ」とか「長い物には巻かれろ」的な態度でスクんでいるのは、かえって道理に対する裏切り行為であると知らなければなりません。とりわけ、行動的信仰者(菩薩)たらんことを信条とする法華経行者は、日蓮聖人の国家諫暁に見られるような、不惜身命の勇気を持たなければならないのです。 ただし、そのような行動についてぜひ心得ておかなければならないのは、あくまでも「理法によって非法を糺す」という立場を貫くことです。小さな利己心に動かされてはならない、ということです。地域エゴ、職域エゴ、集団エゴ、階級エゴなどにそそのかされて成す政治活動は、それこそ信仰者の純粋性を傷つけるものであると知らなければなりません。靖国法案に対して、宗教界の大半が抵抗しつつあるのも、信教の自由を擁護し、政教分離の鉄則を守り、国のファッション化への危険を防止するという大乗的な見地から出ているものであって、これなどがいい見本だと思います。 さて、第二は、立派な信仰者で、しかもすぐれた識見と手腕を持つ人を、われわれの後押しで政界に送り込み、ともすれば物質と権力にとらわれがちなその世界に、人間らしいスガスガしい空気を吹き込み、「正法に基づく政治」の足がかりをつくることです。 投票は国民の義務です。その義務を遂行するに当たっての基本的心構えが、「立派な人を政界に送る」ことであるのは、今さら言うまでもありません。ところが、現実はなかなかそのとおりにはいっていません。地域エゴ、職域エゴ、集団エゴ、階級エゴに基づいたり、あるいは人気というハカナイものに動かされたり、いずれにしても、第二義的なものを選択の基準にしている向きが多いようです。 それも無理からぬところがあります。と言うのは、たとえ「正しくて、立派な人」と信ずる候補者がいても、「自分ひとりがあの人に投票しても、どうにもなりはしない」というようなケースが多々あるわけで、ついそうした立派な人よりも当選の見込みのある次善・三善の人に投票することになります。次善・三善ならばまだいいのですが、もっと低劣な候補者に一票を投ずることもありえます。残念至極なことなのですが、現実はまだそういったところに低迷しているのです。 その点、われわれは大きな組織を持っています。四百万会員の和の力を持っています。この組織と和の力によって、この人ならばという人物を政界に送り込み、仏法の正しい道を政治に反映させることができます。そして、そうすることが、われわれの信仰を実生活の上に開顕し、広く大衆を救う道のたいせつな一つなのであります。 さて、第三は、自ら政治を担当しようという意欲、もしくは自信、あるいはそのような因縁にめぐり遇った人は、ドシドシ政治の世界へはいって、仏法を世法に生かす直接の働きをすることです。 もちろん宗教の専門家は別です。聖職一筋に貫きとおさなければなりません。しかし、在家の信仰者はしかるべき要因に恵まれた場合、右のような進出をするのが当然でありましょう。アショーカ大王は、侵略と殺戮を繰り返していたある日、フト自分のやっていることの罪深さを悟り、翻然として仏教に帰依しました。もしそのとき、頭を丸めて出家し山林に隠遁してしまったとしたら、以後三十六年間のインド亜大陸のほとんど全域にわたる見事な善政と、それに伴う文化の発達が、今日までも脈々と生きている精神的影響は残しえなかったことでしょう。(中略) 真理は、それが実際に開顕されてこそ初めて価値を生じます。仏法も、それが世間の中に働き出してこそ、人を救い、社会を明るくする力となるのです。そして、世間の中に働き出す道はいろいろありますけれども、政治は教育と並んで、その最重要なものの一つであります。 (昭和49年05月【佼成新聞】) 政治浄化 六 日蓮聖人の《立正安国論》は、七百余年前の鎌倉時代に、幕府の政治を正して国家・国民を泰山の安きに置こうというお気持ちで書かれたものです。大聖人六十年のご生涯そのものも、この立正安国の思想で貫かれたと言っても過言ではないのです。日蓮聖人が用いられたお言葉の“安国”という意味も、現代的な解釈をさせていただけば、安泰という平穏で静的な状態から、さらに積極的な国家の繁栄に進む動的な意味ではなかったかと考えられます。 それには先ず、正法すなわち法華経の教えによって時の政治を正すということであったはずです。封建時代にお生まれになった日蓮聖人は、国家諫暁を堂々と実行なされ、時の為政者を折伏しようとされたのです。しかし、今日の時代は七百年前と違い民主主義の世の中ですから、為政者の行なう政治を正すと同時に、国民大衆を正しく教化することが国家に繁栄をもたらす前提であり、また要諦でもあると思うのです。民主政治とは主権在民の政治ですから、むしろまず選挙権を持つ大衆を正しく導いて、人格、識見、手腕共にすぐれた立派な人物を議政壇上に送り、正しい政治が行なわれるように努めなくてはならないと思います。 (昭和37年02月【佼成】) 政治を正すことがいかに大事であるかについては、お釈迦さまも多くのお祖師さまがたもそれぞれにおっしゃっていますが、中でも口をきわめてそのことを教えられたのは日蓮聖人でした。聖人は、政治の悪い国からは諸天善神が去ってしまうと言われ、善神が去った国では悪神があばれて、災難ばかりが起こると説かれました。先師、先哲はそのように、政治とのかかわりあいのたいせつさとそのかかわり方をわれわれに教えておられるのであります。 民主主義時代の今日、ひとりびとりが主権者です。つまり、われわれのだれもが国の政治のかじ取り役です。ですから、私どもは進んで政治に参画し、立派な人を政界に送り出すことによって、安泰の国をつくり、ひいては世界のために貢献すべき使命を帯びております。また、そこまでいかないと仏さまのお弟子としてのお役を果たすことができないのであります。 (昭和52年【求道】83集) 政治浄化 七 宗教は人間の心を改造するものです。そして、宗教によってすべての人間の心を、しかも完全に改造することができたあかつきには、たしかに人間の物質的な面も変容し、この世はすばらしい寂光土に変わることでしょう。 しかし、だからと言って、そのような理想の境地に達するまでの永い永いあいだ、現実の問題をすっかりたな上げしていていいものでしょうか。 もちろん答えは「否」です。国民が飢えないためには経済という栄養が必要ですし、社会が病まないためには政治という処分が不可欠です。ですから、信仰者といえども、経済とか政治のような現実の問題から離れることはできず、したがって無関心であっていいはずはありません。信仰者の集まりである宗教団体としても、やはり同然であります。 かと言って、宗教団体が政党を持ち、直接政治にタッチするのは明らかに邪道です。なぜならば、政党を持つことは権力への野望につながり、権力への野望は宗教の尊厳さを次元の低い世俗の力にすり替えるものにほかならないからです。権という語は〈仮りの〉という意味を持つ言葉です。ですから、権力と言うのは、人間に与えられた仮りの力にすぎません。いつかは必ずそれを失い、他へ譲り渡さねばならぬのが、権力の持つ運命です。 宗教者は、そのようなハカナイものを望んではなりません。永遠に変わることのない真理によって人々を救い導く、永久に失うことのない法の力をこそ望まねばならないのです。そういった高次の力を保持して〈三界の王〉とならなければならないのです。 そこで、現実にわれわれがなさねばならぬことは、正しい信仰を持ち、しかも政治的な力のある人を、なるべく多数政界へ送りこむことによって、政治を正しい路線に乗せることです。それも、個人個人をバラバラに送りこんだのでは、大勢を動かすような力とはなりえません。なんと言っても、政党というまとまったエネルギーに期待をかけ、それを活用し、それを育てていかなければ、理想を現実化することはできないのです。 (昭和42年05月【佼成】) ご承知のように宗教の本性は行動することにあります。「是の経は本諸仏の室宅の中より来り、去って一切衆生の発菩提心に至り、諸の菩薩所行の処に住す」と無量義経十功徳品第三にありますように、行動、つまり菩薩行のあるところに仏は住するのです。立正佼成会のご本尊が立像であるのも説法教化して歩く“活動の宗教”を意味しているのです。ですから、菩薩行で政治を浄化し、世直しをしていく──これも、われわれ信仰者の使命であるのです。 そのためには、世の中の人をほんとうに幸せにしたいという心で、毎日の生活が仏さまの教えのごとく行なわれるように指導すれば、その会員は救われ、みずから喜捨できるようになるのと同じように、世直しの場合も、信仰で救われた家庭を多数つくり、その人々が世直しに自発的に立ち上がるような、手どりの徹底を図ることがたいせつです。世直しが菩薩行であり、使命であり、そこに生きがいがあると感ずる人の輪を広めていかなければ世直しはできません。 (昭和52年02月【佼成新聞】) ...
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...明るい社会づくり運動の推進 一 自分の住む社会がほんとうに平和で明るいものであってほしい、と願わない人はありません。地球上の一切の人がこぞって、そういう願いを心の底に持っているはずです。ところが、願いというものは、ただ心の底にボンヤリと持っているだけでは、かなえられるものではないのです。ボンヤリと願うのでなく、強く願わなければなりません。それも、おりに触れて衝動的に願うのではなく、常に継続的に願わなければなりません。このように、強く常に思い願うことを“念ずる”とか“念願する”と言うのです。 さらに、もう一つたいせつなことがあります。それは、社会を明るくするというような善い願いを持ったなら、その一端の一端でもいいから、とにかく行動に現わすことです。行動に現わさなければ、いくら心に念じてもついに空しい願いに終わりましょう。どんなさ細なことでもいい、行動に現わすことによってこそ、胸中の念願は世間の一隅を照らす燈となってともるのです。 ところが、世間の現実はどうかと言えば、濁ったエゴの風が荒々しく渦を巻いていて、一握りの人間の善意による小さな燈など、すぐにも吹き消されてしまいそうに思えます。ほんとうに吹き消されはしないのですけれども、世間の汚濁とエゴの量のものすごさに圧倒されて、みずから「ああダメだ」と感じるのです。そしてみずからあきらめ、燈を消してしまうのです。たいていの社会奉仕的運動が中途で挫折するのは、このような内的危機を乗り越えられないことが原因となっているケースが多いと思います。 では、どうしたらそのような危機を乗り越えることができるのか。道はただ一つ、「バカになること」です。バカになるとはどんなことか、打算を捨てることです。自分の骨折りの量と、それによって得られる効果の量とをテンビンに掛けて考えないことです。つまり、はからい心を捨て、我を捨てることです。東洋人として最初にノーベル賞を受けたインドの詩人タゴールは、「ほんとうの幸せに達するには、あたかもランプの油がおのれを燃やすことによって光となり、光となることによっておのれを生かすように、愛による自我の放棄がなされねばならぬ」と言っています。こうした放棄をなすことを、私はわかりやすく「バカになる」と表現するのです。 ところで、われわれ信仰者はこの「バカになる」ことに慣れています。われわれが一般の善意ある人々と少しばかり違うところがあるとすれば、この一点だけだと考えてもいいでしょう。ですから「明るい社会づくり運動」のようなキャンペーンでも、われわれが水先案内となり、縁の下の力持ちとなって事を進めれば長続きもし、長続きしているうちに効果も現われてき、しかも条件がそろえば爆発的なエネルギーともなるのです。 (昭和49年10月【佼成新聞】) 明るい社会づくり運動の推進 二 明るい社会づくり運動をはじめてから、今年で四年目になると思いますが、皆さんの努力と創意工夫によって、いろいろな形で運動が展開され、それぞれに成果をあげておられることを、たいへんうれしく思っています。これは、会としては半永久的な、いや考えようによっては、まったく永久的な仕事と言ってもいいわけですから、今年もますます強力に推し進めていっていただきたいと念願しております。 そこで、その実践の具体的方針について、私にも一つ提言したいことがあります。それは“会員の各家庭が、向こう三軒両隣とほんとうに仲よくし、心と心の結びつきをつくりあげてほしい”ということです。これが明るい社会をつくる一番の基礎であり、大本であるからです。 (昭和47年02月【佼成】) 社会が明るくなるとか幸せになるとかは、つまるところ心の問題ですから、物や形に現われる結果は、実は、さほど問題にならないのです。社会を幸せにしよう、という活動をする人によってはその活動自体に、すでに幸せが宿っているのです。また、一般の人々がそのような奉仕活動をしている集団のことを見聞して、「ああ、美しいなあ」と感じたならば、それだけで、もうその人には幸せの芽生えが生じているのです。《四十二章経》の第八章に、次のような一節があります。 「人の道を施すを観て、之を助けて歓喜すれば、亦福報を得ん」 布施の中でも一番尊い法の布施をする人を見て、「ああ、りっぱだなあ」と感動し、随喜するだけでも福報を得る、と言うのです。ましてや、いささかでもそれに手助けをし、手助けをしたことにみずから歓喜を覚えるならば、その人の得る福報は、実に大いなるものがある、という教えなのです。 これでもよくわかるように、物や形に現われる結果は第二義的なものであって、善い奉仕をなすことによって、みずから感ずる生命の充実感、善事をなす人を見て覚える清らかな感動、また、善事の手助けをすることによっておのずから起こる歓喜、これらが第一義的な幸せなのです。同じ章の後段で、仏さまは次のように説かれています。 「炬火の、数千百人おのおの炬を以て来り、その火を取けて去り、食を熟き、冥を除くも、彼の火は故の如くあるが如し。福も亦之の如し」と。 法の布施をなす功徳というものは、ちょうど火を分けてあげるようなものだ。燃えている炬火の所へ、数百、数千人の人々が炬を持ってきて火をつけて帰り、その火で煮炊きをしたり、暗闇を明るくしたとしよう。