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開祖(19731012A) お会式
1
...法話コード=開祖-1973-10-12-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=第24回本部お会式 日 時=1973(昭和48)年10月12日 録音分=24分 場 所=大聖堂 出席者= ...
開祖(19731012A) お会式
2
...○庭野会長 (一同 拍手) 皆さま本日はご参拝いただきまして誠にありがとう存じます。 ご承知のように、ことしは、日蓮聖人ご生誕750年という、60年の生涯をご法のためにささげられた、きょうのお会式のこの行事と致しましては、692回目だということんなっております。で、こういう行事が、わたくしどもお互いさまに、お祝いを申し上げるといっても、本来はご入滅の日でありまするから、お逮夜で涙を流すということに、情の上ではなるかと思うのであります。しかし、日蓮聖人とか、またはいろいろの、聖者といわれるようの方々は、この、生身(なまみ)の体、肉体がなくなられてご入滅になさっても、魂はいよいよ永遠の魂に、生まれ変わるというこの入滅ということのこの大きな問題は、逆に、い、永遠に生きるという生に変わっていくということで、ある意味では、も、不変の魂、不変の、お、働きということでありまして、そういう意味からいうとおめでたいともいえないことはないわけであります。しかしご入滅のお逮夜ってことですから、手放しでおめでたいだけを、おめでたいというわけにはいかんと思うのであります。 いつも申し上げますように、正法を守るという、正しい法を堅持するということはたいへん難しいことでありますが、真っ向からこの正法護持という問題を掲げられた日蓮聖人、その日蓮聖人の正直さといいますか、ひとつもその臆面(おくめん)なしに自分の信ずるところを、発表されたと。過日もバイブルの中のお話をちょっと、増谷先生の、お、法話から申し上げましたように、人間というものが本当に、信ずるところに、その信というものから義があらわれるという、義というものは信からあらわれる。その、あらわれてくる義というものをこんどは人さまに言い表すことによって救いとなると、ま、そういう言葉がバイブルにもあるということであります。言い表すということでありますが、日蓮聖人のいい表わし方は非常に痛烈でありまして、時の執権に対しても、汝(なんじ)信仰の寸心を改めて速(すみやか)に実乗の一善に帰せよ、と、こういうふうに命令をされるような、強い語気でおっしゃってるわけであります。信仰の寸心を改めなきゃ駄目だと、ま、こういうことを、お、700(ななひゃく)年前におっしゃったわけでありますが、いままた人類がたいへんそれから進歩したように一面は見えております。 科学的の問題は長足の進歩を遂げまして、日本(にほん)などでも、そのおかげで、たいへん人間の長生きということもできて、寿命の伸びたことはたいへんにもう伸びたようであります。そういう、う、一面があるかと思うと、たいへんにまたもう、お、すぐそこに危険性が来ておると、ともいえるのであります。...
開祖(19731012A) お会式
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...少し、全然風のない日になるというとスモッグ、なんで光学スモッグなんというともう、何か息が詰まるような、せっかく学校の生徒がこの体育祭を始めておっても、お-、ただちにその活動をやめるというような、誠に、有り難くない、も、何かこう胸の詰まるような問題がそこに来てる。で、そういうことになりますると、いよいよ日蓮聖人の言葉のこともういっぺんこのう思い起こしてみなくちゃならないというようなことになると思うんであります。で、聖人は、一人ひとりの信心強盛(ごうじょう)にして、ということもいっておるんでありますが、いつも時の執権に向かって、信仰の寸心を改めろ、と言われると同じように、天下万民諸乗一仏乗と成って、というような言葉で、妙法が独り繁昌する時に万民一同に南無妙法蓮華経と唱え奉れば、吹く風枝をならさず、というようなことをおっしゃった。すべての自然というものもお題目を唱えるということから決まっていくんだと、というように天下万民に要するに呼びかけてるわけであります。いままたこの、お、世界中の人類が、ここで信仰の寸心を改めて、本当の信じられるものをはっきりと、お、ごまかしでない、これはこのとおりであるという、このとおり歩まなければならない、このとおり行じなければならない、そういうものをはっきりとつかまなければならない。で、いまとなって初めて、この日蓮聖人のような大きな号令が、もう、お、万民が心得て、何かその本当の救いってものはないかと、そういうような時代になってきたのであります。 で、そういうことになりますると、お、過去の日本(にほん)のお祖師さまといわれる方の中で、お祖師さまというと不思議に、まあこの真言宗の方にすれば弘法大師さまがお祖師(「そす」と発音)さまだし、浄土真宗にすればお祖師(「そす」と発音)さまといえば親鸞聖人、念仏宗にすれば法然上人ってことなんですが、不思議にお祖師さまとこうただいっただけでは、万民がこれ等しく日蓮聖人をお祖師さまとこう思うというんですねえ。これは無理なくそこへ皆、どの宗の人も行ってしまうという、それほどの祖師の力を持っておる、そういう日蓮聖人。どうしてそんなに力があるかと、こう考えてみますると、非常に正直に信じておった、そしてまたその正直に言い表しておったと思うんです。ご法というものを守れば必ず、すべてにかなわないことはない、というような強い言葉で、法華経行者のかなわぬことはない、という強い言葉でいう。また万民が一同にお題目を唱えれば、吹く風も枝をならさず、というように、すべてのことがそれによって決まると。代は義農の世となって人生に長生の術を得る、人間の長生きの術もそこから始まってくるというような、素晴らしい言葉で、教えているわけであります。 ...
