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...文書布教 一 法師品を拝読しますと、「五種法師」に、法華経を弘める者の大切な“行”が五つにわけて説かれております。受持・読・誦・解説・書写の五つです。この中で、読・誦と言いますのは、教えを正しく理解し、自分のものにするうえで、きわめてたいせつなことです。口伝ですと、どうしても物事が誤って伝えられ、教えがゆがめられて受けとられがちです。その意味からすると、活字によって、はっきりと正確に表現された文書の価値は、きわめて大きいと言わねばなりません。機関誌や出版物は、正しく教えが伝わり、正しく理解されるために編集、発行されているものです。法座で、幹部さんから指導を受けるとき、「よくわかった」と頭では納得しますが、実際は、自分の心の中で消化されない場合があります。また、法のもつ意味を、自分の都合のいいように解釈して、独りよがりに早合点してしまうことはないでしょうか。そんなとき、経典を読み返したり、機関紙誌を開いてみたり、出版物を読むことによって、正しい法の理解を深めてほしいと思います。実践行や体験を積みながら、一方では、その裏づけとして教学や文書に親しんでいく態度、教えに対する信頼が深まれば深まるほど、繰り返して読誦し、学びなおす態度がたいせつです。全国に道場のない町や村は、まだたくさんありますが、郵便局のないところはないでしょう。どんな山間へき地へも機関紙誌は必ず届けられます。毎週、全国いたるところに、会のニュースや活動を伝えられるのは、現代でこそなし得るのです。現代はマス・コミの時代です。電波、活字の使用によって何十万、何百万という大衆に、一つのことをすみやかに知らせ、広めることができます。その意味で、これからの布教活動は、文書による伝道をますます重要視し、活用することがたいせつであると考えられます。 (昭和39年06月【佼成新聞】) 文書布教 二 仏教は、“聞法”というので、まず、聞くことが大事であると言われています。ところが、耳で聞くということは、何人かの人に順々に伝えていくうちに、初めのこととは、だいぶ違ったものになってしまう、ということがよくあります。たとえば、テレビなどで「言葉のリレー・ゲーム」をやっていますが、それを見ていますと、司会者から出題された「言葉」が、次々と伝えられていくうちに、どこかが抜けていたり、余分な言葉が加わったり、時にはまったく逆の意味になっている──といったことがあります。ゲームなら、こうしたことが、かえって“笑い”のたねになり、楽しくするのでしょうが、私どものような、仏の教えを正しく、間違いなく伝える、という重大なお役の場合には、こんなことになったらそれこそ大変であります。しかし、なんと申しましても、人間のやることですから、私どもの布教上にも、これと同じことがないとは言えないでしょう。会員の数も増え、組織が大きくなりますと、このようなことが起こらないとはかぎりません。こうした欠点をくいとめてくれるのが、文書伝道であります。法華経の中には“五十展転”と言って「五十人の人の間に教えが伝わるうちに、たとえ感銘が薄れていっても、それを聞き、実践した人は、はかりしれない功徳がいただける。また、同じように、これを伝えた人にも功徳がある」──と説かれています。 このように、仏の教えを正しく、間違いなくそのまま伝えることができる「文書布教」というものは、それほど多くの人に功徳を与え、また、みずからにも、もたらしていただけるか、はかりしれないほど大きいのであります。しかし法華経には、いろいろの功徳が説かれていますが、決して無条件にいただけるものではありません。必ず「これこれのことをなせば……」という条件がついています。言うまでもなくどんなよいことが書かれている文書(機関紙誌・図書)でも、相手に読んでもらわなくては、成果をあげることはできません。ましてや、相手の人がそれを受け取るだけで読まずに“積ん読”されているとしたら、功徳どころか、物の殺生にさえなってしまいます。“すばらしい宝石”であってもそれでは路傍の石と変わりありません。ですから、「文書布教」の功徳は「人智でははかりしれないほど大きなもの」と申しましたが、それは「読んでいただいてこそ」という条件がそこにつくわけです。 (昭和47年05月【速記録】) 先日、私は茨城と福島の二つの「明社大会」に出席しました。そのとき、大会委員長を引き受けてくださったふたりのかたとそれぞれお会いしたのですが、どちらの大会委員長も地元の新聞社の社長さんでした。これまでですと、こうしたマス・コミ関係のかたが私どもの「明社大会」の委員長として協力してくださる、といったことはあまりなかったのですが、おふたりの話によりますと、二、三年前から、地元の教会長さん、幹部さんを通じて本会の出版物を贈られていたそうです。