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...信者即布教者 一 私は毎年、三月五日を迎えるたびに「偶然とはいえ、絶好の季節に発足したものだなあ」と、つくづく感じます。三月初旬と言えば、まだ大気には凛とした厳しさが残り、天地は「清明」という言葉がピッタリに、澄み透っています。しかも、よろずのいのちをはぐくむ春の息吹が、爆発の力を秘めてどこかに動きはじめている。そんな季節です。 それにつけて、私は思うのです。「立正佼成会は常に“三月の会”であるべきである」と。と言うのはつまり、どんなに発展しようと、どんなに隆盛になろうと、決して春爛漫といった浮かれた気持ちに陥ってはならない。いつも「これからだ」という鬱勃たる発芽と成長の気力に満ち満ちていなければならない、ということなのです。 結成式を挙げたのは、昭和十三年のこの日、場所は中野区神明町にあった私の牛乳店の二階でした。 会員はわずか三十余名。ご宝前のあるその部屋は六畳しかありませんでした。もちろん、教団としての形はととのわず、教義も整然としたものではなく、ただほんとうの信仰を求め、現実に人を助けていこうという熱気に燃える同志の集まりでした。(中略) きのう入会した人は、きょうから布教者になり、その新発意の人さえすばらしい結果を生みだしますので、みんなはほんとうに無我夢中でした。純粋な、燃え上がるような気持ちで、求道と布教に猛精進したものでした。 私自身、妙佼先生を自転車の荷台に乗せて、一日に二十数軒の家をお導きに歩いたこともあります。思い出すたびに、総身の血が新しく躍るのを覚えます。 (昭和48年03月【佼成】) 信者即布教者 二 自分ができもしないのに、人さまに法を説くのはおこがましい、と考える人が多いようです。これは一応、最もなことのように思われます。日本人は永い間、中国の儒教の影響を受けてきているだけに、いっそうまた、そう考えがちなのですが、お釈迦さまが教えられているのはそれとは一段違うのです。 では、どう違うかと言うと、お釈迦さまは人間は皆一緒に、平等に生まれてきたのだから、ただ一事でもいい、自分が善いと思ったもの、信じたもの、しなくてはならないと思ったものを、一つ一つ体験しなさいと言われているのです。人のために説いてみなさいと教えておられるのです。また、そうやって、人さまに話をさせてもらってみると、教えられたことの意味がひとしおわかってくるのです。 これはある踊りの名人と言われた人の言葉ですが、「お師匠さんについて一生懸命習っても、それだけではなかなか覚えられない。覚えるためには、自分がまだ教えるほどの域には達していなくても、何も知らない人に手ほどきすることだ」と言われるのです。人に「教えてあげよう」と思ってやってみると、自分も踊り方を覚えることができると言うのです。おかしな話のようですけれども、〈教える〉と言うことはそういうものなのです。皆さんもやってごらんなさい。人に教えることによって、自分もほんとうにそれを覚え、身につけることができます。 ところが、妙なもので自分で覚えようとしてお師匠さんのところへ通っているうちは、ほんとうに覚えられません。なぜかと言いますと、人に教えようとするとどうしても自分のくせが出てきて、それに気づかされます。また、教えようとするには一貫性がなくてはなりません。何度踊っても、同じ型でなくてはならないのですから、足の踏み出し方、手の振り方をきちんと一つ一つ教えていかなくてはなりません。それだけに人の師匠になると、教えながら自分が完全に覚えてしまうのです。自分が人から習っているだけのときは、何日やってみても“こうだったか”“ここは手を四つ打つのだったっけ……いや、それとも三つだったかな”というように自信がないのですが、人さまに教えるにはそんなわけにはいきません。ここは歌が何拍子でどうなっているとか、足の開き方、手の出し方はどれくらいでないといけないとか、無意識のうちにも、念を入れて確かめてかかりますから、知らず識らずのうちに完全に覚えることができるのです。 (昭和41年04月【速記録】) 信者即布教者 三 因縁とは不思議なもので、お導きをしなさいと言われると、だれもが自分と同じような業障の人を伴って来るものです。そして、導いてきた人に、わかってもらおうと懸命になって努力する。自分が、わけのわからぬことを言っていたのでは、相手がますます混乱してしまいますから、まず自分が正しくならなければいけない。腹を立てたり、怒ったり、欲張ったりしないで、いつ、だれが見ても、自分は間違っていないんだ、ということをしてみせなければ、導きの子は言うことを聞いてくれません。ですから、自然に自分のすること、なすことをだんだんと吟味していくようになります。自己の内側に向かって、自分を吟味していくということになるわけです。 仏さまもこのことを、お経の中ではっきり言われています。それは常不軽菩薩品第二十に出てくる「人の為に説きしが故に、疾く阿耨多羅三藐三菩提を得たり」というお言葉です。ひたすら人のために法を説いたからこそ、こうして仏の悟りに達することができたのだと、お釈迦さまは説かれているのであって、これこそは、法華経の特性と言っていいのではないでしょうか。 (昭和41年04月【速記録】) 理屈はあまりはっきりわかっていなくてもいいのです。人さまのためを思い、一生懸命になって、お導きをしていると、だんだん自分も向上していきます。そして人のために、人のためにと繰り返していいるうちに、家もしだいに繁盛するようになって商売もうまくいく。それに家の中が円満になって、そのうち家も建てられる、と言ったように、すべてが順調に運ぶようになって、そこに幸せが訪れるのです。このように“人さまのために”と言いながら、自分が成長しふくらんでいくのです。それは不思議なものです。 (昭和34年07月【速記録】) 信者即布教者 四 だれもかれもが「はいそうですか」と言って入会してくださるのなら、私どもは一つも苦労しません。初めは最も身近な親せきに目をむけてみましょう。どんな人でもひとりやふたりは親せきを持っているはずですから、まずその人達に「一度でもいいから道場を訪ねてみましょう」という気運を少しずつ作りだしていくことです。自分だけ救われればいいという欲ばった心をなくして、自分の体験をどんなことでも話していくことです。道場まではなかなかいけない、という人もいるでしょうから、その人には班の組織を活用して、班の人達に集まっていただき、新しい人を囲んで十人くらいのサークル(法座)を作ります。この人数がサークルの単位として一番いい数でしょう。そして新しい人達にまず自分の持っている苦しみ、あるいは疑問を出してもらって話をすすめていきます。この方法が一番初歩的で、ご法をわかっていただく早道だと思います。新しい人をなるだけ多く訪ね、親しくなっていくことがまずたいせつです。そして班単位で話す内容は次に道場へ出て来る必要のある話をし、信者さんが道場へ出て来られる道をつけておくことです。 (昭和38年01月【佼成新聞】) 皆さんは、ほんとうにすっきりした仏さまの子です。ですから、自分に仏さまがついているかぎり努力しただけのことは、ちゃんと結果に現われてくるんだ、という自信を持って毎日の生活を続けていけば、隣の人が「私も、あなたのやっている生きた信仰に入れていただきたいから、どうか連れて行ってください。実は私はこういうことで悩んでいるんですよ」と言って、やってくるようになります。そのとき、自分で説くことができればいいのですが、もし説けなかったら、少し慣れている話の上手な人のところを訪ねて、聞かせてもらえば、たちまち「今すぐからお仲間になりましょう」ということになるのです。 私なども全国を歩いて、宿屋に泊まるたびに、女中さんをずいぶん導かせていただきました。一晩泊まって翌朝帰るときになると「お弟子にしてください」と言って、みんな入会するのです。 私は宿屋に泊まると、接待の女中さんに「せっかくこうしてご飯をよそってもらったんだから、あなたとは切っても切れない深い縁があるんだ」と話しかけます。そこから、酒を一杯ついでもらうと「ああ、有り難い。あなたについでもらったおかげで、甘露のお酒をいただくことができます」と感謝しながら、だんだん話をしていきますと、「ぜひお願いします。入会させてください」と相手は身を乗り出してきます。食事をすませ、ひと風呂浴びて、あんまさんに来てもらうと、今度はそのあんまさんが「私もご本部に出かけて行きます」ということになります。今の時代は仏法の弘まる時期だと、お釈迦さまはすでに二千五百年も前に言われています。ですから、みんなで「仏さまの教えに従って幸せになりましょう」と会う人、会う人に働きかけてごらんなさい。自分の手に負えないようであれば、先輩の幹部さんに話をしてもらえばいいのです。自分でみんな仕上げようとするとなかなかたいへんですし、とくに、社会常識の豊かな人なんかは、なかなかめんどうです。しかし、おもしろいもので、そういう人を導くには、理屈をあまり言わない方がいいのです。その方が実際に導けるのです。 (昭和51年04月【求道】) 信者即布教者 五 仏さまの真似をして、仏さまの説法をいろいろなかたちで表現し、口で人さまに伝えようとしますと、自分が生まれながらにして持ってきた因縁がわかってきます。そして修行を続けて、心を改めていくと、自分が仏さまの子であって、仏性をちゃんと授けられているのだということが、いっそうはっきりしてまいります。 このことがよくわからないうちは、何か無駄なことをしているような気がするものです。最初のうちは、だれかから入れ知恵されたり、頼まれてやっているような気がするものですが、だんだんと実践しているうちに、自分の本心から発露されたものであり、自分が仏性をもっているからこそ、そうなるんだということがわかってきます。言い換えると、本然の仏性から自然にわき出してくるところの方便力なんだということに、気がついてくるのです。その段階ではまだまだ危なっかしい行者には違いありませんが、その危なっかしい行者が、人さまのために法を説き続けているうちに、やがて本物になってくるわけであります。 (昭和48年03月【求道】)...
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...後ろ姿で人を導く 一 お導きというものは、そのためにどう骨折りしなければならないかということよりも、皆さんの気持ちを、しっかりつかむことに尽きます。そうすれば、無理にこせこせしなくても、大地から泉がわき出すように、信者さんは次第にふえてくるものです。そのことからも、私ども立正佼成会のあり方が、宗教団体として、だれからも立派だ、と認められるようにまでもっていかなければなりません。そういう雰囲気を持った教団にしていかなければならないと思います。そうならないと、立正佼成会の目指している遠大な理想や、よさがすべての人にわかってもらえないのであります。 (昭和35年09月【会長先生の御指導】) 仏教の究極にまで進んでいきますと、法を説いた、行じたという問題よりも、心身一如して三宝帰依に徹していれば心はいささかも動揺することなく、慈悲と感謝に満ちあふれて、黙ってにっこり笑いかけるだけで、人さまを教化する力が備わるということになってまいります。したがって、個々の人格完成ができれば、教化の力はいくらでもわき出てくるのです。 そして、その人の心の中に仏さまのみ心がほのぼのと感じられるようになり、相手の顔を黙って見ただけで感化を与え、しかも礼儀にかなっていて、真心が通じて心を和やかにする、そうした人間性の改革がなければ、信仰者としても、宗教家としても落第であると言わなくてはなりません。 (昭和39年03月【会長先生の御指導】) お導きをするというのには、お導きをするその人自身が、周囲から見てほんとうに安心のできる人でなくてはなりません。仏さまに一切をおまかせして、力のかぎり生きがいを感じて活動している、と受けとられるようになることが大事なのです。 (昭和51年06月【求道】) 後ろ姿で人を導く 二 男というものは、どうも理屈が先にくると申しますか、理論倒れの感じがあります。ですから、だんなさまが先に精進を始めた場合、主人の権威をかざして奥さんをすぐにも教化できそうなものですが、それがなかなかできません。それは私も体験ずみですが、どうも男は頭で理解して、それを家の者に説教し、理づめで押しつけるようです。したがって、奥さんをはじめ家族に、かえって反発されるのではないでしょうか。その点、奥さんが先に入会して精進されているところは、例外もありますが、案外とご主人を教化される時間が短いというか、早いのです。それでは奥さんの話し方が上手なのか、と言うと決してそうではありません。まったく奥さんには筋のとおった論理というものはないのですが、一番肝心な慈悲があり、実践があるのです。この身をもって自分の生活態度の変わったことを示す回心が、ご主人の心を打つのです。 (昭和51年05月【佼成新聞】) 後ろ姿で人を導く 三 苦しみや悩みのない人が多くなったというのは、一応は喜ばしいことです。衣食が足りるようになってきたことの反映ですから……。しかし、そのもうひとつ奥を考えてみますと、今の時代に苦しみや悩みを感じないと言うのは、ちょっとおかしいのではないでしょうか。一歩外へ出れば交通戦争、いや外へ出なくても、さまざまな公害物質は空からも降ってくるし、食べものの中にも潜んでいます。それどころか、いつ核戦争が始まって何もかもおしまいになってしまうかわからない……という時代です。こんな時代に苦しみや悩みがないと言う人は(よほど高い悟りを開いた人は別として)、自分だけの小さな安逸を、それもホンのひとときのはかない平穏無事を楽しんでいるに過ぎないのです。 そんな人は、一身上に何か事が起これば、たちまち苦悶の淵へ落ち込んでしまうこと必至です。われわれが信奉し、布教している仏教の目的は、個人的に言えば、身の上にどんな事態が生じようと、取り巻く環境がどう変わろうと、あわてふためくことなく、ドッシリと落ち着いた気持ちで、自分自身の生き方(宇宙が自分に与えた存在価値)を生きいていけるような人間になってもらうことにあります。 法華経の教えの真髄を悟れば、事実そういう人間になれるのです。なぜならば、自分は宇宙の永遠のいのち(久遠実成の本仏)の分身であり、現象のうえでどう変化しようと、真実の自分は永遠不滅の生命である……という大自信を持つことができるからです。 (昭和46年08月【躍進】) 一隅を照らすもの──それは威光ではありません。一筋に人さまに幸せになってもらいたいと願う慈悲の一念に裏づけられた率先垂範の自燈明・法燈明であります。ですから教化の極致は、言葉にあらずして行ないです。 “後ろ姿で人を導け”と言うのもまた、そのことにほかならないのであります。 (昭和45年04月【求道】) 後ろ姿で人を導く 四 創立当時は、世間の信用など皆無と言ってよかったでしょう。牛乳屋のオヤジと芋屋のバアさんがやっている拝み信仰──ぐらいが周囲の評価だったと思います。ましてや、世の識者や報道機関などは、軽蔑や疑惑こそ懐け、好意をもって見守ってくれることさえ望めない状態でした。それだけに、会員の行持は実にまじめで、清潔でした。お導きや手どりに訪問した先では、座ぶとんはむろんのこと、お茶の一ぱいさえいただきませんでした。常に「仏道のために」という堅い信念と、「導かせていただく」というへりくだった態度を忘れませんでした。 そのころの思い出で深く印象に残っていることの一つに、今の長沼理事長さんの肥汲みがあります。妙佼先生の家も、布教活動が拡がるにつれて人の出入りが激しくなり、一日に四、五十人の人が訪れるようになりました。訪れる方は気のつかないことですが、水洗でない当時の便壺は、たちまち一杯になるのです。それを、妙佼先生の甥である今の理事長さんは、「便所がたまるのは、それだけ信者さんがふえることで、こんな有り難いことはない」とみずから進んで、黙々と糞尿処理の仕事をやっておられました。その後、出征されて二十一年に復員されてからも、当時の本部や教堂の便所を汲み、まだ残っていた戦時農園まで、天秤棒で運んでおられたものです。現在の会員のかたがたにとっては、にわかに信じ難いことでありましょう。 このように、内外ともに真摯な活動を続け、しかも、現実の功徳が目を見張るほどに現われますので、入会者はひとりでに急増していきました。私も妙佼先生も自分の商売を持っていることが不可能になり、また本部が私の家の二階などではどうにもならなくなりましたので、やむなく本部を建築したのですが、それもたちまち手狭になり、庭にムシロを敷きまわして法座を開く日々が続きました。仕方なく、ある航空機会社の練成道場だった百七十坪(約四五一平方メートル)の建物を買って移築しましたが、これも翌年には狭くなり、再び野外法座を開かなければならなかったのです。こんなことを繰り返していくうちに、いつしか大聖堂や普門館の建設にまで到達してしまったわけです。 (昭和48年03月【佼成】)...