それでも元の炬火は、やはり赤々と燃えている。福(功徳)とは、このようなものなのだ……と言うのです。 まことに、お釈迦さまが、私どもの「社会を明るくする運動」を激励なさるためにわざわざ説いてくださったのであろうかと思われるような教えではありませんか。 さあ、お互いひとりびとりが炬火となって赤々と燃え、地域の一隅を照らそうではありませんか。そして、その火を地域社会の人々が取りに来るのを歓迎しようではありませんか。人々がつけて帰るその火こそが、社会をいっせいに明るくするのです。 (昭和49年08月【佼成】) 明るい社会づくり運動の推進 三 住みよい郷土を築くということは、だれもが心に思ってはいても、いざ実行に移し、所期の目的へ向かって努力するとなると、それはきわめて困難なことであります。それを皆さまが地元の人達と胸襟を開いて素直な話し合いを重ねられて、しかも一生懸命になって明るい社会づくり運動に努力をされた結果、朝野の名士の心を動かし、またこの運動の趣旨に対しましても、広く賛同を得ることができたわけであります。同時に私どもの日ごろの精進をとおして、土地の識者から本会の宗教活動に対する理解を深めていただいたということも、この運動の特徴の一つと言えるでしょう。 私達が生活する上で直接、利害関係を伴わないこの種の運動は、国家権力をもってしても、人々の心を揺り動かすことは難しいのであります。それだけに、正常な形で社会を明るくする運動の、活動の伴った組織づくりが国民の間から盛り上がり、全国の津々浦々にまで広がったならば、これはすばらしいことであります。よく“歩のない将棋は負け将棋”と言われますように、地域の指導者の意図にピタリと添った趣旨と活動が人々の心にまで浸透し、大衆の力とならなければ、住みよい社会をつくることはできません。大衆の力は、人と人との信頼のなかから生まれるのです。 最近の親子の断絶や人間疎外という言葉の生まれてくる原因は、すべて相互不信によるものです。現代の世相は人の善意が素直に受け入れられないで、まず相手の腹を疑ってかかる不信が先に立っているのです。(中略) 明るい社会づくり運動をとおして、社会に奉仕する純粋な信念に基づく行ないを進めれば、世間は住みよくなりますし、その言行が周囲の人々のためになるだけでも功徳であると思うのです。 善因善果を理解して、善行を重ねている人は、いつも気分がさわやかであるし、善行による喜びが、次の行動を推し進める強い迫力となって、その人自身の向上にもつながるのです。善は悪より強いものであります。善に基づく行ないが人と人との信頼を生み、人々の心を開くのです。開かれた心に、仏さまの教えを示し、人間らしい歩みをともに歩む、開示悟入こそ、私ども仏教徒の目ざす修行の根本なのです。 人間が人間の世を信じ、人を信じ、神仏を信じて生きる、そうなるためには「人は法によって貴し」という言葉のとおり、人が貴くならなければ、神さま仏さまは尊くならないのです。私達は人間というヒナ型をとおして、初めて神仏を信ずることができるのです。ですから、神さまのような人が随処に現われて、菩薩の行ずる仏さまのヒナ型がたくさん散在しなければ、仏教の理想実現はできないのです。 (昭和45年11月【佼成】) 明るい社会づくり運動の推進 四 保守とか革新とか、カラーやイデオロギーはいろいろ違っても、「社会をよくしよう」という気持ちに変わりはありません。しかも、もっとその奥にある「善いことをしよう」という気持ちはなおさらでありましょう。まことに一切衆生悉有仏性です。 それなのに、どうして対立・抗争するのかと言えば、思想的には、大同に就かず小異にこだわるからであり、現実的には、自分の陣営だけを守ろうとする抜き難いエゴがあるからです。ところが、この「明るい社会づくり運動」はまったく無色透明、「みんな一緒に幸せになろう」という、人類の願いの原点に立つ運動です。ですから右も左も、保守も革新も、みんながこの素朴な原点に立ち返って参加するならば、この運動がいろいろな陣営の接点としての役割をも果たすことになるのではないでしょうか。(中略) また、この運動は世界平和を実現するための試金石だという意識も、私は持っています。国内で明るい社会づくりができてこそ、世界にもそれを実現できる可能性がハッキリ見えてくるのです。その意味からも、この運動が次第に軌道に乗りつつあることは、実に大きな希望の燈なのです。 (昭和50年04月【佼成】) 明るい社会づくり運動の推進 五 具体的にこの運動をどう進めればいいか、と言うことですが、まず根本的な心構えとして「運動のための運動にしてはならない」と言うことを忘れないで欲しいものです。これを忘れますと、どうしても推進大会のような大々的行事計画を先行させがちになります。そして、まずそのための委員や役員を人選し、外部の有力者に就任を依頼してまわり、委員会・役員会を型のごとくに重ね、すべての準備が整うころになって初めて世間一般に呼びかける……と言った順序になります。 これは世間によくある常識的なパターンです。この運動の根本理念をしっかり把握していないと、ついこの常識的なパターンに従って形式的な組織づくりから始めることになります。そうなりますと、外部の人々も常識的に「頼まれたからにはお義理にでも……」くらいの気持ちで参加されるのも、やむをえないことになりましょう。したがって、組織は整然とできたようでも魂の入った組織ではなく、大会は派手に挙行できても後にはあまり残るものがない、という結果になってしまいます。こんなのを“運動のための運動”“大会のための大会”と言うのです。 こうした形骸のみのものに堕さしめないためには、どうすればよいのでしょうか。それにはまず、会員の日常の活動によって世間の人々にわれわれの会の本質を知ってもらうこと、これが不可欠の大前提であります。町の清掃、福祉施設への奉仕、植樹、献血等々、仕事はいろいろあります。子ども達を交通事故から守ったり、水の事故を防ぐためにボランティアの監視員を買って出るとか、絶滅しようとする動・植物を保護育成するとか、郷土芸能を復活させるとか、その地域の事情に則して考えれば、有意義な仕事はいくらでもあるはずです。こういう仕事を日ごろからコツコツと、しかも謙虚な態度で続けておれば、いやが応でも世間の人々は、わが会の真価を認めてくれます。 それから先の進め方は、そのときその土地の事情によって臨機応変に進めればよいと思います。たとえば、市長さんとか、有力な文化人とかが深い理解と熱意を示してくださるようなら、その線から固めていって組織をつくるのもいいでしょう。いわば上から下へと及ぼしていく方式です。あるいはまた、右にあげたような日常の実践活動に一般住民の人々も参加してもらい、またはライオンズクラブやロータリークラブのような奉仕団体と協力して奉仕活動をしたりして、そこにおのずから生ずる融和感を形のある結合へと発展させ、共々に明るい社会をつくっていこうという熱意を交流させ、そうしながら異体同心の推進大会を開催しようというところまで持っていく、いわば底辺から積み上げていく方式もありましょう。 私はどちらでもいいと思います。ただ望みたいのは、常にバカのごとく実直に、誠意ある態度で運動を進めてほしいということです。頭ばかり走り過ぎたり、口先ばかりでまとめようとすれば、かえって逆効果を招く恐れがあります。信仰者のなす事業は、あくまでも「信」に基づき、それによって他の「信」をもかちとるものでなくてはなりません。 (昭和49年10月【佼成新聞】)...
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...普門館の建設 一 普門会館の設立ですが、これもつまるところは、国民皆信仰運動の一環にほかなりません。もちろん、第一義的には会員の皆さんのための研修の場でありますが、それと同時に日本中はもとより、広く世界の人々への布教の拠点となるものです。それも、狭い意味の布教ではなく、人間を幸福にするためのすべての宗教・学問・芸術その他の文化活動のために開放し、それらの文化活動の交流のなかに、大きな意味の仏法をにじみこませることによって、人類すべての幸福の基礎をうち立てようと念願するものであります。 普門と言うのは「普く門を開く」ということです。いつも言いますように、今はもう信仰者が自分の団体とか、自分の宗派の繁栄のみを願う時代ではありません。カーネギーが自分の富の門を開いて、広く世界中の学問・芸術・文化の向上を志す人々を受け入れたように、われわれは立正佼成会の門を開け放って、人類のすべての魂をここに招こうとしているのです。皆さんは、そのたいせつな主人役です。晴れがましくも、誇りに満ちた接待主です。どうか、その自負と矜持を持って、普門会館建設のために力を尽くしていただきたいのであります。 (昭和42年01月【躍進】) 普門館の建設 二 普門館もようやく落成式を迎えることになりました。皆さんのご協力に対して、心からお礼を申し上げます。この普門館について機関紙誌などには、これまで「普門会館」という名称が使われておりましたが、会館という言葉はともすれば娯楽のための施設機関といった軽い感じに受け取られがちです。ご承知のように、私達、求道者は常に“即ち是れ道場なり”の心構えを持ち、あらゆる場所、あらゆる機会をとおして、仏の声を聞こうとする心を失ってはなりません。そう考えますと、道を修する場所であるからには、これはやはり武道館、講道館のように「館」としたほうが、語感の上でもぴたりと引き締まってくるように考えられます。 まして、この施設は人々を善に導くとともに心の次元を高め、ひいては文化の向上に役立てることを目的に建設されました。つまり、社会に貢献する文化の一大殿堂であり、仏教真理による人間づくりの大道場にしたいという願いをこめてつくられているのが、この普門館であります。このことは、普門館の運営規程の中に「教団の布教活動ならびに文化活動を遂行することにより、会員および国民の宗教心を高揚せしめ……」と、はっきりとうたわれているとおりです。会館という名称を、あえて「普門館」という名称に変えましたのは、以上のような理由によるものです。 (昭和45年05月【求道】) 普門館の建設 三 普門館の名は、観世音菩薩さまのみ心をみんなで体していきたいという願いをこめて、観世音菩薩普門品からいただきました。「見聞触知、皆菩提に近づく」と、教えにありますように、ここで皆さんが見たり、聞いたり、いろいろな人々と触れ合ったりすることをとおして、観音さまのお慈悲を悟っていただこうという気持ちから名付けたわけでございます。 お経の中には、観世音菩薩さまは“三十三身を現じて”人々の悩みや苦しみ、悲しみをお聞き届けになり、すぐにその人の心に飛び込んで、大慈大悲をもってお救いくださると書かれておりますが、三十三身と言いますのは、大いなる数、無限の数を示しています。ですから、この普門館に集まってこられる五千人(注・普門館大ホールの定員数)の人々の願いはみんな違っておりましょうけれども、観音さまはそのすべての苦悩や、悲しみを救ってくださるのです。 この普門館の正面を入りますと、聖観音さまのお像が安置されています。この中にお入りになられたかたは、その観音さまのような広い心で、悩み苦しんでいる世の中の人々全部の音声を感じとっていただきたいと思います。そして、そのひとりひとりを手どりさせていただいて、みんなが自分と同じように幸せになれるような働きかけをしていただきたいと思うのであります。 (昭和46年02月【求道】) 普門館の建設 四 普門館落成によって会としての信仰と布教の態勢は、形の上ではほとんど完全に整えられました。すなわち、会員それぞれが内なる信仰を深め、また同信の人々との魂の触れ合いによってそれをますます磨き上げていく法座の場が、ほかならぬ大聖堂であります。そして、その信仰を内から外へと展開させる大衆教化の場の中心が、普門館であります。内外二本の信仰の柱が、ここに太々と打ち立てられたわけであります。どうか、この深甚なる意義をしっかりと胸に刻みこんで、いよいよ本格的な仏道修行の道へ出発していただきたい、今や私が願うのは、そのことだけであります。 (昭和45年07月【佼成】) 本格的な仏道修行とは何でしょうか? それは、お釈迦さまのみ心の一番奥にある、一番大きなご誓願に応えるための信仰活動であります。では、そのようなご誓願とは何か? 言うまでもなく、この娑婆世界を寂光土にすること、今の言葉で言えば人類世界に完全な平和を招来することであります。 過去の信仰は、おおむね個の救いを目的とし、個々の救いが集まれば自然に世の中も救われるという考え方が、根底にあったようです。しかし、実際問題として、世界に平和境を現出するために三十数億の人間をひとりびとり救っていくと言うのでは、「百年河清を待つ」のたとえどおり、とても不可能なことと言わなければなりますまい。 それゆえ、ほんとうの仏道成就のためには、ほんとうにお釈迦さまのみ心に添うためには、どうしても信仰の社会への展開と、信仰者の社会活動が必要不可欠となってくるわけです。 そこでわれわれは、できるだけ多くの同志に加わっていただき、われわれの活動に厚みと力を加えねばなりません。これまでにわれわれが世間に求めてきたものは、内なる信仰と心の幸せを喜び合う同信者でありましたが、これからさきは、それにもう一つ世界平和達成という大目標を加え、その聖業のために尽瘁しようという強力な同志をこそ、広く世に求めなければならないのです。 本格的な仏道修行とは、そういう目的のための努力・活動のすべてを言うのであります。もちろん、対外活動のみをさすのではありません。人さまへ信仰をおすすめするには、まず自分自身の信仰がしっかりしていなければなりません。自分自身の世界観が確立し、自信を持ってすべての人にそれを説くことができなければなりません。 そのためには、どうしても自分自身の信仰を深める修行とともに、仏教の世界観を究める教学の勉強とを並行して行なう必要があるのです。 (昭和45年07月【佼成】)...