それによって本会に対する理解を深め、この度の大会委員長も二つ返事で引き受けた、と言うのです。こういうことは、一、二回の話や説明を聞いたぐらいでは、とてもそういう心境になれるものではありません。それはたびたび届られた出版物を繰り返し読むことによって、そうした心境になれた──と、おふたりとも異口同音に語っておられましたが、まったく、そのとおりだと思うのです。私はふたりのお話を聞き、うれしく思うと同じに、やはりこれも地元の教会長さんを始め、幹部さん達の根気強い、ねばりのある「文書布教」の成果だと痛感したのであります。 (昭和47年05月【速記録】) 文書布教 三 私も、まだ霊友会の会員であったころ、機関紙を信者さん達に配布したものです。タブロイド版の新聞でしたが、それをただ届けるだけでなく、まず自分が目をとおして、「ここにいいことが書いてありすよ」とか、「ここのところはぜひお読みなさい」というように大事なところを教えてあげるのです。 これは非常にたいせつなことです。ただ、ばく然と届けただけでは、よく読まない人も出てくるでしょうし、どこをどうかみしめたらよいのか、わからない人もあるでしょう。どこをどのように読み、そのなかから何を汲み取って、どう実践するか、そこまで手をとってあげる慈悲の気持ちが幹部にはほしいと思うのです。 (昭和42年06月【佼成新聞】) ほんとうの布教は法座だけにあるのではありません。教学だけを学べば法が理解できるというものでもありません。法座も教学もたいせつですが、それに文書活動が加わり、相互に協力し一体となって活動を進めることによって、ほんとうの成果が期待できるものを考えます。法を説くことと機関紙誌やそのほかの文書を読み、その中から学ぶこととは表裏一体であることを忘れてはならないでしょう。出版活動は、布教活動に協力し、それを促進するためにあるわけですから、布教関係者と出版関係者の相互の緊密な連絡、協力は最もたいせつなことです。その意味で、出版活動の最先端にある出版会計(注・現文書布教部長)の使命は、きわめて大きく、重要なものです。支部長、主任などの幹部とともに布教の第一線にある、という自覚が望まれます。単に文書配布の責任者といった考えでなく、生きた布教を側面から推進する大きな使命を自覚して事に当たってほしいのです。機関紙誌を配布するにも、その内容を一般会員が充分にそしゃくできるよう、たえず、かみくだき、解説してあげる心づかいが必要です。熱心に法を求める人達の中でも、毎日、法座に出られるような人ばかりとはかぎりません。そういう人々にとって、文書は生きた布教師であり、指導者ともなります。少しでも法を理解しよう、と機関紙誌の配布されのを心待ちにしているかも知れません。そういう人々の求めに応じられるように、少なくとも文書を配布する人は、充分に法を認識し、法を説き、文書を生かすだけの力と慈悲心をもっていることが大事だと思います。このため、出版会計ばかりでなく、支部長、主任が相互に和を図り、一致協力する体制をつくってほしいと考えます。ほんとうの布教は、そこから出発するのです。 (昭和39年06月【佼成新聞】) 文書布教 四 入会してこられた人からよく聞くのは「立正佼成会の出版物を読んで、こういうすばらしい教団があることを初めて知った」という話です。私のところにはまた「印刷物を読んでほんとうに感激した。ぜひ入会させてほしい」といった手紙もたびたびまいります。 そういうことから考えますと、「人があまり熱心にすすめるものだから、気が進まないけれど」と言うようなことで入会された人は、いつしかまた抜けていってしまう一面を持っているのですが、出版物を読んで「立正佼成会はいい教えを説いている」と、自発的に入会してこられた人にはそれがまったくありません。何事があっても、教団の軌範にしっかりと沿って修行を続けるのは、そういう人達であります。 (昭和47年05月【求道】) 文書布教 五 およそ、物事を知ったり学んだりする方法には、「見る」「聞く」「読む」の三つがあります。読むと言うことになりますと、いつでも、どこででも、自分の知りたいことを、自由に学ぶことができるのです。三十分の時間があれば三十分だけ、一時間のヒマがあれば一時間だけ、好きなように読んでいいのですし、わからないところや、記憶したいところは、何度でも繰り返し、繰り返し読むことができます。 もっといいことは、読んでいるうちに心に強く感じ入ったことがあったら、そこでしばらく読むのを止め、その事柄についてアレコレと思いをめぐらしたり、深く考えてみたりすることができるのです。この思索ということは、精神的に成長するためにたいへんたいせつな頭の働きなのですが、講演・放送などを聴いている最中には、これができません。読書の際だけに許された特権だと言っていいでしょう。 テレビの普及によって、近ごろの人々は、単に「情報を知る」ことだけに満足している向きがあります。