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...八万の大士 一 お釈迦さまの言われる八万の大士とはどのような人なのでしょうか。これは、真に現代社会を憂え、世の中を正しい方向に向けようと、在家の信仰者でありながら、身を粉にして努力する人達のことです。 (昭和43年10月【佼成新聞】) 八万の大士の自覚が徹底することは非常にたいせつで、現代はただ信仰していればよい、という時代ではありません。“三世諸仏の説法の儀式”ということの意味をしっかりかみしめてみますと、われわれが今日あるのは決して偶然ではなく、過去世からの宿縁によって、立ち上がらなければならないということなのであります。その自覚がはっきりすると“そんなにやらなくてもよい”とか“このぐらいでいい”というような気持ちではなく“我と等しくして異なることなからしめん”という仏の本願に立って不動の信仰を永続するようになるのです。 現代は、自分ひとりが幸せであればそれでよいという時代ではなく、みんなが幸せにならねば真の平和も、幸福もなりたたない時代です。ひとりでも極楽に行けぬ人間がいるうちには仏は悩む、という仏の心を心として、わかった者からひとりでも多く、八万の大士の自覚に立たねばなりません。 (昭和43年11月【佼成新聞】) 八万の大士 二 法師品第十の中で、八万の大士は「自ら清浄の業報を捨てて」と、この複雑多岐の娑婆に好んで生まれてくるのだとあります。それは世の中が物騒だというので悩んでいる人、迷っている人、苦しんでいる人がかわいそうでしかたがないから、みずから願って生まれてくるのだ、と説かれています。このように人類が滅亡してしまいかねないような悪世末法の世に、正法を弘めるために生まれてくるのであります。この八万の大士達は前世において、そのことをすでに仏さまに約束していると言うのですから今のような時代であれば、そういう人達がこの娑婆に出てこなくてはならないのであります。 そういうことになりますと、この八万の大士がお釈迦さまの前で約束申し上げたときに、何か目印になるようなレッテルを貼っておけばよかったのでしょうけれども、そのしるしがないものですから、それと見分けるわけにはいきません。したがって、みずからが“八万の大士のひとりである”と悟らなければ、「私は最近導かれたばかりで、凡夫でございます」と言っていたのでは、自覚には至らないのです。だれかに「おまえは前世から八万の大士なんだよ」と言われたとしても、「そんなこと、わかるものか」と言っていたら、自分も、世の中も一向によくすることはできません。 だれが認めてくれなくても、自分が今の世の中をながめて、「なるほど世の中のあり方はお釈迦さまの予言されたとおりだ」と気づき、み教えを繰り返し口に唱えてみる、人にも語りかけてみると、そこでまたお釈迦さまが言われたとおりの結果が出て、用いた人はすぐさま、仏果をいただくことができたということになってきます。そうなりますと「これは自分もいくらか八万の大士の孫ぐらいにあたるんじゃないか。そういう可能性もあるのじゃないか」と思えてくるのであります。そういう意味では私達は、みずから八万の大士になろうという、大誓願を立てなければならないのであります。 (昭和35年07月【速記録】) 八万の大士 三 皆さんの行く手には、あらゆる困難が待ちうけていると思います。幾度も幾度もつまずき、悩み、苦しむことでしょう。それが当然なのです。大いに疑問を持ち、大いに苦しんでください。苦しみのなかでこそ人は育つのです。幾多の困難を乗り越えて皆さんのひとりひとりに八万の大士(地涌の菩薩)になっていただきたいのです。地涌の菩薩とは、苦しみや悩みの多い現実の生活を経験し、その中で修行を積み、そして世俗の生活をしていながら、高い悟りの境地に達した人々のことを言います。 みずから苦しみや悩みを経験し、そこをつきぬけてきた人は、ほんとうの力を持っています。かかる人にしてこそ、人を教化することができるのです。それゆえ、皆さんは現実から逃避することなく、現実に根ざして、それに対処する勇気を養ってください。 (昭和39年07月【躍進】) ...
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...「教育」について 一 あなたはすでに仏法に触れ、人間というものを深いところでとらえられる習慣が多少なりともついていますから、すぐには答えないで、「さて……」と心のなかでしばらく考えてみられることでしょう。ところが、世間一般の人に同じ質問を発してごらんなさい。もし小学生の子をもつ親なら、すぐ「読み書き、算数を教え、それから理科や社会の知識などを与えて、一人前の人間として世に立てるようにすること」ぐらいに答えるでしょう。 一応正しい答えのようですが、実は一番たいせつなことを忘れた、五十点以下の答えなのです。一番たいせつなこと、それは何か。ほかでもありません。〈人間をつくる〉ことです。人間らしい人間をつくり、立派な人間をつくるということです。これこそ教育の究極の目的でなければならないのです。 (昭和42年09月【佼成】) 教育をどう定義するか──これはなかなか難しい問題ですし、いろいろなとらえ方があろうかと思いますが、私はこう定義してみてはどうだろうか、と考えております。「人間として円満な人柄であり、また完全な人格者に導くための基礎になる理性を養うこと───それが教育である」と。 お互い同士が人格の完成をめざして修行し合うことは、立正佼成会の目標ですが、人間、完成された域にまで到達するのは容易ではありません。ですから、まず土台になる理性を養うことによって、円満な人間、完全な人格者に育てあげる基礎づくりをすることが、ほんとうの教育のあり方ではないかと私は思うのです。 そのように人格の円満な、完全な人間をつくるという考え方で、教育の問題をとり扱っていけば、知育も徳育もそして体育も、おのずからそこに培われていくのではないでしょうか。 (昭和37年05月【速記録】) 「教育」について 二 教育は、押し込むことではありません。引き出すことです。それぞれの人間にふさわしい特性を引き出し、育てることです。また、すべての人間に人間らしい心を「起こさしめる」ことです。無量義経十功徳品第三に、「是の経は能く菩薩の未だ発心せざる者をして菩提心を発さしめ、慈仁なき者には慈心を起こさしめ、殺戮を好む者には大悲の心を起こさしめ……」とあります。この「起こさしめること」が教育の真髄なのです。 (昭和52年04月【佼成】) 「教育」について 三 教育という文字の起こりを藤堂明保博士の『漢字語源辞典』によって調べてみますと、「教の」原字は「■」で、上の「メ」は交わる形だと言うのです。つまり「おとなが教え、子どもがそれを受けてまねる。おとなと子どもの間に交流が生まれる」、その姿を表わしたものだと言うのです。また「育」の字は「子を養い善をなさしむる」という意味なのだそうです。 (昭和52年07月【躍進】) 「おとなが教え、子どもがまねる」なんと言っても、これが教育の根本原理なのです。しかも、善をなさしめるように養う(養成する)、これが教育の根本方向なのです。 (昭和52年07月【躍進】) 「教育」について 四 教育の究極の目的は、人間を幸せにするためのものです。しかも、人間全体を幸せにするためのものです。 (昭和51年04月【佼成】) 何よりも、まず人間づくりをたいせつにし、人間と人間との結びつきを強く、こまやかに、そして温かくすることです。 (昭和51年04月【佼成】) 「教育」について 五 たんなるものしりは、やたらに多くの知識を単発的に知っているだけで、知識と知識のあいだにしっかりとした脈絡がありません。だから、それを活用する機会がほとんどないのです。(中略) また、たんなるものしりは、その知識に基礎理論や体験の裏付けがないために、応用が効きません。実地に役立つことはきわめてまれなのです。 それよりも、知識の量は基礎的なものをホンの少しだけでいいから、それをゆっくりとかみしめ、消化し、吸収して、完全に自分のものにすることこそたいせつなのです。また、そうする過程において養われるものの考え方の方向と、その力こそが一生涯役立つのです。 (昭和52年04月【佼成】) 「教育」について 六 学問は、それによって自分が高められ、社会に貢献するところがなければ価値はありません。そのような価値を発揮するためには、何よりもそれが身についていなければならないのです。 (昭和52年04月【佼成】) 素直な気持ちで大自然の法則に随順し、それぞれの人間に本来そなわっている価値をノビノビと伸ばすことを心がければ、次の世代は間違いなく健全に育っていくことでしょう。 (昭和52年02月【躍進】)...
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...学校教育 一 今の日本では「上の学校へ行けば行くほど、社会に出てからの収入が良く、生活が安定する」と言うのが、進学の最大の理由になっています。学校をエスカレーターのように考えているのです。ですから、乗っかってしまいさえすれば、あとはブラブラしていてもいいんだ、という気持ちになるのは当然です。 言うまでもないことですが、学校は“よい収入”や“安定した生活”を得るための道具ではありません。体を鍛え、心を磨き、知恵をはぐくんで、世の中のためになる人間をつくる道場なのです。このような、教育の目的を大きくはき違えているのが、今の日本の社会です。 目的をはき違えているうえに、方法論をも誤っているのです。自分自身の努力で階段を一歩一歩登って行ってこそ、身も心も鍛えられるのに、それを敬遠してエスカレーターに身を任せる傾向が濃厚に見受けられます。 (昭和49年08月【躍進】) 学校教育 二 人間らしい人間に育つためには、小学生は小学生らしく、中学生は中学生らしく、その心身の発達の段階において「らしく」生活することが必要です。「子どもはノビノビ育てよ」と昔から言われてきていますが、このノビノビと言うのは、つまり「らしく」だと思うのです。「らしくあればノビノビする」のだと思うのです。 〈楽しく遊びたい。飛んだり、跳ねたり、大声を出したり、思いっきり生命力を躍動させたい〉これが子どもの本性です。「らしさ」です。それも〈独りでやっているのではつまらない。仲間と一緒に群れをつくって遊びたい。勉強するのでも、友達と机をならべ、ノートを見せ合ったりしてやりたい〉これが子どもの本性です。「らしさ」です。その本性、その「らしさ」を生かしながら知・情・意をより高めていく。これがほんとうの教育だと、私は信じます。 (昭和52年11月【佼成】) 学校教育 三 近年、「胃潰瘍」や「十二指腸潰瘍」にかかる子どもがふえており、その八〇%とかが塾に通っている子どもであり、またその六〇%とかが学習塾・英語塾・音楽塾というように三つも四つもの塾に通っている、正確に言えば、通わされている子どもだと言うのです。 最も顕著な例は、血まで吐いた子どもの胃潰瘍が、塾をやめさせたらケロリと治ってしまったというのです。これなどは、異常な世相が子どもの身体を異常化した明瞭な証拠です。とすれば、心身一如の教えのとおり、それが精神の異常化を招かないはずはありません。実に恐ろしいことです。 (昭和52年11月【佼成】) 学校教育 四 戦後の日本人は、敗戦直後のみじめな生活体験から、何よりも物質生活の豊かさを願望する精神的習性がついてしまいました。(中略)しかも、戦後の日本に一番大きな影響を与えたのが、世界一〈物〉の豊かなアメリカの消費文化でしたから、ますますその傾向は助長されたわけです。原因は民主主義という思想の誤った受け取り方にあると思います。民主主義の基本である〈万民平等〉および〈人権尊重〉ということを、形のうえで杓子定規に解釈し、「先生も生徒も、親も子も、平等である」とか「子どもの心身に苦痛を与えるような教育は人権を侵すものである」と言ったような軽薄な考えが、自動車の排気ガスのように、知らず識らずのあいだに人々の頭にしみわたり、精神的公害を及ぼしていったのです。 そして、先生は〈人間をつくる〉ために生徒を人格的に鍛錬することを避け、したがって、生徒は先生を先生とも思わぬようになり、親は〈子を立派な人間に育てる〉ことを忘れてしまって、子は親をすっかりナメてしまうようになり、こうして学校教育も家庭教育もすっかり堕落してしまいました。 このような教育の堕落が、日本の社会をどんなに変えてしまったか、また、変えつつあるかは、お互いの周囲を見まわしてみればよくわかることと思います。多数の非行少年が発生し、性のモラルは腐敗し、賭博行為はほとんど公然と行なわれ、不特定多数の人間を殺すような非情な犯罪が続出し、もうけ第一のジャーナリズムが横行し、政治家は国民の利益よりも、まず党と自分のためを考えるのが当然のようになってしまいました。このままでいけば、いったい日本はどうなっていくのでしょうか、ほんとうに心配でなりません。 (昭和42年09月【佼成】) 学校教育 五 今日の教育の混乱の根は何か。家庭にも、学校にも、そして社会にも“学力第一主義”という悪風がしみとおって、心情とか情操とかを重んずる気持ちがまったく影を潜めていることです。学力第一主義は、つまるところ経済第一主義につながるわけですから、近年の日本の教育は単なる“経済人間”養成の場に堕してしまっているわけです。(中略) 情緒・情操のひからびた人間は、たんに人間らしさがないばかりでなく、今後は実務家(経済人間)としての価値も下落していくこと必至なのです。(中略) それならば、情緒を養い高める教育はどのように実践したらいいのか、ということが問題になりましょう。だれもがすぐ考えつくのは、道徳・音楽・造形美術・詩文の創作・文学鑑賞といった教科に力を入れることでありましょうが、──それももちろんたいせつなことですけれども──もっと根源的な一大事があるのです。ほかでもありません。教師が生徒や学生を引きつけるに足る人徳を、もしくは真底から生徒や学生のためを思う熱意を持っていること、これです。これを欠けば、たとえ百の方策を立てようと、千の教科を実施しようと、ほとんど効果は期待できないと思います。 このことについても法華経は、その“実践編”である流通分において、繰り返し繰り返し、徳と熱意の偉大なる力を教えているのです。仏性礼拝という一徳を貫いて、ついに多くの人々を傾倒させた常不軽菩薩、自己犠牲の尊さを身をもって示した薬王菩薩の前身、理想の現実化に挺身した妙音菩薩、真の智慧と大慈悲の権化である観世音菩薩、徹底した行を勧発して倦くことのない普賢菩薩……、それぞれに、ある強烈な一徳を身につけた人生の教師達を、人々が仰ぎ、慕い、あのようにありたいと願う、そこに強烈な魂と魂の感応が生ずるのです。 こういう、魂と魂との感応こそが、情緒を高め、養うのです。数学を教えようが、物理を教えようが、社会科を教えようが、その授業のなかで教師の魂と生徒の魂が火花を散らすような教育をすればいいのです。「見聞触知、皆菩提に近づく」であって、教科は何科でもいいのです。 (昭和48年04月【佼成】) 学校教育 六 文部省あたりでも指導方針を少しずつ切り替えつつあるようですが、戦後のお役所というものは四方八方に気兼ねをして、ズバリと思い切ったことのできない立ち場にありますから、この大河の流れのような世の風潮を大きく方向転換させることはきわめて難しいことと思われます。 ですから、なんと言っても国民自体の頭を切り替えることがたいせつだ、と言うことになります。切り替える、という言葉に語弊があるならば、もう少し深く人間というものを考え、人生というものを考え、人間社会というものを考えるように仕向けなければならないのです。そうすれば、教育も必ず本来の軌道に乗ってくるはずです。 それでは、いったいどうすればいいのか。私は、すべての人々が正しい宗教に目覚め、正しい信仰を持つようになることが、最も根本的な、しかも一番実効のある道だと確信しています。 (昭和42年09月【佼成】)...