開祖(19731012A) お会式
4
...で、そういう正直の、また信じたことを本当に真っ向から表現をされた、言葉に表して、そこに救いがあると思うのであります。 でー、日蓮聖人は、非常に、たくさんの言葉が残されておりますが、ほかのお祖師さま(「おそっさま」と発音)は大体、例えば、真宗の『歎異抄』というようのあれも、法然上人が、話されたことをあとで書いたんだというようのことになっておりますが、日蓮聖人の御遺文というのは自分でお書きになって残されて、それがいま現在でも厳然と500余編あるわけですね。ですから、だれが聞いて、書いたというようなものではないので、ま、それはどちらが、うーん、どちらでなくちゃならんということもないわけでありまするけれども、皆さんもお聞きんなっていると思うのでありまするが、きのうときょうでございますか、如是我聞という問題、是の如き我聞ききという問題を、『人生読本』でお話があります、あしたもう1日あると思うんでありますが。その如是我聞、わたくしはこのように仏さまの言葉を承りましたということから、お経は始まるわけでありますが。それと同じように、どなたか確実にご説法なさるときそのまま書いておいて残してあれば、それでもいっこう差し支えはないわけ、自分で書かなくちゃならんということはないんですけれども、日蓮聖人の御遺文だけは自分でお書きになって残されてありまするから、例えば、あとから付け加えてまねをしても、それはどうにもならない。もうお聖人さまのお書きになったものが、厳然と、その筆跡がそのままに残っていらっしゃる、こういう祖師はまたこれどこの祖師も、どの祖師にもまさった素晴らしい、厳然となさったことが皆実力として、真のそこへ記録となって残っているという、そういう、祖師であります。で、わたくしどもはそういう意味で、この、法華経というお経を所依の経典とさしていただいている。で、法華経の有り難いってことは聖徳太子以来、日本(にほん)では伝教大師もおっしゃっておりますし、たくさんの方が、あ、法華経に帰依されたわけでありまするけれども、この日蓮聖人ほど、はっきりと力づおく、このとおり行けば間違いないというような、この、力をこう、息吹を与えてくだすった方はないと思うんであります。 で、そういうきょうはたいへん、その日蓮聖人のご入滅のお逮夜ということで、わたくしども、こうして一つの、1年のうちの大行事の一つになっておるわけであります。お互いさまに、たいへんにこの、仏教というものは、どこまででも、そのいろいろの問題が、例えて申し上げますと、方便力ということになりますれば、観音経にありますように、三十三身を現じて法を説くというので、わたくしどもの目の前にあらわれたところのすべての現象界は、皆、仏さまの説法であるというふうに受け取れるようにならなければならない、ていうことでありまして、問題はたいへんに広範でありますけれども、しかし、また率直にそのまま拝読して、そのまま正直に受け取れば、その言葉自体がもうはっきりと救われていく。...
開祖(19731012A) お会式
5
...わたくしどもの安心ができる、信じられる、う、そういう問題がたくさんあるわけであります。仏さまを、親と、自分の真の親であるという、この主・師・親の三徳を具えたお釈迦さま以外に、自分の本当のこの、お、師とも、主とも、親とも、頼むものはない、そういうことを日蓮聖人は非常に強く仰せになりまして、いろいろの、仏さまはお釈迦さまの説法の中に生きているのであって、で、この娑婆に生まれて出たお釈迦さまのお説法に間違いがないんだと、こういうことを身をもって、一つ一つ、現証を挙げて、ご説法をなすっていただいているわけであります。 そして60年の生涯を、本当に自分のやってることに一分(いちぶん)の誤りもないという自信たっぷりのお気持ちでやっておるのでありまするが、当時は本当に、たいへんの時であったわけでありまして。日蓮聖人のようの正直の表現をするというと、仏法の敵だというので、島流しにされたり、首切りの座へ乗ったりしるような、大難四箇度、小難は数知れず、というので、いつやられるかわからないようにねらわれたことがもう数知れずあったわけでありまするが。そういういろいろのことがあっても、いっこうにそういうことにはもう頓着なしに、堂々と自分の主張を声高らかに掲げて、60年の生涯を、池上本門寺におきまして大往生をされたわけであります。ですから、法華経を本当に行じている者は、確かに長生の術を得(え)るという、大往生を約束されているというところの、あの大信念、そういう信念があればこそあれだけの大業ができたわけだと思うのであります。そういうことをきょうはしっかりとお互いさまにかみしめまして、ご法門というものは口先では駄目だ、体でやらなければ駄目だ、身をもってやらなければ駄目だと、法華経というのは、あ、行じなければ駄目だと、自分の行為にあらわさなけりゃだめだ。仏法というものは自分で体験したことを自分でちゃんと言葉に表して表現をしなければ救われないんだと、こういうことを教えているわけであります。 どうかひとつ、う、皆さんこの万灯(まんど)行列、万灯(まんど)行列というのはご承知のように、あの、お釈迦さまの説法の場所に、この、立派の、お金持ちの人の、お、たいへんの、万灯につけたところの明かりと、貧者(「ひんじゅ」と発音)の一灯というので、貧乏ではあるけれども自分の頭の毛を売ってまで、ともしびとしてお釈迦さまの説法に歩きなさる足元を照らそうという、その真心のあらわれ方をおほめになられたり、お釈迦さまがお喜びになったと。そして、立派な万灯は風が吹いたら消えてしまったけれども、その貧者の一灯は、真心であげたところのともしびというものはお釈迦さまの足元を本当に照らして、どんな風にも消されなかったと。...