それも「見る」「聞く」という、どちらかと言えば受動的な、受け身の方法に頼りたがります。これでは「考える」という能動的な働きは育たず、世界でも最優秀と言われる日本人の頭脳もだんだんに衰えていくのではないかと心配されます。 こういうわけですから、せめて、本会の会員四百万人からでも、「読む」ことを大いに促進したいと思うのです。 (昭和47年07月【佼成】) 文書布教 六 小さな親切運動本部で出している雑誌に『小さな親切』というのがあります。この運動の提唱者であり推進者である茅誠司さんにお会いして以来、私はときどき、この雑誌を手にしますが、なかなかよいことが書いてあります。病気がちの隣人を世話した人のことや、電車の中でお年寄りの荷物を持ってあげた話、旅先に忘れたレインコートが無事に戻ってきてうれしかったということなど、小さな親切に向ける人々の努力や体験、または、それらをたたえながら紹介している文章が、短く、要領よく大勢の人達によってつづられているのです。それらはごく些細なことであり、あたりまえのことでもあります。しかし、読んでいるとほのぼのと心温まるものを感じますし、感銘させられることも少なくありません。私はこの『小さな親切』が菩薩道そのものであると思います。だれでもできること、だれでもしなければならないこと、しかし大勢の人がそれをしないでいる──そうしたことをみんなに呼びかけ、善行の輪を大きく広げていこうとする運動は「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」という七仏通戒偈の精神につながります。(中略)コミュニケーションという言葉は、もともとは、幾人かの人々が集まって「一つカマのめしをたべる」という意味であったそうです。とすると、コミュニケーションとは、別な人の耳や目にとどくだけでなく、独りの人間が他の人達と何かを共有して、共通の活動をすることであり、同時に、その人達の間の共通性を強化しようということになります。コミュニケーションを訳した「通信」の「通」の字にも、もともと「共同」という意味があったとされています。マスコミの典型である新聞は「作る側」と「読む側」があって、ニュースが一方通行するというようなあり方ではなく、このように本来は“みんなのもの”なのですから、編集者はできるだけ読者との一体感を持ち、読者はまた積極的に紙面に参加するという努力が必要なわけです。その意味で、佼成新聞が、月一回「読者のページ」を設けたり、毎号、ブロック版に、ひとことずつ読者が発言するコラムをつくっていることは非常によいことだと思います。私が佼成新聞を読むのは、主として会長室ですが、車のなかでも読みますし、家に持って帰って丹念に目をとおします。私の気持ちや願いが、どのように会員の皆さんに伝わっているか、ということと同時に、全国の教会や支部ではどのような活動をしているだろうか、支部長や幹部や、そしてまた会員のだれだれはどのような考え方をしているか、ご法をどのように受けとっているか、ということが佼成新聞を読むことによってわかります。ですから「布教随想」をはじめ、いろいろなコラムや支部長、幹部の発言は、他のおもな記事とともに、私もよく目をとおしています。吉川英治さんは、「自分以外は皆師」という謙虚な心で、生涯を送られましたが、その心が常に新しいものを作り、名作のかずかずを生んだのだと思います。 「立派な人の話なら聞こう」という姿勢ではいけません。乞食の話にも耳を傾け、そこから何かを吸収しようという心がけがたいせつなのです。佼成新聞に紹介される会員の体験や活動も、だれでもできるようなあたりまえのことが少なくありません。私が皆さんにお話しすることも、人間として踏み行なうべき当然のことばかりです。しかし、要はそのだれでもできることを毎日続けられるかどうかということにあります。卑近な例を引くならば、早起き一つにしてもそうです。朝早く起きることはだれにでもできますが、それを常に一貫して続け、きちんとご供養をし、そのすがすがしい気持ちで、一日を明るく過ごし「きょうも善いことをしたなあ」というあと味のよさで一日を終るということは、それほど簡単なことではありません。毎日を笑顔で過ごすこと、一日に一つ、何か善いことをすること、そうしたことも長く続けていくことによって、しっかりと身につき、いつのまにかその修行によって人格的にも向上してくるのです。精進とは「たゆみなく努力すること」で、繰り返し繰り返し行なって、悔いのない時間を過ごしていくことがたいせつです。きょうも一日楽しく送ることができた。有り難かった。あすも善いことをさせてもらおう───こうしたことの繰り返しが磐石の人生観を築く土台になるのです。前の晩、寝るときのしめくくりがよくできていないと翌日の出発もうまくいきません。朝起きるという、まことにささいな一事も、このように大きなことにつながっています。 (昭和42年06月【佼成新聞】)...