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...家庭教育 一 教育の根本は、なんと言っても家庭にあると思います。家庭は「人間教育の場」です。そのたいせつさを忘れて、「学校教育は知識の切り売りばかりをしている」などと学校に責任があるようなことを言っている人がいますが、それはおかしなことです。学校の役目は知識を与えることにあるのであって、家庭はその知識を受け入れることのできる、人間をつくる場所でなければならないからです。 ですから、一番のもとになる家庭教育がきちんとできていないと、学校教育を受けても知識が与えられれば与えられるほど、誤った方向に走ってしまう可能性を大きくすることになります。つまり、気違いに刃物と言うような結果にならないとはかぎらないところに、家庭教育をしっかりしたものにする必要があるのです。ことわざに“三つ子の魂百まで”と言うのがありますが、まったくそのとおりだと思います。 ぴしっとした家庭教育によって人間づくりが行なわれていれば、そこに知識が加われば加わるほど、人間として成長もしていくし、同時に立派な人格も形成されていきます。それがまた教育の順序だと、私は考えています。 (昭和50年06月【速記録】) 家庭教育 二 一般的に考えられることは、学校というのは一定のカリキュラム(教育課程)に従って先生がひとりで四、五十人の生徒を教えるわけですから、とてもひとりびとりの生徒の全人格というものを育てることは不可能に近いと思います。(中略)知育教育が中心になると思うのです。 ところが家庭では両親、あるいは兄や姉というように指導者も多い。そして家庭における子どもというのは、いわば裸の状態ですから、外ではカラをかぶっている本性をそのまま出してきます。 そんなところに、その子の健康状態、ものの考え方、感情の起伏やその傾向、才能の特徴など、親がその気になって気をつければ手に取るようにわかります。したがって指導がしやすいわけです。このほかにもいろいろな理由をあげることができますが、こういったところにも家庭教育の利点、あるいは重要な要素があると思います。 (昭和42年11月【佼成新聞】) 家庭教育 三 親は、子を育てるという至上の役目を持っています。しかも人間の世界では、ただ健康な肉体を育てるだけにとどまらず、社会生活に耐えうる品性と、社会に貢献しうる能力をも育てあげなければなりません。それには、親としての愛情のほかに、人生の教師としての厳格さがどうしても必要なのです。 子どもの本質的な人権は、むろん尊重しなければなりませんが、しかし、なんと言っても子どもは一人前の人間ではありません。未完成な一つの素材にすぎません。その素材を一人前の人間として完成していくには、親の英知に基づく厳しい指導が絶対に必要です。すなわち、伸ばすべきもの──美しい心情・よい才能など──は、どんどん伸ばしてやらなければなりませんが、伸ばしてはならないもろもろの悪徳の芽は、見つけ次第ビシビシつみとらねばなりません。人間としての姿勢の歪みが見受けられたら、まだ素材が柔らかいうちに厳しく矯正することです。これがしつけと言うものです。これは、親たるものの至上の責任です。その責任の重大さを自覚するところに、親の権威が生ずるのです。そして、そうした責任感に裏づけられた権威であれば、必ず子どもを納得させ、導いていくことができます。なぜなら、それは自然の摂理に合った権威であり、〈如是〉の権威であるからです。 (昭和41年05月【躍進】) 家庭教育 四 子どもは親が仕事をしていると、かたわらでマネをしたがります。手紙などを書いていると自分も一緒になって字を書いたりします。そのときに頭から“邪魔だからどきなさい”としかりつけてはいけないと言われています。 せっかく自発的にやろうとしている気持ちを押さえつけると、子どもは無気力になるか、または曲がった形で他の面で爆発しやすくなります。「この子は小さいときにはおせっかいだったのに、大きくなったら何も手伝わない」という親の不平も、案外そうしたことが原因なのかもしれません。 (昭和42年07月【佼成新聞】) 家庭教育 五 道徳教育は、決しておとなの型を押しつけるものではありません。第一にたいせつなのは、子どもを信ずることです。子どもの仏性をあくまで尊敬し、教えてやるのだ、なおしてやるのだという心を捨て、どんな子どもも人間として立派な力を持ち、自分で善い行ないをしようとする心を持っている、と信ずることです。それには、表面に現われた行動だけを見て子どもを評価せず、理解をもって対しなければなりません。しかるよりも、むしろ長所をほめてあげることがたいせつです。 第二は、おとなたちの生活態度です。第三は、慈悲の心ですべての子ども達をつつむことです。困った子どもほど、不幸な子どもと言えます。内心に葛藤を持つ気の毒な子どもなのです。自分はよくない子どもだから親からもかわいがってもらえない、と思いこむ子どもにとって、おとなたちの愛は大きな心の支えになるに違いありません。 (昭和39年07月【佼成新聞】) 家庭教育 六 人間は〈こわいもの〉があってこそ自制も自戒もするものです。そして道を誤らずに生きていけるのです。その点、現代の子どもや若い世代には〈こわいもの〉がなくなり過ぎた感があります。それが、無軌道や無謀な若者を生みだしている大きな原因となっていることを考えてみる必要があると思います。 もちろん、子どもといえども、人権は尊重しなければなりません。しかし、そこには、おのずから限度や制約があるべきです。なんと言っても子どもは、まだ一人前として自立していないのであり、いわば、養われている身なのです。百%の権利には、完全な義務と責任を伴いますが、精神的にも独立していない、責任もとれない身では、百%の権利を主張できないはずです。 また、子どもの言いなりになる親を、子どもは決して尊敬はしないものです。それより、子どもの言葉には充分耳を傾けながらも、「それはいけない」と断固として言える親の見識が、陰で子どもの信頼と尊敬をうることになると、私は信じて疑いません。 これまでの、学校教育に頼りすぎる傾向を改め、もっと家庭の役割に自信を持ち「世代が違う」「無理解だ」という声にひるむことなく、断固として子どもをしかるべきです。 しかることと共に、忘れてならないことは、子どもの望ましい成長を願うために、親自身が、たえず人間的に成長しなければならないという点です。子どもの人格的成長は、親の口先によるものではなく、まじめな生活態度によるものであることを、しっかり自覚する必要があり、ここにも精進の意義を見い出すことができるのです。 (昭和39年11月【躍進】) 家庭教育 七 父親は、スキン・シップ(肌と肌との触れ合い)こそ母親に及びませんが、それだけに“覚めた眼”をもって子どもを見守り、“義”をよりどころにして子どもを育てます。また、たとえ貧乏でも、子を飢えさせることのないよう身を粉にして働きます。あたりまえの父親なら……。 そういう父親に対して、子どもは自然に信頼と尊敬の念を持つようになります。「頼みになる人」として父親を見るのです。これが子どもと父親とのほんとうの関係であると思います。 (昭和51年04月【佼成】) 私は、かねてから「最高の教育者は母である」「母であるべきだ」という不変の信念を持っています。母は本来、子に対して無限の愛を注ぐ、心優しい存在です。しかも、非常に強いところがあります。子のためならどんな犠牲を払っても顧みません。あまり説教がましいことは言わないが、身の振る舞いをもって知らず識らずのうちに感化を及ぼす、いわば全身全霊的教育者です。たとえ人間としての短所はいくらかあろうとも、子にとっては絶対の存在なのです。これが“母”の本質です。 (昭和51年02月【佼成】) 家庭教育 八 家庭教育というのは、結局は情操教育ということです。感情の中で最高のものは慈悲ということです。ですから仏教で言えば、慈悲の心を養うということになるわけです。 〈慈〉とは、人を幸せにしてあげたいという気持ち。〈悲〉と言うのは、人の苦しみを取り除いてあげたいという気持ち。これは人間の平等心、自他がともに一体となる心から芽ばえるものです。こうした境地に達するには、宗教によって不断の実践行を積まなければ育たないと思うのです。しかし、小さな子どものときからこうしたことを教え込んでおくと、非常に効果的だと思います。 (昭和42年11月【佼成新聞】) 幼いうちに人間性豊かな教育、情操にあふれた教育を肌をとおして施していくことです。そうした教育環境のなかで育っていきますと、人間はやがて善知識にめぐり会います。いろいろな人達と会っているうちに、お互いに心の底から信頼してつき合っていけるような相手、つまり善知識との間に縁が結ばれていくのです。そして、そういうことを重ねているうちに、自分自身の人生経験から、この人を師匠にしていけば間違いないと確信できる師にも出会うことができます。豊かな人間性と情操が生活の土壌としてあれば、師としてだれを選ぶべきかがはっきりしてきますから、間違いのない人をお師匠さんとして持つことができると思うのです。 (昭和41年11月【速記録】)...
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...生涯教育 一 これからの教育はどうあらねばならないのでしょうか。それには三つの柱があると私は考えています。第一は「人間をつくる教育」、第二は「生涯教育」、第三は「地球人レベルの教育」です。 第一の柱については、もはや説明の要はありますまい。とにかくこれまでは、あまりにも実生活に役立つことに偏した功利的な教育が行なわれてきました。幼稚園・小学校・中学校・高等学校でも、おおむね“進学のため”という功利一本やりの教育が行なわれてきました。これでは偏った人間にならざるをえません。今後の教育は、何よりもまず人間らしい人間をつくることを基本精神とし、世の中のすべての人々と協調し、仲よく交わり合い、平和な社会を創造できるような人格を育て上げることに主眼をおかなければなりません。同じ知識を授けるにも、あくまでも「これが世の中の平和と進展に役立つように」ということを基調としてなされるべきです。これまでの進学のための知識の詰め込みや、産業エゴのための研学と違って、このような精神が基調となるならば、よしんば、いかに知識を詰め込もうと、いかに激しい成績争いが行なわれようと、それなりのメリット(長所)さえあれば、人間や社会を害することは、よもありますまい。 第二の「生涯教育」と言うことですが、これも私の持論ですので、詳細を繰り返すのは避けますが、とくにたいせつな点を二つだけ述べておきたいと思います。一つは、幼・少年期における家庭教育において、人さまに迷惑をかけない、ということをビシビシしつけていただきたいことです。たとえば、公園の花を摘んだり、お菓子の袋を道に捨てるような行為を「子どもだから……」といって容赦することなく、「大勢の人に迷惑をかけますよ」と、理由をハッキリ話して、そのつど厳重に戒めることです。これは、たんに公衆道徳を守る人間をつくるばかりでなく、すこしでも目を広く外へ向ける習慣をつけ、それだけエゴの濃度を薄くするという、非常に重要な教育効果を持つものなのです。 もう一つは、学校での教育についてですが、小学校から大学までを通じて、学ぶことの楽しさを身にしみて味わい知るよう、指導してもらいたいことです。今の日本の教育では、「勉強はイヤなもの、苦しいもの」と感じる学生・生徒が大部分ではないでしょうか。だからこそ、苦労して大学に入ったとたんに勉強しなくなるのです。まして社会に出てしまえば、勉強なんか見向きもしないようになるのです。それでは、ほんとうの人間は育たず、ほんとうの社会の進展はありえません。 さらに付け加えたいことは、学校ではいかに学ぶか、という方法論をしっかり身につけさせてもらいたいものです。そうしますと、社会に出てからも、独りで本を読んだり、データを集めたり、実験をしたりして、研究を続けることもできましょう。従来は、とくに高校までの教育には、これが不足していたのではないでしょうか。 さて、第三の柱の「地球人レベルの教育」ということですが、これは「宇宙船地球号の乗組員のひとりとして、常に、地球号の運命を考えて物事をなす人間をつくる」と言うことです。人間の利己心、つまりエゴイズムをなくするというのは正直な話、至難の業です。投げ捨てよう、抑えようと努力しても、なかなか思うに任せぬのが利己心です。 では、どうすればいいか。関心を広い世界へ向けるようにすればいいのです。自分一身のことだけしか考えない人はコチコチのエゴの固まりです。その人が家族全体のことを考えるようになりますと、ホンの少しでも固まりの一隅が柔らかくなります。地域社会への関心が深くなれば、固まりの溶けた部分がもっと多くなります。民族全体のことを心配するようになれば、エゴはもう水溶液程度に薄まったと言ってもいいでしょう。もし、何かにつけて人類全体のことを思うようになったとしたら、もはや利己心はあってもなきに等しい、と断じていいでしょう。 (昭和49年10月【佼成】) 生涯教育 二 あらゆる物・あらゆる現象・あらゆる人間が、あるべき所に存在して、おのずから描き出しているのが宇宙の大曼荼羅であります。あらゆる物・あらゆる現象・あらゆる人間が、それぞれの抜き差しならぬ存在理由を持ってそれぞれのパート(部署)を受け持って働く、そのすべての働きが大きなところで総合され、大調和して、一大シンフォニーを奏でている、そうした宇宙の姿の尊さ、美しさであります。 ここまで言えば、結論はもうおのずから明らかでしょう。人間はなんのために生きるのか──それは、自分のみに与えられた宇宙の中の一部署をしっかり守り、その役目の完遂に努力することによって、他のすべての存在との調和を高め、そしてこの壮大なシンフォニーをいやが上にも尊く、無限に美しくしていくためなのです。このほかの何ものでもないのです。 こういうことを、学校で教えていますか。教えていません。人間が生きていくための最も根本的なもの、背骨となるものを、学校では教えないのです。それを教えるのは、宗教だけです。ですから、すべての人にとって、とりわけ青年にとって宗教はどうしても必要なものなのです。何も我が田に水を引くわけではありません。学校やその他の機関がやってくれれば立正佼成会なんてなくてもいいのですが、どこでもやってくれないから、われわれがやるほかはないのです。 (昭和52年09月【躍進】) 生涯教育 三 人間社会というものは、それぞれの人が自分の務めを完全に果たし、他人に迷惑をかけることがなければ、円滑に運営されていきます。もちろんそれだけでも大したことなのですが、しかし、円滑な運営というだけではなんとなく機械的で、人間の住む社会のあり方としては物足りません。 そういう境地からもう一歩進んで、この世の中、すべての人が他の人々を思いやり、だれにでも積極的に親切を尽くそうと心がけ、その思いやりと親切とが春の風のように交流し合ってこそ、ほんとうに人間らしい、温かみのある社会ができあがるのです。 ですから、子どものときから親切心・親切行を身につけさせることは、何はさておいても第一になすべき教育であると、私は信じます。 なにも難しいことをする必要はありません。鉛筆を忘れてきた友達に一本貸してあげる、泣いている小さな子に「どうしたの」と聞いてあげる、バスや電車の中で、お年寄りがいたら席を譲ってあげる、といった、いわゆる小さな親切でいいのです。 その小さな親切によってはぐくまれた美しい心が、やがて、公共のために無償の行ないをする奉仕の精神へと成長していくのです。社会に奉仕する精神は、全人類に奉仕する精神に通じ、したがって宇宙の大生命である神仏に奉仕する精神に通じます。これこそが人間として最も高貴な精神であることは言うまでもありません。 (昭和46年06月【佼成】) 生涯教育 四 四「社会的な規律を守る」という精神を養うのでなければ、人間らしい人間には育ちません。昔は、友達仲間というものが自然とその役目を果たしていたものです。友達仲間にはおのずからなるルールがあって、それに背く者は辱しめを受けたり、仲間はずれの罰を受けたりしました。これが意外に強い拘束力を持ったもので、親の言うことは聞かなくても、仲間との約束は死んでも守るといった気風があったものです。これも、青少年の「らしさ」の一つです。 ですから、青少年を育成するには、おとなが直接指導するより、同じ仲間の兄貴分に任せるのが最も効果的です。