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...世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 一 そもそも、この「世界宗教者平和会議」の構想が芽生えたのは、一昨年すなわち一九六八年一月に開かれた「平和のための日米諸宗教者京都会議」の席上であります。それまで私とは一面識もなかった外国の宗教者と語り合ううちに、世界平和に対するお互いの熱意を確認し合い、同志を見いだしたという喜びを懐いたのであります。 そして、その理解はやがて信頼となり、信頼による話し合いは友情を生み、ついには宗教のかべを乗り超えて宗教協力に高まり、この「世界宗教者平和会議」を実現するまでに育ってきた事実を、私は体験したのであります。それは利害や打算で成し得るものではなく、また仏教徒とかキリスト教徒とかという範疇に埋没していてかなうことではありません。ただ一途に、人類の幸福のために貢献する宗教者として、力を合わせて何をなすべきかという一点にしぼって活動してきたからこそ、可能であったのであります。 その意味から、私はこの世界会議準備のための二年間に得た宗教協力の楽しい体験と、今までにお会いした各国宗教者との熱意ある貴重な語り合いから、この「世界宗教者平和会議」が十分な成果をあげ、世界平和に寄与することができるという確信を持つにいたったのであります。 (昭和45年【世界宗教者平和会議〈京都会議〉】) 世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 二 常日ごろ、人間の魂の平和、人と人との間の平和、ひいては世界の平和のために尽力されている宗教者の皆さまがたと一堂に会して語り合う、ということが私の念願でありました。その夢が、今ここに実現いたしたのでありますが、私は、この会議が必ずや成功するであろうという確信を懐いているのであります。あるいは、お叱りを受けるかも知れませんが、なぜ私が、かかる楽観的な観測を持つに至ったかということを、ささやかな私の体験から申し上げることをお許しいただきたいと存じます。 かつて宗教は、その各々が持つ宗教信念のゆえにお互いに協力することができず、むしろ反目し合ってきたというのが実情であります。しかし、交通機関の発達によって、地球はきわめて小さくなり、科学の進歩によって地球を客観的にながめうる時代を迎えて、人類家族の結束が真剣に考えられる段階に至っております。かかる時代に、武力や権力ではなく、人間尊重の精神によって、平和な世界を創造することのできる活動力たり得るものは、宗教以外にはないと思うのであります。 今こそ、宗教なるがゆえに対立するのではなく、人間の幸福と救いという共通の願いを持つ宗教なるがゆえにこそ、相協力して人類と世界平和のために貢献しなければならぬという深い責任を感ずるのであります。そのことが神のみ心、仏の精神を地上に実現せんとする私達宗教者の使命であって、そのために私達宗教者は「何をなすべきか、何ができるか」を、この世界会議において真剣に語り合いたいものであります。 (昭和45年【世界宗教者平和会議〈京都会議〉】) 世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 三 現代は宗教否定もしくは無視の傾向が強いと言われる今日であります。しかし、神仏を信ずる信じないにかかわらず、人々の魂の最も奥深いところで、「果たして人間のあり方は、これで良いのか」という疑問とともに、時と処を超えた普遍の真理に基づく人間の歩むべき道を求めていることも否定できません。すなわち、盲目に等しい科学の暴走と世界中に充満する不調和、すなわち公害現象などに対する不安と反省が、徐々にわきつつあることも事実であります。 万国博覧会の閉会式において、ある外国の代表が「もし進歩と調和のいずれを採るかという二者択一を迫られたならば、私は調和なき進歩よりも、進歩なき調和の方を採りたい」と言っております。今や人類は、地球という一つの船に乗った兄弟であると言う表現さえなされる時代になりました。ある者は満ちたりて腹ふくるる思いをし、また一方には飢えに苦しむ者があるという不調和、自然と人間の不調和など、悲しむべき不調和現象が、数多く見られるというのが世界の現状であります。 さらに、こうした不調和の中で最も反省すべきことは、過去における私達宗教者間の不調和であり、それはつまるところ、仏と神のみ心に対する私達宗教者の不調和であって、これに対する深い懺悔がまず最初になされるべきでありましょう。 この反省と懺悔の上に立って、討議し、努力してこそ、この「世界宗教者平和会議」が必ずや人類の福音となるような結果を生みだすと思うのであります。 (昭和45年【世界宗教者平和会議〈京都会議〉】) 世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 四 報道陣が非常に大々的に京都会議を報道してくださり、これは非常に有り難かったと思うのであります。その報道陣の中から私どもに対して、「過去の宗教団体の会議は一発花火的にたいへん盛大にやるけれどもあとが続かない。やはり京都会議もそんなことになりはしないか」と言うような声を聞き、謙虚に過去の宗教者の会議がそのようであったということを反省いたしました。そして平和という問題は、平和の実現まではたいへん困難なことでありましょうが、われわれは、ほんとうに報道陣からのご質問を、神の声と聞いて、根気強く一つの組織をちゃんとくずさずにそのことを実現しようと、こういう意味で、「世界宗教者平和会議」の本部事務局をニューヨークの国連事務局の前にビルを借りて設置しました。始終、国連との交渉を持ち、国連を通じて世界平和に宗教者としての発言をして、なるべく一日も早く速やかに平和が招来するように、ということに努力をしてきたのであります。 また国内におきましては、初め日本宗教連盟の「国際問題委員会」という名前で発足しましたが、これを発展的に解消して「世界宗教者平和会議日本委員会(略称 WCRP日本委員会)」と改称し、自由にかつ広く日本の宗教界の皆さまがたにご協力をお願い申し上げて、今日に至ったような次第です。(中略) そのような活動を私どもが徐々に進めてまいり、さらに、私どもは今日まで国連に働きかけてはまいりましたが、これまで「非政府機関」の正式なメンバーとして国連に籍がなかったのであります。今度、そういう意味で日本政府の方へ要請をして、提案をしていただき、国連の経済社会理事会のカテゴリーⅡというところに正式にメンバーとして登録を許され、一応、平和のための準備をする有力なる宗教団体のグループであるというように実際的に認められるようにまでなったのであります。 (昭和48年【研究集会1】) 世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 五 第二回世界宗教者平和会議を通じて、常に言われておりましたことは“いかに立派な書類を作っても、それだけで平和が築かれるものではない。真に平和をつくるものは実にわれわれ宗教者の協力の精神にほかならない”ということでありました。 自分の住む社会が、そして世界がほんとうに平和であってほしいと願わぬ人はいないと存じます。まして、そのために人々を平和な心に導き、人々の間に調和をもたらそうと努力する宗教者であれば、なおさらのことでありましょう。しかし、私達宗教者は、心の中に平和を常に願ってはおりましても、それを行動に現わすということは、決して容易なことではございません。 現実の世界には、エゴの風が渦を巻いて吹いておりますだけに、一隅を照らそうとする人間ひとりの善意は、いとも簡単に吹き消されてしまうというのが実情ではないでしょうか。いや、吹き消されるのではなく、世間の汚濁とエゴのもの凄さに圧倒されて、自分から“もう駄目だ”とあきらめてしまうと言った方が正しいかもしれません。 したがって、これを乗り越えるためには、研鑽し合い、励まし合い、協力し合うということが何よりもたいせつであり、何よりも尊いことであると思うのです。 (昭和49年【世界宗教者平和会議〈ルーベン会議〉】) 世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 六 アジア会議は、京都会議、ルーベン会議と比較して、準備会議のときからちょっと空気が違っていたように感じます。それは、「遠くの親類よりも近くの他人」という言葉があるように、アジアという近所の国だということでございましょうか。また、東洋の思想という背景のおかげですか、話し合いでも余りギスギスと事務的にならず、心に触れ合える感じがして、準備会議のときから笑いながら言い合って、そして、たちまちにアジアの会議を開こうという意見が一致し、三日の準備会議の日程が、一日半で話はついてしまって、あと一日は見学やら何やらで、まことになごやかに進んだのでございます。その後、私ども日本の代表団は、真剣に勉強会をされて、そして会議に臨んだわけであります。 このような雰囲気でしたので、インドシナ難民の救済という問題が出ると、いち早く「それ、やろう」というようなことで、たいへん難しいものであることをまだ経験しないで、いいことは何でもやろうじゃないかというような、非常に進取の気性を現わして仕事に取り組んだわけです。後になって、われわれの未熟さがいろいろなことでわかってまいりましたけれども、私は良心的に、宗教家であればこそ、救済というときにはその後の条件がたいへんだとか、これまでの規則はこうだとか、そういう国際的なものも、政治的なものもみんな排除して、まず人間を大事にする、こういうことがやはり宗教の一つの良さじゃなかろうかと思います。 今度の会議はそういう意味でアジアのかたが一堂に会して、今後の世界のためにアジアが貢献する道、アジアがどうしてもそこへいかなければならない、そういう問題を、一度で片づくわけではありませんが、話し合う一つの体験をさせてもらいました。このようにアジアの人がみんな集まれば結構いろいろなことが一つ一つ片づいていくのではなかろうかと、そんなことを私は考えております。 (昭和52年【アジア会議】) 世界宗教者平和会議とアジア宗教者平和会議 七 私が信奉いたしております仏教におきまして、釈尊は次のように教示されております。 「ある人々は真理であると言うのに、他の人々はそれを虚偽であると言う。このようにして人々は互いに偏見のもとに言い争う。なぜ信仰の道にある人々は同一のことについて語り合わないのであろうか」と言うのであります。つまりこの宇宙には真実の教えというものはただ一つしかないのであって、多くの違いと言うものは、時代や人々の機根に応じた説き方の違い、あるいは儀式といった表面的な形の違い、または同じ事であっても表現する方法の相異にしかすぎない場合が多いのではないでしょうか。人々がそうした違いをあげて言い争っているとしたならば、これは神仏のみ心に反することであって、まことに残念なことと申せましょう。したがって釈尊はまた「大小さまざまの河川があるけれども、大海に流れこんで一味の水となる」とも仰せられているのであります。あえて私がつけ加えるならば、各宗、各派、各教団間において、最も相異なる点こそ、最も偏見と言うかドグマに満ちた部分であるのではないでしょうか。 その意味におきまして、ここで是非とも確認しておかなければならぬことは、世界の平和、人類の幸福──もっと具体的に申しますならば、人口問題や資源の問題、非武装の問題といった共通の目標と言うか、課題に向かって解決すべき使命を宗教者が担っていると言うことであります。しかもその大使命を遂行するには、一つの宗教、独りの宗教者ではなく、あらゆる宗教者が力を合わせて努力しなければ不可能である、ということも、また間違いのないところであると存じます。 私どもは「世界宗教者平和会議」の諸活動を通じまして、互いに語り合えば合うほど、その相異点よりも、はるかに共通点の多いことに気づき、かつ驚くのであります。 さて、科学の進歩はわれわれに多くの便利さと共に災害をもたらしていることも事実であります。しかしまた、科学の進歩によって地球はまことに小さくなり、われわれ人類は一つの「地球号」と言う船に乗って運命を共にしている兄弟だということ、そしてこの地球がまたかけがえのないものであることを教えてくれております。 FAO(国連食糧農業機構)の調査では、今でも世界で一日一万人の人々が飢餓もしくは栄養失調で死んでいるということであります。また世界の人口の三分の一の人々が毎夜、空腹を覚えつつ眠りについているということを忘れてはならないと思います。 仏教では「衆生病むが故に我病む」と申しますが、人々のなかに苦しむ人がいるかぎり、自分もまたパラダイスに行ける権利を放棄して、この苦しみの地上に留まって救済に努力するという菩薩の行が教え示されているのであります。 あるいはまた無制限に等しい国家エゴに警鐘をならし、ブレーキをかけ、人類の共同責任のための政策を自国の政府が採るように働きかけることも、われわれ宗教者の使命でありましょう。そしてこの点におきましても、アメリカの皆さまがたが他に先んじて実践されていることに敬意を表したいと思います。 とにかく、神仏の子として、その神仏が望まれる平和という共通の目的のために、私達宗教者は互いに助け合って参りたいと思うのであります。そして互いに謙虚になって、その長所を学び合いたいと思うのです。 (昭和49年【平和使節団】)...
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...普門示現の時代へ 一 創立してから、およそ二十年ぐらいの間は、病気・貧困・家庭の不和と言った現実の苦しみを、仏さまの神力をもって救ってあげることに一途でした。そして、その現実の救いを契機として、法の道に入っていただく……そういったパターンが一般でした。ですから信者のかたがたには、仏さまを、天上かどこかにおられる偉大な神力の持ち主のように、つまり自分とはかけ離れた存在のように思う気持ちがつきまとっていたことを否定できません。そういった意味の仏を崇め、畏れ、頼みとし、願い、祈ることによって、自分の心を改め、行ないを正し、現実に幸せをつかんでいたのが、おおかたの姿だったのです。その時代を、われわれは「方便の時代」と呼んでいるのです。(中略) ところが、人々の機根が高まってきますと、どうしても方便の救いだけでは満足できなくなります。方便も尊いものですけれども、所詮は、その場かぎりのものであり、恒常性がありません。ですから、いつ、いかなる場合においても変わることのない、不動の真実をつかみたい、そして恒常的な大安心を得たい、そういう願いを起こすのは当然の成り行きです。 わが会も、まったくそのとおりの成り行きをたどったわけで、昭和三十三年一月一日(創立以来二十年目)に、「久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊こそ本会の本尊である」と宣言し、教学の振興と確立に力を注ぎ、『法華経の新しい解釈』『新釈法華三部経(全十巻)』等を次々に刊行して、いよいよ仏法のギリギリの真実に取り組む精進を開始しました。それに従って、人を救う手だても当然、「仏法の真実の悟りに基づく救い」へと高まり、そのスケールも、「明るい社会をつくり」、「全宗教者の協力によって世界の平和を築く」というように拡大していったのです。この二十年間を、「真実顕現の時代」と呼んでいるわけです。 では、明年から始まる新しい二十年は、どういう時代であるべきか……それは、顕現された真実を、あらゆる人、あらゆる世界に浸透させ、その功徳を真実として現わさなければならない時代です。 「実行」と「実現」の時代です。それも、第一期と違って、より高い次元において、よく深く、より広く「実行」し、「実現」していくのでなければなりません。ですから、これを「普門示現の時代」と名づけたのです。 (昭和52年12月【躍進】) 「普門示現」と言いますと難しく聞こえますが、その意味するところは、観世音菩薩さまの神通力を身につけることです。すなわち、あらゆる人間の仏性を認めて拝み合うというような慈悲の眼で、すべての人々を視(慈眼視衆生)、その人々の求めに応じて救いの手を差し伸べていけば、必ずやかぎりない幸福が得られる(福聚海無量)ということです。 (昭和53年01月【佼成新聞】) 普門示現の時代へ 二 観世音菩薩普門品を読みますと、観音さまを念じ、その名を唱えれば、七難から救われることが詳しく述べてあります。そして、七難からの救いが説かれたすぐ後に、 「若し衆生あって婬欲多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち欲を離るることを得ん」「若し瞋恚多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち瞋を離るることを得ん」「若し愚癡多からんに、常に念じて観世音菩薩を恭敬せば、便ち癡を離るることを得ん」 とあります。すなわち、「貪欲」と「瞋恚=怒り」と「愚癡=本能のままに行動する愚かさ」という三毒から人間を救ってくださるおかたである。と言うのです。 たいていの人は、その前後にある具体的な救いにばかり目を奪われて、この短い三節を素通りしてしまいますが、実はここが肝心要の、観世音菩薩の本質の示されているくだりなのです。 観世音菩薩は、アーノルド・トインビー博士の言う「宇宙の背後にある霊性」、仏教で言う「仏性」の結晶のようなおかたです。いわば宇宙の大生命の純粋な分身であられますから、この世のあらゆるものごとの真実を明らかに見とおし、人々が何を苦しみ、何を望んでいるかという、心の声までも聞き取る“智慧の眼”を持っておられるのです。それゆえに、「観自在=真実を自在に観る」と呼ばれ、また「観世音=世の音を心に聞き取る」とも呼ばれるのです。 私ども凡夫も、同じく仏性の持ち主ではありますけれども、観音さまが仏性の純粋な結晶であるのと違って、私どもの仏性はさまざまな煩悩の垢にまみれています。そのために本来持っている智慧の眼がくもらされて、目の前の現象しか見えず、物欲や名誉欲や権勢欲を貪ったり、それらが思うように得られぬため、わがままや怒りを発したり、本能の衝動のままに行動して過ちを犯したり、こうしてみずから苦をつくり出し、みずからを不幸に陥れているわけです。 そこで、「観世音菩薩を念じ、唱えれば、たちどころに救いが生ずる」というのはどんなことかと言いますと、宇宙の背後にある霊性、仏性の純粋な結晶に心を通わすということなのです。そうしますと、その瞬間に私どもを覆っている煩悩の垢が洗われて、内に隠れていた仏性が顕れ出てくるのです。仏性が顕れれば智慧の眼も開け、目前の現象の奥にある真実の世界が見えてきますから、その真実のまにまに生きることができるようになります。これが観世音菩薩の救いの本質なのです。 (昭和53年01月【佼成】) 普門示現の時代へ 三 みずからの仏性が顕れ出、真実を観る智慧の眼が開けてきますと、今度は、まだそういうすばらしい境地を知らず、迷いと苦しみの中にいる人々を見れば、どうしてもその人達を救ってあげねばならぬ、という心がヒシヒシと起こってきます。 と言っても、煩悩にまみれている人はなかなか即座に真実の眼を開いてはくれませんので、とりあえず、方便力をもってその人の現実の苦悩を取り除いてあげようという気持ちになります。重荷を背負っている人には、代わりに自分が背負ってあげよう、心配事を抱えている人には、一緒に心配してあげよう、そうした徹底した慈悲の気持ちになったとき、それを「大悲代受苦」の精神と言い、観世音菩薩はその精神の権化でもあられるのです。 私ども立正佼成会会員は、まだ仏性を知らずに苦しみ悩んでいる人を見ては、何とかしてこのご法で救ってあげたいと、苦労を厭わずお導きをします。これらがすなわち、「大悲代受苦」の行動にほかなりません。そのひととき、私どもも観世音菩薩になっているわけです。 このような精神と行動を広く世界にまで及ぼそうと、私どもがいま取り組んでいるのが、世界宗教者平和会議の諸活動なのです。私ども宗教者は、特定の神、特定の人々だけに奉仕をすればよいという考えでいては、あまりにも狭量です。普く広い心を持って、宗派を超え、国を超え、世界に貢献していかねばならないのです。宗教者がまず、このような精神と行動によって人類に範を示し、皆ともに観世音菩薩のような心になっていかねば、世界を平和にはできません。 そうした意味から、観音経には、これからの時代を平和に導く寛容と奉仕、そして救済の思想が、いみじくも説かれてあるわけです。 (昭和53年01月【佼成】) 普門示現の時代へ 四 私どもが観世音菩薩となって人を救うには、第一には、相手の心を見とおす智慧の眼を持つこと、第二には、ある時は優しい言葉をかけ、ある時は強い言葉で励まし、ある時は親切に手を引いてあげ、ある時はわざと遠い所に立って手招きする、といった万億の方便が必要です。 底を流れるのは、迷い苦しむ人を見ては救いの手を差し伸べずにはおられぬという精神、実際の働きかけは場合に応じて自由自在、これが観世音菩薩の「普門示現」にほかなりません。 (昭和53年01月【佼成】) 普門示現の時代へ 五 教学の勉強も、手どりも、お導きも、お役も、すべてが仏道修行の場です。そして、法座は貴重な実験室なのです。そこにはいろいろな業を背負った人が集まって、裸になって自分の業をさらけ出す。それをどう処理すればいいかを、みんなで考えてあげ、指導者が結んであげる。 その結果がどう出るか、小さな世界だけに、すぐ明らかになるのです。因縁の法則が試験管の中の実験のようにハッキリ見えます。そこで、人々の苦しみを洞察して、それに応じた救いの手を差し伸べる実力と自信がつく。その実力と自信を持って広い世間へ飛び出し、手どりもできるし、お導きもできる、これが法座の尊いところです。 もちろん、法座でひとりびとりの身の上に救いが実現するのも有り難いことですけれども、普門示現という立場からすれば、その実験室で得たものが何十倍、何百倍ものエネルギーとなって、広い世間で多くの救いを実現することこそが、もっともっと尊いことなのです。これは従来もずっとやってきたことですし、常に変わりのない真実なのですけれども、これからは、そのことをハッキリと意識し、そういう目的意識を持って菩薩行に猛精進しよう──、これが事新しく「普門示現」というスローガンを掲げた理由にほかならないのです。 世情はますます険悪です。人間の仕業とはとても思えぬような残酷・卑怯な行為が世界の諸所方々で行なわれ、うっかり飛行機にも乗れない、うっかり外を歩けもしないといった状態になってきました。しかし、私は人類に対する希望は絶対に捨てません。「夜の最も暗いとき、夜明けは近いのだ」という言葉もあるとおり、人類がこの暗さに堪えかねて、真剣に光明を求める気持ちになれば、朝はすぐそこにあるのです。 その光明とは何か。私は仏教よりほかにないと確信します。仏教に説かれた真の智慧と、大いなる慈悲とを社会に実現しようとする菩薩行の精神です。無量義経に「微渧先ず堕ちて以て欲塵を淹し」とあるように、すなわち、小さなしずくが欲で乾き切った心の上に落ちて、そこに小さな潤いを与えるように、智慧と慈悲と菩薩行の精神が少しずつでも人々の胸にしみ込んでいけば、必ずそこに一点の燈がともります。かすかながらでも、温かい燈がともります。その燈が百集まり、千集まり、万集まりして、人類の十分の一がその燈を掲げるようになれば、世界は必ずこうこうたる光明の世界と化すでしょう。 悲観的な人は「お釈迦さま以来、二千五百年も経っているのに、世の中は一向によくならないではないか」と言います。それは考え違いです。私はこう言いたい。「お釈迦さま以来、二千五百年しか経っていないのだ。その教えがほんとうに力を現わすのはこれからなのだ」と。「も」ではない。「しか」なのです。 われわれ立正佼成会会員は、その仏さまの手足となって、そのみ心を現代の世界に顕現する聖業に獅子奮迅する勇士なのです。 (昭和52年12月【躍進】)...