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...国際布教 一 「海外布教」ということがあります。しかし、その実践は、あくまでも本質的かつ漸進的でなければなりません。今の段階においては「相互理解」によってその基礎を固めることを本位とすべきでしょう。すなわち、「世界のあらゆる宗教の個性を認めながら、その奥にある共通の本義を理解する一方、素直な心でわれわれの信じている宗教の本義を広く発表し、またその実践を通じて世界の理解と共感を呼ぶ」ことに心がけるべきです。 (昭和39年01月【躍進】) 国際布教 二 去る(注・昭和43年)一月に国立京都国際会館で行なわれた《平和についての日米諸宗教者京都会議》において、私は冒頭の挨拶をしたわけでありますが、そのなかで私は、「人類平和という問題が今ほど痛切にせまってきている時代はなく、ヒューマン・ファミリー(人間家族)という言葉が現実になりつつある時代でもあるわけです」と述べました。〈人間家族〉というのは、全人類がひとつの家族のようにありたいという悲願をこめた言葉であります。 その席上、神道のほうの高原美忠さんは、〈八紘一宇〉という言葉の意味が誤解されていることを説かれ、「一宇というのは一つの家という意味であり、八紘一宇〈世の中が一軒の家のなかのように仲よくしていく理想〉を述べられたものである」と説明しておられました。 また、メソジスト派の僧正であり、先に行なわれたニューデリーの国際平和会議議長を務められたジョン・ウェスレー・ロード博士は、同会議の開会にあたってインド大統領フセイン博士のなされた演説の要旨を話されましたが、そのなかに次のような言葉がありました。 「この世紀の大きなチャレンジは、科学と宗教の進歩を利用して、世界をいかにひとつのものにするかにかかっている。われわれは、躊躇することなく世界連邦をめざし、世界の法律・世界連邦裁判所・世界警察により、各国の自治を尊重しつつ、同時に暴力と紛争を防ぐような道に進まねばならない」 その他の出席者の言説をも総合してみますと、ほんとうの宗教者や真に心のある人は、例外なく〈すべては一つ〉という理念を持ち、それを願いとされていることがわかるのであります。実際には、これからの世界は、この境地をめざして進まないかぎり、絶対に救われようがないのです。 こういう観点から見るとき、われわれ法華経に帰依する者は、これからの世界を建設し、これからの人類を救う、選ばれたる戦士であることがはっきりするのであります。 われわれの根本理念は、〈すべては一つ〉ということであります。われわれのビジョンの最大なるものは、〈世界の人類を一つの人間家族とする〉ことであります。 すべての現代人の心の隅には、〈一つの世界〉というものに対する希求が強く潜んでいるのです。見解の相違によって分裂し、利害の背反によって対立し、それらのために生ずる人間同士の抗争はついに果てることはないのではあるまいかという絶望感を、多くの人が懐いているのも事実です。 しかし、その絶望感の奥に、まだまだ一筋の希望は残っているのです。いつかはみんなが和合できる、いつかは仲のよい〈人類家族〉の理想世界がつくられる、そういったかすかな燈が消え去ってはいないのです。そのかすかな燈を、太陽のごとく燃えあがらせるのが、われわれ法華経行者の使命であります。〈もともと人間は一つの大いなるいのちに生かされているのだ〉という真理を示し、それゆえに〈その一つの大いなるいのちに帰命することによってみんなが一つ心になろうではないか〉というビジョンをかかげ、人類の進むべき正しい道をすべての人の心に確立するのが、われわれの務めなのであります。 (昭和43年04月【躍進】) お釈迦さまのような大宗教家は、二千五百年も前から、さまざまな教典の中で理想社会のビジョンを、はっきりと示しておられるのです。 たとえば、法華経の譬喩品の舎利弗への授記のお言葉の中で、「其の土平正にして清浄厳飾に、安穏豊楽にして天・人熾盛ならん。瑠璃を地となして、八つの交道あり。黄金を縄と為して以て其の側を界い、其の傍に各七室の行樹あって、常に華果あらん」とあります。 また、授記品においては、須菩提が仏となるべき世界の人民のありさまを「諸の菩薩多く、皆悉く利根にして、不退の輪と転ぜん。彼の国は常に、菩薩を以て荘厳せん。諸の声聞衆、称数すべからず」、「諸天・人民、数恒沙の如くにして、皆共に合掌し、仏語を聴受せん」とあります。 五百弟子受記品においては、富楼那が仏となるべき国土の人民を「其の国の衆生は常に二食を以てせん。一には法喜食、二には善悦食なり」と予言されており、そして、如来寿量品では、「衆生劫尽きて、大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして、天人常に充満せり。園林諸の堂閣、種々の宝をもって荘厳し、宝樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」とお示しくださっておられるのです。 私は、こうした人間の全的肯定・人間完成必定の教えである法華経を真底から信じていますので、常にこのような真・善・美・聖の具足した世界をビジョンとして描き、その実現を確信し続けているのです。ですから、時にはあまりにも楽天的過ぎるとか、現実離れした夢想家だ、などという批判を受けることもあります。しかし、私は、お釈迦さまのお弟子であるかぎり、法華経の行者であるかぎり、どこまでもこのような理想を追い、その現実化に努力していくのが仏教徒であると信じますし、私は、それを貫きとおしていく覚悟なのです。 私は昨年の暮れ(注・昭和52年)、シンガポールで開かれた「アジア宗教者平和会議継続委員会」に出席させてもらいましたが、その会議の最終日に、こんな話をさせていただきました。 「今、ここにアジアの宗教者が一堂に参集して、互いに心を開き合って平和のために献身するおのおのの役割を自覚され、真剣に努力されておられる姿は、神道で言うならば、やおよろずの神が高天が原に集まった姿、仏教的に言うならば、天人常充満の極楽の姿、キリスト教的に言うならば天使の舞う天国の姿、と言ってもよろしいでしょう。