昔の「若者宿」も、また、私達の時代の青年団もそうでしたし、現在のボーイ・スカウトやガール・スカウトもそうです。これらは、理想に近い幼・少年育成の機関だと私は思っています。よく子どもの特質を生かして、遊びや野外訓練などの間に心身を健全に育てるからです。その入団時の宣誓がまたいいのです。「誠をつくしておきてを守ります。いつも他の人々を助けます。体を強くし、心すこやかに徳を養います」 この内容こそが、人間らしい人間のモデルではないでしょうか。 (昭和52年11月【佼成】) 青年部の人達が主になって少年部活動を盛り上げていくことは大いに意義のあることです。子どもを強力に引っ張っていく力は、親よりもむしろ仲間同士にあります。仲間との友情を失いたくない、仲間から除け者にされたくない、仲間に喜んでもらいたい、そういう意識が遊びやその他の行動を通じて、ほんとうの意味の道徳感覚・倫理観を育てていくのです。そうして自然に育った道徳感覚や倫理観は一生の間、身にしみついて離れないものなのです。 ところが、今の子どもは、勉強勉強に追われて、そのような場を持つことがあまりにも少なくなっています。そこで、青年部の人達が兄貴分として子ども達の仲間に入り、一緒に遊び、一緒に活動する──これが、どんなにか子ども達をノビノビと、明るく、人間らしく育てていくか、まことに計り知れないものがあると思うのです。 (昭和52年07月【躍進】) 生涯教育 五 男も女も、人間としての根本においては平等です。しかし、現象面においては、第一に身体の造りが違います。身体の造りが違うというのは、この世における大事な務めが違うということです。したがって、体力も違い、気質も違い、才能も違ってくるのは当然です。ところが、この違いを「上下の違い」のように考える向きが多いのです。そういう受け取り方から昔は女性蔑視といういきすぎが生じ、今ではウーマン・リブといういきすぎが生じているのです。男女の違いは上下というタテの違いではなく「平等なヨコの違い」なのです。 電気には陽電気と陰電気があります。われわれがよく使う懐中電燈やテープ・レコーダーなどには、電池の陽極(+)と陰極(?)をこういう向きに入れなさい、と指示がしてあります。それを、電気は平等だからどっちでもいいんだと言って、反対に入れたとしたら、光もつかないし、モーターも回りません。+と?がそれぞれの分を守って互いに協力してこそ、そこに電気エネルギーが生きて働き出すのです。 つまり、陽電気が上等で陰電気が下等だ、などという差別は全然なく、その価値においてまったく平等です。しかし、その務め、役割には歴然たる違いがあります。これを私は「平等の差別」と呼びたいと思うのですが、天地の万物・万象すべてに、この「平等の差別」があり、宇宙のすべての現象は、この「平等の差別」で成り立っていると言っていいでしょう。 (昭和50年09月【躍進】) 「らしく」ということのたいせつさは、近年の日本人はイヤというほど思い知らされているはずです。空気が空気らしくなくなり、水が水らしくなくなり、土が土らしくなくなり、緑が緑らしくなくなったために、人間の生存そのものが脅かされていることを、身にしみて経験しているはずです。それなのに、女が女らしくあり、母が母らしくあり、子が子らしくあり、教師が教師らしくあり、学生が学生らしくあることを、どうして拒むのでしょう。不思議でならないことです。 強いてその理由を分析するならば、自分の置かれている位置と言いますか、自分に与えられている分際と言いますか、そういったものに逆らうことが人間の特権であるかのような錯覚があるからではないでしょうか。分に従うことなく、分から飛び出してこそ、いかにも人間らしい、自主的な生き方であるかのような思い上がりを懐いているのではないでしょうか。 そんな考えは、目の前の現象だけにとらわれた浅知恵に基づくものであって、ちょうど孫悟空がお釈迦さまの掌から飛び出そうとして懸命に飛んだのと同じです。何千里も飛んだと思って着陸してみたら、なんと、まだ、お釈迦さまの掌の上だったわけです。人間が“特権”だとか“自主性”などと言って力むのもそれと同様で、どうアガいてみたところで、宇宙の大生命が与えてくれた“分”から飛び出せるものではないのです。飛び出せないものを、無理に飛び出そうとするから、大けがをしてしまうのです。 そんな浅い知恵やハカナイ力みを捨てて、もっと深い宇宙の実相に目を向けるべきです。そして、大きな意味において「分に従い、らしくある」ことです。「分に従い、らしくある」と言えば、なんとなく受動的な、消極的な生き方のように感じられるかもしれませんが、それはとんでもない考え違いであって、それぞれの分において能動的に、積極的に進んでいく道は無限にあります。女は女らしくある道を無限に追求していく、母は母らしくある道をどこまでも探求していく、そこにこそ、ほんとうの意味の向上があります。人格の完成があるのです。 (昭和48年10月【躍進】) 生涯教育 六 教育はいわばマラソンみたいなものです。ゴールは、見えざる彼方にあるのです。極端に言えば、棺を覆った時がゴールであって、生涯教育こそが真の教育なのです。それを、今の日本の社会は、せいぜい四百メートルか、八百メートルの中距離競走ぐらいにしか見ていないようです。大学卒業がゴールだと考えている、これが第一の間違いです。 ゴールがすぐそこにあると見るから、バタバタ急ぐのです。急ぐから、すぐ息が切れてしまうのです。近ごろの大学生は、中学・高校・予備校などでの受験勉強に精力を使い果たし、大学に入ったとたんにホッとして、遊びにふけったり、あるいはノイローゼにかかって、あたらたいせつな学生生活を棒に振る人が少なくないと言います。なんのために受験勉強をするのか、なんのために大学に入るのか、まったく本末転倒もはなはだしいと言わなければなりません。 (昭和49年08月【躍進】) 昔の人は、うまいことを言いました。「早い馬も宿に着く。遅い牛も宿に着く」と。 パッカパッカ飛ばす馬は、途中で何度も休まなければ体がもちません。ノロノロ歩く牛は、休みもせずマイペースで着実に距離を稼ぎます。そして、結局は、その日のうちに同じ宿場に着く、と言うのです。いい言葉です。 しかし、私に言わせれば、教育に関するかぎり「早い馬も宿に着く」とは断言できないと思うのです。勢いよく走る馬はつまずきやすいし、滑って足を折ることもありましょう。また、物音に驚いたり、変な物を見たりすると、とんでもない方向へ暴走してしまうこともあります。過激派学生のように……。ですから、近視眼的に先を急ぐと、ロクなことはないのです。 (昭和49年08月【躍進】) 生涯教育 七 職業の虚栄、学歴の虚栄、これはもうソロソロ投げ捨てなければなりません。正しい仕事ならなんでもいいではありませんか。その代わり、心の豊かな、精神性の高い人間でありたい、そういった意識をみんなが持つような世の中にしなければなりません。いや、日本にもそんな兆しが現われてきつつあるのではないですか。国鉄の管理職は、従来ほとんど東大出で占められていましたが、今年度(注・昭和52年)は私大からも採用し、柔道部の主将という変わり種も採ったと言うことです。 大学に入らずに、あるいは大学を出てから、いろいろな技能を教える各種学校に入学する人も増えていると言うことです。いい傾向です。アメリカあたりでは、大工・左官などは収入も社会的地位も大したものだそうです。いや、日本でも、昔はこれらの職業を尊敬し、木を扱って家を造る人には右官、土で壁などを塗る人には左官と、“官”の字が与えられたのだそうです。また、そんな時代がかえってきつつあるのではないでしょうか。 学校におけるカリキュラムの虚栄も反省され、改善されつつあります。そうでなければならないのです。極端に言えば、学校では読み・書き・算数の基礎をしっかりやればいいのです。あとは、その人その人によって専門の教育を受け、また自己を“生涯教育”していけばいいのです。 (昭和52年02月【躍進】)...
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...リーダー育成 一 近視眼的な考えを持っているかぎり、仏法という大きな法則によって、大衆を指導することはとうていできないことです。世法も仏法も自由に駆使していける実力と、地位を授けていただかないことには、指導者としての使命を果たすことはできません。 日蓮成人も清澄山で、虚空蔵菩薩に「日本第一の智者となし給え」と祈願をこめられた、と伝えられておりますが、仏法を究めようとする人間は、それほどまでに世法にもたけた智者でなければならないし、またそういう智者でなければ甚深微妙のこの法をわかりきることができないのです。では、仏さまの言われた意趣の深い教えをわかりきろうとするにはどうすればいいか。そのためには、まずわれわれの目前に現われる人生のさまざまな変化を一つ一つ肯定し、それを常に善用しながら、へこたれずに乗り越え、また乗り越えして、修行していくことが肝心だと思います。 (昭和39年04月【速記録】) リーダー育成 二 二〈学びの林〉、まさに名のごとしで、この文字が〈学林〉の性格を物語っていると思います。林の中の木はみんな似ています。しかし、よく見ると、似てはいるけれども太い木、細い木、そして育ちのいい木、育ちの悪い木といろいろあります。林というのはそういうものです。 そこで、立派な林をつくりあげていくには、一本一本の木が自分で根をしっかりと張り、そして大木になろうとめざすことです。細ければ細いなりに、また太ければ太いなりに、一本一本が大きな木になろうと根を張ることによって見事な林になります。一本の木だけ立っているのは林じゃありません。この学林も同じで、ひとりひとりが林の建設者にならなければなりません。ひとりひとりが林をつくりあげる一本の木として自立していくことがたいせつなのであります。 (昭和49年02月【速記録】) リーダー育成 三 現代における宗教者は、一般大衆の間に見られる無関心さ、あるいは無責任と言ってもいい生活行動の中にあって、責任を持って大衆を教化しなければならない使命を担っています。だからこそ、やはり素養もなくてはいけないし、学問の面での自信も持っていなくてはならないわけです。君達に勉強してもらったのも、そのためです。 人生の苦は時代の移り変わりとともに、さらに深刻なものになろうとしています。われわれの前に、いよいよ本格的な苦悩の時代が押し寄せてこようとしているのです。今このとき、その苦を大衆にどう説明し、どう教化して安心を得させしめるか……。この学林はその人生苦に喜んで取り組んでいかれる人間づくりの場であります。したがって、この学林に学ぶ者は深刻な人生苦と大きく取り組んでいける自己改造を目指さなければなりません。 (昭和50年12月【速記録】) リーダー育成 四 日蓮聖人の説かれた〈五綱教判〉に、教・機・時・国・序とあります。お釈迦さまのあらゆる諸法のなかの神髄であり、最高の教えである法華経も、その信解に堪えうる機根をもつ人間と、それにふさわしい時・所を得、しかるべき順序・次第を経てこそ、はじめて花も咲き、実も結ぶのである──という立論ですが、その五つの要素が、今こそまさに成熟しつつあると、私は確信するものです。〈国〉は、大乗仏教の生きている随一の国土、日本。〈時〉は対立・闘争の西洋思想が行き詰まって、一如と寛容の思想が切実に求められている二十世紀後半。〈序〉は、既成仏教の温床から出た新しい芽がたくましく成育しつつある現段階。そして、〈人〉は、最も正しい仏法の本道にはぐくまれてきた佼成人。 これが、末法に法華経がよみがえると予言された時期でなくて、なんでありましょうか。これから二十一世紀の初頭にかけて、必ずやこの機運は成熟の一途をたどることでありましょう。そして、その中核となるのは、実にわが立正佼成会会員でありましょう。いや、そうあらねばならないのであります。 そう考えてまいりますと、その〈人〉の中核体たるべきわが立正佼成会にとって、多くの優秀な人材を育成することは、天から与えられた至上命令と言わなければなりません。 (昭和42年08月【躍進】) リーダー育成 五 よきリーダーをつくる条件は、人を信用することであり、部下を信用することです。ほんとうに仏さまに帰依し、つまらない我などを捨て去って、素直な眼で自分の支部の中にいる人物を正しく見てごらんなさい。皆さんのすぐ側にすばらしい人物がぞくぞく集まってきています。けれども、そんなにたくさんのすばらしい人物がいても、見えないことがあります。そこが仏法に言う正見でないわけです。正しい見方をして、心からその人間を信頼し“この人の天分はどこにあるのかな”と、その力量を謙虚な態度で、合掌するような気持ちで見ていくのです。 すると身の回りにいかにすばらしい人々が大勢いるかが見えてきます。それがわかれば、人間の能力は無限なのだから個々の能力を開発しようと努力するようになってきます。そうやって自己の正見に基づいて、人材を発掘していけば、いくらでも人物はいるのであります。 (昭和41年【会長先生の御指導】46集) リーダー育成 六 真理というものは、いつでも、どこでも、変わることなく厳存するものでありますが、しかし、たんに存在するというだけでは、人間にとってほんとうに価値あるものとはなりません。それが、人間社会に働きだしたときに、初めてその真価を発揮します。 真理が働き出すとはどういうことかと言いますと、人間がそれを発見し、確認し、しかもそれを万人のものたらしめることにほかなりません。ですから、厳密に言えば、真理が動きだすのではなくて、人間が真理に動きを与えるのだということになります。 お釈迦さまがお悟りになった宇宙と人生の法則というものも、無限の過去から、そのとおりに存在していたのです。しかし、お釈迦さまがそれを発見され、確認され、そして万人のためにお説きになってから、初めて人間社会においてほんとうの価値を発揮するようになったのです。 そのお釈迦さまの教えにしても、それを受け継ぎ弘める人がなくなれば、教えはそこにありながら、インドにおいては無きに等しくなってしまいました。(中略) このように、真理は人がそれに動きを与えたとき生命を顕し、法輪も人がそれを転ずればこそ価値を発揮するのです。まことに〈法は人に因って貴し〉なのであります。 (昭和42年02月【躍進】) リーダー育成 七 法は人に因って興る──残された課題は、実に〈人〉です。そこで、私は、この仏教再興の聖代に必要な人材とはどのような人物であらねばならないか、その条件について、真剣に考えてみたいと思うのであります。 まず第一に要求されるのは、強盛な信心を持ち、帰依三宝の精神に徹し、人格的にも衆の範となるべき人と言うことです。 これは、信仰者の集まりのリーダーとして、最も根底をなす資格でありますから、もはや説明の要もありますまい。これを欠いては、いかに智慧・才腕の持ち主であっても、大勢の人の敬慕と心服を集めることは不可能でありましょう。(中略) 第二の条件として、広宣流布の菩薩行の熱意に燃え、しかも緻密な布教計画と、冷静な目標管理の能力をもった人が求められるのであります。いかに盛んな熱意に燃えていても、ただガムシャラに突進するのみの人は、兵となることはできても、将となることはできません。幹部たるべき人は、計画性がなければならないのです。(中略) 次に要請されるのは、自他の未来を創る、前向きの人と言うことです。 諸行無常の真理に徹している人は、現在、自分がいかに大きな能力を持っていても、いつかは必ず老い衰えていくものであることを知っています。諸法無我の真理を体している人は、自分の働きは決して自分だけの働きでないことを知っています。 それゆえに、極端な言い方をすれば、有能な幹部とは、自分がいなくても変わりなく布教活動ができるように、多くの人材を養成し、その人達がおもうさま働けるような態勢をつくる人のことを言うのです。後進を育て、その人々にすべてをゆだねていくことで、現在よりもさらに多くの成果が期待できますし、また、その人自身も一段と光り輝く存在となってくるのです。(中略) 最後に、最もたいせつなことは、人の長所を見い出し、それを生かし、育てていくことのできる、温かい心と寛容大度の持ち主ということです。 指導的立ち場にある者は、メンバー各員の持っている潜在能力を見い出し、それを正しく評価するとともに、それを発揮するに足る仕事を、現実に与える用意を持たなければなりません。 (昭和42年08月【躍進】)...
