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人間釈尊12
【機関紙誌】
新しい求道の旅へ…
人間釈尊12
新しい求道の旅へ…
1
...人間釈尊(12) 立正佼成会会長 庭野日敬 新しい求道の旅へ… 二人の高名な師に就いたが 菩薩(もはや太子ではなく、衆生を救う道を求める修行者ですから、今後こう呼ぶことにします)は、都の付近にはすぐれた宗教家や哲学者がいるので、そうした師を求めて王舎城に来たのでした。 第一に就いた師はアーラーラ・カーラーマという名高い仙人でした。非常に深遠な境地に達した人でしたが、菩薩はその指導によって短時日のうちに師と同等の境地に達しました。仙人は、――ここにとどまって一緒に弟子たちを指導してくれないか――と懇請しましたが、菩薩は辞退しました。 なぜならば、師の教えは(教え)というよりは師弟一対一の研さんによって得られる特殊な境地であって、とうてい多くの大衆を現実の苦しみから救うことなどできないものだったからです。 次に訪れたのは、これまた高名なウッダカ・ラーマプッタという仙人でした。ここでもしばらくのうちに師と同等の高い境地に達し、――共に弟子たちを指導しよう――と誘われましたが、やはり自分が出家した本来の目的は達成できないと見定め、そのもとを去りました。 菩薩は考えました。――もうこうなったら自分自身の修行と思索によるほかはない――。そう決意して新しい求道の旅へと出発したのです。 菩提の地は美しかった 王舎城から西南の方へ徒歩の旅を続けていた菩薩は、ガヤ山という小さな山に突き当たりました。なんとなく心ひかれた菩薩は、その山に登り頂上を極めてみると、北方の眼下に緑の平野が開け、ネーランジャナー河の青々とした流れを挟んで、美しい林や村々が点々と望まれます。 一本の樹の下に座ってその平和な風景を眺めているうちに、この地こそ自分が修行するのにふさわしい土地ではないか……という思いがきざしてきました。山を下りてあたりを歩きまわってみますと、村人たちはいかにも淳朴(じゅんぼく)そうで静かな生活をしていますし、川の水は清らかですし、林に入ると物音ひとつ聞こえず、木々の精ともいうべき香ぐわしい空気が漂っています。 「よし、ここだ!」 菩薩は林の中の平らな地を選んで草を敷き、禅定の場としました。と、そのとき思いがけないことが起こったのです。ラーマプッタ仙人の所で相弟子だった五人の修行者が突然木々の陰から現れてきたのです。 「ゴータマよ」 「おお、あなた方は……」 「そうです。ぼくらは長い間、師の下で修行してきましたが、どうしても師の教えられるような境地に達することができませんでした。それなのに、後から来たあなたはほんのしばらくの間にそれを達成された……」 「しかも、それにも飽き足らず、さらに高い境地を目指して立ち去って行かれた」 「だからわれわれは――あの人と一緒に修行しようじゃないか――と相談して、こっそり後をつけてきたのです。邪魔はしませんから、どうかおそばで修行させてくださいませんか。お願いします」 菩薩はしばらく考えていましたが、やがて無言でうなずきました。 五人は喜んで、それぞれに林の中に自分の場をしつらえ、そこに落ち着きました。 この五人の修行者こそ、のちに仏の悟りを得られた釈尊が初めて法を説いて教化された、いわゆる五比丘にほかなりません。 法華経序品の最初に出てくる阿若憍陳如(あにゃきょうぢんにょ)もその一人ですし、のちに舎利弗がその端正な相貌を見て驚き、それが舎利弗入門のきっかけになった阿説示(あせつじ)もその一人です。縁というものの、なんという意味の深さでしょう。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊13
【機関紙誌】
健康な中にこそ真の悟りが
人間釈尊13
健康な中にこそ真の悟りが
1
...人間釈尊(13) 立正佼成会会長 庭野日敬 健康な中にこそ真の悟りが 物凄い苦行の連続 ウルヴェーラーの林中での菩薩の修行は実に言語に絶する苦行でした。南伝中部経典の獅子吼大経に、釈尊が舎利弗に当時の思い出を詳しく語っておられるくだりがあります。増壱阿含経巻二十三にもほとんど同じ内容のことが語られています。その主要なところを抜粋してみますと……。 「舎利弗よ。わたしは一日に一食をとり、あるいは二日に一食をとり、七日に一食をとり、このようにして、半月に一食をとるまでに至った。 わたしは、あるいは野草を食し、あるいは草の根を食し、あるいは木の実を食し、あるいは生米を食し、あるいは子牛の糞を食した」 「わたしは、あるときはいばらの上に臥し、あるときは板に打ち込んだ釘の上に臥した。