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...「信」について 一 〈信〉ということですが、たいていの人がこれを信仰者だけが持つ特別な心のように思っているようです。しかし、それはちょっと違うのです。〈信〉というものはわれわれが生きていくうえに、もっと厳密に言えば、「幸せに生きていくうえに」一刻たりとも欠いてはならぬ条件なのであります。 (昭和46年01月【佼成】) 現在の世相の中で一番恐ろしいのは、不況でもなければ、物価高でもなければ、資源不足でもありません。“人間不信”という心の荒廃です。心さえ豊かで、温かで、人と人とが信じ合っているならば、物の生産とか分配の問題など必ず解決できることなのですが、人の心が荒れ果ててしまったら、何もかもおしまいです。 (昭和50年03月【躍進】) まことに、〈信〉こそはわれわれが安心して生きていくための、最も根底となる心です。自分に対する信、他人に対する信、社会に対する信が深ければ深いほど、われわれは幸せに暮らしていけるのであります。 (昭和46年01月【佼成】) 「信」について 二 現代人でも、普通の意味の信は、その場その場で持っているのです。たとえば、列車に乗る。列車そのものの機能と、運行に当たる人々の技術・人格・計画などを暗々のうちにでも信じていればこそ、おおむね安心して乗って行きます。たとえば、薬や食品を買う。「これは名のあるメーカーの品だから」「いつも買いつけの店の物だから」と信ずる心があればこそ、平気で飲んだり食べたりします。そういった信がときたま裏切られてたいへんな目に遭うこともあるのは、皆さんご承知のとおりですが、かといって、日常生活において自分と関連の生ずるすべての人や物の事柄をいちいち疑っていたのでは、ひどいノイローゼになって、とうてい生きてはおられますまい。 ところが、そういった意味の信は、相対的な信なのです。自分とは別なものを対象とした信であり、しかも、その対象はその場その場で変わり、一定しません。ですから、信といってもたいへん漠然とした、頼りない信です。 (昭和46年04月【躍進】) 「信」について 三 ほんとうの意味の信というのは、絶対的な信です。普通の意味の信が、自分と離れた所に相手を置いて、その相手を信ずるという相対的な信であるのに対して、絶対的な信というのは、相手の中に溶け込み、相手と一体になり、相手に任せ切ってしまうという信です。 (昭和46年04月【躍進】) 正しい〈信〉とは、何を信ずるのでしょうか。私は、仏教徒であるかぎり、次の三つを信ずるのが根本であると断じたいのです。 1 この宇宙の根元は、絶対唯一の存在〈真如すなわち久遠の本仏〉であり、われわれはその大生命に生かされていることを信ずる。 2 その久遠の本仏、すなわち絶対唯一の大生命の存在を悟得し、その悟得を衆生に伝えるために説かれた釈迦牟尼世尊の教えが、最高の真理であることを信ずる。 3 釈迦牟尼世尊の説かれた教えを正しく学び、正しく守り、正しく行ずる人々の集まりである正定聚こそ、この世に理想国土を建設する力の基盤であることを信ずる。(中略) すなわち、以上の“三大信根”は三宝帰依の精神にほかなりません。 (昭和39年03月【躍進】) 「信」について 四 法華経の中で、お釈迦さまは信について、こう言っておられます。これは譬諭品第三に出てくるのですが、舎利弗尊者に向かって“己の知識を頼ってこの道に入ったのでは、私のほんとうの気持ちを汲み取ることはできない。まず一応「信」をもって入りなさい”と、教えておられます。 舎利弗は、お釈迦さまのお弟子の中でも“智慧第一”と言われたかたですが、知識よりもとにかく信ずる気持ちをもって入りなさい、そこからすべてのことの解決がつき始めるのだ、とお釈迦さまはおさとしになっておられるのであります。 (昭和36年09月【速記録】) 皆さんもいろいろな稽古ごとをしておられると思いますが、踊りや歌を習うにも、お茶やお花の稽古をするにも、お師匠さんを信じ、その流儀を信じ、その技術を信じて一生懸命に精を出せば、技を磨くことができます。しかし、“こんなお師匠さんについていたってどうなるものか”などと、不信感を壊いて稽古ごとに通っていたのでは何も身につかないし、自分になんの影響も与えません。 (昭和46年01月【速記録】) つい、小さな理屈をこねたり、自我意識にとらわれたりして、「有り難い」とか「任せ切る」とかいった心境になれない人が多いのです。それを、「ほんとうの信を持っていない人」と言うのです。そんな人は、とにもかくにも、理屈を捨て、はからい心を捨てて、幼子のように仏さまの懐に飛び込んでいく気持ちになればよいのです。 (昭和50年03月【躍進】) 「信」について 五 「信を確立する」と言っても、初めから身につけることはきわめて難しいことです。日常生活の中で、少しずつ「善行」を積むことによって、また、家庭や地域社会の中で教えを行じ、実践することによって少しずつ信が高まっていくものです。 (昭和47年01月【佼成新聞】) 立正佼成会に入会してもお風呂にでも入ったような気持ちで居眠りしていてごらんなさい。何も体験することがないのですから何年たっても、何もわかりはしません。また、教学をいくら勉強してみたって、行動を起こさないで、努めない人には絶対に仏法というものはわかるものではないのです。 (昭和50年12月【求道】) 「信」について 六 〈信〉は必ずそれを具体化し〈行〉の上に現わすことによってこそ、救いの力となるのです。 (昭和48年11月【佼成】) 信に弛みが生じますと、有り難いという感動も薄れます。感動が薄れれば、行にも怠りが出てきます。行に怠りが出れば、僧伽の結びつきも弱まってきます。この連鎖反応が恐ろしいのです。それが知らず知らずのうちに信仰活動全体を蝕んでいくからです。 (昭和50年03月【躍進】) 信が生じても行によってそれを太らせ、育てていかなければ、立派な信仰として完成しないのです。 (昭和46年04月【躍進】)...
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...「信仰の充実」とその要諦 一 よく、信仰は悩みから出発すると申します。すると自分には悩みがないから信仰する必要がない、などと言い出す人がいますが、その人は悩みがないのではなくて、反省がないからわからないのです。私達は社会の一員なのですから、自分だけ悩みがなければいいというものではないのです。 (昭和34年12月【佼成】) 「信仰の充実」とその要諦 二 私自身、会を創立して二年目ぐらいのことですが、人助けばかりに打ち込んでいるために、経済的には行き詰まってきますし、家内が信仰に反対して夫婦仲がおもわしくなくなってくるし、ということで、たいへん苦しい思いをしました。 思い余って、恩師の新井助信先生のところへ相談に行きますと、新井先生は事もなげに「庭野さん、それは結構な悩みですよ」とおっしゃるのです。「どうしてですか」と反問しますと、「仏の本願を成就しようとする者にとって、それは付きものなんですよ。そんな苦しみを何度も何度も繰り返していって、少しずつ仏さまへ近づいていくんです。その仏さまへ近づく階段を、庭野さん、あんたは今、一段上がりつつあるんです。だから結構なことなんですよ」と説いてくださいました。 私は、その一言にどれほど勇気づけられたかわかりません。腹の底から、また新しい力がわいてくるのを感じて、歓喜勇躍しながら家に帰ったものでした。 (昭和51年07月【躍進】) 「信仰の充実」とその要諦 三 世俗の道、たとえば商売なんかだったら、苦労ばかり多くて利益が上がらず、先の見通しも立たなければ、たいていアッサリ転業してしまいます。ところが信仰の道だけはそうではありません。私も普通の凡夫でしたけれども、言語を絶する苦労をしながら、法華経の信仰を投げ出そうという気にはついになれませんでした。(中略) なぜでしょうか。逆説のようですけれども、私に言わせれば、法華経はバカバカしいことをやれという教えだからなのです。一般の社会では、最小の労力を払って最大の効果を上げることを追い求めます。功利一点張りです。ところが法華経では「一番手間がかかり、一番骨の折れるバカバカしいことを喜んで引き受ける。それがほんとうの価値ある人間であり、そのような価値ある人間の増えることが世の中をよくしていく道である」と教えています。 一般の常識とは逆です。逆なだけになんともいえぬ魅力があるのです。すがすがしさがあるのです。功利一点張りの世の中に、自分の時間と労力を犠牲にして他のために尽くす、というバカバカしいことをする、人間の常としては非常に難しいことをやってのけるその喜び、魂の奥の奥にわく喜び、これがなんとも言えないのです。 (昭和51年07月【躍進】) 「信仰の充実」とその要諦 四 自分が入会したときを振り返って見ますと、たいていの人が、導きの親に「うるさいな」とか「あの人はしつこいな」とか「信仰というものは人に勧められて入るべきものじゃないはずだ」などと理屈を言った経験があると思います。ところが断っても断っても何回も来るものですから、とうとう陥落して入会してしまった。そしてすぐに「これはまた、えらいところへ入ったものだ」と、なかば後悔するような気持ちも起こしたりします。ところが仏さまの威力はまさに“あら畏ろしや”でありまして、ちょっとご法をけなしたり、疑ったりしますと、そこに〈お悟り〉が出てくる。 そうなりますと、これは畏ろしいものだということで、少しずつではあるけれど、曲がりなりに精進をするようになります。そして、自分の導きの子どもさんが〈ご功徳〉をいただくのを見たり、これはとんでもない人間だと思っていた人にすばらしい丸みが出てきたりする。そういう神力に触れると、これは負けてはいられないと、遅まきながら自分から進んで精進に打ち込むようになっていきます。そうしているうちに、とうとう〈お曼荼羅〉をちょうだいするまでになってしまった、と言う人がよくあるのですが、まったくそのとおりでしょう。“なってしまった”というのが正確な言い方だろうと私も思います。おそらく最初から“自分には〈お曼荼羅〉をいただく資格があった”という自信のあるかたは、いらっしゃらないのではないでしょうか。 私自身もそうでした。〈お曼荼羅〉をいただきなさいと言われても「まだいりませんから……」と、お断りしたものでした。ところが「そうはいかん。あなたには、お役があるんだから」と相手は言われる。そう言われてみて“そうかな、自分には役があるのか”という気がしてきたものでした。まことに、うろんな考えというほかありません。けれども、うろんな考えではあるのですが、そうやって〈お曼荼羅〉をいただきますと、自分の導きの子どもに対する責任を果たさなければならなくなります。まさか、子どもを迷わすようなことはできません。そこで、導きの子どもの前に行ったときだけは、わかったような話をするのです。腹の中は、と言えば、実はさっぱりわかっていない。お経にはこう書いてあるけれど、ほんとうにそんな功徳があるのだろうか、となかば疑っているのです。それでいて、子どもの前では見栄をはって、決して間違ったことを言わないのです。 しかし発言するにも、だんだんと自分の精進の方向に向かってものを言うようになりますし、発言したからには責任がありますから、“牛に引かれて善光寺参り”のことわざのようにぼつぼつと、よろめきよろめきでもやっているうちに、今度は〈ご守護尊神〉までいただくことになる。そういう体験を私もしてきているのですから、このようなよちよち歩きを恥ずかしがることはありません。あるいは皆さんの中には、入会したその日から精進に打ち込まれたかたがいらっしゃるかもしれません。しかし、その人はよほど機根のよい、いわば間違って精進した人なのでありまして、自分自身に引き比べてみましても、大部分の皆さんは同じ道をたどられたのではなかろうかと思うのであります。 (昭和41年06月【速記録】) 「信仰の充実」とその要諦 五 仏道修行は在家の立場で励むのがほんとうだと思います。すなわち、現実の生きた社会のなかで苦闘することによってほんとうの修行ができます。ですから立正佼成会では在家の信仰をあくまでも尊重するのです。(中略)形式や因習にとらわれない本質的な信仰を弘めることこそ、釈尊の精神にかなっていると思います。 (昭和41年12月【躍進】) 信仰者なるがゆえに、その生活における社会性、倫理性に人並み以上にすぐれた一面がなければなりません。そして、信仰の倫理とは、信仰の裏づけによって繕い装う、ということでなしに、自然ににじみ出る行為として守られるものなのです。初めは苦しくても、善行を積み重ねるうちに、それが身につき、おのずから、行為として現われるようになります。それまで、勇気を出してがんばることです。 いわば、一般大衆と生活をともにしながら、仏法のにおいのない言葉を仏法の言葉として聞く耳を持つようになれば、本物の信仰者と言えましょう。 (昭和40年02月【躍進】) 「信仰の充実」とその要諦 六 法華経の教相によりますと、仏さまのお弟子さん達が「このような修行を積んだ後、必ず成仏するであろう」と具体的に授記されていますが、この“仏になれる(授記)”という仏さまのお言葉には、成仏に至る順序次第について〈いろいろな仏さまを供養する〉とか、〈これからどのくらい修行を続けていけば未来世において〉と言うように必ず条件がついています。しかしその前に、授記される人自身が勇猛精進の決定をしています。したがって、仏になれるかなれないかという問題は、今現在の社会にどのような変化があろうとも、それにとらわれることなく、仏さまの前で今、発心し、決定したとおりのことを、どこまでも押しとおしていけるかどうか、によって決まるのであると私は思います。つまり、心の底から仏さまを信じ、すべてのことを教えの軌範にのせて、日々の行動をしていくことが信仰を充実させる基本であります。人さまをお導きし、布教するその努力が、結果として自分を充実させていくのであって、独りで“自分はもう充実した”などと思ってもそれはとてもおぼつかないことなのであります。 (昭和41年01月【速記録】)...