仏教で言う極楽とは一切の繋縛から離れた世界のことでありますが、アジアの平和、人類の平和のために献身される皆さんの姿が、私には天人の姿に見えるのです」 現代の人達が、とかく、あれも困った、これも困ったと、悪い面だけ、困ったことばかりをあげつらうのですが、それがとらわれた心であり、そうしたとらわれた心に極楽はないのです。(中略) こうした理想国・極楽浄土の姿は、現代人にとっては夢物語とした思えないかもしれません。しかし私は、これまで繰り返し繰り返し、それを申し上げ続けてきたのです。(中略)今、私はどうあるべきか”その決意一つで、こういう世界は必ず実現するのです。理想は、完全にそこへ到達したときに初めて実現するものではなく、そこへ向かって踏み出す第一歩から現実はすでに始まっているものなのです。 その出発点で、一番たいせつなことは、「仏さまが約束されていることは必ず可能なのだ、それを成し遂げる力を自分達ひとりびとりが仏さまから与えられてこの世に生まれてきたのだ」と信じ切ることです。それがほんとうに信じ切れれば、不思議な力がわいてくるのです。不思議な助けが現われるのです。ひとりびとりが信じ切って、一歩を踏み出したら、それはどれほど大きな力となることでしょう。 われわれが日々の信仰活動に励み、また「明るい社会づくり運動」や「世界宗教者平和会議」などに精を出すのも、すべてその第一歩なのです。光明と希望に満ちた第一歩です。 (昭和53年01月【躍進】) 国際布教 三 世界中の人々の心がバラバラになり、利己心と利己心をむき出しに、衝突させている現状を救うためには、大衆の心の指導者である宗教者のすべてが、まず、虚心担懐になって自分達の手を握り合わねばなりません。そして、世界はただ一つと言うことを、実践のうえにおいて、そのヒナ型を打ち出して見せなければなりません。 そうしてこそ、初めて世界の人々も納得し、心を動かしてくれるのであります。 このようにして、ひからびきった現代人の心に人間らしい潤いを回復し、譲り合い、許し合いの温かい精神を取り戻させることが、とりもなおさず神の愛・仏の慈悲を現世に実現するものであると信じます。それ以外に宗教の使命というものがどこにありましょうか。そして、宗教以外にそういう機能を持つものがどこにありましょう。 (昭和45年06月【佼成】) 国際布教 四 人間関係の出発点は、何よりもまず出会いということであります。出会いがあってこそ、語り合いも可能です。語り合ってこそ、お互いの理解も生まれます。理解し合ってこそ、信頼も生じ、愛情もわきます。そして、相互に信頼し、愛情によって結ばれるようになれば、そこに、おのずから強い協力の態勢ができ上がるのであります。 この出会い↓語り合い↓理解↓信頼↓愛情↓協力という人間関係の深められる順序を、われわれはそのとおり踏んだわけであって、それはたいへん迂遠のように見えますけれども、正しい順序であるだけに、必ず、将来の大きな成果の基礎を固めたものであると、私は確信するのであります。 (昭和45年12月【佼成】) 先日(注・昭和45年)、永平寺の副貫首で禅の最高峰のひとりであられる山田霊林老師にお目にかかる機会がありました。アメリカで五年間、布教された経験を持っておられ、老師を慕うアメリカ人もたくさんいると聞いていましたので、たまたま海外布教の話になったとき、「先生は英語も達者でいらっしゃいますから……」と申し上げました。すると、「言葉の問題ではありません。人を導くのは、何よりも自分の修行ですよ」とキッパリおっしゃったのです。(中略)まことにそのとおりでありまして、信仰というものは学問ではありません。教義を学び理解することもたいせつではありますが、それはまだ心に仏法の種子をまいたというだけの段階です。それから先のさまざまな修行がなければ、その種子は育たないのです。 (昭和45年04月【佼成】) 国際布教 五 日本は、これまで世界各国から富をも、文化をも吸い取るばかりで、相手に与えることをしませんでした。これからは心機一転して、施す立ち場にならなければなりません。何を施すのか。相手国の事情に応じて、あるいは物資を、あるいは資金を、あるいは技術をと、目に見える援助をすることも必要ですけれども、何よりたいせつな施しは法施ではければなりません。その法施の中でも最大のものは、全人類に真の幸福と平和をもたらす仏教の広宣流布でなければならないと確信するのであります。 そして、その聖なる任務を双肩に担っているのが、私ども、立正佼成会の会員にほかならないのです。 (昭和48年03月【佼成】) 従来は、宗教の行なう援助と申しますと、とかくチャリティ(慈善)といった、物だけの恵みとか、戦火の後始末が中心でしたが、今後は独立自尊の精神を植えつけ、農業開発に力を入れなければならないと思います。 見聞するところでは、援助物資と申しましても、中にはきわめて売名的なものもありますし、ただ物資を送りつけるだけで、現地の人々が真に望んでいるものが送られていなかったり、手渡されるべき、ほんとうに困っている人達には品物が届かず、それが横流しされている場合もあります。せっかく、日本から送られながら、実際には使えないために、雨ざらしになっている大量のカヤの山などもあると聞きます。 一九七〇年に、私がベトナムを訪れたときには、そういう片手落ちのことがあってはならないというので、南ベトナム解放軍の支配下にあるという地域まで入り込み、現地の農民に直接、物資を配った経験もあります。携行しました物資は、ごく些少なものではありましたが、ほんとうに困っている人達に直接、手渡すという、心の触れ合いと励ましこそがたいせつなのであって、物資の数量ではないことを、如実に体験しております。 とにかく、立正佼成会といたしましても、ここ当分の間は、従来どおり援助物資を送りはいたしますが、それにとどまらず、有為の人材を養成し、自立を助ける必要性から、カンボジアの医師ならびに看護婦を佼成病院および看護学校に招いて、面倒をみる手はずがすでに整っております。