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...教主は釈尊 一 仏教においては、人間形成の目標として「完全なる人間像」が示されてあります。すなわち、完全円滑なる人格の完成者である教主釈尊その人であります。これが仏陀と称される理想像です。 ところが、人間の理想像が教主釈尊であり、仏陀であると言っても、その最高至上の理想像と同じ境地に到達するだけが、仏道修行の目的ではなく、そこまで一歩でも二歩でも近づこうとして、真理の教えを実践し続ける──その努力の過程が尊いとされるのであります。 そしてまた、この理想像は、決して観念による所産ではなく、明らかな現実の人間像であるのです。人間の肉体をもってこの世に生まれ、人生苦を体験し、真理を求めて正覚を成じ、説法教化に生涯をささげられた教主釈尊、私は、釈尊をもって理想の人間像となし、人間形成の目標にしていくことになれば、おそらく完璧であると考えております。 (昭和43年06月【佼成新聞】) 教主は釈尊 二 二千五百年前に釈尊がお説きになった仏教は、日本ではさまざまな時代にいろいろな形で、多くのお祖師さまによって受け継がれてきました。禅宗、念仏宗、真言宗、日蓮宗など非常にたくさんの宗旨がございますが、お上人さまがたは、お出ましになったその時代によってご法門を開いてこられました。 しかし、そのさまざまな宗派を見渡してみますと、お祖師さまがたが多くの教えを遺され、また法門を説き勧められたとは申しながら、仏教の本義とはどういうものであるか、ということについて説かれている宗派はあまりないのであります。また、それの説けるような時代ではなかったのかも知れません。その点、仏教の教えはどんなものであり、どういう意味のことを説いているのか、ということが、割合徹底されていないと思うのです。 その意味からも、現在、立正佼成会が呼びかけておりますのは、仏教の本義を行じることであります。また、そうした同志がひとり、またひとりと加わって、今の立正佼成会を成立せしめているのです。ですから、会長の教えとか、恩師の教えとか言われておりますが、会長が説いたわけでもなければ、亡くなられた妙佼先生が説かれたのでもありません。私はいつも、立正佼成会には教祖はいないと申しておりますが、仏教徒である以上は、教祖であるお釈迦さまの教えを体していくことがたいせつなのである、と申し上げているのです。 宗教団体の中には「二千五百年も前のお釈迦さまの教えなんかもう古い」と言って、七百年前の日蓮聖人のお題目がいいと教えている人達もいるのでありますが、私には正気の沙汰とはとても思えません。そのようなことを、私が申し上げるのは非常に僣越でありますが、お経に照らしてご覧になれば、そのことはすぐにおわかりになるはずです。 (昭和35年11月【速記録】) 教主は釈尊 三 この世に、お釈迦さまがもし、お生まれにならなかったとしたら、仏教はなかったはずです。しかし、七百年前に、もし日蓮聖人が生まれてこられなくても、すでに仏教は厳然として存在していました。そのことから考えましても、仏教の教えが二千五百年の間に古びていらなくなってしまうようなものだとすれば、七百年前に日蓮聖人が説かれた教えも、この先、時代がたつにつれて用のないものになってしまうはずです。そのような新しさとか古さとか、時代によっていらなくなったり、用のなくなるような教えであるのなら、私どもは真剣に用いる必要はないということになります。また、そのような教えならば用いたところで、何の利益もないと思います。 お釈迦さまがお説きになった教えは、決してそのようなものではありません。二千五百年前に示された行法を用いれば、だれもが自分では想像だにしなかったほどの大きな利益に遇うことができるのであります。 (昭和35年11月【速記録】) 教主は釈尊 四 いつの時代の宗教家にも、先人の遺してくれた教えのなかから、その時代にふさわしい教えを選択する〈自由〉が与えられています。そして、先人の遺してくれた教えを、その時代にふさわしく解釈し、解説する〈義務〉を課せられているのです。この自由を放棄し、この義務を怠る者は、畢竟その時代を救うことはできないのであって、宗教家としては失格者であると言わなければなりません。 実は、日蓮聖人こそ、その選択の自由と、時代的解説の義務を、百パーセント遂行されたかただったのです。すなわち、聖人は二十年のあいだ、お釈迦さまの遺された一切経をつぶさに研鑽された結果、法華経こそは人を救い、世を立て直す最高の教えであると〈選択〉され、その教法を当時の人々に理解させる〈義務〉を遂行するために、天台大師の解釈にも縛られず、ときの“法王庁”叡山の権威をも恐れず、法華経の受け取り方に、はつらつたる新風を巻き起こされたのです。そうして、権力の庇護もなく、既成教団の軒をも借りず、それとまったく逆の状況下にあって、獅子王のごとく邁進されたのでした。 (昭和41年03月【躍進】) 教主は釈尊 五 とかく日本では、どうしても祖師仏教になりがちであります。日本の仏教は、お釈迦さまの説かれたほんとうの仏教ではなくて、祖師仏教が一番いいものだと考えられています。その祖師仏教とは何かと言いますと、いわば半ぱの仏教なのです。 そうした偏り方の強い方が刺激があるので、日本では割合に受けがいいらしく、それが今日にまで及んでいるのです。その点で、日蓮聖人は非常に強い信念を持たれ、また非常に偏った教えの説き方をされたように、皆さんは受け取っていると思います。しかし、それは一面から見た受け取り方であって、ご遺文を読んでみますと、心の中が浮き立つように、日蓮聖人のお心持ちがひしひしと感じられるのであります。 (昭和33年05月【速記録】)...
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...釈尊の降誕 一 お釈迦さまが太子としてお生まれになったシャカ族の居城のあったカピラヴァストゥは、今の千葉県ぐらいの面積の小国だったと言いますが、農産物が豊かで、人情・風俗もすぐれた、立派な国だっと言います。しかし、西隣には強大なコーサラ国があり、その属国的な地位にあったため、なにかと政治的な圧迫があったようですし、また、当時のインドには大小さまざまの国が並び立っていて、あさましい侵略や紛争が絶えず、それが生まれつき純粋な心の持ち主であられた太子の胸を、深く痛ましめたのでありました。 (昭和46年04月【佼成】) シャカ族の王子としてお生まれになったお釈迦さまは、誕生されてから一週間後に、お母さまを亡くされ、継母の手で育てられました。私どもの身の回りにある因縁と同じように、お釈迦さまもまた生まれながらに、母を失うという悲しみに遭われたのです。聡明なかたであればあるほど、味わわれた人生苦もまたひとしおだったことでしょう。 お釈迦さまのようなすぐれたかたのお心のうちを、私どもがそのようにおしはかって考えるのは、たいへんに失礼なことかも知れません。けれども、仏さまを見るとき、私どもと同じように、人間としてこの世に生まれてこられたお釈迦さまが、人間の苦しみを味わい尽くされたのち、人間はどう生きるべきかを悟られたのだと考えた方が、いっそう親近感がわいてまいります。 そうやって、お釈迦さまをより近くに感じながら仏教の教えをとらえていただきますといいのではないでしょうか。 (昭和38年06月【速記録】) 釈尊の降誕 二 今、世界にはさまざまな宗教があって、それぞれにいろいろな神さまをたてておりますが、とかくそうした宗教は神がかり的な奇跡を持ち出したがります。ですが、お釈迦さまは奇跡を望んではおられません。お釈迦さまがお示しになっているのは、自分自身の歩みや行動を正しくしていくことがどれほどたいせつか、そしてそれを実行し続けることが、どんなに値打ちのあることかというものであります。 ですから、もしもお釈迦さまが生まれながらに歩き出されて、〈天上天下唯我独尊〉と言われなかったとしても、その値打ちが下がるようなことは、決してありません。それよりもむしろ、お父さまやお母さまの愛情を一身に受けて生育され、なんの不足もない境涯にありながら、世の中の状態をご覧になって、とうとう出家をされたという事実を、私達はもっとかみしめるべきです。なぜお釈迦さまは出家されたのか、それはなんのためであったのか、ということを考えてみる方が、お釈迦さまに対する仏教徒としてのほんとうの態度ではないかと思うのであります。 (昭和50年06月【求道】) 釈尊の降誕 三 法華経の方便品の中の一節に「諸仏世尊は唯一大事の因縁を以ての故に世に出現したもう」とあります。仏さまは一大事の因縁によってこの世の中にお出ましになられたのである、ということが説かれているわけですが、では、仏さまは何を願われたのかと申しますと、これは「衆生をして仏知見を開かしめ清浄なることを得せしめんと欲するが故に」世の中に出現されたのだ、と説かれています。 要するに、すべての人々をして、仏の智慧の眼を開かせ、物事の実相を明らかに見ることのできるような人間にしてやりたいために、この世に出られたのです。言い換えると、仏さまの心をもろもろの人々に打ち明けたいとお考えになって、如来は世の中に現われたのであります。 そしてまた、次には“仏知見を示さん”がために、三番目には“悟らしめん”がために、さらに四番目には“衆生をして仏知見の道に入らしめん”がために、仏さまは出現されたのです。そのことを指して「是れを諸仏は唯一大事の因縁を以ての故に、世に出現したもうとなづく」と方便品に説かれています。これを〈開・示・悟・入〉と言います。つまり、仏知見を開かしめるということと、その仏さまのお心の働きを世の中に示して、みんな明らかに見せてあげようというおはからい、さらにはその仏さまの悟りを、もろもろの人達に悟らせてあげたいというお考え、そこに加えて、仏知見の道に入らしめんがために、つまり仏道修行に入らせてあげたいと、いう四つの問題〈四仏知見〉を一大事の因縁とされて、諸仏世尊はこの世に出現されたのであります。 こうして仏さまが世の中に出られて、いろいろな法門をつぶさに説かれたのですが、それはただ一仏乗のためであって、二もなく三もないわけです。 世の中には、いろいろな宗教がたくさんあり、さまざまの教えがあるが、それらは皆方便であって、だからこそ時と次第、つまりいろいろな関係や因縁によって、ある時は興り、あるときはすたれていくのです。世の中にはこうしたさまざまな要素があり、それがまた古いとか新しいとか、しっかりやっているとかやっていないとか、いろいろのことがあったとしても、仏さまの目からご覧になったもの、またお出ましになった因縁ということをうかがってまいりますと、われわれはそうした雑事に頓着する必要はまったくないのであります。 問題は、ただ一大事の因縁、〈開・示・悟・入〉ということに尽きるのであって、仏さまが開き、示された仏道、いわゆる仏知見に到達できるかどうかということにあります。それも、お示しになったことをただ単に「そういうものか」と簡単に受け取って、心の中で“わかった”というだけではだめなのです。つまり八正道とか六波羅蜜など、私どもがこの身で行ない、この娑婆において実践する方法を、どう受け取るかが問題なのです。 (昭和41年03月【速記録】)...
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...出家と苦行 一 お釈迦さまが〈出家〉された動機については、いろいろなことが言われていますが、その最も大きなものは平和への願いであった、とする学者もあります。すなわち「社会・国家の現実の問題と取り組むのも、一つの行き方であるけれども、それでは根本的な解決にはならない。一つの問題は解決しても、新しい事態が生ずれば、また新しい争いが起こる。それゆえ、ほんとうにこの世を平和にするには、個人個人の心を改造し、大多数の幸福のためには、自分の利益を犠牲にできるような高等な人間をふやしていくよりほかはない。遠回りのようではあるけれども、これが平和のための真の大道である」というお考えのもとに、その道をお選びになったというのです。 一国の太子であられたという地位と、出家された時の年齢などを思い合わせてみますと、個人的な悩みとか人生に対する疑惑などよりも、平和への切実な願いが出家の大きな動機だったという見方の方が、より適切であるように考えられます。 ともあれ、きのうまでは世継ぎの王子、きょうからは乞食によっていのちをつなぐ一介の沙門……そういう生活の大改革を成し遂げられた勇気と実行力には、まったく頭が下がります。 (昭和46年04月【佼成】) 出家と苦行 二 私どもですと、自分ではどうにもならない問題が身の回りに押しかけてきて、そうした中でふり回され動きがとれなくなったとき、信仰にでも、ということで、追い詰められてようやくそこに達するのが普通です。しかし、お釈迦さまはわれわれとはまったく逆に、何もかもが思うようになる身分でありながら、世の中の状態をご覧になって憂うつになってきて、どうにもならない、やりきれない気持ちに陥ってしまわれた──それはどういうことかと言いますと、皆さんご存じのように、大きな城壁に囲まれたご殿にお生まれになったお釈迦さまが、門外に出てみられると、そこにはしわがよって、歩くことさえ困難な老人がよたよたとしている。それを見ると憂うつになり、病人を見かけては憂うつになり、葬式を見かけると、また憂うつになる──というように人間のさまざまな状態をご覧になって、非常に憂うつになられたということです。このところが、「人間は生まれてくると、どうして年寄りになるのだろう、どうして病むことがあるのだろう、なぜ、死ななければならないのか」ということを明らかになされた経文で言いますと、あの生老病死をめぐる教えにおのずからつながっていくのであります。 われわれは、死ぬときになってようやく、死にたくないということでじたばたしながら迷います。しかし、体が健康な若いうちは、死ぬなどということは夢にも思わずに、一日一日をむなしく過ごしているわけであります。ところがお釈迦さまは、そのようにお年寄りや、病人を見かけられ、葬式に出会われて憂うつになるというように、われわれと違って物事の実相ということに着眼されて、考え込まれたのですが、そのようにお釈迦さまはすばらしい頭脳を持っておられたのであります。 (昭和45年04月【速記録】) 出家と苦行 三 お釈迦さまのされた苦行は、われわれの考えるものとは、まったく違ったものでした。じっとしていても王さまになれる身分に生まれられ、インドで一番のお嫁さんをもらって、お子さんにも恵まれていたのですから、インドでも第一番の幸せなかたであったはずであります。ところが、このままではならないということで出家の決心をされた──。みずから自分の身を苦しめて修行に入られたわけでありますから、これはわれわれの考えていることとは、まったく違います。 われわれの場合ですと、それは苦しみの修行ですが、お釈迦さまにしてみると、それは一つの「願い」を持たれてのことですから、むしろ苦しみを味わうことが楽しみと申してもよいほど、修行に順応しておられたのでした。ですからお釈迦さまは、自分が幸せになれるとか、なれないとかいうような問題ではなくて、そこに現われた問題、いま目に映った問題をとおして、どうすれば人々を幸せにできるかというところから修行に入られたのです。 そして永い間修行され、もはや体が衰えて、気力ももうろうとする状態のところまで、肉体を追いつめて苦行されたわけです。それこそは私どものよってもってくる悩み、苦しみとはケタはずれに大きい悩みであります。すべての人を救う──すべての人の苦しみを見たとき、それが自分の苦しみとなる──。幸せな身分のかたがそういう心境になられたということを考えると、凡人にとっては不思議というよりほかにない思いがいたします。 (昭和50年01月【求道】) 出家と苦行 四 成道以前のお釈迦さまは、非常に無理な苦行をなさいました。しかし一生懸命になって苦行をしてみたけれども、無理なことをすればするほど、自身が苦しくなってくる───、そのころのお釈迦さまの像が方々にありますが、お姿はもうやせ衰えて、あばら骨がはっきり浮き出て骨にそのまま皮をかぶせたような感じですし、お腹のあたりも落ちくぼんで、内臓がないのでは、と思うほどであります。 それほどまでに苦しまれたのですが、では、そうした難行苦行を続けてどうなるかというと、頭はもうろうとしてきて、一向にはっきりしない。自分自身そのものがはっきりしない以上、これでは救われるということにはならないわけです。そうした苦行を経て、お釈迦さまはそれがむだなことであると身をもって感じられ、〈中道〉ということを悟られたのでした。 この悟りの〈中道〉とは、どっちにも動かすことのできない真理という意味です。それは物事の根本実相であります。 (昭和48年12月【速記録】)...