長い間逆さまに立ったままでいたり、一日中直立したままでいたり、足を十字にしてうずくまっていたりした」 「わたしは、墓場に捨てられたボロを着て過ごした。あるいは木の皮や木片をつづったものを着て暮らした」 「わたしは墓場に行き、骸骨を寝床にしてその上に寝たこともあった。そのとき牧童たちがやってきてわたしに唾を吐きかけ、からだの上に放尿し、塵あくたをまき散らし、両耳の穴に木片をさしこんだ。しかし、わたしは彼らに対し悪心を起こさなかった」 「一日に一粒の米と一粒の麻の実を食することを続けた。わたしの臀部はラクダの足のようにやせこけてしまった。手で腹をなでると背骨に触った。大小便をしようとしてしゃがむと、ヨロヨロと頭を前にして地に倒れるのだった。手で肌をこすると、体毛は毛根からボロボロ抜け落ちた」 苦行は正覚の道ではない 「止息禅(しそくぜん=呼吸を止める禅定)をも試みた。口と鼻からの呼吸をせき止めた。そのとき、耳から大きな音を立てて風が出て行くのを感じた。たとえば鍛冶工のふいごによって吹かれるような物凄い響きであった」 「そこで、口と鼻と耳からの呼吸をすっかりせき止めた。すると、物凄い風が身中から吹き起こって頭頂をかき乱し、猛烈な頭痛が起こった。あたかも錐(きり)で頭のてっぺんをグリグリと突き刺すような激痛であった」 「そのときわたしはこう思った。およそ過去のあらゆる修行者の中で、自分以上の猛烈な苦痛を受けた人はないだろう。未来にさまざまな苦行をする人があっても、自分が経験している苦痛を超えることはあるまい。それなのに、わたしは完全な智見に達することができていない。これはどうしたことだろう。悟りに至るには、おそらく他の道があるのではなかろうか……と」 そのとき菩薩は、フト青年時代の一場面を思い出しました。 ――大樹の下で瞑想していたとき、自然に心が静まり、澄み極まり、非常に高い境地に達したことがあった。ああ、そうだ。気力と体力が充実していたからこそ、あのような経験をすることができたのだ―― ――そうだ。人間は生きているのだ。生きている人間の真の悟りは、健康で気力と体力が充実していなければ得られないのだ。今の自分はまるで死人同様だ。身体もひからび、情感もひからびてしまっている。これでは生きている人間を救うための智見など得られるものではない。こうしてはおられない!―― そういう思いがフツフツとわき上がってきました。菩薩は決然として立ち上がりました。立ち上がりはしたものの、足はもつれ、今にも前に崩れ落ちそうでした。しかし、その足を踏みしめ踏みしめ、ネーランジャナー河の岸辺を目指して歩き始めたのでした。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
人間釈尊14
【機関紙誌】
わいてきた新しい勇気
人間釈尊14
わいてきた新しい勇気
1
...人間釈尊(14) 立正佼成会会長 庭野日敬 わいてきた新しい勇気 魚たちは自然に生きている 苦行をやめる決心をした菩薩はよろよろと立ち上がると、まず墓場に行き、それまで着ていた木の皮をつづった衣を脱ぎ捨て、死体を包んであった白布を拾って服装を整えました。そしてネーランジャナー河の岸辺へ這うようにしてたどりつき、腰までの深さの所へ身を浸しました。 朝の川の水は冷たいけれども、快く肌を洗ってくれます。水の中へ目を凝らしてみますと、小魚の群れが泳いでいます。ツツーッと菩薩の体に近寄ってきて、肌を突つこうとして去って行く魚もいます。底の砂の上を半透明な川エビが這っていて、菩薩がちょっと足を動かすと、ヒョイとうしろ向きに跳ねのきます。 「ああ、魚たちもいきいきしているなあ。みんな生きているんだなあ」 そういう思いが菩薩の胸にこみ上げてきたことでしょう。 「遊ぶように生きている。自然に生きている。人間もこのように生きたいものだ……」 なにか新しい勇気がわいてきた菩薩は、長年の垢を懸命にこすり落とすと、岸に上がり、ボウボウと伸びていた髪やひげを剃ってさっぱりしました。 乳粥で心身共によみがえり そのとき、朝まだきの靄(もや)の中を淡紅(うすくれない)の衣を来た女が近づいてきました。愛くるしい十五、六歳の少女です。湯気の立つ鉢を持っています。少女は菩薩の前にひざまずくと、その鉢をささげて、 「沙門さま。どうぞこれを召し上がってくださいまし」 と言うのでした。 村長(むらおさ)の末娘スジャータでした。スジャータは、信仰心の厚い父の影響で、かねてから修行者と見れば米や麦などを供養するのを楽しみにしている少女でした。