開祖(19731012A) お会式
6
...ま、そういうような、ことわざも残っておりますように、わたくしどもの真心のともしびというものは、かっこうよく立派に、大げさのことをすることだけが決して喜ぶことではないわけなんであります。そういうわたくしどもの真心の一灯が、このご法の、ご法を説くお釈迦さまの足元をよく照らして、どこまでもこのご法が広まるようにという意味が、きょうの万灯(まんど)行列にも含めてあるわけであります。法の広まるところ、法の広める場所を明らかにしておる、いうことは、そういう大きなひとつの信心、信心から出てくるところの身をもっての布施というものがいちばん大事だと、こういうことをも含めたひとつの、万灯(まんど)の行列になるわけであります。 どうかひとつきょうは、そういうことをもういっぺん思い起こして、自分の真心のあるところの法華経を広めるところの役目というものが、いかに大事であるか、そしてその役目を本当に果たすというところに真の救いがあるので、これを信じて本当に行じている人には、今日(こんにち)のようないろいろの世の中の変化、動揺、いろいろのことがございまして、何もかにも信じられないような世の中の、お、考え方によってはそういうことんなっております。ところが、仏さまのみ教えを本当に信じて行じてる人にしてみれば、たいへん結構の世の中で、正しいことを堂々と臆面(おくめん)なしに天下に向かって、叫んでも、日蓮聖人のときのように、島流しに遭うこともございませんし、刀で首を切られるようのこともないのであり。ですから、いまこそ正法を本当に叫ばれるとき、そして叫んでもそれに決してそういう被害、う、その弊害が伴うようの時でなく、そしてしかも大衆がこれをどうしても守らなければ、仏さまの仰せのとおりの、殺されるようのことはないけれども、下手をするというと人類滅亡の方向に行きかねないような、そういう条件もまたいま出てるわけであります。そういう間違った条件を正す意味から、お、その意味でも、正法(しょうほう)を守るということはいかに難しいことであるかっということであります。どうかそういうお気持ちで、きょうの万灯(まんど)行列、またきょうのお参りを一つの、起点と致しまして、法華経に対する信心をつおく起こしていただきまして、信心のつおいところには救いがある。自分が絶対安心であるという、これはいくら高いところからわたしが強調致しましても、自分の信心によってのことでございまして、信心のある人は、一つも動揺なく心は安らぎを持っていられるわけで、大安心(だいあんじん)を持っていられるわけです。信じられない人は、ああじゃねえか、こうじゃないかという、ご苦労が多いわけであります。...
開祖(19731012A) お会式
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... きょうは、日蓮聖人は首切りの座へ乗っても、これほどのよろこびを笑えぞかし、といって、日朗聖人をいさめるというような、非常に胆(たん)のすわった、度胸のすわったあの竜ノ口(たつのくち)の牢屋において、首切りの座へ乗せられて、あした朝になると見苦しいから、夜のうちに早く首をはねなさいと、こういってこの、首切りをとにかく自分のほうから、どうせ殺すんなら昼間になって、この首を切られたのはみっともないから、夜のうちに切って片づけなさいという請求をする、そして法華経のおんために命を捨てるということならば、これは、海の、この砂の、砂と小判を交換するよう、というような言葉まで吐いて、金(こがね)に沙(いさご)をその、あきなうようのもんだと、それほど法華経のためには命なんというものはなんでもない、このくらい命を捨ててとにかく正法に懸けておったわけであります。ですから日蓮聖人は、どんな難が幾度来(こ)おうとも、そういうことには決して心配なく、60年の生涯が堂々と、阿弥陀さまのお迎えをうけて大往生されたわけであります。 これはまたお釈迦さまがご入滅のときに沙羅双樹のもとで亡くなられた、これがやはりこの、お悟りを開いて法を説かれたところから、ちょうどこの丑寅(うしとら)の方向行って、大往生を、80年の生涯を、お、遂げられたわけであります。その儀式に従って、知らずに来たか知って来たか知りませんが、身延から池上へお越しになりまするとちょうど、丑寅(うしとら)のほうの同じこの鬼門の線でございますね、そこへちゃんと、お歩きになって、そして池上へ来て大往生をされたという、これは如来の、お、このお経の中にありますように、三世諸仏の説法の儀式によって、三乗を説くというようの言葉がありますが、如来の入滅もそのような一つの、お、儀式があるということもいわれておりますが。その儀式をとろうというお気持ちであったか、なかったか、あるいは本来は常陸のお湯に行って、温泉に行って少し養生をしようという目的でお出ましになったのでありましたが、如来の法則に沿って池上において大往生を、60年の生涯を閉じられたと。こういうことも、いかにご法のとおりの歩みをされておったか、その歩みのとおりに歩んでおれば、そのように危険の場所がどんなにあっても、最後にはちゃんと大往生、大自然の天寿をまっとうして、非業の死でなく、堂々と大往生が遂げられると、こういう大功徳をいただいて、仰せになったところの法華経行者のかなわぬことはないというそのことを、また、臨終の事を習ふて他事を習ふべし、と自分で叫ばれたその言葉のとおりに、臨終のときにはお弟子さんがまくら元へみんな、あ、そろって、そして大聖人を囲んで、本尊を飾って、そこで御題目(おんだいもく)を唱えながら大往生をされたということであります。 誠に、一代がそのように、法華経のために、めでたく大往生がされたと、こういう意味からも、ある意味では、大きくいえばおめでとうという言葉もまたそこに当てはまると思うのであります。どうかそういう意味をかみしめて、このお会式を通じてまた一段と大聖人のみ跡を慕い、2陣、3陣つづけぞかし、と号令をされました日蓮聖人のみ跡を、わたくしどもが、一人でも多くの人に呼びかけて、一人が一人を導くというこの、仏国土の、けんせん、建設、その仏さまの本願成就という大誓願のもとに、皆さま方の今後のご精進を、お、お願いを申し上げまして、本日の説法を終わりと致します。ご清聴ありがとうございました(一同 拍手)。 ...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