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...信仰と功徳 一 初心のころは、説法を聞くときはまるで食い入るような目の色をしていますし、朝夕のご供養も真剣そのもの、日常の生活も張り切っており、人によっては気でも違ったのでは、と思われるほどです。それゆえ、ビックリするような功徳が次から次へと現われてくるのです。 そのような功徳は、決して奇跡でもなければ、神秘でもありません。今まで迷った心でわがまま勝手な行ないをしていたのが、真理の道へ入ろうという魂の目ざめを起こし、とにもかくにも正しい道を歩きだしたために、その心の大転回が現実の結果となって現われたにすぎないのです。善因善果・悪因悪果の大法則が、アリアリと目に見える形で出現したにすぎないのです。 (昭和44年06月【佼成】) 信仰と功徳 二 私どもはつい打算的に物事を考えがちですが、それから抜け出すためには“信仰しさえすればそれでいいんだ”という、ただ漠然とした考えではなく、皆さんは先輩のあり方をよく見ていただきたいのです。たしかに信仰すればそれでいいのですが、それだけでは“こんなことをしていてどうなるんだろう”という疑問を持ちがちなのです。そう考え出しますと、「毎日お勤め(ご供養)をしていても、十円玉一つ仏さまがくださるわけでも、天井から千円札が降ってくるわけでもない。自分で稼がなくてはお金はもらえないし、将来に備えるには、貯金もしていかなくてはならない。それなのに、仏さまを拝んでいて何が有り難いんだ」と、そう言いたくもなるのです。そういう何事にも打算的な心になったときにこそ、皆さんは先輩の姿をよく見守ってほしいのです。 (昭和35年01月【速記録】) 仏さまを信じ、まずその教えのとおりに、自分の心を信心によってぴしっと変えてしまうことがたいせつです。信心がそこまでいきませんと何をやっても不安ですし、あいまいな気持ちのまま過ごすことになります。ですが、いったん腹を決めてしまうとすべてが思うようにいくものです。することなすことが、はっきりとしたかたちで、ビンビン結果が出てきますから、「ああ、有り難いものだなあ」と朝も早くからはね起きて精進するようになっていくのです。そうなったとき、仏さまは眼の前にいくらでも体験を出して、教えてくださるのであります。 (昭和45年【求道】臨増) 信仰と功徳 三 立正佼成会の法則論から割り出していきますと、たとえば、こういう因縁の人がこんなに幸せになるはずはないのだが、と不思議に思われるほど、不幸の方に曲がった線路の上にあった運命の人が十年、二十年と信仰生活を続けてきたことによって、世間からもうらやまれるような幸せ者になっている例がたくさんあります。(中略) では、その人は他の人の真似のできないような修行をしたのかというと、決してそうではなくて、ご先祖さまのご供養をし、親に孝養を尽くし、言われたことはなんでも素直に「はい」と言って聞き、物事にとらわれずに神さまから与えられたものに満足して、毎日を感謝しながら送っているというように、どれをとっても人間として当然やるべきこと、あたりまえのことをしてきただけなのです。そしてこの先、子どもの教育など、家の中の問題にしても、すべて安泰だ、という功徳がもうそこには証明されているというように、永い間一貫して信仰に打ち込んできたことによって、それほどの功徳をいただくことができるのであります。 (昭和35年1月【速記録】) 信仰と功徳 四 永い人生航路の中では、信仰に対して時としてどうすればいいのだろうかと、迷うようなこともいろいろと出てくることと思います。たしかに信仰にはいい面もある一方、疑惑の種子になるようなものも伏在しています。そういうときには「信解品第四」の「長者窮子の譬」をよく読んでください。二十年の間、一番汚い場所、ご不浄を一生懸命に掃除し続けたおかげで、この窮子が求めてもいなかったし、また望んでもいなかったような財産がころがり込んできたのです。その教えのとおりに、疑惑を捨て去って自分に与えられた役割を喜んで果たし続けている人は将来、必ず“ほんとうに有り難かった”と心から感謝できる功徳をいただけると思うのであります。 (昭和35年01月【速記録】) 信仰と功徳 五 日々夜々に現われてくるすべての事柄をいつも善意に解釈し、そして角を立てずに丸く考えていくことができるようになると、その人はもうだれから見ても円満そのものの人間です。心の中が円満になると顔も円満になってきますから、他人が一目見ただけでもその円満さがわかるのです。そうなりますと器量の好し悪しなど問題ではありません。どんなに器量がよくても、腹に一物あるようですと、おっかない顔になってきますし、鼻があぐらをかいていようと、目が吊りあがっていようと、そんなことにはおかまいなしに、心が円満になると顔も円満になってくるのです。 たとえば、三根山というお相撲さんがいますが、あの人はいつも首を傾けています。それが小学生や中学生の人気を集めていると聞きましたが、心のきたない人だととてもそうはいきません。三根山は大関まで上がり、年を取って平幕に下りたのですが、それでも少しも稽古を休まずに精進を続けているということです。これだけを聞いても、非常に平らかな心の持ち主であることがしのばれますが、そういう人格の持ち主ですから、首を傾けていても、傾けたままで人柄がこちらに伝わってくるのです。このように円満な心を持てばあぐらをかいた鼻も、垂れた目も、それはそれで立派に見えるものなのです。 (昭和34年03月【速記録】) “生きたら病みなん”と言いますが、病気も人間の修行にとってたいせつなものです。病気をすると人間がよくなります。人を思いやる気持ちが出てくるのです。「私は病気したこともないし、そのために人さまのお世話になったこともない」などと言って、自分は人よりも幸せ者だと考えている人がいますが、それはあまり自慢することではありません。この世に生きているのですから、病むこともあっていいのです。そういう体験をして、人の痛みがちゃんとわかるような人間でなくてはならないのです。 (昭和50年06月【速記録】) 信仰と功徳 六 私どもはちょっと足りてくると、もうこれで安心だと、ほっとしてしまいがちです。しかし、そんな小さな望みしか持っていないようでは、自分のうちにお迎えした仏さまが涙をこぼしてしまわれます。この辺でひとつしっかりと悟って、仏さまにあまりたくさん涙を流させないようにしていただきたいものです。仏教の教えは自分だけよかれというのでは、絶対によくならないとうことを教えているのです。ましてこれからの世界は、みんなが幸せになることを考えていかないと、私達はほんとうに安心していることはできないのです。私どもは欲をほどほどにして人間の真のあり方を考え、仏さまの教えを世界中の人々に知らしめることによって、自分さえよければいいという今の考え方から、世界中が一緒になってほんとうの極楽世界をつくっていくという方向に変えていかなければならないのであります。 (昭和47年07月【求道】) 日本という国は大乗仏教国である、ということに世界中の信頼が集まっています。その大乗仏教は、われわれの心の持ち方次第で仏になれるという大功徳があると言われますが、そういう宗教を持ち続けてきたのが日本人だと、世界の人々は見ているのです。その信頼にわれわれは応えていかなければならないのですから、これからがたいへんなのであります。 (昭和52年12月【速記録】)...
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...仏子の自覚と仏性開顕 一 お釈迦さまのお言葉によりますと、われわれ人間は愚かなものであるけれども、仏さまにとっては、すべての人間が〈わが子〉であるとおっしゃってくださっています。 (昭和50年12月【一心】) 仏さまは、「この三界はわが有なり、その中の衆生はことごとくわが子なり」と、おっしゃっているのですが、こちらの方がろくでなしなものですから、「いや、そんなことを言われても私は欲が深いから」「業障ですから」「そんなに精進できないから」などと口々に言って、仏さまの心に添うことをためらっています。これは、精進できるとかできないとかいった問題ではないのです。私どもは生まれながらにして仏さまの子なのです。だれもが仏心をちゃんと持っているのです。 その仏心が本物になってこないのは、「我」が邪魔しているからです。「我」が良心を曇らせている、黒い霧となって心を覆っているのです。それが煩悩です。ですからその煩悩を晴らしていけば、みんな本物になります。それが偽物ならメッキもはげるでしょうが、本物なのですからはげるわけがありません。ただ、問題はその本物に、もろもろの邪魔な霧がかかっているために、人間は持ち前の仏心に気づかず、苦しみ続けているわけなのです。 (昭和51年04月【求道】) 仏子の自覚に立てないというのは、求道者としての自覚を欠いていることであります。自分は仏の子だということがはっきりと認識され、自覚にまで高められれば、どんな困難に遭い、厳しい修行にぶつかっても、それに耐えることができるはずです。また、仏さまの大慈大悲にお応えして、しっかりと精進を続けていくことができます。私が「仏子の自覚に立とう」と強調してきましたのも、仏教徒にかぎらず、人間すべてにこのことがきわめてたいせつな点であるからです。 (昭和50年12月【一心】) 仏子の自覚と仏性開顕 二 仏教では、自分を見つめる方法として二つの面を教えております。一つは「自己の本質は完全円満の仏性である」と観ずることです。もう一つの面は「現象としての自己は罪業深重の凡夫である」と観ずることです。この二つは表裏一体を成すもので、どちらを欠いてもほんとうの信仰は成り立ちません。信仰といえば何か特殊な世界のように感じられるかもしれませんから、言葉を換えて言いますと、「自己の本質の尊厳さ」と「現実の自己の不完全さ」の両面を見つめることなしには、ほんとうの人間向上はありえないということになります。 (昭和46年09月【躍進】) 仏子の自覚と仏性開顕 三 私どもはつい「業が深い」と言われたそのことばかりにとらわれてしまって、仏子であるということをすっかり忘れてしまっているのではないでしょうか。 あなたは仏子だ──と言われるたびごとに、私達は仏子なのになぜこうも悪い気持ちばかりを起こすのだろう、と一種の罪悪感が深まってきます。そのとき自分の心に起きる罪悪感が励みとなって、精進しようとするのです。仏子の自覚ということを全然、曇りのない鏡のようなものだとします。それに照らしてみればどんな小さなことでも自分の悪い気持ちを映し出すことができます。その小さなことが“業”なのです。“仏子”がきれいに浄化されればされるほど業の深さが理解されてくるのです。 (昭和38年01月【佼成新聞】) 心が澄んでくればくるほど、自分の罪の恐ろしさに目覚めていき、目覚めてくればくるほど信心も強くなっていきます。自分の業障さにいくらかでも気づくたびに、功徳を積ませていただこう、心の垢を落とさせていただこうと、その目覚めが切実な信仰になって表面に現われてくるのであります。 (昭和35年12月【会長先生の御指導】) 仏子の自覚と仏性開顕 四 自分は仏さまの子であるという自覚がはっきりしてきますと、では、われわれはどうすれば仏さまの本願が成就されるかということを考えるようになります。寂光土とか世界平和とかいう言葉で今、言われているのが、この仏の本願ですから、そういうことを考えることが、とりもなおさず「仏性開顕」ということになります。すなわち仏性を自覚したならば、その仏の本願の成就のために精進するという覚悟のできた人こそが、仏性を開顕した人と言えるのであります。 (昭和51年08月【一心】) 仏子の自覚と仏性開顕 五 仏性開顕といっても、なにも難しいことではありません。たとえば母親のように、子どもが病気をすればすぐ手を差し伸べる、人が困っていれば自分のことのように心配してあげる、そんなことが、ごく自然にできるようになることが、仏性開顕の意味にほかならないのです。 (昭和51年10月【佼成】) 仏性というものは、もともと人間にそなわっているものです。そなわっているというよりは、人間の本体なのです。ですから仏性開顕の方法は簡単です。一皮剥けばいいのです。本体を覆っている殻を取り除きさえすればいいのです。ここのところを、まずしっかりと心に刻んでいただきたいのです。 では、本体を覆っているものをどうして取り除くか、ということが問題になりましょう。これには二つの道があると思います。第一は、本体を徹底的に観ずることです。自分の本体は仏性なのだということを、一日二十四時間のうちに何度も何度も思い出し、それを深く深く見つめることです。仏性を覆っている殻、すなわち煩悩はもともと無いものであり、因縁がつくり上げた仮りのものに過ぎないのですから、本体さえしっかりと徹見・悟得することができれば、それは自分から消えていってしまうのです。 第二に、善いことはなんでも片っ端から実行することです。自分の人格を高める修行、人さまの幸せを思う親切行、世の中を明るくするための奉仕行など、そういった善行を機会あるごとに、躊躇することなく実践するのです。(中略) そういうことを何百遍・何千遍と繰り返していくうちに、黒雲は跡形もなく消散してしまうこと必至です。その境地を、「仏性が顕現した」と言うのです。 (昭和50年12月【躍進】) 人格者とは、自分の本性の尊さとともに、他の人の仏性の尊さをも最高度に発見できた人を言うのであります。 (昭和47年12月【速記録】)...