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...成道 一 仏さまが悟られました、その内容というものは「諸法の実相を究尽したまえり」と方便品にありますように“諸法の実相”そのものなのです。 そして仏さまは「常にここに住して法を説く」と言われていますように、特定の形のようなものがあるわけではありませんが、永遠の生命の中にはっきりと生き続けている、とおっしゃっておられるのです。そしてまた、われわれはこの娑婆に独り立ちしているのではなくて、いろいろな人との持ちつ持たれつの中で、世の中ができているのだということ、いろいろな問題が起こってくるのは、出会いや触れ合い、かかわり合いなどの縁起によるものだということを教えてくださっているのです。 つまり、そういう大いなる生命が、ちゃんとした法則にのっとって、われわれひとりびとりの人格の尊厳さを最高度に認めていることを、仏さまは教えられているのです。ですから、その悟りの内容をよくよくかみしめてみると、なんとすばらしいことをお釈迦さまは、お悟りになられたのだろう、と思わずにはいられないのであります。 (昭和51年12月【速記録】) 成道 二 お釈迦さまが悟られた内容は、むしろ科学が進めば進むほど、はっきりと明らかになってきます。仏さまとわれわれとの間にある微妙なもの、仏さまと私どもの現在とが、もはや離れることのできないものであり、仏さまの悟りの内容である、自然の法則の中にわれわれが生かされているということが、はっきりしてきますので、そこになんとも言えない安心感が生じてきます。いわゆる実証的な安心が得られるわけであります。ですから、私どもが自分独りで「おれが、おれが……」と言ってもそれはとおらないのであるということがわかってくるのです。 お互いがそういう気持ちになって、いさめ合っていくことによって、なるほど世の中はこんなにもすばらしい荘厳の世界なんだな、仏の世界そのものなんだな、ということがわかります。世の中には、がむしゃらにおのれ独りで生きているんだと思っている人がいますが、「仏の世界に自分は生かされている」という、存在の本質がわからないとだめなのです。この娑婆には、そういう仏さまの教えが、躍動しているのです。 (昭和51年12月【速記録】) 成道 三 お釈迦さまが悟りを開かれて、すばらしい境涯に到達されたその本は何かというと、それは大慈悲心から出てくるところの求める心です。慈悲がなければ成道はなりません。頭がよくて、いくらおれは秀才だ、などと言っておっても仏にはなれません。けれども、深い慈悲心と真心があれば、たとえバカと言われた周梨槃特のようでもいいわけです。ちゃんと成道することができるのです。 (昭和52年06月【求道】)...
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...転法輪 一 お釈迦さまが悟りを開かれて、初転法輪に至るまでの間のことにつきましては、いろいろなことが説かれていますが、悟りは開かれたけれども、かくあるべきだということを、一般の人々に説いても果たしてわかってもらえるかどうかが、一番たいへんな問題であったと言われております。それもそのはずで、信仰というものはその人その人の信じ方であって、神さまと言い、仏さまと言っても私どもの肉眼では見ることができません。心で見れば見えるのですが、普通の人間の眼には見えないわけであります。その見えないものを信ずるのですから、これはなかなかたいへんなことであります。 そこで、お釈迦さまは悟りを開かれたのち、永い間、菩提樹下に端坐されて、どのように説いたなら、すべての人々にわかってもらえるだろうかと考えられたのです。そのときお釈迦さまは、こんなことを説けば、かえって神さまや仏さまをののしるような者も出てくるのではないだろうかと考えられて、人々にわかってもらえないのであれば、これは説くべきではない、いっそ説かないでおこうと消極的になられたり、いや積極的に説くべきだとお考えになった、ということであります。 このことは、自分でお導きをさせていただこうという気持ち──つまり、法輪を転ずる立ち場に立ちますと、よくわかります。「どこそこの家は今たいへん幸せだけれども、どうもこのままではとおらないように思える。だからあの家が永遠に幸せであるように、お導きをさせてもらおうと考えてはみるものの、さてそれにしても聞いてくれるかどうか、どうもあそこの家のおやじさんは頑固だから……、奥さんがうるさいから……」といろいろと考えて、説き出すのに私どもも躊躇することがあります。 そういう心境を考えてみましても、お釈迦さまの場合は、かつて、だれひとり到達したことのないところを悟られたわけですから、「これはなかなかたいへんな問題だ。どうしたものだろうか」とご心配になったのは当然のことだと思うのであります。 やがてお釈迦さまは梵天の願いを入れて、いよいよ「説こう」と決意され、哲学者や宗教家など聞く耳を持った人達のいる当時の文化都市、鹿野苑へ向けて、決定も新たに二百キロ以上もの道を遠しとせずに歩かれ、そこで初めて法を説く〈初転法輪〉ということになるのであります。 (昭和48年01月【求道】) 転法輪 二 お釈迦さまが鹿野苑で初めて法を説かれたのは、かつて、修行を共にした五人の比丘の前でした。この五人の比丘達は、あれほどすばらしく聡明であった太子が、厳しい修行をしたにもかかわらず、苦行を捨ててすっかり堕落してしまった、と思ってあきれていたのです。ですから、そのうちここへもやって来るだろうが、来ても絶対に口をきくまい、と約束していたわけです。 ところが不思議なことに、お釈迦さまがお出でになると、だれとはなしに声をかけてしまいました。そして声をかけたというよりも、自分達が悩んでいるいろいろな問題を問いかけますと、お釈迦さまはどんなことでも、はっきりとわかるようにじゅんじゅんと説かれる──そこでとうとう五人の比丘は、皆お釈迦さまに帰依したのです。そのときまで「沙門ゴータマが来ても口なんかきくまい」と、強情な心で申し合わせていたのに、だれ破るともなしに、五人ともわれ識らずのうちに約束を破ってしまったわけです。 こうして五人の比丘達は、お釈迦さまの教えを受けてそれが全部わかり、大歓喜を生じてお弟子になったのですが、そのことから学者の人達は、「仏教は成道の時ではなく、この時に初めて始まった」と言っているわけであります。 (昭和43年10月【速記録】) 転法輪 三 お釈迦さまは、お弟子達に対しても常に〈一対一の教化〉をされています。お弟子達が修行しているところへ、よく手どりにお回りになったのです。守籠那という弟子が、教団中随一という厳しい修行をしながらも、解脱の境地に達せられず、悩んでいるのを見抜かれたお釈迦さまは、わざわざ林の中の守籠那のところへ足を運ばれて「琴の糸は緩すぎてもいけないが、また、強く張り過ぎてもいい音は出ないんだよ」と教えを説かれて、信仰の危機を救われたこともありました。 また、阿(少+免)楼駄(注・阿那律)という弟子は、説法を聞きながら居眠りしているのを、お釈迦さまに注意されたことに発憤し、夜も眠らぬ行を続けて、ついに失明してしまいました。ある時、阿(少+免)楼駄が精舎の中に独りいて、衣のほころびをつくろおうとしていました。しかし、盲目の彼は針に糸をとおすことがなかなかできません。そこで思わずつぶやきました。「もろもろの世間の福を求める者よ。私のためにこの糸をとおして、功徳を積むがよい」。 すると、彼の側に歩み寄ってきた人があって「さあ、その針と糸をよこしなさい。功徳を積ませてもらいましょう」。その声はまさしくお釈迦さまだったのです。阿(少+免)楼駄が恐縮して、ひらにお断りし「仏さまは、もう功徳はすっかり積んでいらっしゃるではありませんか」と申し上げますと、お釈迦さまは「いや、世間の人は残らず幸福を求めているが、私ほど真剣に、それを求めているものはないのだよ」と、おおせられたと言います。 このお釈迦さまのご行為とお言葉が、どれほど阿(少+免)楼駄の救いとなったかは、察するに余りあります。〈一対一の教化〉とは、これを言うのです。 (昭和48年11月【佼成】) 転法輪 四 お釈迦さまのお説きになりましたご法は、何千年を経ようとも不変の教えであります。しかも、私どもが「仏さま」と呼んでいますそのお釈迦さまは、八万法蔵と言いますから、あらゆるご法門をお説きになっています。そこでお釈迦さまを、一大法門を説かれたかたであると、こう私どもが考えてお経をだんだん読んでいきますと、さにあらずで、お釈迦さまは「我一語も説かず」と言っておられる。 どうもこれは不思議だなと思って、法華経をさらにだんだんと読んでみますと、日月燈明如来が二万仏も出現して、その仏は三千年に一仏ずつ生まれてこられて法を説いた───そして、威音王如来という如来さまがまた、次から次へと生まれてきた──大通智勝如来というような仏さまも、やはり何回も何回も大通智勝如来として生まれた、と説かれています。 そのように、三千塵点劫という非常に永い間、多くの仏さまが入れ代わり、立ち代わりお出ましになってご法を説かれた。お釈迦さまは、その説かれてきたご法を継承したのであって、自分では一語も説いてはいないと、こう言われるのであります。 お経を読んでみても、このあたりの解釈はたいへんにややこしい。ですから、わからなくなりがちですけれども、そこに説かれておりますのは、この宇宙の大法則はいつになっても、変わるものではないということで、真理に到達されたお釈迦さまの悟りの内容も、同時に過去において説かれてきたご法も一つであるということです。しかも、仏さまの説法の順序次第はちゃんと決まっているのであるということを、お釈迦さまご自身の説法の次第によって証明されているわけであります。 (昭和33年11月【速記録】)...
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...涅槃 一 ヴェーシャリーの町で重い病に罹られ、ほとんど絶望かと思われたお釈迦さまが、幸い小康を得られたとき、常随の弟子・阿難が「世尊がお亡くなりになるかと思いますと、四方が暗くなるような思いでございました。これから先、比丘僧伽はだれを頼りにしていけばいいのか……」という意味のことを申し上げますと、お釈迦さまは「私はすでに、内外の区別なく、ことごとく私の悟った法を説いたではありませんか。阿難よ、そなた達は、今でも、私が死んだ後でも、自らを燈明とし、自らを依処とし、法を燈明とし、法を依処としていけばいいのです。そのような人こそ、最高の比丘と言うべきです」とお諭しになりました。いわゆる自燈明・法燈明と呼ばれる万世不滅の理性の教えであります。 それから、ふたたび北へ向けて布教の旅に出発されましたが、途中バーヴァーという町で、熱心な信者であるチュンダがご供養申し上げた食事の茸に中毒され、ご容体がにわかに悪化されました。胸をかきむしって後悔するチュンダの様子を聞かれたお釈迦さまは、お傍で看病している阿難に「チュンダの供養した食事が、私の最期を早めたからといって、何も悔むことはない。私が成道する前に、スジャータという娘が食事を供養してくれたが、今入滅しようという際に供養してくれたあの食事も、それと同じように大きな功徳があるのだ」とおおせられました。なんたる寛容、なんたる慈悲──お言葉を伝える阿難も、承るチュンダも、ともどもにむせび泣いた、と言うことです。 いよいよご寿命が終わりに近づいたことを、お覚りになったお釈迦さまは、最期の地をクシナガラとお決めになり、そこまで数キロの道を二十五回もお休みになりながら、たどりつかれました。そして、町はずれの二本の沙羅の木の間に床を用意させられ、北を枕にして静かに横になられました。 その夜半、スバッダという年取った異教の行者が、教えを請いにきました。阿難は、ご臨終に近い世尊をわずらわしてはならぬと思い、固く断りました。その押し問答を聞かれた世尊は「阿難よ、道を聞きに来た人を拒んではならぬ。とおしなさい」と命じられました。スバッダが、ごあいさつもそこそこに「世の宗教家はみんな自分で悟りを開いたと言っていますが、ほんとうにそうでしょうか」と、お聞きしますと、お釈迦さまは「そういう問題に思いわずらう必要はありません。真の悟りに至る道は、正見、正思、正語、正行、正命、正精進、正念、正定の八つの聖なる道しかないのです」と、正しい実行の教えをお説きになりました。そのお言葉によって、スバッダは目が覚めたようになり、その場で三宝に帰依しました。これが、ご存世中の釈尊最後の弟子となったわけです。 (昭和49年02月【佼成】) 涅槃 二 涅槃についてわかりやすく言いますと、一つには、ちょうどろうそくが全部燃え尽きてなくなり、ともされた火がひとりでに消えていくように、スウっと終わるということであります。そう申しますと、全部なくなってしまうことのすべてが〈涅槃〉ということになりますが、この言葉はほかの人の場合にはあまり使いません。と言うことは、涅槃と呼ぶに値するような、なすべきことを全部なし尽くしたということにならないからだと思います。しかし、この涅槃という言葉には二通りの解釈があります。 その一つが、今申し上げました燃え尽きて消えたろうそくのように、寿命がもうすっかり尽きて亡くなられたことを涅槃と言う──これが一番わかりやすい。ところが仏教で言うところの涅槃は、それだけのことではないのです。 では、どういうことかと言いますと、煩悩をなくした──つまり、生きながらにして悟りを開いた──というその状態を涅槃と言います。したがって、「悟り」という意味と、「肉体がなくなった」という意味の両方があります。今日とくに、そうしたこの二通りの意味を思い起こしてみたとき、それではお釈迦さまはなくなってしまわれたのかと言うと、そのほんとうの意味の本体は、われわれ一切衆生に、永遠に光明を与えてくださっているのです。ですから八十年の生涯を閉じられて、その肉体は涅槃に入られましたけれども、仏さまの精神は永遠不滅のものであって、そのお心、その魂は、私どもの身の回りに今も生き続けておられるのです。すなわち「常にここに住して法を説く」と、お経文にもありますように、私どもは常にお導きをいただいているのです。 (昭和42年02月【速記録】) 涅槃 三 “仏教の力は失われた”と言うようなことを、書いたり、説法したりする人が、ときにはあるようでございます。これからは神の時代であって、仏の時代じゃない、と言っている人も中にはいます。ずいぶん勝手なことを言う人がいるわけでありますが、しからば仏教は死んだのかと言うと、決してそういうことはありません。仏教の本質を味わってみれば、それはもうなくなったとか、あるいは今、勃興しつつあるとか、そんな刹那的な問題ではないことがわかります。お釈迦さまは、インドにお生まれになって、五十年間説法をなさった。それが現在経典になって遺っているわけでありますが、そのご説法の記録だと申しましても、現在のように速記録というようなものがあったわけではありませんし、またテープレコーダーのようなもので残されたのでもないのです。ですから、勢いお釈迦さまのお徳をいただいた多くの人達が、それも、お徳を受けていればいるほど、私はみ教えをこのように受け取りました……私は、このように伺った……というように、いろいろと語ったことがまとまって、だんだんとお経のかたちができたわけでありますので、ほんとうに記録したものとは違って、永い間に変わってきているのであります。 しかもインドの言葉が翻訳され、その翻訳である漢文で書かれたものが日本にきて、それをまたわが国では日本流に直して読んでいます。国柄の違うところ、言葉の違うところを何か国も経て、日本に伝わってきているのでありますから、お釈迦さまのほんとうの精神が伝わるということはなかなか難しいのであります。 まあ、これは余計なことで、こんなことを申し上げると、皆さんはかえって頭の中で混乱されるかも知れませんが、そのようなことを常識として、あらかじめ仏教の伝わり方を的確につかみ、仏教のあり方、本物をしっかりとつかんでいただきたいと思うのです。ですから、教えの説かれ方も時と処と次第をちゃんと判断したうえで、興るべくして興り、勃興すべくして勃興し、またすたるべくしてすたっていくわけであります。また、お釈迦さまはそうした問題について、非常に明快に、現在の世の中をお見とおしになって、説かれているのであります。 そのことがわかりませんと、たとえば、阿弥陀経にしても、この経はお釈迦さまが亡くなられてから百年も百五十年もたってできたのではないか、あれは非仏説、つまり仏さまが説かれたご法じゃない、などと言うことになります。そうなりますと非常に問題が起こって、そんなことを言う大学教授を首にしろというようなことで、けんけんごうごうの騒ぎになったりします。けれども、阿弥陀経を読まれたかたが、このお経の文章が現代の私どもを救うはっきりとした根拠があり、今に生き続けているところをつかんでいれば、またそのことがはっきりとしていれば、お釈迦さまがお説きになられようが、後の学者が書こうが、そんなことには頓着しないでいいわけです。要するに、お経の内容に触れて、自分が有り難く拝読することこそたいせつであると思うのであります。 (昭和34年10月【速記録】)...