1
...法話コード=開祖-1963-10-28-A 先生名=庭野日敬開祖 行事名=核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会 日 時=1963(昭和38)年10月28日 録音分=73分 場 所=第二道場 出席者= 掲 載=『佼成新聞』1963(昭和38)年10月25日号1面 見出等 「平和達成へ更に努力ー使節団アメリカでも大活躍」 ...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
2
...○司会 (一同 拍手)ただいまは会長先生の随行されました、内田北九州教会長より、海外での会長先生の、ご、ご活躍の模様などお話しいただきました。 それでは、あー、次に、去る24日、ご帰朝されました、恩師会長先生より、ただいまからご帰朝のお言葉を賜りたいと存じます。では会長先生お願い致します。(一同 拍手) ○庭野会長 (咳払い)えー(咳払い)、本日は、本部のご命日を期して(咳払い)、今度の、渡航の報告会をしてくださるっていうので、かくも盛大に、(咳払い)この、報告会迎えたのでありますが、不幸にしてきょうは、朝から雨でございまして、40日間(よんじゅうんちかん)、旅行中は一つも雨に遭わずに、とても天候に恵まれて、時には、ヨーロッパにおいては、飛行機が、(咳払い)ロンドンに行っても降りられないで、またパリへ帰るっていうようのこともたびたびあるんだなんていうようのことを、案内の方に聞かされまして、え、そういうことになると、その先その先と予定がくるうので困ったがというようのことも、まあ、ちょっと一抹の不安も、あまりこの旅行の日程がぎっしりとしてるので、え、心配をしたのでありますが、(咳払い)バイブルの中に、いー、「信ずる者は幸いなり」っていう言葉がございますが、まあ、あ、信じて、幸いで行こうじゃないかというので、必ずお恵みをいただけるものと、ま、こう、頭で決めて出かけたのであります。幸いに信ずる者は幸いでございまして、天候には誠に恵まれたんでありますが、きょうは雨に降られてしまったのは、これはもう皆さんに報告するわたくしのサンゲでございます。ま、どうやら、それも、いま、晴れたようでございまして、外にも皆さんお立ちになっていただいているようでございますが。 (咳払い)内田さんからたいへんにどうも、会長の宣伝をしてもらって、相当高い、何かその宣伝費を差し上げたようの(一同 笑)形で、え、40日間(よんじゅうんちかん)、まあ、おいしいごちそうを共に食べたんですから(一同 笑)、え、その分で(一同 笑い)、うまくほめていただいたのかも知れません(一同 笑)(一同 拍手)。 (咳払い)このたびの、この、核兵器、いー、禁止、宗教者の、使節団という団ができたっていうことは、これはもう時が来たのでありまして、そこにたまたま、松下先生のようの、いー、立派のお方が団長である、ま、団長っていうのは、わたしども出発直前に決めたのでありますけれども、自然とそういう、リーダーをやられた方が、松下先生であったために、い、たちまちに、この、宗教界のあらゆる方が、賛同して、そして、使節団がまとまったのであります。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
3
... どちらかというと、先ほども(咳払い)、内田くんの言葉からもありましたように、世界の平和っということに対しては、一つの、お、執念、エヘ(笑)、というほど、考えているらしいっていうことをいわれましたが、そのとおりでありまして、この世の中の争いということをなくしなければならないっていうことがわたしの念願でありますので、そういう意味では、松下先生と一緒に旅行へ出て、いろいろの、各国を回られて、え、外交辞令っていうものはなるほど、日本(にほん)の国で考えたように、わけにいかないと。向こうの国の国柄やら、宗教のあり方やら、いろいろのことが違いますことと、非常に難しい問題を、まとめていこうというのには、松下先生のように、この大きな包容力をもって、あまりその一つのことに、いー、固執(こしつ)しないと。わたしは固執(こしつ)しないようの自分で性分のつもりでおったんですが、松下先生と一緒に旅行してみるというと、どうもわたくしどもは少し、まだその、自分の思うとおりに、持って行こうっという気持ちがその、執念のごとく、現れてるわけであります。ところが、旅行に出てみるというと、そういうわけになかなか、向こうさまはいうことを聞いてくださらない。ま、幸いに、いー、出発前からの、お会いしようという松下先生のスケールであったところの、宗教家に対しては、順々と、第いちばん目に、いー、ローマにおきまして、バチカンのパウロ6世、法王に、ま、総員謁見ということでお会いすることもできましたので、滑り(「すみ」と発音)出しがよかったし、だんだんと、その先その先と、ジュネーブにおいても、ソ連においても、また、あ、ロンドンにおいても、それぞれ、予定の、宗教家にお会いしようというメンバーには、会えたのであります。 ところが残念ながら、政治家には会いないと。1国を代表してるところの、大統領、首相(「しゅそう」と発音)というようの方に、いちばんこの問題をわれわれがその、宗教家として申し上げたいという、念願で出たのでありますが、それが、あー、全然、かなわないということになりまして、(咳払い)団長は、え、しかもお忙しいということで、え、ロンドンで、すでに、いー、団から離団致しまして帰国ということになり、団長が離団して帰るということになりましたところが、え、禅宗の、管長でありますところの、高階瓏仙先生は、ソ連に行って88歳の老齢を引っ提げて、え、仏教を説いてくるんだということを去年の12月、わたくしどもの対談の時に、松下さんとわたしと、イシザカ先生と四人の対談の時にそういう話であったんでありますが、え、それを非常にこれまた高階先生は、年寄りの、一つの失言といいますか、そういうつもりでいったんでありましたが、フルシチョフがいないで、お会いできないという時の、非常にこの高階先生は、気持ちが動揺したようでございました。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