さらに、工業技術習得希望者を、立正佼成会の会員宅に数年の間、お世話いただいて、養成することも計画いたしております。 また、立正佼成会青年部の熱意ある青年を、ベトナム、カンボジアに立正佼成会が確保している各地へ派遣し、模範農場を建設してもらいたいとも考えております。これらの一連の計画のためには、開発途上国の困窮民衆救済と文化交流の促進を主な目的とする「開発途上国協力委員会」を本会のなかに設け、積極的に取り組んでおります。 (昭和47年05月【平和への道】) 化他行のない仏教は仏教ではありません。自分だけ救われればいいというような信仰は、エゴイスティックな信仰であり、きわめて低次元のものです。七月十二日付(注・昭和49年)の佼成新聞の〈私の信仰観〉という欄に中村元先生が「ラーマクリシュナが『宗教は、教義のうちにあるのではなく、他人への奉仕のうちにある』と言ったのは明言である。その究極の真理を、言葉で説いたのが、普遍宗教または世界宗教の開祖と呼ばれる人である」と書いておられました。(中略) なぜ、他人への奉仕が不可欠であるかと言いますと、他人のために尽くせば、第一に、自分の心が平和になります。明るくなります。と同時に、その奉仕を受けた人にも「有り難い」という温かい感情が胸にわいてきます。こうした美しい感情のやりとりが、お互いの人格を高める源泉となるのです。そして、初めは一対一であっても、それが一対三となり、十となり、それぞれの人が他人への親切行を行なうことによって十掛ける十となり、百掛ける百となるというぐあいに、奉仕と感謝の輪が広がっていきますと、いわゆる平和境が、だんだんと現実のものになってくるわけです。 (昭和49年09月【躍進】) 国際布教 六 一番たいせつなことは、すべての人の心に、人間の真の豊かさとは何か、という真の価値観を学びとってもらうことなのです。かけがえのない地球を生かしていく根本精神が示されている仏教の原理をつぎ込んでいくことなのです。 恐ろしい火宅で遊びほうけている子ども達を救い出すために、仏さまが羊車や鹿車や牛車を与えられたのも、尽きるところは一仏乗の精神をすべての人の心につき込むためでした。その一大運動を展開しなくては、私達のかけがえのない地球は救われません。そして、そのためには、だれかが、苦をもって苦を捨てようとばかりしている物欲中心の誤った価値観から離れ、自分さえ豊かになればいい、という考え方を捨てて、無私の奉仕の精神に徹して立ち上がらなくてはなりません。 とりわけ信仰を持った若い青年諸君こそ、地球を救い、人類を救う、この無私の奉仕に取り組んでいただきたいものです。 (昭和47年08月【躍進】) 今日の危機は“真実の仏法”によってこそ救われるのだという思いを深くするのです。それかあらぬか、世界の心ある人々は、渇した者が水を求めるように仏教を求めているのです。アメリカ・西ドイツ・韓国などから、私の著書を翻訳・出版したいという申し出がぞくぞくと来ていることからも、そうした渇望の一端をうかがい知ることができましょう。 (昭和48年03月【佼成】) 国際布教 七 お釈迦さまは、四十余年の布教生活の最終段階において、(中略)対立的存在を認めない、したがって(中略)闘いもない、真実最高の救われ方をお説きになったのです。それは「この宇宙は仏の世界だ。あなたも仏、隣の人も仏、みんなが仏。山川草木もみな仏。仏以外に何物もない」という悟りです。これを一仏乗の教えと言うのです。だれしもこの教えを聞いたら、一瞬、キョトンとしてしまうでしょう。「そんなバカな……」と思うでしょう。なぜならば、仏と聞けば、すぐお釈迦さまを頭に思い浮かべるからです。あらゆる徳をそなえた完全無欠の人間としてのお釈迦さまの像を心に描くので、「あのお方と自分が同じであるはずがない。ましてや山川草木も同じ仏だなんて……」ということになってしまうのです。 そうではなく、この場合の仏というのは宇宙の永遠のいのちということなのです。しかし、当時の一般民衆にとっては〈宇宙の永遠のいのち〉などという抽象的な言葉を使ってもおそらくチンプンカンプンだったのでしょう。そこで、ずいぶんご苦心なさって、「この私の本体」という表現をされたものと推察されます。そして、「目には見えぬ根源の本体においては、私もみんなと同じなんだよ」とお説きになったのです。 それでも、大部分の人はやはりこの〈仏〉という文字にこだわって、その奥の真実を悟らないままに、今日に至りました。今日でもまだ〈仏〉という文字にひっかかっている人がたくさんいます。しかし、その仏とは〈宇宙の永遠のいのち〉にほかならないのだと説明しますと、たいてい即座に理解してもらえるようです。 私は、「世界宗教者平和会議」などの関係で世界中の代表的宗教者と膝をつき合わせて会談する機会が頻繁にありますが、この一仏乗について話をしますと、さすがに、そんな人達はたちまち目を輝かせて、「ああ、それこそ人類を救う究極の教えだ」と感嘆されるのです。われわれが信奉している法華経は、この一仏乗の教えにほかなりません。それゆえ、私は「法華経こそ、国家や民族の枠を超えた世界宗教である」と確信しているのです。その確信が近来いよいよ深くなるのを覚えるのです。 (昭和51年01月【躍進】) お釈迦さまは、二千五百年も前に、全人類が真の幸せと、平和を得るための設計を法華経によって示されました。しかし、どうしてもほんとうの智慧をつかむことのできなかった人類は、長いあいだ無数の試行錯誤を繰り返し、苦悩の時代を過ごしてきました。そして今日に至り、人間総ぐるみの存亡の危機にさしかかることによって、ようやく真の目覚めの兆しを見せてきたのです。 今こそ時期であります。お釈迦さまの青写真により、世界平和の大建築を現実に打ち建てるべきときが来つつあるのです。そして、その急先鋒となるべき者がわれわれ法華経の行者であることは言うまでもありません。どうか右に述べた各条をジックリとかみしめられたうえで、新しい仏道修行への一歩を力強く踏み出していただきたいのです。二十世紀に生きた人間としての、真の役割を果たすために……。歴史に残る人類文化の大記念塔を打ち建てるために……。 (昭和45年07月【佼成】)...