きょうのは生の穀物ではなく、濃く煮詰めた牛乳で煮込んだ白米の粥です。菩薩が苦行をやめたのをはるかに見てとった村長が、娘に言いつけて作らせたのです。 菩薩はなんのためらいもなくその乳粥をすすりました。何年ぶりかで口にする人間らしい食物。ひと口吸うごとに全身にしみわたるような滋味、温かみ。身体ばかりでなく、精神にも新しい生気がよみがえってくるのを実感するのでした。 人間は人間らしい食べ物を食べなければならない。それが天地の法則に素直に従う道だ……そういう思いがこのとき菩薩の脳裏に深く刻みつけられたに相違ありません。 だからこそ、後日提婆達多が厳しい戒律改革案をつきつけ、――比丘は在家信者の食事の招待を受けてはならない。比丘は一生のあいだ魚肉を食べてはならない――などと言い出したとき、たちどころにそれを一蹴されたのでした。 また、このときスジャータが供養した乳粥のありがたさ、その意義の深さは、一生釈尊のみ心にしみついていたのです。その証拠には、クシナガラで亡くなられる直前に食事を供養したチュンダに対して、明らかにそのことをおっしゃっておられます。 それはさておき、心身ともによみがえる思いの菩薩は、スジャータに感謝の目礼をしながら鉢を返すと、さてこれからどこで、どんな修行をしなければならないか……と、ゆっくりとあたりを見渡すのでした。 すると、少しばかり上流の対岸にそびえている一連の岩山が目に入りました。「そうだ、あそこへ行ってみよう」。菩薩はまだよろめく足を踏みしめ踏みしめ、中州の砂の上を歩き始めました。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
やくしん 1987年1月号 ブッダロードを行く
【機関紙誌】
人間釈尊15
【機関紙誌】
生かされている思いを実感
人間釈尊15
生かされている思いを実感
1
...人間釈尊(15) 立正佼成会会長 庭野日敬 生かされている思いを実感 前正覚山から菩提樹下へ スジャータのささげる乳粥を食べて気力と体力を回復した菩薩は、新しい修行の地を探して対岸にそびえる岩山に登ってみました。 その中腹に格好の洞窟がありましたので、中に入って静座し瞑想に入りました。 すると、しばらくしてから地震が起こり、洞窟内にも小さな落石がありました。菩薩は、ここは修行にふさわしい場所ではないと、すぐ立ち去ろうとしました。そのとき空中から声があって、 「これから西南の方に巨大なピッパラ樹があります。その下があなたの道場です。そこで禅定に入られるとよいでしょう」 と告げるのです。 菩薩はさっそく山を下りたのですが、この山(ガジャ山)、菩薩が正覚(しょうがく=最高の悟り)を得る一歩手前に登ったゆかりの山というので前正覚山と名づけられ、今も聖地の一つとしてチベット僧が寺を建ててそこを守っています。 さて、菩薩は再び川を渡って西南の方へ歩いて行きますと、ゆくてにうっそうとしたピッパラの大樹が見えてきました。――ああ、あれこそ――と直感した菩薩がそこへ行ってみますと、いかにも清浄の気に満ちた静かな場所です。 そのとき十二、三歳の少年が柔らかそうな草を籠いっぱい背負って通りかかりました。瞬間、菩薩はむかしの言い伝えを思い出しました。――過去の聖者たちは草を敷いた上に座って悟りをひらいたそうだ。ちょうどいい――菩薩は少年に声をかけました。 「その草をもらい受けたいがどうかね」 少年はニッコリ笑って、 「よろしゅうございます。どうぞお使いください」 「それはありがたい。そなたの名は何というの?」 「スヴァスティカ(吉祥)です」 「ああ、めでたい名だ。その草は何という草?」 「クシャ(功祚)です」 「いよいよめでたい。ありがとう。ありがとう」 菩薩はピッパラ樹の東側にその草を厚く敷くと、まず木のまわりを三回まわってから木に向かって合掌礼拝し、静かに草の上に座ると、背筋を伸ばし、目を半眼に閉じ、最終的な禅定に入ったのでした。 一本の木にも感謝しつつ 禅定に入る前の菩薩の脳裏には、苦行を中止してからのこれまでの出来事が、一連の大きな意味をもったものとして浮かんできました。乳粥を供養してくれた少女の真心、前正覚山で聞いた空中の声、大きな陰をつくって自分の修行を守ってくれるピッパラ樹、刈ったばかりの柔らかい草を快く布施してくれた少年……みんなみんなわたしの求道心を助けてくれる存在だ。天地のすべてのものがわたしを生かしてくれているのだ……そうした思いが心の底に深く静かに広がっていったのでした。 そうした深層意識があったればこそ、やがてそれが形を成して結晶し、(この世の万物はすべてつながり合い支え合って存在しているのだ)という真実の悟りとなって現れたのでありましょう。 それにしても、禅定に入るまでの菩薩の行動の中でいちばん尊く、いちばん美しいと思うのは、ピッパラ樹のまわりを三回まわって合掌礼拝したことです。これはインドでは貴人に対するあいさつの礼儀だったのですが、それを一本の樹木に対してなされたこと、そこに菩薩の人柄の美しさと真摯(しんし)さがマザマザと現れていると、賛嘆せざるを得ません。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