4
...もし、いなくて会えないならば、だれか適当の者があいさつにぐらい来そうのもんだというような、なかなかこれはまた、え、相当もう、活発の意見でありました。向こうのソ連のほうではわたしども信仰者なんて認めてないかも知れませんが、世間を、わたしどもや、もう高階先生のようなこの宗教の固まった人間っていうのは、まあ、一つの道からいえば確かに、はるばるその、使節団がソ連まで渡ったんだから、政府の代表として、だれかそのフルシチョフがいなかったから、適当の者が来て、誠にご遠路ご苦労さまとあいさつして、してもらってこう、これはまあ、お年寄りの耳の遠い人ですからいろいろ事情あんまりわからんで、頑徹(がんてつ)にそうおっしゃること非常にわたしごもっともだと思う。その、老人の怒られた顔を見てわたしは本当に、なるほどこの、ご老人さすがに、15,000カ寺の管長さんを、務められて、日本(にほん)仏教会の会長にもなるという人だから、これだけのなるほど、一つの信念を持っていなさる人だなあと、こうわたしは非常に、え、高階先生のその人柄にわたしはほれ込んで。老人素晴らしいとこう思ったんでありますが、ロンドンに帰ると、と、おれはもう、ほかのところ行く必要がない。ロサンゼルスぐらい直行するから、もうおれも離団するっていうので、え、名誉団長と団長と離団して、ロンドンではもう四分五裂(「しふんごれつ」と発音)になっちゃったわけなんです(一同 笑)。ま、しかしこれはあの、感情的になったとかというんでなくて、お年寄りで、体が非常にお疲れであると。それから、まあデンマークとか、あー、(咳払い)スウェーデンっていうようのところの見学というようのことを、そういうことはもう自分に必要がないと。とにかくもっぱら、そのフルシチョフに仏教を説いてきたいというその念願で、おいでになったことは、え、ソ連で朝めしの時に、いー、高階先生のいわれた言葉を聞いてるとまったくもう、それに、い、固まって行ったわけでありますから、それが会えないってことですから、もうロンドンに来たら、おれはもうサンフランシスコへ行って、あー、ロサンゼルスへ行って、みんなの来るのあすこで待ってるから、先にわたしは行ってひとつ休養するというので、先にもう、団から離れちゃいました。 そういうことで、団の性格が少し尻が細くなってきたようの形なりまして、え、そこで、団長が別れるにあたって、あと、だれかが団長に、なると、いうことをしなきゃならんのだが、どういうふうにしたがいいだろうっていう、まあ相談受けたんであります。そこで、まあ、どういうふうにするかっていうことで、いろいろ、考えたんであります。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
5
...で、考えた結果が副団長が3人いるから、まず年の上の人から順々にしようっていうことで、橋本凝胤(「はしもとりゅういん」と発音)先生からまず、ヨーロッパの最後、デンマーク、スウェーデンというとこだけは、橋本さんが団長して、アメリカは非常に会うところがたくさん、いろいろあるから、アメリカへ行ったら、どちらかその年の、上のほうが先に団長すると、こういうことで、ところが、まあだんだんそれで戸籍調べしましたところが、わたしがいちばん若輩でありまして、で、いちばん最後わたしと、こういうことなったんでありまして、別に内田さんの話のようのいいわけあったわけじゃないわけだ。それでまあ順々にそういう形になって、わたしがいちばん最後、サンフランシスコ、ロサンゼルス、ハワイ、でまあ本部へ。この、日本(にほん)に帰るまで、団長っていう役でまあ帰ると。まあ、そういうようのことで、ま、回って来たんでありますが。順序としてはいま、申し上げたようのわけでありますが、まあ、だいたいもう、内田さんが非常に細かに皆さんに、手紙で報告したり、いろいろのことで皆さんもうご存知だと思いますが、報告は回った順序、いま、申し上げたようの順序で回ってまいりました。 宗教家は皆その人その人の、持ち味を生かして、非常にわたくしどもの提唱に対しては、非常の賛意を示していただきました。ぜひとも世界平和をもたらすためには、まず精神界のほうが先に、いー、まとまらなくちゃいけない、ということを、世界中の宗教の指導者はみんな考えているようでありまして、いまさら、わたしどもが新しくいい出したことというようのことでなく、むしろ、ソ連のギリシャ正教の大、いー、主教さまなどは、広島の第3回目の、あの、(咳払い)会合に、参加をされて、ソ連からはるばる日本(にほん)に来て、そしてその、この核兵器禁止の問題に対しては、もうわれわれよりも、先輩であったことがわかったわけであります。 そういうわけで、まあ、あー、世界中、人類の中で、おそらくこの核兵器禁止ということを嫌だっという人はいないんじゃないかと。ところがゆきがかり上ですね、やっぱり、このー、米英ソの3国は持っておるから、気の毒に保有国のほうは、これがいけないと、こうはっきりいってしまうと、いけないものは早く捨てなさいといわれると困りますから、なんとかその理屈をいいたい。これはまあ、あの、いま、あ、米英ソ3国だけをわれわれは非難、しるわけにはいかないと思うんであります。立場が変わると、わたしどもでも、やっぱり大東亜戦争の時分には、え、なんとかして聖戦ということにもって行こうというので、外国の人にいわれても、なんとか日本(にほん)の、戦争することが正当の戦いなんだと、ま、こういうふうにいいたいっていうの、これは日本(にほん)人の人情でありまして、そういう時に戦争が悪いっていうことは全然知らなかったかっていうと、戦争をすることはいけない、ということを知っておったと思うんです。...
