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人間釈尊14
わいてきた新しい勇気
1
...人間釈尊(14) 立正佼成会会長 庭野日敬 わいてきた新しい勇気 魚たちは自然に生きている 苦行をやめる決心をした菩薩はよろよろと立ち上がると、まず墓場に行き、それまで着ていた木の皮をつづった衣を脱ぎ捨て、死体を包んであった白布を拾って服装を整えました。そしてネーランジャナー河の岸辺へ這うようにしてたどりつき、腰までの深さの所へ身を浸しました。 朝の川の水は冷たいけれども、快く肌を洗ってくれます。水の中へ目を凝らしてみますと、小魚の群れが泳いでいます。ツツーッと菩薩の体に近寄ってきて、肌を突つこうとして去って行く魚もいます。底の砂の上を半透明な川エビが這っていて、菩薩がちょっと足を動かすと、ヒョイとうしろ向きに跳ねのきます。 「ああ、魚たちもいきいきしているなあ。みんな生きているんだなあ」 そういう思いが菩薩の胸にこみ上げてきたことでしょう。 「遊ぶように生きている。自然に生きている。人間もこのように生きたいものだ……」 なにか新しい勇気がわいてきた菩薩は、長年の垢を懸命にこすり落とすと、岸に上がり、ボウボウと伸びていた髪やひげを剃ってさっぱりしました。 乳粥で心身共によみがえり そのとき、朝まだきの靄(もや)の中を淡紅(うすくれない)の衣を来た女が近づいてきました。愛くるしい十五、六歳の少女です。湯気の立つ鉢を持っています。少女は菩薩の前にひざまずくと、その鉢をささげて、 「沙門さま。どうぞこれを召し上がってくださいまし」 と言うのでした。 村長(むらおさ)の末娘スジャータでした。スジャータは、信仰心の厚い父の影響で、かねてから修行者と見れば米や麦などを供養するのを楽しみにしている少女でした。きょうのは生の穀物ではなく、濃く煮詰めた牛乳で煮込んだ白米の粥です。菩薩が苦行をやめたのをはるかに見てとった村長が、娘に言いつけて作らせたのです。 菩薩はなんのためらいもなくその乳粥をすすりました。何年ぶりかで口にする人間らしい食物。ひと口吸うごとに全身にしみわたるような滋味、温かみ。身体ばかりでなく、精神にも新しい生気がよみがえってくるのを実感するのでした。 人間は人間らしい食べ物を食べなければならない。それが天地の法則に素直に従う道だ……そういう思いがこのとき菩薩の脳裏に深く刻みつけられたに相違ありません。 だからこそ、後日提婆達多が厳しい戒律改革案をつきつけ、――比丘は在家信者の食事の招待を受けてはならない。比丘は一生のあいだ魚肉を食べてはならない――などと言い出したとき、たちどころにそれを一蹴されたのでした。 また、このときスジャータが供養した乳粥のありがたさ、その意義の深さは、一生釈尊のみ心にしみついていたのです。その証拠には、クシナガラで亡くなられる直前に食事を供養したチュンダに対して、明らかにそのことをおっしゃっておられます。 それはさておき、心身ともによみがえる思いの菩薩は、スジャータに感謝の目礼をしながら鉢を返すと、さてこれからどこで、どんな修行をしなければならないか……と、ゆっくりとあたりを見渡すのでした。 すると、少しばかり上流の対岸にそびえている一連の岩山が目に入りました。「そうだ、あそこへ行ってみよう」。菩薩はまだよろめく足を踏みしめ踏みしめ、中州の砂の上を歩き始めました。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
やくしん 1987年1月号 ブッダロードを行く
【機関紙誌】
人間釈尊15
【機関紙誌】
生かされている思いを実感
人間釈尊15
生かされている思いを実感
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...人間釈尊(15) 立正佼成会会長 庭野日敬 生かされている思いを実感 前正覚山から菩提樹下へ スジャータのささげる乳粥を食べて気力と体力を回復した菩薩は、新しい修行の地を探して対岸にそびえる岩山に登ってみました。 その中腹に格好の洞窟がありましたので、中に入って静座し瞑想に入りました。 すると、しばらくしてから地震が起こり、洞窟内にも小さな落石がありました。菩薩は、ここは修行にふさわしい場所ではないと、すぐ立ち去ろうとしました。そのとき空中から声があって、 「これから西南の方に巨大なピッパラ樹があります。その下があなたの道場です。そこで禅定に入られるとよいでしょう」 と告げるのです。 菩薩はさっそく山を下りたのですが、この山(ガジャ山)、菩薩が正覚(しょうがく=最高の悟り)を得る一歩手前に登ったゆかりの山というので前正覚山と名づけられ、今も聖地の一つとしてチベット僧が寺を建ててそこを守っています。 さて、菩薩は再び川を渡って西南の方へ歩いて行きますと、ゆくてにうっそうとしたピッパラの大樹が見えてきました。――ああ、あれこそ――と直感した菩薩がそこへ行ってみますと、いかにも清浄の気に満ちた静かな場所です。 そのとき十二、三歳の少年が柔らかそうな草を籠いっぱい背負って通りかかりました。瞬間、菩薩はむかしの言い伝えを思い出しました。――過去の聖者たちは草を敷いた上に座って悟りをひらいたそうだ。ちょうどいい――菩薩は少年に声をかけました。 「その草をもらい受けたいがどうかね」 少年はニッコリ笑って、 「よろしゅうございます。どうぞお使いください」 「それはありがたい。そなたの名は何というの?」 「スヴァスティカ(吉祥)です」 「ああ、めでたい名だ。その草は何という草?」 「クシャ(功祚)です」 「いよいよめでたい。ありがとう。ありがとう」 菩薩はピッパラ樹の東側にその草を厚く敷くと、まず木のまわりを三回まわってから木に向かって合掌礼拝し、静かに草の上に座ると、背筋を伸ばし、目を半眼に閉じ、最終的な禅定に入ったのでした。 一本の木にも感謝しつつ 禅定に入る前の菩薩の脳裏には、苦行を中止してからのこれまでの出来事が、一連の大きな意味をもったものとして浮かんできました。乳粥を供養してくれた少女の真心、前正覚山で聞いた空中の声、大きな陰をつくって自分の修行を守ってくれるピッパラ樹、刈ったばかりの柔らかい草を快く布施してくれた少年……みんなみんなわたしの求道心を助けてくれる存在だ。天地のすべてのものがわたしを生かしてくれているのだ……そうした思いが心の底に深く静かに広がっていったのでした。 そうした深層意識があったればこそ、やがてそれが形を成して結晶し、(この世の万物はすべてつながり合い支え合って存在しているのだ)という真実の悟りとなって現れたのでありましょう。 それにしても、禅定に入るまでの菩薩の行動の中でいちばん尊く、いちばん美しいと思うのは、ピッパラ樹のまわりを三回まわって合掌礼拝したことです。これはインドでは貴人に対するあいさつの礼儀だったのですが、それを一本の樹木に対してなされたこと、そこに菩薩の人柄の美しさと真摯(しんし)さがマザマザと現れていると、賛嘆せざるを得ません。 題字 田岡正堂/絵 高松健太郎...
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