旧本部 本会発祥の地修養道場
【写真】
法華三部経の要点43
【機関紙誌】
生かされるままに生きる
法華三部経の要点43
生かされるままに生きる
1
...法華三部経の要点 ◇◇43 立正佼成会会長 庭野日敬 生かされるままに生きる 世界はバランスで成り立つ では、もう一度『三草二木の譬え』にもどって、ごく身近な問題について再考し、この品のしめくくりとしましょう。 「一雲の雨(ふ)らす所、其の種性に称(かの)うて生長することを得て、華果敷(ひら)け実なる。一地の所生・一雨の所潤なりと雖も、而も諸の草木各差別あるが如し」 前にも述べましたように、この世の万物万象はその姿・形は千差万別であるけれども、その本質においてはすべて宇宙の大生命ともいうべき久遠本仏の現れであります。その分身であり、それに生かされているのです。 この経文には植物を例にとって説いてあります。大きな木も小さな木も、同じ雨の恵みを受けて生長するのだけれども、その姿・形も、性質も千差万別である。亭々たる大木もあれば、小さい木でも香り高い花を咲かせるものもあり、小さい草でも美しい花をひらくのもあれば、地味な存在ながら貴重な成分を持つ薬草もある……というのです。 そうした千差万別の植物がバランスよく存在してこそ野山は美しく、健全に成り立っているのであって、もし地球上の植物が杉なら杉、ススキならススキ一色だったとしたら、想像するだけで恐ろしいことです。 植物の世界に限らず、この世の中のすべてがそのとおりなのです。 すべての仕事が大切 植物や、人間以外の動物は、自然のままに生きています。久遠本仏に生かされるままに生きています。そして、自然の摂理のままに死にます。ですから、人間のような貪欲によるところの悩みもなく、また大自然をそこなうこともありません。 ところが人間は、なまじ発達した頭脳を持つばかりに、自分のあり方に不満を覚えたり、ひとの存在を羨(うらや)み妬(ねた)んだり、それが高じては憎悪や怒りを生じ、自身が苦しみ悩むばかりか、他を苦しめたり害したりするのです。それがどんなに愚かなことか、ここでよくよく考えてみましょう。 人間の身体は小宇宙だといわれていますが、まさにそのとおりです。六十兆もの細胞が、それ自身のための働きをしながら、同時に他の細胞の働きを助けつつ、整々とバランスよく活動しています。 一例として、消化器の活動を見てみましょう。食べ物を食べると、胃は自然に動き出し、それをドロドロにして小腸に送り、そこで栄養分が吸収され、残りカスが大腸に送られる……これが目立った大筋ですね。 ところが、その前に十二指腸という短い管があって、そこで、ちょっとわき道にある膵臓(すいぞう)から出る膵液や胆のうから出る胆汁が加わって小腸へ送られるのです。その胆のうとか、膵臓とかいう目立たない存在がなければ、消化という働きは絶対に成立しないのです。 社会における人間一人一人のあり方もこれと同じです。大通りとか表通りといってもいい職業や地位にいる目立った存在もあれば、路地裏のような目立たない仕事で働く人もあります。しかし、――社会に害悪を流すような仕事はもちろん例外として――どんな職業・地位でも世の中の大切な歯車の一つにほかなりません。さきにあげた胆のうや膵臓のように、それがなくては社会の機能が完全に回転しないのです。 電車に乗った時のことを考えると、もっとわかりやすいかもしれません。私たちの目に止まるのは運転士さんや車掌さんだけです。ところが、電車がちゃんと動くには、送電に携わる人、線路に異常がないかを常に見守る人、あるいは電車が時刻通りに運行されるようにと管理する人など、私たちの目にふれないところで活躍されている方々が、大勢おられるのです。 毎日毎日を黙々として勤労されている方々に申し上げます。あなた方がいなければ社会は成り立っていかないのです。どうかそのことを自覚してください。それが久遠の仏さまに生かされるままに生きるための尊い自覚なのであります。 ...