開祖 (19631028A) 核兵器禁止宗教者平和使節団帰朝報告会
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...ところが、戦争始めてしまうとですね、やっぱりこれはそのなんとか、日本(にほん)の戦争っていうのは正しいんだと、ま、こういうふうにその、やりたいのがこれは人間の、人情だと思うんであります。 ですから、核兵器持っている国はやっぱりそういう意味では、禁止という言葉を非常にその、アメリカのこの軍縮局長さんは、頭にだいぶきたようでありますから、もう禁止って言葉が気に入らなかったら引っ込めてもいいんだと。こういうもの必要のない世界創ろうっていうのがわたしどもの考えなんだと。まあいうことで、だんだん説明していくうちに、おしまいには、とうとうまあ、その、アメリカという国だけが、世界中どこの国にも軍縮局というようのものをこしらって積極的に軍縮問題に取っ組んで政府がやってるところは、見当たらないじゃないかと。アメリカだけがこういうわけで一生懸命でやってるんだというようのことで、だいぶこの軍縮という問題に対しては、禁止っていう問題をアメリカへ持って行くというとすぐ、ソ連をどうするんだと。まあ、いうことで、これ、ま、ちょうどわたしどもの戦争中の意思と同じことでありまして、ましては局長というお役があって、軍縮局というところに席を置かれる方にしては当然のことだと思うんで。ま、そういう意味では、もう、向こうのいうことよくわかりましたし、いろいろお話をしてるうちに、やっぱり主旨においては一致してんだと。しかし、これを具体的にということになると、そこに非常に問題だと。まあ、そういうことで、ま、そこでわたしども宗教家のできることというのは、そういうものを必要のない、お互いの相互理解、いままでは宗教家が、なかなかよその教団のいうこととか、ほかの人の、ことを聞かないっというのが、宗教家の、いままで過去の宗教家はそういう宗教家であったと。ところが、これからの宗教家はそういうことでなくて、壁を、壊して、橋を架けなければならない。お互いに橋を架けて交流し合って、行ったり来たりして、そして手をつないで、本当の平和を築くというそういう、核兵器のいらないような世界を招来させる方法を考えていかなくちゃならないんじゃないかと。そのいちばん原動力になる心の問題の解決を、まず宗教家が受け持ってやろうっていうようのことで、ようやく話が、向こうが納得してくれたわけであります。 (咳払い)ま、しかし、持ってる人は気の毒だとこうわたし心配して、あのー、最近に出る時に、やめなさい、やめていただきたいなんといってお願いするのでなく、持ってるほう気の毒だから、そういう気の毒の状態をだれかが声掛けないというともう振り上げた拳(こぶし)を下ろすとこがなくて困ってるとおなしように困るだろうから、早くその、核兵器の禁止って問題をその大きく、世界中の人類から声が出て、え、そして、いま現在持ってる国だけで、もう、あとの国はそういうようのをこしらえる必要ないようの状態を早くつくってもらいたいっていうことを、願っているんじゃないかと。...
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...まあ、そういうところまで話をしてみたいっていうようの気持ちで行ったんでありますが、まあ、そんな、言葉もやっぱり通じません、やっぱり言葉の違うところで、思うようにもう、まいりません。ま、しかし、だいたいそういう意味では、そのことを、この軍縮局長さんが、これはまあ公表してないことを発表したんですから、ちょっと問題だかと思うんでありますけれども、だいたいこの持ってるところの3カ国は、いま現在では軍縮、だんだんと縮めて行こうっていうことで、人工衛星のようのそういうものに核兵器を積んで、え、そして、もう、うーん、この、ばらまかれた日にはたいへんのことんなるわけですが。持ってる国がその3国でもって、内々(ないない)に、そういうものに積むということは絶対にしないという約束を、ほとんど決まっておるんだというような、内緒のことまで局長さん発表して、その、自分たちもやめることの方向に努力してるんだということの所作を、まあ、示されたわけであります。ま、そこまで人類はもう、みんな、核兵器を禁止することを願っておるということがよくわかりましたので、それ以上いろいろのこという必要もないと思いまして引き下がってきたようのわけでありますが。 ここで、わたしどものこれからの問題でありますが、日本(にほん)におきましても、まだまだ宗教家の中に、他教はみんな邪教だと、いうようのことを、このちっともです、臆面なしに、そう加減もしずに平気でですね、他教みんな邪教だっというようのことがいえるような人が、世の中にたくさんいる。そういう考え方の人がいる、そういう独善的な、排他的な、そういう思想の人がいることがやっぱり危険なんでありまして、どこまでも寛容の精神でお互いに人の人格を認め合って、人さまの宗教の教義の違うところが、どういうところに起点があるかというような、要するにお互いが、持ちつ持たれつのその関係、要するに仏法でいうならば諸法無我の法則といいますか。で、そういう意味でお互いの、孤立して世の中にだれ一人としていられるものないんで、みんなその関係があるんだという。われわれは、ともにこの娑婆に生まれていま現在おんなし時代に生まれているというその、一つの共業(きょうごう)、仏教でいうと共業(ぐうごう)っていいますか、そういう同じ業に生まれて、いま現在、地球上にわたしどもは存在してるわけですから、この、大きな現実の因縁をわたしどもは深く感じて、早くそういうことを取り除く考えをお互いがしなきゃならないと思うわけであります。そこで、え、具体的にこれを、そういう条件つくるっていうことなりますと、どういうことになるかというというと、これ難しい問題でありますが、わたしどもの今後のあり方っていうものは、そういう意味で、大乗を標ぼうして、わたしどもはこの法華経を信奉してんでありますが、大乗仏教の思想っというものの根底にあるものをよく考えた時に、排他的、独善的ということがこれが、ま、いちばんいけないことでありまして、そういう意味で相互理解という、こと、寛容の精神、で、しかも、六波羅蜜の中に、出てきますような、忍辱のよろいを着て、われわれは耐え難きを耐え、忍び難きを忍んで、お互いがやっぱりそのおのおのの分担されたところの使命を果たすっていうのには、相当忍び合う、お互いに忍耐し合う、そういうことが必要じゃないかと思うわけでありますが。...