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...儀式の意義 一 宗教法人法によりますと、宗教団体は、儀式・教義・布教の三つの条件を備えていなくてはならないことになっております。 (昭和39年04月【佼成】) 宗教においては、儀式というものが大きな役割を演じております。これは既成宗教、新宗教を問わず、荘厳な宗教的な雰囲気を醸成することにより、より精神的な面を高めることができるのであります。ある場合には、信仰の形式である儀式が内容を規制するほどの影響を与える場合もあると言い得ると思うのであります。 (昭和33年06月【佼成】) 儀式の意義 二 大聖道には、仏さまがいつもましまして、皆さまのひとりびとりに、人間の生活のルールを教えてくださっています。近代的ないろいろな装置が設けられているのも仏さまの荘厳なお住まいを、かたどらせていただいたためです。夏は冷房がきいて涼しく、冬にはまた暖房が入って体を温めることができるのですから、ここは極楽そのままの理想的な場です。しかもこの中には、教えが満ち満ちています。だから一度でもお参りに出かけて、仏さまの感化を受けますと、家に帰ったとき、皆さんはすでに如来さまになっていらっしゃるのです。そこで初めて、仏さまのお住まいである大聖堂の名に恥じない参拝者になれるのであります。 (昭和39年04月【速記録】) 「信は荘厳より起こる」と昔から言いますように、世界中どこの国の神社仏閣も、その時代、時代の建築の粋を尽くしてそれは立派なものが建てられています。そこか汚げな道場に出かけましても信心する気には、なかなかなれないものです。やはり荘厳さがあってこそ、信心が起こってくるのです。 (昭和51年06月【求道】) 立派な大聖道ができ、久遠本仏のご尊像をご安置申し上げたことによって、ここを訪れるかたがたの多くは、「信は荘厳より起こる」という言葉どおり、感激と言いますか、胸を打たれると言いましょうか、比較的に楽な教化ができると思います。 (昭和39年04月【佼成】) 精進を続けてこられた人達がこんなにもたくさん、この大聖道の中に満ち満ちていらっしゃいますと、信仰の霊気とでも言いましょうか、ここの漂っているのは何者をもこれを冒すことのできないすばらしいエネルギーであります。 (昭和42年09月【速記録】) 儀式の意義 三 人間は自然法に随順して欲望をコントロールしなければならぬ、という教えは、もはや反論の余地すらない大倫理であることが、(中略)ようやく人々にわかってきました。いや、倫理と言うよりは、もっと直接的な、人類が生き残る道であるということが身にしみてわかってきたのです。 ところで、そのコントロールの仕方を具体的に教えられたのが、ほかならぬ八正道であります。コントロールと言っても、決して消極的な抑制ではなく、人類の正しい生き方を軌道に乗せて、絶対幸福(成仏)への道を前進させる積極的な教えなのであります。ですから、これを日々の生活の上に実行していくことこそ、現代人の仏道修行の本筋であると、私は信じます。 もう一つ大事なことは、仏さまの悟りを〈無意識界〉にまでもしみ込ませて身につける修行を、決して怠ってはなりません。朝夕の礼拝・唱題・読経などがそれです。これを欠いては、宗教の宗教たるゆえんがなくなります。なぜならば、〈無意識界〉までが清まらなければ、人間は、決して苦からは解放されないからです。 (昭和45年12月【躍進】) 儀式の意義 四 「おそれる」という言葉は、おそろしいものに対してこわがるという感じを含んでおります。しかし「畏れる」ということと「恐れる」ということとは根本的に違うのです。前者の「畏れる」という言葉は神仏、すなわち宇宙の大生命であり、宇宙の真理である根本道理をうやまい、おそれるということであります。この見えざるものを畏れる心こそ、悪を行なおうとする心を抑えるものでありましょう。そしてこの見えざるものを畏れ、あがめる心をつくるものこそ宗教よりほかにないのです。神を拝み、仏を拝むということも、つまりこの「畏れる」──真理をあがめ、それに帰依し、真理に従う気持ちの現われにほかなりません。すべての人が、この心を持ってこそ美しい社会が生まれるのです。 (昭和42年11月【佼成新聞】) この間、ラジオを聞いていて、ドイツの大哲学者ヘーゲルが「根源をつきつめ、驚きを感ずる人間にならねばならぬ」という意味のことを言っているのを聞いてウーンと唸ってしまいました。