法華三部経の要点44
【機関紙誌】
仏に近づく現実的な道は
法華三部経の要点44
仏に近づく現実的な道は
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...法華三部経の要点 ◇◇44 立正佼成会会長 庭野日敬 仏に近づく現実的な道は 仏とは完全な自由人である 授記品に入ります。「法華経は授記経である」といわれているぐらい、この授記ということは法華経の大眼目であります。これは、お釈迦さまが弟子たちに対して「そなたはたしかに仏になりうる」という保証を与えられることです。ただし、それには、この品の摩訶迦葉への授記のお言葉に「(そなたは)未来世に於て当に三百万億の諸仏世尊を奉覲(ぶごん=尊いお方にお目にかかること)して、供養・恭敬・尊重・讃歎し、広く諸仏の無量の大法を宣(の)ぶることを得べし。最後身に於て仏になることを得ん」とあるように――こののち数えきれないほどの生まれ変わり(輪廻)をくりかえしながらこういう行いを続ければ――という難しい条件がつけられているのです。 すべての人間には仏性(仏となりうる素質)があるのですから、修行次第では最後身(人間として修行する最後の身で、生死輪廻の最終段階)において必ず仏となりうるわけです。 といっても、現在ふつうの人間としてセチガライこの世で生活しているあなたは「とても自分なんぞは……」と、まるで違う世界の夢物語のように思うでしょう。しかし、あながちそうではないのです。 右に述べられているような「仏」とは、輪廻を解脱し、究極の悟りを完成された方のことですが、それはまずさておいて、いわゆる「仏さま」とはどんな人かといえば、一口に言って「完全な自由人」と定義していいでしょう。 こだわりがなければ自由 人間の歴史は「自由の欲求」の歴史だといってもいいのです。原始時代からこのかた、飢えからの自由・自然の脅威からの自由・疾病からの自由等々を求めて生きてきました。さらに、だんだん文化が進むにつれて、貧困からの自由・圧制からの自由・言論の自由等々、人間社会に新しく生じてきた不条理や圧迫からの解放をも望んで工夫と努力を重ねてきたのです。 ところが、現象的な意味においては完全な自由はありえないのです。早い話が、どこへでも自由に楽々と行きたいとして発明された自動車でしたが、半面、それは排ガスによる大気汚染や騒音公害につながり、渋滞という現象に束縛されることが多々あるではありませんか。また、労働の苦から解放されようとして開発されたさまざまな生産機器や化学物質が、一方ではさまざまな環境破壊を引き起こして、われわれに新たな苦を強いているではありませんか。 それならば、完全な自由はどこにあるのでしょうか。それは心にあるのです。現象にとらわれれば束縛が付きものですが、心がそれにこだわらなければ、束縛はあっても無きに等しく、そこにこそ真の自由があるのです。身近な例を引けば、「人は歩道を歩け」というルールがありますが、その束縛をこだわりなく守っておれば安心して道を歩くことができます。そこに自由があるのです。もしかりに「天下の公道だ。どこでも歩く自由があるんだ」といって車道を歩いたとしたらどうなるか、言わずと知れたことでしょう。 お釈迦さまは「心の自由」を完全に達成したお方でした。本稿の第三十二回に紹介した盤珪禅師の言葉のように「お釈迦さまは心に一物も持っておられなんだによって、三界はわがものと、世の中の主になられたのじゃ。どこでも自由に寝起きされたのじゃ」といったお方だったのです。この「一物」とは「我(が)へのこだわり」にほかなりません。 ですから、「究極の悟り」という最高の目標は、きちんと持っているべきですが、この世において仏に近づく第一歩としては「応身仏」であるお釈迦さまを見習って「心のこだわりをなくすること」なのです。「我に執着しないこと」です。「道理に対して素直になること」です。 ...