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...国民皆信仰と宗教協力 一 国民皆信仰と聞くと、これまであまりこのようなことを言う人がなかっただけに、なにかたいへん新しいことのような感じがするのですが、仏さまはすでに二千五百年も前に、国民皆信仰の誓願をお立てになり“われと等しくして異なることなからしめん”と、おさとしになっておられるのです。すなわち、自分と同じように、人間すべてがお互い同士、人さまのためを考える人間になり、何ものにも束縛されずに自分の真のあり方を悟って、他の人をも自分と同じ心で見ることができるような境涯になってほしいというのが、お釈迦さまのご誓願であります。ですから国民皆信仰は、お釈迦さまがご法門を説き始められたときから、すでに出発しているのであります。 (昭和42年09月【速記録】) 国民皆信仰と宗教協力 二 国民皆信仰とは、国民のみなさんが正しい信仰を持ち、ひとりひとりが人間として、正しい自覚に立っていただくことを目標にしたスローガンであります。そういう社会を実現しないかぎり、私達は安心していてはならないのです。したがって国民皆信仰は、そのまま仏さまが願われたとおりの状態をこの娑婆国土に展開しようと努力することです。そのためには仏さまのご誓願に基づく慈悲の活動を、どこまでも続けていくことによって、国民ことごとくに安心してもらえる状態をつくり出さなくてはなりません。 これを実現するには、導師としての自分自身を信じられるような、いや、信じられるとか信じられないとかということよりも、もう一歩進めてそうした意識を無理にするのではなく、大地を固く踏みしめて進んでいくように、自分の毎日の行ないを完璧にすることを心がけていかなくてはなりません。そうして、仏さまの誓願を成就する方向に向かって毎日一歩ずつ前進していくようになれば、自分自身を信ずるということが、実感として胸の底からわきあがってくると思います。 この実感を体験をとおして味わうことがたいせつなのです。よく「自分は人に信じてもらえない」というかたがいますが、人が信じてくれるとか、くれないということよりも、自分で自分が信じられるということが先決です。自分を信じることができれば、それが一番安心なのですから「自分は人類ことごとくが踏み行なうべき大道をこうして進んでいる。そしてそれは、だれから見ても絶対に間違っていない道なのだ」という確信を持つことができ、しかも気持ちがせいせいしてきますから、少しの無理もなく日々努力していけるようになります。そしてこの努力をみんなが続けていけば、世の中はそれだけずつよくなっていくのであります。 (昭和42年09月【会長先生の御指導】) 国民皆信仰と宗教協力 三 国民皆信仰と言うと、みんなを立正佼成会に入会させるためだろうなどと錯覚している人があるようです。うわべはうまいことを言っているが、実は会員を増やそうとしているのだろうと、そういう考えの人もおられるかもしれません。そんな簡単なものではありません。もし、皆さんが一つの宗教団体に入ってくださるようなことになれば、国民皆信仰などすぐ成就してしまいます。私どもが声を大にして呼びかける必要など少しもないのです。 (昭和42年08月【速記録】) お釈迦さまは、すべては因縁所生だと言われていますが、信仰もまたそのとおりで、その人の因縁によって神さまの教えにひかれる人もいますし、また仏さまの尊さに導かれる人もいます。ですから、それを何もかも一つの色に染めなくてはならないなどと無理なことを言うと、これは因縁を生かさない、真理に反することになってしまいます。 (昭和42年05月【速記録】) 国民皆信仰と宗教協力 四 自分の宗教にどこまでも徹していきますと、それはひとりでに他の宗教の本義と通い合うようになります。そうならないのは、正しい宗教ではないのです。 なぜならば、正しい宗教の本義は自他一体であり、大愛であり、真理への帰依であり、どの宗教もつまるところはそこへ帰一するからであります。まことに方便品にもありますように「一切の諸の世尊も皆一乗の道を説きたもう」です。「諸仏は語異ることなし、唯一にして二乗なし」です。 それぞれの宗教の開祖は、それぞれの因縁によって、ある時代のある民族にふさわしい教えを説かれました。それゆえ、教えの表現のうえにおいては多少の異同があります。また、信仰の所作の形式においてもさまざまな違いがあります。従来は、その現象のうえの相違点のほうに目を奪われて、ともすれば他宗教に対する違和感を懐き、それが高じて反感・憎悪にまで発展しました。 しかし、そうした区々たる相違点から目を転じて、深く各宗教の本義をつきつめていくならば、必定してすべては一つなのだとわかります。(中略)一つであるところをお互いが見いだしさえすれば、協力はひとりでに生じてくるはずなのです。 イスタンブールで、東方ギリシャ正教会のアテナゴラス総主教と会見しましたとき、総主教の述べられた言葉の中でとくに感銘深かったのは次の二つです。 「すべての宗教の聖典は、平和への共通のレッスンである」 「各宗教間の神学的な相違はもう存在しなくなった」 まことにそのとおりです。どうか、皆さんもそのような広やかな理解を持ちつつ、しかも自分自身の信仰に徹していっていただきたいのです。それこそが、宗教協力の真の基盤となるものなのであります。 (昭和44年05月【躍進】) 国民皆信仰と宗教協力 五 今はあまりにも華やかな物質文明に目がくらんで、人々は一時的な混迷に陥っているだけのことです。きっと目が覚めます。その目を覚まさせるのが、実にわれわれ信仰者の使命なのです。私が、かねてから〈国民皆信仰〉を主唱しているのはそのためにほかなりません。(中略)では具体的に、どういう方法でうちだしていけばいいのでしょうか。(中略)ひとりでも多くの人に仏教の精神を理解させ、正しい人生の道へ引き入れてあげることです。(中略) 新時代の布教は、信仰とか宗教とかに関心を持つ人々だけが対象ではなく、また物質的・肉体的・精神的な苦難を背負った人々だけが相手ではなく、そういった狭い世界から抜けだして、世間のあらゆる階層に呼びかけなければなりません。そういう精神を〈普門の心〉と言うのです。 「普」とは、「あまねく」という意味で、「門」というのは、真理の門・信仰の門です。ですから、あらゆる人々に対して、今まで閉ざされがちであった信仰の門を開き、真理に即した生き方へ導き入れようというのが〈普門の心〉です。われわれは何よりもまずこの〈普門の心〉を持たなければなりません。それが、これからの布教を意義あらしめ、その成果をあげる第一の要諦なのであります。 (昭和42年01月【佼成】) ...
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...教えの普遍性 一 立正佼成会は、あくまでも仏教の教法によってのつながりでありますから、立正佼成会だ、臨済宗だ、日蓮宗だ、と〈宗〉にこだわることなく、久遠実成のご本仏さまを目標として、おおらかな心で、みずからを正しく歩むことが最もたいせつなことであります。 (昭和40年05月【佼成】) 私どもは一宗一派という形ではなく、宇宙の真理をお悟りになった久遠の本仏を本尊として、ひとりびとりの分であるところの因縁所生をよく辨え、ご法門を正しく自分で理解するとともに、人さまにお話しても理解していただけるような〈教え〉というものを中心に立てていかなくてはならないと思います。そういう意味で、私ども会員は自分達が特別の存在であるという考え方は間違いでありまして、全世界の人類ことごとくが、仏さまの誓願の中に生かされているという考えを保ち、仏さまの真のみ心を自分の心として進めば、いかなる宗教の人達とも、たいそう和やかに、温かい平和のつながりができるものと思います。教育、政治、経済、いかなる分野においても、与えられた条件の中で自分の責務をとおし、仏さまのみ心を自分の生活の基準とする理想が「何を以てか衆生をして」とおおせられた仏さまの有り難いお言葉に添い奉るものだと存じます。 (昭和40年05月【佼成】) 教えの普遍性 二 仏教が渡来してから約六百年の間は、貴族階級や文化的エリート達の占有物であり、国家鎮護や一族の安泰を祈る信仰であった。 それが鎌倉時代になると、法然・親鸞・道元・栄西・日蓮と言うような偉人の手によって貴族的な衣を脱ぎ、大衆の座へ下りてきた。しかし、その救いはおおむね個人の心の安らぎにとどまり、世を立て直すというエネルギーには欠けていた。 それからまた七百年が経過し、二十世紀の今日となった。そして、ここにまた衣の脱ぎ替えをしなければならない時期が到来したのである。 今の世相をながめ渡せばすぐわかることだが、個人個人が信仰によって心の安らぎを得たところで、世の中の汚濁・混迷・争乱は収まりそうもなく、しかもその不幸な状態は世界的なスケールを持つようになった。こうした時代には、もちろん個人個人の信仰が基盤になるものとはいえ、それがマッス(塊り)となり、組織のエネルギーを持ったものにならなければ、とうてい真の救いには達せられない。立正佼成会はこういった時代の必然的な要請に応えうる組織である……というのが、現在の私の信念である。大きな組織の力と言っても、それが邪な、エゴイスティックな、あるいは独善的な思想に基づくものであってはならないことは、言うまでもない。世界中のどこへ持っていっても抵抗なく受け入れられる、正しく、しかも柔軟な姿のものでなければならない。そういう条件にぴたりと当てはまるのが、法華経の精神である、と私は信じている。 〈人間はすべて大生命の分身である〉という真実、そこから導き出される〈万物・万人の成仏〉〈万物・万人の大調和〉の教えこそは、世界中のあらゆる人が納得できる普遍的大思想であると確信している。 それゆえ、私は四百万会員の心からなる後押しを頼みとして、この精神を世界に伸び展げ、浸み透させることに余生をささげたいと決意している。かくして、立正佼成会も世界の立正佼成会にならなければならないと思っている。 現在の会員の網領は左の如くである。 立正佼成会会員は 恩師会長先生のご指導に基づき 仏教の本質的な救われ方を認識し 在家仏教の精神に立脚して 人格完成の目的を達成するため 信仰を基盤とした行学二道の研修に励み 多くの人々を導きつつ自己の錬成に努め 家庭・社会・国家・世界の平和境(常寂光土)建設のため 菩薩行に挺身することを期す。 この網領の二行目を、 「大恩教主釈迦牟尼世尊のみ教えに基づき」 と改めるべき時期がそろそろ来つつあるのではないかと思っているのである。 (昭和51年07月【庭野日敬自伝】) 教えの普遍性 三 皆さまのご精進により、最近では至るところ、あらゆる部門のかた達が、立正佼成会のあり方について、異口同音に賛辞をお寄せくださるようになりました。 先日も、禅宗の僧侶がたが本部にお見えになり、大聖堂の構造、ご本尊さまのあり方、さらにはお互いさま合掌し合って、毎日の修行に励む皆さまの姿をご覧になって、これこそ行住坐臥、真の仏教徒の振る舞いであると手放しのおほめにあずかりました。 けれどもこれは、何も私どもが、特別のことをしているわけではないのでございます。私どもはただ、いかなる世になろうとも変わることのない仏さまのみ教えを守り、行じさせていただいて、そして、仏さまのみ心にかなう人間にならせていただこうと、努力しているのであります。したがって、私どものまだ至らない修行を、世間の人さまが、そんなに大きくおほめくださるにしても、ここで心のたがをゆるませるようなことがあってはならないのでございます。 重ねて申し上げますが、なんでもない、普通のことをしているのであります。ですから皆さまは、くれぐれも有頂天を戒めて、実社会における自分の生活そのものが、何時でも法と相応していることができるように、一段とみずからの信心を高揚させる心構えが肝心であると存じます。 (昭和41年02月【佼成】) 人と生まれ、だれしも希望に輝く、伸びやかな明るい心を求めない者はありません。希望は希望を呼び、幸せは幸せを呼ぶものです。 私どもは、ほんとうの仏教徒であり、真の宗教者であるという自覚に立ってこそ、はじめて自分の宗教の教義内容、人生観、世界観を広く正しくお伝えすることができるのでありまして、そうすることによってなお一層、多数の共鳴者を得られると思います。日々自己を見つめながら、どこまでも感謝と、喜びにあふれた気持ちでご精進されることを切に願ってやみません。 (昭和40年05月【佼成】)...
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...仏教の本義 一 仏さまは縁起観をお説きになり、すべてのことは因縁所生によって現われる、と教えておられます。またご入滅にあたっては、弟子達が「この後、だれが権威者、指導者になるのでしょうか」と質問したのに対して、「自燈明・法燈明」──自分を燈とせよ。他を依りどころとしてはならぬ。そして、今まで説いた法を燈としていくように──と言い遺されたのであります。 宗教の真の本質というものは、この「自燈明・法燈明の精神」にこそあるのです。そして、その精神をもって、“二もなく三もなく、皆一仏乗”という平等大慧、仏性礼拝の法華経精神に徹し、仏法の法則を学び、自覚し、それに従って、みずから自分の人生を善に切り替えて生きる、ということがたいせつなのです。仏さまのこの「自燈明・法燈明」の教えは、まことに末代不変の宗教のあり方を、そこにはっきりとお教えくださった言葉であります。 (昭和41年01月【佼成】) 初転法輪以来、釈尊が説き明かされた「四諦の法門」をはじめ、縁起の法則に基づく重要な各法門を体系的に研究せられたものを、学者によって〈根本仏教〉と名づけられた。われわれも現在その名称を用いているわけであるが、この「根本仏教の精神」を究竟していくと、必然的に法華三部経の深遠な哲理に到達し、また実践の法門としての現代的把握もきわめて容易になってくる。 私は、この高い哲理と実践の法門とが宗教の本義であると考えている。言い換えると万教に通ずる「宗教の本義」が法華三部経の中に完全に具備し、統合されて生きているものと確信している。本会が法華三部経を所依の経典とし、深くこれに帰依している理由は、実はそこにある。世界に真の平和をもたらし、人類を真の幸福に導き入れる真理の経典として把握しているからこそ、われわれはその教えの実践に身命をかけているのである。 (昭和41年04月【本義】) 仏教の本義 二 今まではよく、原始仏教・根本仏教・小乗仏教・大乗仏教・南方仏教・北方仏教などといったような分類が行なわれていました。仏教を学問的に研究する学者ならば、このような分類も必要でしょうが、人生苦から救われ、世の中をよくするために仏教を学び、信仰する者にとっては、そういう分類にとらわれる必要はまったくありません。 釈尊が法華経をお説きになった意図がすでにそういった精神に基づくものであって、方便品の「如来は但一仏乗を以ての故に、衆生の為に法を説きたもう。余乗の若しは二、若しは三あることなし」と言うお言葉が、その精神の昭々たる大宣言なのであります。 (昭和44年02月【仏教のいのち法華経】) 正しい宗教・正しい信仰であるかぎり、その奥の奥には共通の真理があるはずです。