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... そこで、回ってまいりました、いろいろの国の状態をちょっと参考までに申し上げて、え、そしてその人間のあり方っていうものは、ちょっと行き過ぎるとこういうふうになるんだっと、いうことの一つのこれが、考える、糸口になりゃあしないかとこう思いますので、このあいだずーっと旅行してますというと皆さんがいろいろの、ことを、おっしゃる。で、その中で、非常におもしろい言葉が出たわけであります。 非常にこの、ヨーロッパの社会保障のよくできた国。例えば、スウェーデンのようのところは、社会保障は非常によくできてる。わずかの国民の数(かず)が750万という国でありますが、750万のところへ、家数(いえかず)が320万戸あるっていうんですから、750万で320万というと半分はないんですけれども。子どもさんがいて親子3人という家族があることになるとうちが余ってしまうわけであります。3人平均となると余るわけです。ですから、別荘を持って何軒ものうちのある人が、いま、たいへんあるわけであります。ま、結婚すればすぐその別のうちへちゃんと所帯を持つっということが、日本(にほん)のように不都合でなく、すぐにできるわけであります。で、その国の状態聞くというとまた、非常にうらやましい点があるわけでありますが。毎年(まいとし)、おういう鉄筋コンクリートで建てた、石で建てた、レンガや石で建てたところの、容易に壊れることのない、焼けることもないという、そういう建築が、政治の力において毎年5万戸ずつですね、その小さい国で5万戸ずつ毎年(まいとし)建たってる。不景気の時は7万戸だという、1年に。景気のいい時は5万戸なんだこれ。それちょっと聞くと、わたしどもにはこう、景気のいい時に余計建って、景気の悪いとき少なくしちゃよさそうなもんだと思うんですが、これは社会保障よくするために、景気悪くなると失業者ができる。そこで2万戸余計に建てて、やっぱりその失業救済ということで、不景気になると7万戸建てるというそういう政策を30年間やってきたっていうんだ。これは、スウェーデンでは、社会党の政治だそうですから、社会党が30年、政党、政権がつながってる。ところが、その社会党政権だといいながらまたおもしろいことにはですね、自由陣営のこの、国のですね、政治と変わらないということですね。例えば、国営のものというものが誠に少ない。ちょうど、いま、現在の日本(にほん)やなんかとおなしように、本当の、例えば、ま、日本(にほん)でいうならタバコとか、酒なんかもいくらかあるんですが、砂糖とか、まあそういうこの、郵便物だとか、鉄道とかっていうようのことになるでしょうか。...
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...その、国営のものっていうのが誠にその、自由陣営とちっとも変わらないで国営、全部すべてが国営じゃなくて、自由にもう皆さんが、もう闊達(かったつ)に、やると。 ま、こういう点が非常にわたしはおもしろい国だと思うんであります。ですから、社会主義だといっても、みんな国営になってしまうかと思うと、やっぱりその国柄によって、そう簡単にいかんもんだなっていうことにもなると思うんでありますが。 ところで、そういうふうに社会保障はよくて、する国が、税金はいちばん高い国だと。ま、こういうところにまた、ひとつわたしども考えをしてみなくちゃならない。われわれはもう税金さえ安ければいい、というようなことで、何か共産党が政権取ると税金ちっとも納めなくてもいいようの政権のようでございますが、そんなことで国が行くか行かんということが、ま、すぐわかると思うんですが。別に共産党のわたしはあの攻撃運動してるわけでありませんけれども。ま、そういう意味では、税金が非常に高い。例えば、高額所得者は10日働いて1日(いちんち)が自分の生活費で、10日(「とおか」と発音 正・9日)は税金に取られる。普通のいちばん最低の労働者が3日(みっか)働いて1日(いちんち)は税金だと、2日(ふつか)が自分の生活。ですから、だいたい生活が同じような生活になるようにしてるようであります。ま、そういうようなことで、非常にこの生活が、もう、お、非常にこの差がなくなってるわけですね。こういうふうになって、どういうバランスでいくかというと、軍事費が20パーセント、社会保障が30パーセント、で、あとが50パーセントが、え、すべてのこと、教育とかいろいろのことを賄ってるんでしょう。そういうことで、いま、申し上げましたように非常に、そのー、高い、そこで社会主義の国であると。で、その国がどういうふうにやってきたかというと、戦争という場合、要するにこの兵器、武器という場合になるとどういうことになるかというと、ここの国はですね、世界でですね、米英ソ3国を離すというと、750万の人口しかない国がいちばん最新式の優れた武器をみんな持ってるっていうん。スウェーデンはその4(よん)番目だっていうんですから。そのぐらい最新式の武器を持っていつでも戦争に立ち上がって、750万が火の玉となって戦うという自信持ってる。それで中立を守ってるわけなん。 ですから、あ、これもですね、社会党、まあこないだ、中立っていう問題で、池田さんと、この3党首のあれ会談聞いてると、ま、そんないろいろのことを聞いて来たもんですから、どうも社会党さんがちょっとまだ、小児病をのびないんじゃないかと思うような、こうちょっと精神年齢を鑑定しなくちゃならんほど遅れていやせんかと思うようのその政治観念がですね、中立ということが守れるっていうのには、やっぱり自分自体の力がちゃんと、軍事力を持って、そしてもうその、どこからも、侵せられな、侵されないっというような、そういう国の中立は中立が成り立つけれども。...