法華三部経の要点45
【機関紙誌】
授記とは人生の方向づけである
法華三部経の要点45
授記とは人生の方向づけである
1
...法華三部経の要点 ◇◇45 立正佼成会会長 庭野日敬 授記とは人生の方向づけである 歴劫修行とはどんなことか 仏となることを保証される授記の条件の随一は歴劫修行(りゃっこうしゅぎょう)ということです。何百ぺん何千ぺんと生まれ変わりを繰り返しながら仏性を磨く修行をすることです。 仏教では、人間には生まれ変わりがあることを最初から認めています。『スッタニパータ』にもこうあります。 「(一五二)諸々の邪(よこし)まな見解にとらわれず、戒めをたもち、知見を具えて、諸々の欲望に関する貪りを除いた人は、決して再び母胎に宿ることはないであろう」(中村元訳『ブッダの言葉』岩波文庫) これを裏返せば、そこまでいたっていない人は、再びある母胎に宿ってこの世に生まれ変わり、修行を続けねばならない――ということになります。 法華経に至っては、序品に、文殊菩薩が弥勒菩薩に向かって「今のわたしは過去世の妙光菩薩の生まれ変わりであり、そなたはわたしの弟子だった求名の生まれ変わりなのだ」と告げたのを皮切りに、最後の章の勧発品に「この人(法華経の実践者)は死んだのち忉利天(とうりてん)に生まれるであろう」といわれるくだりに至るまで、全巻――人間とはこの世限りのものではない――という真実に貫かれているのです。ですから、歴劫修行を抜きにしては法華経は文字通り骨抜きになってしまうのです。 進歩こそ本然のあり方 仏教では、この世での修行の総仕上げをして完全に解脱した(とらわれから離れた)人はただちに浄土(仏界)に赴き、反対に、行いも心も濁りきったままの人は直通で地獄に行くものとされています。そのどちらでもない普通の人は、中有の身としてしばらく時を過ごし、その間に、その人のそれまでの業(行為の蓄積)によって、六道もしくは仏界のうちのどこかに生まれ変わるとされています。 ですから、この「中有」にある間に、われわれが真心からなる追善供養として『経典』を読誦することが大事なこととなってくるのです。また、地獄、餓鬼、畜生などの悪趣に生まれ変わった場合はもちろん、第四十一回にも書きましたように、幸い天上界に赴かれた人も、まだ「仏」となられたわけではありませんから、われわれが読誦する経典の功徳をそういう方々へ回し向け、一刻も早く成仏されるよう念ずるわけです。 一方、現世に生きるわれわれもいつかは必ず死ななければなりません。しかし、さきほどから申し上げているように、われわれはけっしてこの世限りのものではありません。とすれば、死んだ後のことも考えておかねばなりません。はるかな未来世へと続く自分自身の生き方を心に決めておかねばなりません。 この世でも目先の本能や欲望の満足ばかりを追ってアクセクと人生を送り、死んでから幸いにもまた人間に生まれ変わったとしても、やはり同じような人生を送り、永遠にそれを繰り返すとしたら、何という無意義な生き方でしょうか。人間は「完全な自由」を目指して絶えず進歩していくことが本然のあり方なのですから、右のような生き方の人は天の摂理に反する最低の存在といわざるを得ません。 ですから法華経は、この世に生きているうちは完全な自由人である「仏」となることを目指し、そのような「人生」を重ねて「最後身」において究極の悟りを得た「仏」となることを目標として人生を送れ、と教えているのです。 「授記」というのは、そのような人生の軌道に乗ったと認められる弟子たちに、お釈迦さまが与えられた保証なのですが、後世の凡夫であるわれわれとしては「このような境地を目指すのがほんとうの生き方であるぞ」という、人生の方向づけにほかならないと知るべきです。 ...
新日本宗教団体連合会・インド仏跡参拝の旅 金剛宝座の前で読経供養
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新日本宗教団体連合会・インド仏跡参拝の旅 サルナートのストゥーパを参拝
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