宇宙の大いなるいのちに帰命することによって救われる、というギリギリの一致点があるはずです。 そこを、どの宗教の人も見いださなければならないのです。(中略) そうすれば、世界中の人の〈救い〉の自覚は共通のものになります。心の波長が同じになるのです。波長がおんなじになってこそ、すべての人間の心が一つに融け合うことができるのです。「人間はみんなただ一つの大生命に生かされているのだ」という自覚がシミジミと生まれてくるのです。 こういう境地ならば、世界中のどの国の人でも、どんな民族でも、どんな文化圏に属している人でも、抵抗なくはいっていくことができましょう。もちろん、今すぐというわけにはいきません。非常に難しいことです。しかし、永い年月をかけるならば、決して不可能ではないのです。ですから私は、これを人間の究極の理想としてかかげなければならぬと信ずるのです。多年〈宗教協力〉ということを主唱しているのは、こういう理念に基づくものであります。 すべての信仰の本義を究め、そこのある普遍の真理をつかむことができれば、個々の信仰もその意義もよくわかってきて、その信仰がほんとうに生きてくるのです。 (昭和43年04月【新釈法華九部経】) 仏教の本義 三 私達が、人間や他の生物や、いろいろな物事を見たり、考えたりする場合、相違している点をこまかに見つけていく行き方と、同一の点に目をつけて考える行き方とがあります。 人間を例にとるならば、顔かたちや体格や皮膚の色や、言語・風俗などの違いによって、あれはアングロサクソン民族で、これは蒙古民族だ──というような見方が前者です。それに対して、どこのどんな人間でも、目は二つ、口は一つ、手足は二本ずつ、内臓の作りも一緒、親が子をかわいがる心も、飢えや死を恐れる気持ちにも変わりはない。人間はみんなおんなじなのだ──という見方が後者です。 前者のようなものの見方は、科学などを究めていくうえにはどうしても必要なことですが、そればかりに片寄ってしまうと、いろいろよくないことが起こります。一番よくないことは、何事につけても差別的な感情を持つようになることです。たとえば「あの男は自分と考え方が違う。だから付き合いたくない」といった気持ちが起こることです。(中略) 反対の例をあげてみましょう。皆さんそれぞれ友達を持っておられることと思いますが、それらの友達の顔つきや、性格や、ものの考え方や、趣味や、職業や、生活などがあなたとおんなじですか。そうではないでしょう。それなのに、あなたは友達と仲よく付き合っておられる。他の人が言えばムッとするようなことでも、友達が言ったのなら笑っていられます。人が半分かじった握り飯など食べられるものではないのに、親しい友達のものだったらヒッタクってでも食べたりします。 なぜでしょうか。ほかでもありません。一体感があるからです。性格その他のいろいろな相違点は頭になく、「おれたちは親友だ」「私達は仲よしだ」という一体感の方が心の大部分を占めているから、そういうことができるのです。私達は、身近に経験するこのようなありきたりの事実からも、人間の生き方はどうあるべきか、人類の進むべき道はどこにあるかを発見し、しっかりと考えていく必要があるのではないかと思うのです。 (昭和44年05月【佼成】) 仏教の本義 四 人間同士が仲よく暮らし、平和に生きていくためには、お互いの違っている点よりも同一の点の方を頭においた方がよいことは、ほぼわかっていただけたことと思います。これは、私が事新しく言いだした理論ではなく、二千五百年も前にお釈迦さまがちゃんと教えてくださっているのです。そのギリギリ究極の哲理を示されたのが、無量義経の次の教えです。 「応当に一切諸法は自ら本・来・今、性相空寂にして無大・無小・無生・無滅・非住・非動・不進・不退、猶お虚空の如く二法あることなしと観察すべし。而るに諸の衆生、虚妄に是は此是は彼、是は得是は失と横計して、不善の念を起し衆の悪業を造って六趣に輪廻し、諸の苦毒を受けて、無量億劫自ら出ずること能わず」 現代語に直しますと、「この世のあらゆるものごとの奥にあるのは、宇宙ができてから今まで(本・来・今)ずっと変わることなく、一切が平等で、しかも大きな調和を保っている世界である。(性相空寂)」ということです。 われわれが肉眼で見る現象の世界では、大きいとか小さいとか、生ずるとか滅するとか、止まっているとか動いているとか、進むとか退くとか、さまざまな差別や変化があるように見えますが、その根本においては、ちょうど真空というものがどこをとっても同じであるように、ただ一つの真理に基づく、ただひといろの世界であること(二法あることなし)を見極めねばならないのです。 ところが、多くの人々はこの真理を知らず、目の前に現われた現象だけを見て、あれとこれとを差別して考え、得だ損だなどと勝手な計算をして、そのために不善の心を起こし、さまざまな悪い行為をなし、こうして迷いの六つの世界をグルグル回って、いろいろな苦しみを受けるばかりで、いつまでたってもその境界から抜け出ることができないというわけです。(中略) そのことを、無量義経においては、前に引用したようにたいへん哲学的に説かれているわけですが、次の妙法蓮華経においてはもっとわかりやすく「人間はすべて仏の子である」と説かれているのです。この場合の仏とは、万物・万象の大本である宇宙の大生命のことです。つまり、個々の人間を見れば別々の存在のように見えるけれども、その大本を探っていくと、すべてが宇宙の大生命の分身であり、みんな兄弟・姉妹なのだ──と教えられているのです。 (昭和44年05月【佼成】) 仏教の本義 五 キリスト教では「すべてのものは全智・全能の神がおつくりになった」と説いています。(中略)この世界のすべてのものをつくった神と言えば、とりもなおさず宇宙の大生命にほかならないではありませんか。 神道では、祝詞の中に「高天原に神詰ります」とあります。表面的な解釈では「高天原」という特定の場所に神々がお集まりになっているかのように受け取られますが、その奥底にある意味は「この宇宙に神がいっぱい詰まっておられる」ということなのです。 法華経の見宝塔品では、四百万億那由他の国土に諸仏・諸菩薩が遍満したもうありさまが説かれ、あとの寿量品で宇宙の根源は久遠実成の本仏であることが明らかにされます。 真言宗では、三千世界はすなわち大日如来の身だと説き、その分身である諸仏・諸菩薩が宇宙にいっぱい満ち満ちているすがたをマンダラに表現しています。浄土宗や浄土真宗の阿弥陀如来は、原語はアミターバ(無量光)アミターユス(無量寿)ですから、決して西方浄土にのみおられるのではなく、この宇宙をあまねく照らしている光明であり、あらゆる所に隙間もなく存在する根源の生命であります。 それらと、「高天原に神詰ります」と説く神道や、「この世のすべてのものを作りたもう神」と説くキリスト教と比べ合わせてみてください。根本において同じ思想に貫かれていることがわかってくることと思います。 (昭和44年05月【佼成】) 仏教の本義 六 われわれはどこまでも仏法という大きなものさしで世の中を見、立て直していこうとしているのです。また、仏法そのものをも小乗とか、大乗とか、仏説とか、非仏説とか言うような、小さなものさしで分別するものでもありません。もっとおおらかに現実に世の浄化・向上に役立つ教えであるならば、大乗・小乗にかかわらず、あるいは他教の教えであろうと、その他の賢人・聖人の言説であろうと、ドシドシそれを用います。それが真の意味の一仏乗であると信ずるからであります。 その点、われわれの信仰は、非常に寛容度の高いものです。一仏乗が万有を包容し、全真理を包摂するもであるかぎり、寛容度の高い信仰こそほんとうの信仰であると言えましょう。 (昭和41年06月【躍進】)...
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...所依の経典・法華経 一 立正佼成会の目的は、法華経を中心とする仏法を学び、かつ行ずることによって、まず個人の人格を高め、家庭を明るくし、ひいては社会・国家に清らかな繁栄をもたらし、最終的には世界を真の平和境に化したいということであります。 この個人→家庭→社会→国家→世界という、着実な妙法化の路線こそわが会の不変の信条であり、すべての活動の根幹をなすものであります。 (昭和41年06月【躍進】) われわれの理想は実に高遠であり、しかも、それへ向かって進む道は間道でもなければ、近道でもありません。真っ正面からの大道であります。それだけに、華やかなところもなければ、スリリングなところもありません。いたって平凡です。しかし、その平凡なところがいいのであって、平凡であればこそ広く大衆に通用するのだということを、しっかりと認識する必要があります。水は無味・無臭であればこそ常飲するに堪え、米は味淡泊であればこそ常食となるのです。われわれはこの平凡な水と米の味を、ジックリとかみしめていこうではありませんか。 また、理想というものの持つ価値は、それが完成されてはじめて顕現するのではなく、たとえ蟻の歩みのように小さくても、それへ向かって進む一歩一歩のなかに、すでに生きて働いているのです。われわれの毎日のご法修行、周囲の人々に対する親切行、職場における懸命な働き、仏法弘通のためのお導き、それらの一つ一つの行ないのなかに〈おのれの仏〉・〈一切衆生の成仏〉という理想が、すでに生きた働きを開始しているのです。 その認識に徹しさえすれば、会の目的を見失うこともなく、みずからの修行に懈怠を覚えることもありますまい。こういう平凡なことを、うまずたゆまず続けてゆく人こそ、ほんとうの信仰者、真の勇者というものであります。 (昭和41年06月【躍進】) 所依の経典・法華経 二 立正佼成会が所依の経典としている法華経というものは、最高最尊の経典であると言われておりますが、それは他の一切経が劣るものであるとして無視せよ、という教えではないのです。それは一切経の根本義は一つであるという見地に立つものであり、諸経に説かれた仏さまの教えを真に生かすものであるというところに、法華経の価値があるのです。 この法華経を理解すれば、仏教にとどまらず、全宗教はその本質において一つであり、一つに帰するのがほんとうであるという確信に到達するはずです。 本会が、人類の幸福を実現するためには、宗教統一がなされねばならないと言うのもそれがためであって、決して自己の教団の傘下にすべてを納めるというような実現不可能な夢想を口にしているのではありません。仏さまが“一仏乗において分別して三と説きたもう”と申されているように、いずれの宗教、宗派からも、その良き点を法華経の精神によって精選し吸収し生かしていく、そして誤れるものには根本仏教の理念によって理を尽くして説き、そして正していく。こうして会員、非会員を問わず、人々をして正しい信仰の基盤の上にのせていくということがたいせつな仕事なのです。 (昭和39年06月【佼成】) 所依の経典・法華経 三 われわれの所依の経典である法華経は、昔から難信難解がとおり相場になっています。第一、お釈迦さまご自身がそうおっしゃっておられるために、みんながそのお言葉を鵜呑にして、難信難解であると思いこんでいる傾向があります。ところが、お釈迦さまの真意は、教えを聞く人々により一層の覚悟を促すためにそうおっしゃったのであって、法華経の内容そのものは、決して晦渋なものではありません。よくかみくだけばだれにもわかる真理なのです。 もっとも方便品における〈諸法実相〉の教えは、昔の人にとっては難解なものだったかもしれません。また近代以降の人にとって、寿量品に説かれた〈久遠本仏の存在〉は信じ難いことだったかもしれません。ですからこの経典が永い間、難信難解とされてきたのも、また無理からぬことであるとも思われます。 しかし現代においては、条件がまったく変わっているのです。原子物理学が発達し、それがわれわれの常識の世界にまではいりこんできましたので〈諸法実相〉の教えも、たいへんわかりやすくなりました。〈諸法実相〉がわかりますと、したがって〈久遠本仏の存在〉もしんから納得できるようになります。 すなわち真理の〈解〉から、真理への〈信〉が生まれる条件が整ってきているのです。 ですから、こんど書き下ろしました『新釈 法華三部経』においては、まず〈諸法実相〉ということを徹底的に解明することにしました。第一巻の「無量義経」においても、できるかぎりやさしく、いろいろな例証を引いて説明しましたが、第二巻の「序品・方便品」のところでも、ふたたびあらゆる角度から究明して、この根本的な真理をすべての人に必ず理解してもらおうという熱意に燃えています。 そうすることによって法華経の中心であり、一切経の魂魄であり、われわれの〈信〉の依処である寿量品も、必ず万人のものとなるであろうことを確信しているものです。 (昭和39年03月【躍進】) 所依の経典・法華経 四 信仰のエネルギーとは、(中略)上から押しつけられて外へはみ出していくような力とは、まったく異質なものであります。本来は内へ内へと働く力であり、内なる魂を清める力なのであります。従地涌出品に現われる本化の菩薩衆も〈衆に在って多く所説あることを楽わず。常に静かなる処を楽い勤行精進して未だ曽て休息せず〉とあるように、もともとはヒッソリと内なるものを高めていきたいという人達だったのです。 しかし、内なる魂に法悦が満ち満ちるとき、それはひとりでに外へあふれ出していかざるをえません。すなわち〈地皆震裂して〉その中から涌出せざるをえなくなるのです。これがほんとうの菩薩のエネルギーであり、そういった純粋なエネルギーでなければ、人々の魂を救い、ほんとうに世を浄化することはできないのです。 立正佼成会の会員は、そのような菩薩の境地をめざさなければなりません。まず、内なる信仰を充実する。その充実した信仰がおのずからあふれ出て、家庭を調え、職場を明るくする。そして、次第次第に横への広がりを増していく──このように、足もとをしっかり固めながら、窮極の理想である世界の妙法化へと、たえざる前進を続けなければならないのです。 (昭和41年06月【躍進】) 所依の経典・法華経 五 仏さまは法華経の中で、開三顕一の法門によって、声聞・縁覚・菩薩という三つの機根に分けて、われわれのだれもが当てはまるような教えの内容と、修行の方法をお示しくだされたのであります。これも、一切のものを一つの漏れもなく、全部仏さまの誓願の中に包含して、皆を幸せにしてあげようという、お慈悲の現われだと思います。 (昭和40年05月【佼成】) 法華経の如来寿量品を拝見いたしますと、仏さまは「常に此処に住して法を説く」───いつでも、私どものすぐそばについていて、そして万人が救われ、幸せになる法を説いているぞ──と、はっきりおおせくださっています。 目に見えぬ神の心に通うこそ 人の心のまことなりけり と、明治天皇御製にございますのも、陛下がこれを、国民におさとしくださった大御心であります。ですから私どもが、仏・法・僧の三宝に帰依し奉り、いつでも、どこでも、自分のすぐそばには仏さまがおつきくださっていると信じ、自分という者は、神仏に見られて恥じない人間であるかどうかと、常に反省吟味していくならば、これは皆さま、ほんとうにすばらしい人になられること、間違いありません。 (昭和41年02月【佼成】)...