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...生活に即した仏教 一 仏教というと、とかく非常に難しいもの、お経は専門のお坊さんでなければわからないものと、お互いさまに思いがちでありまして、それが“生活の要諦としての教えである”というようには、普通あまり考えません。けれどもお経を読ませていただいておりますと、私どもと同じように、人間として、この娑婆にお生まれになったお釈迦さまが、人間はどうあるべきか、と考えられたそのことが根本であるということが、だんだんとわかってまいります。お釈迦さまは、その方法をみずから悟られて実践されたのでありまして、実践のその記録が現在の経文であり、仏教はお釈迦さまの五十年にわたる説法がもとになって成り立っているのである、と申し上げてよいと思うのであります。 (昭和40年03月【速記録】) 生活に即した仏教 二 仏教というものを、ごく平易に申し上げますと、それはきわめて私どもの身近にあって、どうしても守らなくてはならない、しかも、それによって幸せになれる、という教えであります。逆に、私どもが不幸せになることもまた身近にありますが、仏教の法則をよく取り扱うか悪く取り扱うかによって、善因善果、悪因悪果と分かれてまいります。私どもが幸福になろうとすれば、〈道場観〉に説かれていますように、今いるここが道場である、自分の家庭が道場である、という生き方にならなくてはなりません。 この道場に来て先輩の前にいるときだけ「ほんとうに悪い人間でございまして……」と言って懺悔をする──あんなに心から泣いて懺悔していったのだから、家に帰っていい奥さんになるだろうと思っておりますと、家の玄関を入るとすぐに魔性がついたように夜叉に変わってしまう──そんな例もあります。道場に来て、せっかく如来さまのような心にしてもらっても、家に帰るとたちまち夜叉に変わるということでは、何回やっても、行ったり来たりの繰り返しでなんにもなりません。ですから、道場へ来て悟らせていただきましたならば、如来さまそのままの気持ちをいつまでも持ち続けていくことです。そうしていただきますれば、お導きもたくさんにできると思いますし、家庭内のいざこざや災難ということにつきましても「なるほど、この原因は自分の心の中にあったのだ」ということに気づいて、ますます有り難いご法である、という認識も確立すると思うのであります。 (昭和33年09月【速記録】) 毎日の生活、これが仏教です。法門の言葉は難しいですが、簡単に申し上げますと、因縁を悟り、悪因縁を積まないように、悪因縁の解決に向かって毎日毎日、善根功徳を積み重ねていく、そして生きがいを感じながら毎日を生きていく──それが仏教だと思うのであります。 (昭和48年07月【求道】) 生活に即した仏教 三 お釈迦さまは八十年の生涯を、一切衆生が自分と同じようになって欲しい、という理想を掲げて生きられました。一切衆生がみんな成仏しないうちは、私も楽々としてはいられない、とお考えになっていました。ご自分の一切の地位を捨てて出家され、みんなが平和に明るく、心柔らいで生きていくには、どういう方法をとればいいか、ということを真剣にお考えになった。その結果、悟られたのが仏の境界であります。そしてお釈迦さまはご自分が悟られた過程をさらに深く考えられて、だれもがこうなれるのだから、皆さんも私と同じように悟って成仏してくださるように、と願われて遺されたのが仏教であります。ですから、私どもは決して自己流にやってはいけません。これは踊りでも歌でも、相撲やゴルフなどのスポーツをするときでも同じで、自己流では上達しないのであります。自己流の宗教を持ち、それによって信念を強くしていくとか、自分なりに修養を積むことも一つの方法ではあります。しかし、それも方法の一つだとは言いながら、そうした自己流の方法でなんとかして安心できる立派な大境涯を獲得しようと考えても、そこまで到達するにはなかなか時間がかかりますし、へまをしますと、自我が出て別の方向に進んでいってしまうかもしれません。そういう危険なことは、避けるべきでしょう。 とにかく、ここにお釈迦さまが完成された完全な手本があるのです。そして、あなたの苦しみはこういうところからこういうわけできている、あなたが今楽しんでいるのは過去にこういう善いことをした功徳によるものだ、ということが非常に明確にされている。だから、心の中をちゃんと整えさえすれば、自分が悟ったのと同じ状態、自分と同じような境涯に、だれもがなれるのだということを、お釈迦さまはだれが聞いても納得のいくように、理論にきちっと合うように説き明かされているのです。「さあ、このとおりやって、みんな幸せになりなさい」と、こう仏さまが教えられたのが、仏教の経典なのであります。 (昭和38年05月【速記録】)...
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...根本仏教 一 過去において法華経を信奉した人達はとかく「四諦の法門や、あるいは八正道とか十二因縁ということは、小乗仏教の教えであって、愚かなものだ」と考えがちでありました。ですから、もうひとっ飛びに「南無妙法蓮華経さえ唱えればいいんだ」というようなことを言っていたわけです。なんでも南無妙法蓮華経さえ唱えれば仏になれる……南無妙法蓮華経と言いさえすればもう仏なんだと、こういう、まことに簡単に即決してしまうところの信仰をやっている人達は、なんでもかでも直感でいきなりそこへいってしまうわけです。しかし、果たしてそれだけでよいのでしょうか。 それは確かにお釈迦さまも直観によって悟りを得られたのですが、その直観による悟りを人に説いてわかってもらえるかどうかについて、なおかつ苦労されてしばらくの間、菩提樹下にお座りになったわけです。そしてまた、幾日もかけて二百キロ以上の道を歩いて説法に出かけられたのです。ところが、行ったその場所には、お釈迦さまが来ても口もきかないと約束し合っているような人達が待っている。そこへ出かけて、いよいよ説法しようというのですから、これはなかなかたいへんなことです。 われわれがお導きに出かけたときでもそうで、話をしても先方はなかなか話を聞いてくださらない。そこをどんなふうに説けば聞いてもらえるか、わかってもらえるか……、どうしてなかなか苦労なことです。皆さんがお導きがなかなかできない原因もそこにあるのだろうと思います。相手の人が今、何を考えているか、それに対してどう説けばいいかというこの対機説法の態勢が、私どもの心の中に十分にできていれば、相手の人も戸惑うこともなく「なるほど、わかった」と、こうなるのですが、話の順序になかなかそういう筋道をとおしていけないところに導きの困難さがある──と、こういうことであります。 お釈迦さまもやはりその苦労をなさって、遠い道を歩いて行かれて説法をされたのでした。 (昭和46年12月【速記録】) 私は仏教徒ですから、仏教の理論で言えば、まず根本仏教ないしは原始仏教を学んでから法華経を咀嚼し、その法華経の精神をとおして見ていくならば、すべてのものを生かしていけるのです。仏の法門というのは、そのようにあらゆる宗教の教義の違ったものまでも、それを生かす法がはっきりとしています。さらに、科学の進歩とともに法門の解明が容易になったのはほんとうに有り難いことです。 (昭和43年10月【佼成】) 根本仏教 二 宗教が宗教であるゆえんは、いったいどこにあるのでしょうか──。われわれの帰依している仏教について、この問題を考えていくと、当然まず根本仏教の要諦である〈四諦〉〈八正道〉〈六波羅蜜〉などの法門が頭に浮かんできます。 〈四諦〉は、「人間の存在はすべて苦であることを悟り、しかもそれから逃げかくれしないで、その苦の実態を見つめよう(苦諦)」次に、「苦の起こった原因を探求し、反省し、それをはっきりと見究めよ(集諦)」「苦の根本原因である無知と煩悩を滅すれば、苦は必ず滅せずにはいないのである(滅諦)」「その滅諦にいたる道は、八正道、六波羅蜜を行ずることである(道諦)」という教えであります。まことにすばらしい智慧の教えと言わなければなりません。 ではその〈八正道〉とはどんなものであるかと言えば、つまり「ものごとを正しく見なさい(正見)」「ものごとを正しく考えなさい(正思)」「正しいことを言いなさい(正語)」「正しい行為をしなさい(正行)」「正しい生活をいとなみなさい(正命)」それらのことを成就するために「正しい努力をしなさい(正精進)」「心をいつも正しい方へ向けていなさい(正念)」「常に心を正しくおいて動揺させないようにしなさい(正定)」という戒めです。 完全な道徳の教えであると言っていいでしょう。 次に〈六波羅蜜〉というのは、「精神的・物質的・肉体的のあらゆる面から、人のために尽くしなさい(布施)」「仏の戒めを守って心の迷いを去り、正しい生活をし、自分自身の完成に努力することによって、他を救う力を養いなさい(持戒)」「他に対しては常に寛容であり、自分に対しては高ぶる気持ちを厳しく抑えなさい(忍辱)」「たいせつな目的に向かって一心不乱に努力しなさい(精進)」「真理に対して精神を集中し、雑念を去る修行をしなさい(禅定)」「諸法の実相を見とおす、ほんとうの智慧を持ちなさい(智慧)」という〈精神生活と行動の基準〉です。 八正道よりもっと深く、そして対人性・対社会性が濃厚になった、これまた非の打ちどころのない知性と倫理の教えと言わなければなりません。 (昭和39年03月【躍進】) 根本仏教 三 根本仏教では、人間がなんのために苦しみ、なんのために悩んでいるのか、そして、それはどういうことのための苦しみであり、悩みであるかを明らかにして、その原因をなくそう、そうして、苦しみ悩むことのないようにしよう、ということを中心にしたものです。 それでは、それをなくするには、どのようにしなくてはならないかと言いますと、諸法の実相をつかむことです。つまり、生まれてきた私達が今現在、置かれている実際の姿、ほんとうの姿をちゃんとつかむことです。そうすれば、苦しむことなどまったくなくなるわけです。しかし、ただ単に諸法の実相ということだけを言ったのではわかりにくいわけです。そこでこれをさらに追求していくと、十二因縁の法門に到達することになるわけです。 (昭和41年04月【速記録】) 根本仏教 四 仏教の教えというのは、まことに簡単に、よくわかるようにできていると思います。私は二十八歳のときに法華経に導かれ、四諦、八正道、十二因縁、六波羅蜜という仏教の因果説、因縁説を聞いて「これだッ」と思いました。そのとき私は「もうこれでなくてはいかん、生活はこの教えでいかなくてはならない」と直感したのであります。 今の若い人であれば、立正佼成会の教学を半日ほども聞けば、仏教の原理や理論は全部わかってしまうことだろうと思います。学校へ十三年も十五年も行って、先生から道について教えを受けてきているのですから、仏教の法則がわからないようでは、よほど理解力のない、アホウと言うほかないことになりましょう。 (昭和51年01月【求道】) 若いときですと、四諦、十二因縁、六波羅蜜の法門などは、半日も聞けば覚えてしまうものです。そうしますと、何人もの“お釈迦さま”ができることになりますが、問題はそれを実践することの如何にあります。理論はわかっても、さて実践するとなりますと、腹が立ったり、迷ったり、悩んだりしてなかなかすっきりとは、いかないわけです。それが凡夫の浅ましさと言うものです。 (昭和39年01月【会長先生の御指導】) 私は学校へは六年しか行っていないのですが、このご法を聞いて「よし、これだ」と、直感するとともに、思いましたのは、これで生きていかなくてはならないということでした。それまで十五年くらい、いろいろな信仰や法則を勉強してみて、「なるほどすばらしいものだ」とわかったのですが、だんだんと深くやってみると百発百中というわけにはなかなかいきません。当たりもあれば、はずれもある。先日もそのような予言者を集めた放送がありました。霊能者の日本一、世界一という人達が集まっての放送でありましたが、そういう人達の発言でさえ、当たるものもあれば、はずれるものもあり、これではあまり信頼が置けないと思ったのでした。 ところが、お釈迦さまの悟られた内容は、当たるかはずれるか、それとも救われるか救われないか、わからないというようなものではありません。百発百中の結果がちゃんと出てくるのであります。 (昭和50年01月【求道】)...