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...うっかり中立だというので、どっこにも関連しないで、なんにも持たんで、無鉄砲にといっても、いま現在われわれは、ま、理想、平和ということから理想を考えれば、そういう世界のほうが好ましいん。 好ましいけれども、いま、ちょっとあのEECが、さの、いろいろのこといっても、ちゃんと自分ではその中立っということで、どこにも別にその世話にもならなければ、従いもしないと。自分の思うところのはっきりとしたところ、自分の、独立したところの、立場をとって、そしてその意見を主張していくと、こういうまあ、国になってるわけです。これやっぱり、なるほどいろいろの条件をよく考えないと、これはうっかりできないもんだっていうことを、まあよく、う、わからしていただいた。こういう面をいうと非常に、たいへんに、え、素晴らしい国なんですがこの国が、わたしはいちばんの悩みになっているものは何かっていうと、だんだんそういうふうになってくるというと宗教心がなくなっちまう。なんでも物でもってすべてのことをそろばんずくで割り切ってですね、中立問題でもそろばんで割り切ってるわけ。親子の関係もみんな割り切ってるわけだ。もう夫婦がちゃんと、この若夫婦ができた以上、年寄りは隠居してしまって、え、そして養老院に楽々と行っていられるように社会保障があるから、ま、それはちゃんと設備がある。ところが、この国の人はどういうことなったかというと、そういうふうですから、まあ無理がないんでしょう生活に。日本(にほん)のようにがんとかですね、肺病患者なんてものは極めて少ない。ですから、病気のために、しん、死ぬというのは、割合年の若いうちに老衰で死ぬっていうん。これはもう全然意欲がなくなってしまうそうですな。もうその若手が、あー、ちゃんとこの、自分の子どもが成長したと、で、それにもう嫁をもらって、孫ができたのを、その、ま、日本(にほん)であれば、おばあちゃんに守(もり)してもらわなくちゃならんとか、へそくり少し出してもらわんと子どもに教育できんとか。まあ、いろいろこの、親子関係ですね、これ貧乏の国だけに、わたくしどもはうまくできてると思うんです。ところが向こうはその何もかにもちゃんとうまくいってですね、もう楽々ともう、孫の面倒なんか見て、守(もり)しなくとも、養老院で楽々と、こりゃあ、その、老人はその生活できることはできるんですね。ところがなんの意欲もなくなるから、もう老衰してしまうんですね。まあ老衰でこれまあ自然の大往生ならこれはまたもう、まあ、あまり早く死ぬの歓迎するってのおかしいですけれども、これはまあ大往生できるんならこれ結構なんですが、老人の自殺が非常に多いっていう。...
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...ですから、肺病やがんで死なないかわりに自殺で死ぬという。 ま、こういうことをわたしは、きょうの報告にですね、こないだもちょっと申し上げましたし、平和使節なんていうのは、いまごろ始まったことでなくて佼成会はもう25五年、創立以来この平和の問題で一生懸命みんなと取っ組み合って、で、平和をもたらすのには一人ひとりが完全の人になって、自分自分が、家庭の中から平和という、自分そのものが人と争う気持ちのないそういう、人間の完成がだんだんと築かれて、そしてそういう社会がだんだんできて、そういう国ができて、そういう世界に影響を及ぼすと、そういう形、これは誠に遅いけれども、着実にそういう平和問題をわたしども真剣に取っ組んできてるわけで、その問題をたまたま、いま現在はそうあんまりその、理想のこと考えて、そういう着実であるからといってあんまり消極的なやり方じゃない積極的に、この核兵器だけはやめなくちゃいけない、禁止してもらわなくちゃならないと、そういうところに今度、まあ提唱をしたわけでありまして。 急場を救うための要するに一つの提唱であって、それを実現するのには、佼成会の創立以来の、この仏教精神によるところの人間完成という、人間の目覚めという、そういうことが根本でありますから、アハ(笑)、これはもう基本的のもので皆さんがちゃんと頭に入っているから、わたしはそういうことよりも、回って見たその社会保障やいろいろのその国柄や、そういうことから、わたくしどもの身辺を円満にする上において、もういっぺん考え直してみる必要があるとこう思いますので、これ余計のことをちょっとこう、付け加えて申し上げてるわけであります。 その社会保障のできた国がですね、そういうふうです。え、イギリスもたいへん社会保障よくできてるというんですが、イギリスの国は、やっぱり大東亜戦争において、いままでの自分の、統治してたところの国が皆そのカニの手をもぐように取られちまって、自分の本国だけになりましたから、アメリカは保障よく、やる、よくできても、そんなにですね、年寄りがまあ仕事しないで楽々できるっていうところまでいかない。そこにですね、体の動かない人や働けない人や、そういう人に対しての保障をちゃんとしてある、やっぱり、保障は、ず、実によくできてなさるそうであります。でありまするから、イギリスの社会保障っていうものは、生きるための社会保障、い、生きるための社会保障、ところがスウェーデンの社会保障は死ぬための社会保障。ですから早く死んじゃったほうがいいってんで、自殺することんなっちまう、ね。ですから、希望がないから、早く老衰してしまうと、こういうその結果をですね、もたらしちまう。...
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