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...本尊観と行法観 一 本尊とは、信仰者がみずからの信仰のよりどころとして尊崇し、礼拝する大本の対象を言います。〈本になる尊崇の対象〉だから本尊と言うのです。 世界の大宗教と言われる宗教には、それぞれ立派な教えがあります。教義があります。物事を理屈だけで割り切りたがる人は、その教義をしっかり理解し、それに従って生活すれば立派な人生が送れるのだから、何かを拝んだり、唱えごとをしたりする必要はないではないか、と考えるでしょう。 ところが、キリスト教の人々はキリスト像や聖母マリア像を尊崇の対象とし、イスラム教の人々はアラーの神を礼拝し、仏教の人々は大日如来・阿弥陀如来・釈迦牟尼如来等を本尊とするように、それぞれ〈人格化した神〉もしくは〈神格化した歴史的人物〉を信仰のよりどころとし、その彫像・画像を祀り、その前にぬかずいて合掌し、祈りをささげるのです。一つの宗教だけでなく、ほとんどの宗教がその点においては大同小異です。 いったいこれはなぜでしょうか。一言にして言えば、信仰とは知性よりはむしろ感性に基づくものであるからです。もっと厳密に言えば魂(心の一番奥にある人間の本性)の問題であるからです。 (昭和42年12月【佼成】) 本尊観と行法観 二 仏教は、すべての宗教のなかでも最も知性的な宗教であると言われています。まったくそのとおりで、一切経の精髄であると言われる法華三部経にしましても、無量義経の〈一相すなわち実相〉の教えに始まって、方便品の〈十如是〉などの教えまで読み進んできますと、まことに科学的な世界観の粋であるという感を深くせざるをえません。 それらの法門が教えるところは、つまり「人間の究極のよりどころは、宇宙の根源の実在であり、その働きの真理である。言い換えれば、宇宙をつくり現わし、すべてのものを存在させ、生かしている大本の大生命とその働きである。われわれ人間は、その大生命の一つの現われにほかならないのであるから、その大いなるいのちに随順し、その働きのまにまに生きていけば、それがほんとうの生き方である」と言うことであります。 ところが、宇宙の根源の実在とか大生命とか言っても、頭のうえではよくわかるのですが、なんとなく空々漠々とした感じで、それを魂にピタっとつかまえ、現実に生きる頼りにすることはなかなか難しいものです。すぐにそれのできる人は十万人のうちに一人いるかいないかでしょう。 したがって、普通の人間としてはどうしてもその根源の実在とか、大生命というものを、目に見える、形のあるものに象徴して、その形ある姿に心の焦点を合わせざるをえなくなるのです。 それならば、どんなものに一番心の焦点が合いやすいか、魂にピタっと焼きつくことができるか、と言いますと、われわれ人間にとっては、やっぱり人間の姿にかぎるのです。無条件に尊敬し、仰ぎ、慕い、その人の言われることならなんでも随順せざるをえない、というような偉大な人物の姿が最もふさわしいわけです。 さればこそお釈迦さまも、法華経の後半にいたって「私は久遠実成の本仏の顕れであるぞ」とお説きになったのです。すべての仏は(厳密に言えば、すべての人間は)宇宙の大生命の現われに違いないのですけれども、それでは凡夫の頭に強い印象が焼きつけられませんので、現実に大衆の前に生きておられ、そして無条件に尊敬され、帰依されているご自分の姿を指して、「私は永遠不滅の仏であるぞ」とおおせられたわけです。 そこではじめて、大衆の魂にピシっとしたつかまえどころができたわけです。「あのような仏さまが全宇宙に満ち満ちておられるのだ。私はその仏さまに生かされているのだ」という実感がフツフツとわいてきたのです。 ところが、お釈迦さまご在世当時はそれでよかったのですが、それから二千五百年もたった今日では、もちろん生きたお釈迦さまを拝することはできません。それゆえ、どうしてもそのお姿を彫刻や絵に表わして、そのお姿にわれわれの心の焦点を合わせ、そのお姿を通じて、久遠の本仏に生かされているという実感を味わわざるをえないのです。これが、本尊がぜひ必要であるゆえんであります。 オランダの有名な宗教学者ティーレが言った次の言葉が、その真実をズバリと言い表わしていると思います。 「宗教の真諦は鑽仰の念である」 (昭和42年12月【佼成】) 本尊観と行法観 三 われわれも人間ですから、やはり人間として最も完成された、偉大な救済力の持ち主である人の姿を通じて、その大本の大生命に帰依するのが、最も自然な道だということになります。しからばそういう人とはだれでしょうか。お釈迦さまのほかにより適切な人がありましょうか。実際にこの世に出現され、宇宙の根本道理に即した人間の生き方をお説きになり、その教えの生きた手本をご自分の身に示された釈迦牟尼世尊のお姿に久遠の本仏を拝する、それ以上に適切な道がありましょうか。どう考えても、あるはずがありません。 仏教の正道をいく立正佼成会が「久遠実成の本仏・釈迦牟尼世尊」を本尊としてあがめるゆえんはここにあるのです。 (昭和42年03月【佼成】) ご本尊の表現形態は法華経の虚空会の説相に基づき、また日蓮聖人の《観心本尊鈔》《報恩鈔》などにおけるご教示によって、教主釈尊のご本懐であり、法華経の真実義を顕すのに、最も理想的な形態を選んだものであります。 すなわち教主釈尊をご本尊の中心主体とし、多宝如来を光背の中央上部の多宝塔中に配して、教主釈尊の説法が皆これ真実であることを表わし、さらに上行・無辺行・浄行・安立行の四大菩薩を光背の左右に脇士として配して、教主釈尊が本仏釈尊であることを表わし、さらに教主釈尊の胎内には《法華三部経》を納めて、三十二相具足の釈尊像とし、人法一体のご本尊であることを表現しました。また、ご本尊は活動的であることが必要ですから、教主釈尊は立像とし、その印相は〈与願施無畏印〉としました。さらに四大菩薩の印相は、上行菩薩〈転法輪〉、無辺行菩薩〈与願〉、浄行菩薩〈合掌〉、安立行菩薩〈降魔〉とし、それぞれ本仏の手足となって法華経の広宣流布に活躍することを表現しました。 (昭和43年03月【本尊観の確立のために】) 胎内に納めた《法華三部経》は、ご本尊造立の意義のきわめて重大なることから、私自身の手によって《法華三部経十巻》を書写させていただくことを発願しました。(中略) 完成された写経は銀製の器に密封し、昭和三十五年十二月八日、釈尊成道会の佳き日にインド産の香木とともにご本尊の胎内に納められました。 写経の巻末の願文には 「三十一相ノ釈尊像ノ胎内ニ本師釈尊ノ御魂タル法華経開結三部ヲ入レ奉リテ三十二相具足ノ釈尊像トナシ奉リ四菩薩ヲ光背ニ配座シテ 久遠ニ実成シ給ヘル本仏釈尊ヲ具現シ奉ラントス コノ久遠実成大恩教主釈迦牟尼世尊ノ御本尊コソ吾等仏教徒ハ勿論宗教ヲ異ニスル全人類ト雖モ 恭敬尊重讃歎帰命シ奉ルベキ大本尊ニシテ 三乗ノ三業受持ノ修行コソ涅槃ノ妙境ニ至ルノ大直道タリ」 と謹書させていただき、私のご本尊造立についての決意を表わしました。 (昭和43年03月【本尊観の確立のために】) 本尊観と行法観 四 教主釈尊の説法教化には順序次第があって、時代により、環境により、あるいは教化の対象によって、教えの内容をお選びになられ、衆生の機根の高まりに応じて、次第に浅い教えから深い教えへと教化され、そしてついに真実本懐の教えである法華経をお説きになられ、〈本仏釈尊〉の本体を明らかにせられました。 このように、教化の順序次第をお踏みになられるということは、これを「三世諸仏の説法の儀式」と言いまして、衆生を教化するにあたっての原則であります。 また、日蓮聖人がご本尊についてご教示せられる場合も、お題目を謹書して授けられたり、釈迦一尊をお示しになられ、あるいは「大曼荼羅」を図顕せられるなどの順序を経て、最後に真実本懐のご本尊である〈本仏釈尊本尊〉の造立をご教示せられています。 今、本会の歴史を振り返ってみますと、その本尊観・行法観の確立にあたって、まことに教主釈尊のご聖意のごとく、また日蓮聖人のご教示にも一致していることに驚嘆せざるをえません。 (昭和43年03月【本尊観の確立のために】) 本尊観と行法観 五 本会における〈行法観〉は、「根本仏教」と「法華三部経」とを表裏一体として把握したところに基盤をおいています。 明治時代を中心とする東西両洋の学者による実証的、世界史的視野における仏教研究の結果、〈三法印〉〈四諦〉〈縁起観〉をはじめ、教主釈尊のお説きになられた教えの根本ともいうべき重要な法門が明らかにされて、これが「根本仏教」「原始仏教」と名づけられました。 この「根本仏教」という名で呼ばれている、教主釈尊の教えの基本的な法門を研鑽していきますと、必然的に〈法華経の深遠な哲理〉に到達し、また実践の法門として仏教の根本道理を現代人の良識で理解することがきわめて容易になってきます。 私は「根本仏教の精神」と「法華三部経」の中に表裏一体となって具備し、統合されて生きている、その深い哲理と実践の法門とが、教主釈尊の説き明かされた教えの〈根本道理〉すなわち〈仏教の本義〉であり、また万教に通ずる〈宗教の本義〉であると確信しています。 本会の〈行法観〉が、法華経を所依の経典とし、深くこれに帰依し、その教えの実践に基盤をおく理由はここにあります。 (昭和43年03月【本尊観の確立のために】) 本尊観と行法観 六 〈行法観〉が確立されて初めて、〈本尊観〉がはっきりとしたかたちで確立されます。これが法華経の教えの内容であります。 お釈迦さまはこの経典の中で、物事はこう悟るのが正しい、そしてこういう道に入っていくことが正しい道であると、〈行法観〉をこと細かに説かれ、手とり足とりして、私どもをそこまで持っていってやろう、連れてってやろうとされています。 ですから、それだけの行法の確立なくして〈本尊観〉の確立はありえないのです。すなわち、学問的な面からだけみて、本尊を理屈で考えようとしても、行法の裏づけがないと、〈本尊観〉が定まるはずはありません。法華経の二大眼目は、この“行法の確立”と“本尊観の確立”に置かれています。その意義を考えながら経文を読ませていただきますと、それこそもったいなくて怠けてなどいられなくなってくるのであります。 (昭和36年【会長先生の御指導】10集) 信仰は、そのあり方が本仏と直結されたとき初めて、ほんとうの救いとなって現われてまいります。しかし、何を祀ったらいいのかわからないけれども、本尊を祀れと人が言うからとにかくそうしておこう、というようなつもりで本尊を祀ってもなんにもなりません。心が本仏と離れてしまっているのですから、それは偶像でしかないわけです。 〈本尊観〉がはっきりしないということは、信仰の内容がそれだけ充実していないということであり、自己の修行の方法が確立されていないことの証拠です。つまり〈行法観〉の確立によって本尊観の確立する土台ができ、人間としての生き方がしっかりと定まって初めて、本尊によってこうして生かされているのだという大真理が頭に浮かんでくるのです。ご本尊として勧請申し上げようという信仰内容も、そうした基盤の上に成り立つのであります。 そのところはしっかりと頭に入れておいていただかなければ、なんのために信仰しているのかを問われることになります。 (昭和36年【会長先生の御指導】12集) 本尊観と行法観 七 本会における〈本尊観・行法観〉は、個人の救済から出発して家庭・社会・国家・世界の救済へと拡大する、無限の可能性を秘めているのです。 すでに本会において修行精進をされている会員の皆さまは、それぞれに救われて幸福な境涯にならせていただいていることと存じますが、自分個人の救われや家庭だけの幸福に満足しているようでは、真の救いではありません。 私達には、普く社会へ、国家・世界へと法華経を広宣流布する大使命があるのです。本会の目標は、はるか先です。求法の道程は無限です。それに向かって今まさしく、堂々たる大行進を開始したのです。 (昭和43年03月【本尊観の確立のために】) 〈本尊観〉〈行法観〉が車の両輪・鳥の双翼のごとく、表裏一体となって確立されたときこそ、その人の信仰も、修行もいよいよ〈本仏釈尊〉の大慈大悲に直結したほんとうのものとなり、その真価を十二分に発揮することができるようになるのです。 (昭和43年03月【本尊観の確立のために】)...
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...時機相応の教え 一 今日のような国家機構、社会機構であっては、個人の幸福は個人の力で獲得するという形体ではなく、全体のあり方によって個の幸福が決定づけられる時代です。全体と個、個と全体という問題が今日ほど密接不可分の関係におかれていることを強く認識させられるときはありません。もちろん私どもは、自分自身の心を磨き幸福な状態を保つために信仰するわけですが、涅槃寂静という言葉は、バランスのとれた平和な状態を言うのであって、したがって社会の安定、日本の繁栄、世界の平和という問題は、決して自分とは無関係で迂遠な問題ではなく、仏教徒として、これはどうしても真剣に考えなければならぬことなのです。その代表的なおかたが日蓮聖人であったわけです。 そうした意味から、今日の日本が著しい繁栄を示しているとはいうものの、肝心のバックボーンと言うか、精神的支柱というものを欠いていることは、私ども信仰者の大きな責務と申しますか、怠慢であることを反省しなければなりません。現代人は事態を客観的に冷静に考える点ですぐれてはおりますが、社会、国家の問題を自分のこととして考えるという点には大いに欠けていると思われます。 しかし、諸法無我、因縁所生ということから考えていきますと、これはもう、どうしても全体ということの中に自分というものを置いて考えなくては、真の平和、寂光土というものは建設されるものではありません。 (昭和39年03月【佼成】) 時機相応の教え 二 釈尊の教えは、言うまでもなくすばらしいものであり、完璧なものであります。しかし、その教えが現代の社会において充分に生かされていない、発揮されていないのです。そのために仏教というものが社会的実力において力がないとさえ思われているのが現状ではないでしょうか。 それでいて一見するところ、わが国には仏教の各宗派、各教団が数多く存在しているのですが、それらの間に共通性、団結性が欠けていることは否めない事実であり、これが釈尊の教えを充分に社会に生かしえない一つの原因になっているわけです。 その点で、キリスト教というものには数多くの派があるにしても、ひとりのイエス・キリスト、一冊のバイブルのもとにまとまっているということは事実であり、そこに強みがあるわけです。とは言うものの仏教におきましても各宗派の宗祖がたは、決して釈尊の教えに背を向けて教えを説かれたわけではなく、それなりの方法において教主釈尊の悟りにまで衆生を導きたい、というお気持であったことは間違いありません。 そこで日蓮聖人が釈尊のご本懐をしっかりと把握し、釈尊の純粋な教えに還れと叫ばれたように、私どももまた、久遠の本仏釈尊とその教えとそれを正しく実践する共同体に結集することを訴えていかなければなりません。したがって、私どもの努力が今日ほど強く要求されるときではないのです。私が常日ごろ、三宝帰依を力説しているのもそのためであります。 (昭和39年03月【佼成】) 時機相応の教え 三 信仰によって心が変われば、病気も治り、うまくいかなかった仕事も好転するでしょう。しかし信仰をするということは、あくまでも病気や仕事や家庭の不和といったことだけではありません。信仰は欲望充足のための手段ではないのです。信仰者として現在の私どもが得ている幸福は、自分だけのものであっていいというものではないのです。 日本の総人口からすれば、まだまだ少ない本会会員数ではありますが、三宝帰依を土台にして私どもが結集し力を合わせて、自分達が日本の柱となるという心構えでやっていただきたい。日本の柱ということが肌にじかに感じられないならば、皆さんのひとりひとりが、法のとおりに実践してその職場の中心になり、グループの中心になってリードしていくということが、とりもなおさず日本のバックボーンが形成されることにほかならないのです。 (昭和39年03月【佼成】) 時機相応の教え 四 宗教とはなんであるかという定義がいろいろとされていますが、たとえば英語のレリジョン(宗教)の原語であるギリシャ語のレリギオという言葉の意味が結合とか関係と言うことからして、これは人間と超人間(神)との諸関係を示すものであるというふうに言われたりしております。しかし現在では明治時代から使われている宗教、すなわち宗とする教えという解釈が一番、平易かつ妥当のようです。この解釈をもってするならば、その宗とする教えをもって経済界に生かす、医学の面においてその教えを土台にして努力する、それをもって政治の分野に実践するというのがほんとうであり、すべてのものの指導原理たる仏教の値打ちでもありましょう。 (昭和39年05月【佼成】) 時機相応の教え 五 お釈迦さまは、四十余年間の説法の最終段階において、ただ一つの真の“絶対的存在”をお明かしになりました。それは何か。ほかでもありません、現象世界の奥にある、トインビー博士の言葉を借りれば「宇宙の背後にある」根源のいのちです。宇宙の永遠の大生命です。この大生命があらゆるものを存在させ、生かし、そして働かせているのですから、これこそが真に心のよりどころとすることのできる、唯一の“絶対”であることを説き示されたのです。 もちろんお釈迦さまは、「宇宙の大生命」という言葉はお使いになりませんでした。当時の人達は人間としてのお釈迦さまを“絶対の存在”として尊崇し、心のよりどころとしていましたので、「人間としての私は相対的な存在である。必ず死ぬものである。しかし私の本体である久遠実成の本仏は無始無終のいのちであり、これこそ、みんなが最終的に頼りにできる絶対の実在なのだ」という説き方をなさったのです。 私どももお釈迦さまと同様、人間です。とすれば私どもの本体も、お釈迦さまの本体と同一の久遠実成の本仏です。宇宙の根源のいのちです。だから現象人間としての生命は病んだり死んだりするけれども、その奥にあるホンモノの自分は病みもしなければ死ぬこともありません。苦難に屈することなく、不幸に挫けることもない金剛不壊の実在なのです。この真実さえ悟ることができれば、もうしめたものです。他を頼りにするのではなく、自分自身を頼りにし、しかもうつろいやすい現象をよりどころにするのではなく、永遠不滅の大生命をよりどころにするのですから、これほど確かなことはありません。人間のギリギリの幸せとは、このような真の自己の発見による大安心の確立にこそあるのです。 (昭和51年01月【佼成】)...
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