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...四諦・八正道 一 私どもとしましては、なんといっても、まず一仏乗の法華経の中の四諦の法門をかみしめなくてはならないのです。これはご承知のとおり、お釈迦さまが悟りを開かれて一番最初に、五人の比丘にお説きになったときに始まり、いろいろの教えをお説きになった最後に、法華経をお説きになるまで、一貫してあらゆる機根の人々にわからせようとされたご法門だったのです。すなわち、苦集滅道の論旨を完全に把握させようというのが、お釈迦さまのお考えだったと思います。このご法門をよく認識させるためには、三世輪廻の法則であります十二因縁の教えに基づかないと、因縁の道理をよく説き明かすことができないのです。 また、方便品の中に説かれている十如是の原理は、あるがままの現実の姿を説明しているのですが、自分が現在置かれている条件、力、働きというようなものの因縁因果をはっきりと理論的に理解しないと、仏教の根本法則とも言うべき四諦の法門もよくわからないのです。自分達が、今いろいろと悩んでいること、苦しんでいること、時には楽しんでいることもありましょうが、ともかくも、自分でどうしても解決しなければならないたくさんの問題を解決するには、〈四諦の法門〉の苦集滅道の道理を知ることが前提となるのです。この道理をよく理解できると、色情の問題にしても、経済的な問題にしても、またそのほかの個人対個人の感情問題にしても、自分の眼前に現われる現象を的確にとらえることができますから、それがまた反省の糧ともなり、さらに精進の糧ともなるのです。 (昭和36年03月【佼成】) 四諦・八正道 二 立正佼成会の会員の皆さんは道場の中で、なぜ輪をつくって話を聞いているのかと申しますと、それはすなわち“四諦の法輪”を説いているわけであります。それを四諦の法輪とは言わずに、皆さんが持っておいでになる悩みをこういう順序──たとえば、先ほど会員のかたの体験説法にもありましたように、だんなさまに捨てられて、何回も何回も再婚しなくてはならないというような人でしたら、現在の状態というもの、つまり自分の置かれている状態を諦らかに観じて、中途半端な逃げかくれをせず、その苦の状態を苦と悟るのが〈苦諦〉であります。 そして、その苦はどういう原因によるものか、どんな気持ちからそういうことになったのか、ということをだんだんと追求していって、諦らかにするのが〈集諦〉です。では、そうした苦をどうすればなくすることができるか、滅することができるかをきわめなければなりません。それが〈滅諦〉です。そこで道場の中で皆さんがご指導をしていただいていることは、あなたがこういう修行をすればお宅の悪因縁果報は解決するんですよ、ということを教えられているわけです。ですから苦・集・滅・道という法門によって人間の苦を解決するための教えが説かれ、因縁因果の法門によって、身・口・意の三業を皆さんに悟らせてくださるのであります。ですから立正佼成会が今、それを行なっている四諦の法門は、お釈迦さまによって始まったことなのです。 (昭和34年11月【速記録】) 四諦・八正道 三 「道」ということについて申しますと、八正道ということが一番先に頭に浮かんできます。最も、仏教では八正道なのですが、私どもの身近なところに、書道や画道を学ぶとか、茶道を習うなど、いろいろの「道」があります。それに剣道や柔道などもそうですが、その人のすばらしい持ち前をそれぞれが完全に現わすために道を修行するのです。そして、その中でももっともたいせつな、それこそもう動かすことのできない原則とも言えるものが、仏教の〈八正道〉であると、私は思うのであります。 仏さまが八正道について説かれたとき、まっ先に言われたのは〈四諦の法門〉でした。それは何かと言うと、「生老病死というような四苦、そしてまた八苦というような苦しみを人間は持っているが、それはいったいなぜなのか、続けて深く調べていくと、自分が過去世から持ってきたいろいろなものと今生に自分が身につけたものや心がある。そういうものを根底から救わなければ幸せにはなれない。そして心というものを安泰にしていくためには“道を行ずる”ことだ」と教えられているのであります。 ですから、仏教は抹香臭いものではなく、人間の生活をあたりまえのかたちでほんとうに直くし、みんなを幸せにしていくためのものであって、そのためにどうしても守っていかなければならない原則と言うべきものが、八正道であると思うのであります。道というものは、歩くためのものなのです。人間道もまた、人生の歩みです。仏教はそれをはっきりと教えているのですから、八正道を勉強していきますと、なるほどこのように心を正しく持って、ちゃんと道にあてはめていき、その道を行じていけば、それによって苦が滅するのであるということが、一目瞭然なのであります。 (昭和51年03月【速記録】) 四諦・八正道 四 八つの正しい道、〈八正道〉は、その一つ一つが別々に分かれているのではなく、正しい道の一つの部分であり、同時に互いに関連し合い、つながり合っているのです。もちろん六波羅蜜や、他の法門とも密接なつながりをもっていることは言うまでもありません。 この八正道と六波羅蜜こそ、私達人間がそれぞれ人格を完成し、お釈迦さまが説き示された〈滅諦の境地〉へいたる「最も正しい手段、方法」なのです。 つけ加えて申しますと、四諦の法門の〈道諦〉にはいって歩む実行力は、〈集諦〉のところで、正しく苦の原因探究が行なわれていたか、いないかで決まるということです。「自分が自分自身を苦しめていたに過ぎなかったのか」と、因縁因果の相関関係がわかると、さらに進んで「自分は、いかに人さまを苦しめてきたか」までわかり、心から“申しわけない”という気持ちが起きてきます。そして、そういう心が支えとなって〈八正道、六波羅蜜の実践に励む〉ということになるのです。 (昭和38年06月【佼成新聞】)...
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...十二因縁 一 「諸法実相」をもっと深く理解させるために、別の角度から説かれた教えが「十二因縁の法門」です。 この法門は、人間の肉体の生成にも十二因縁の法則があり、心の変化にも十二に分かれた因縁の法則があるという教えです。前者を外縁起と言い、後者を内縁起と言いますが、その内容は「私達人間の肉体がどのような過程を経て生まれ、成長し、老死にいたるかということを、過去、現在、未来の三世にわたって説き」、それに伴って千変万化する人間の心のありさまを示されたものです。 そこで、初めに外縁起について、かいつまんで説明することにしましょう。 十二因縁の一番初めに出てくるのは“無明”です。無明というのは、字のとおり「明るくない」とか無知ということです。私達の魂が両親の体に宿る以前は、全然なんにもわからないし、感じもしません。 その魂が、夫婦生活という“行(行為)”によって母の胎内に宿り、“識”が生まれます。識というのは「生物らしい性質のもの」という意味ですが、不完全ながらも人間らしいものがここでできてきたわけです。要するに、私達の出発点は〈無明〉から始まるのです。 さて、不完全な識がだんだんかたちを整えてくると“名色”になります。名とは無形のもの、心のことで、色はその逆の有形、つまり肉体を指します。したがって、名色というのは、魂の入った人間の心身ということです。名色が発達すると“六入”となり、眼、耳、鼻、舌、身、意、すなわち六根が調うということです。ここではまだ母の胎内にあるので、まだまだ不充分です。私達はお互いさま、こういう段階のところでこの世に生まれてきたのです。五つの感覚と一つの心がもっと発達してくると、ものの形、色、音、におい、味、さわった感じなどをはっきり感じられるようになります。ここまでくると“触”です。 ところが、そうなってくると、感受性が強くなってきて、好ききらいの感情がでてきます。この状態を“受”と言うのです。 人間の年ごろで言えば、六、七歳ごろを指しますが、さらに成長すると“愛”が生じます。この愛にはいろいろな意味がありますが、ここでは異性に対する愛情と考えてください。異性への愛情が芽生えると、その人を自分のものにしようという所有欲、独占欲がでてきます。それが“取”であり、次に“有”となるのです。ここまでくると、人生のほんとうの苦しみというものがいろいろな形で襲いかかってきます。 そして、それは一生続いて、最後に“老死”にいたるわけです。 以上が、私達人間の肉体を中心とした外縁起による十二因縁ですが、次に心の成長を中心とする内縁起について、考えてみることにしましょう。 まず初めに“無明”。これは正しい世界観や人生観を知らないか、知っていても無視することです。間違った不幸な人生を送っているのは、すべてのものを支配する真理(法則)を無視した行ないをしているからです。仏の教えを信じ、法門が身についていれば、どういう心構えで生活すればよいかもわかるし、万一、悪い方向へ進んでも、教えに照らして反省ができ、すぐに正しい方向へ向かうことができます。 無知(無明)のために、今まで真理(宇宙の法則=お釈迦さまの教え)にはずれた行ないばかりしてきた、これが“行”です。ただ、この場合の“行”は、自分自身だけの行ないという解釈にとどまらず「人間が永い間、積み重ねてきた過去の行ない」ということも含まれています。よく世間で「親の因果が子に酬い」などと言いますが、これなど単的に表現したものと言えるでしょう。 次の“識”は、私達が物事を知り分ける根本の力や働きのことです。外縁起で述べた眼・耳・鼻・舌・身・意の六入全部に影響を及ぼす働きをもっているのです。 生まれたとき、私達の識の中には、前世の業(行為)が、意識や潜在意識の中に働いています。したがって、前世によくない行ないをしてきた人は、今世に生まれたときの識も、無明の識と言えます。 この過去を背負った識から出発して、新しい今生の行ないが積み重なるのですから、その人の人格はおして知るべしです。 私達人間が、生存するということを考えてみましょう。 私達は皆、心と体を持っています。そして眼・耳・鼻・舌・身・意という六つの器官が同じようにあるわけです。そのうちの「意」を除く五つは、普通感覚と言われています。そして、それらの感覚によって、あらゆるものをとらえる「意」を、知覚と呼んでいます。私達は、この感覚と知覚の働きによって生活を営んでいるわけです。“識”と“名色”と“六入”は、同時に互いに依存し合っている関係で結びついているのです。 心が発達するにつれて“受”が生じます。人間はひとりひとり、ものの受け取り方、感じ方が違います。主観の相違による欲求の相違です。こうした主観とか感受性の相違は、それぞれの過去の経験がそうさせるのですが、十二因縁に照らして考えると、過去の“無明”と“行”の違いからくる“識”の相違が、物事についての考え方を変えさせていることがよくわかります。 苦楽に対する考え方がでてくると、自然、ものに対する“愛”が起こります。愛というと、愛情と考えがちですが、ここでいう愛とは、愛着心と考えてください。言い換えると、一つのものを好ましく思う心。そのものに執著(とらわれること)するということです。 お経文に“諸苦の所因は貪欲これ本なり”(譬諭品第三)という言葉があります。「もろもろの苦の原因は、貪欲なのだ」ということです。貪欲と言うのは、自分の欲望にまかせて執著する心を指します。したがって、苦楽とか好ききらいに対する考え方が激しければ激しいほど、愛したり憎んだりする心も強く現われるのです。 「あの人は盲目的だ」と言われる人は、たいてい執著心の強い人です。 “愛”を感じますと、そのものを放すまい、いつまでも自分のものにしておきたい、と考えます。その心が“取”です。つまり“取”は、愛憎の心から起こる強い取捨選択の心です。この心が強烈になると、身の危険を冒してまで手に入れようとします。いや、危険か危険でないか、悪いか悪くないかを考える余裕すらないと言ったほうが当を得ているかもしれません。お釈迦さまが、その教え(法華経)の中で“深く愛欲に著せる、此れ等を為ての故に苦諦を説きたもう”(譬諭品第三)と説かれているのは「こうした悪行悪徳の原因を除かなければ、人間の幸せはない」ということを、知らせるためなのです。 “取”があると、人間はそれぞれ異なった考えや主張がでてきます。それが“有”です。有とは、自己中心の心がもたらす差別の心です。 好きなものとは進んで親しみ、きらいなものは排斥する──これが、私たち人間世界の姿です。 このような差別する心があるために、人間同士の間に対立や争いが起こります。争っては苦しみ、対立しては苦しむ人生──そういう人生を“生”と言うのです。そして目先のできごとで喜んだり、悲しんだり、苦しんだりして生きているうちに“老い”の苦しみがやってきて、ついには“死”を迎えるということになります。 以上が十二因縁の概略的な説明ですが、私達はこの十二因縁の教えを自分自身の人生に生かし、世の中のほんとうの姿、そして「その世の中に生きている自分はどのような心構えで生きていかなければならないか」を、しっかり把握すべきだと思うのです。 (昭和38年06月【佼成新聞】) 十二因縁 二 物理学に「エネルギー不滅の法則」というのがあります。たとえば、高い所にある水のエネルギーは、落下することによって運動のエネルギーに変わり、それが発電機を回転させて電気エネルギーとなり、それがまた電気ストーブを仲立ちとして熱エネルギーとなり、われわれの部屋を暖めてくれます。そういうふうに姿を変えても、初めからあったエネルギーの総量は、いつまでも不変なのです。 部屋を暖めてくれた熱エネルギーが百%その家の人を利益するわけではありませんが、部屋の隙間などから逃げていった熱エネルギーも決して消滅することはなく、そのあたり一帯の空気をほんの少しでも暖めているのです。それが、この家からも、あの家からもと、たくさん集まれば、見えないところで大きな結果を生み、都心の気温が郊外よりも三度も五度も高いという、あの原因の一つになるのです。こういう見えない働きは、後に述べる業の働きと同じことですから、心によく留めておいてください。 われわれの現実生活においては、寒くなったからストーブをつける、暖かくなったから消す、といったように、目の前のことしか考えないのが普通です。その熱エネルギーがどこからきたのか、どうなっていくのか……といった、過去や未来のことまではまず考えません。しかし、考えようが考えまいが、遠い過去から現在まで、エネルギーの変化のお世話になっていることは間違いがなく、それをわれわれが使用した後の未来の姿においても、空気や草木や昆虫や鳥や、ほかの多くのものに影響を与えていることも間違いありません。その影響が回り回って自分の身にもまた還ってくることは必至なのです。 人間の行なう行為(すなわち業)も、これと同じなのです。業にも不滅のエネルギーがあるのです。現在の瞬間におけるわれわれの状態は、過去の業の集積した結果であり、今われわれが為す業のエネルギーも決して消滅することなく、未来において必ずそれにふさわしい結果と影響を生むのです。 ただ、人間の業は、身で為す行為だけでなく、口に出す言葉も、心の中で思う考えも、みんなその中に入りますし、そのうえたくさんの人々がつくる社会的な業──先の熱エネルギーが、あの家からも、この家からも出てきて、集まった結果を思い出してください。人間が身・口・意につくる業も、たくさん集まれば社会的な業、すなわち〈共業〉というものになります──その共業も絡んできますので、その働きは非常に複雑微妙であって、どの原因がどの結果を生んだのか、つかみ難いことが多いのです。 ですから、「善因善果、悪因悪果」という厳然たる法則を教えられても「ほんとかな?」と疑ってかかったり、また「信仰してほんとうに功徳があるのだろうか」とか「世の中にはとくにいいことをしないでも、立派に生活している人がいるのはなぜか」といったような、疑惑を持ったりするのです。 つまり、近視眼的に目の前のことしか見ないから、業の原因・結果の法則がわからないのです。長い目で見れば必ずそれが見えてくるはずです。 (昭和52年05月【躍進】) 十二因縁 三 今こうして生まれてきてしまったが、器量が悪い、これじゃしようがないじゃないかと、悲観をしてしまう人も出てくることだろうと思います。しかし、悲観する必要は少しもないのです。どういうことかと言いますと、器量が好いとか悪いとか言っても、鼻はだいたい顔の真ん中にくっついておりますし、その上の方には目玉が二つあるわけですから、そんなに変わった顔の人はいないのです。しかし、これだけ大勢の人が集まっていますけれども、同じ顔の人はただの一人もいません。それは、ひとりひとり、いくらかずつ因縁が違っているからです。同じお父さん、お母さんから生まれた子どもの兄弟姉妹であれば、同じように生まれそうなものですが、その人の前世からのいろいろな約束も、また行動も違っておりますから、兄弟の中にも、なりの小さい人もいるし、大きい人もいる。鼻の高いのもいれば、低いのもいる。そうかと思うとあぐらをかいた鼻もあれば、ツルハシのようにつんとしているのもあるというふうに、いろいろの問題が関係して出ているのです。 仏さまは、そういうことをこまごまとお説きになられて、今現在が一番大事なんだと言われています。過去の因縁が、現在を決めていることは事実ですけれども、私達にとってたいせつなのは、未来への向かい方なのです。と言いましても遠い先のことではなくて、あすからでも、いや、きょうからでも、これから先のこと、まだ来ないことはみんな未来です。その未来を規定するのは現在なんだ、ということを悟らせるために、お釈迦さまは五十年間も説法されたのです。そして、自分の現在を最もたいせつにしなくちゃならないということを教えられたのが、法華経であります。 これを教えるには、過去のいろいろの問題からもってこないと、なかなか納得がいかないわけです。そこで立正佼成会では、お釈迦さまが教えられたとおりの因果説を説いて、「あなたはこういうことをしたから、今こういう苦しみがきているんだ」「あなたは、こういう徳を積んだからそうやって幸せになることができたんだ」とだれもがよくわかり、納得できるように因縁因果の法則を説いているのであります。 たくさんの皆さんが、方々で立正佼成会にどんどん入会してこられるのも、そのためであると私は思っています。 (昭和34年04月【速記録】)...
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