お釈迦さまが菩提樹下で悟りを開かれたとき、「奇なるかな。奇なるかな。一切衆生ことごとく皆、如来の智慧・徳相を具有す」と思わずつぶやかれたと申しますが、お釈迦さまは、天地万有の根源が宇宙の大生命(仏性)であることを、この瞬間に悟られ、それが仏眼にアリアリと写し出されたので、「不思議だ、不思議だ」と驚かれたのです。 この驚きは、喜びに満ちた驚きです。物の根源をつきつめ、実相を悟ったときにおぼえる歓喜の驚きです。ヘーゲルが言った驚きも、この歓喜の驚きに違いありません。 アインシュタイン博士の言葉の「神秘に対して驚きと畏れを懐く」というのは、いわば入口です。だからと言って、決して低いのではありません。入口がなければ奥へは到達できませんから、これも実にたいせつな、尊いことなのです。拝む心もそれと同じで、神秘なものに驚きと畏れをおぼえて、われ知らず、それを拝む……これが入口です。 それからだんだん奥へ進みますと、まだはっきりとはわかりませんけれども、自分を生かしてくださっている大いなる存在を心のどこかに感じとるようになり、「有り難い」という感動が起こります。 西行法師の「何事のおわしますかは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる」というような気持ちです。そしてただ有り難いという純粋な感動を持って、その見えざるものに手を合わせるのです。ここまで来れば、拝む心も相当に深まっていると言えましょう。 そして、ついに到達する最奥の須弥壇、それが実相の悟りであり、根源のいのちの発見です。ここまで来ますと、言い知れない大歓喜とともに、その根源のいのちを拝まずにはいられなくなります。それがほんとうの拝む心であり、拝む心の極致だと思います。 (昭和48年02月【躍進】) どなたでも新年を迎えると“よし、今年こそ頑張るぞ”という気持ちを懐かれることと思います。ところで大小の差はあれ、祈りの対象となるものは一つの理想であると言えましょう。その理想実現のために座して祈っているだけではなんにもなりません。祈りとは正しい行動力を伴った現実への積極的な働きかけの中においてこそなされるべきものなのであります。 (昭和40年01月【佼成新聞】) 儀式の意義 五 私は、去る(注・昭和48年)十月二日に執り行なわれました伊勢神宮式年遷宮祭に、とくに招かれて参列させていただきました。午後六時を過ぎると、参道はすっかり夜の帳に包まれます。参道の二か所に、かがり火が赤々と燃えているばかりです。午後八時、いよいよご神体が旧正殿から新正殿へと遷御される式典が始まりますと、そのかがり火も消され、太古のままの浄闇そのものの世界となります。私は、闇の中を粛々と進む行列の後尾に従いながら、深い深い感銘を覚えたのです。 小さな理屈などはどこかへケシ飛んでしまい、民族の大祖をしのび敬う気持ちだけが惻々と胸に迫ってくるのでした。そして、千三百年の昔からこのような祭典が連綿と続いているとは、なんというすばらしいことかと、感に堪えなかったのでありました。 翌三日、新正殿で執り行なわれました奉幣の儀にも参列しましたが、その帰途、引きも切らず詰めかける一般参拝者の大群を眺めながら、ふと「日本人はまだ大丈夫だなあ」という気持ちが胸に突き上げてきました。なぜ大丈夫と感じたのか……と今、その思いを分析してみますと、つまりは、日本人にはまだ〈敬う心〉が大きく残っているからだ……ということだと思います。 (昭和48年12月【佼成】)...
佼成 1960年12月号 会長先生のご長男「庭野浩一」さん
【機関紙誌】
佼成 1964年12月号 庭野会長インドへ出発
【機関紙誌】
佼成 1968年7月号 常住坐臥に思う
【機関紙誌】
佼成 1970年1月号 時代に即した布教活動を
【機関紙誌】
佼成 1970年7月号 随想 日々新たに
【機関紙誌】
佼成 1991年12月号 日鑛先生、第二代会長に
【機関紙誌】
佼成新聞 1966年8月5日 浩一氏 絢子さん ご婚約おめでとう
【機関紙誌】
佼成新聞 1967年1月6日 ふたりで話そう
【機関紙誌】
佼成新聞 1967年1月27日 庭野浩一氏めでたくご結婚
【機関紙誌】
佼成新聞 1968年1月5日 ”若先生”庭野浩一氏の近況
【機関紙誌】
佼成新聞 1968年1月12日 盛大にご親教式典
【機関紙誌】
佼成新聞 1968年2月2日 大きくなってネ
【機関紙誌】
佼成新聞 1970年1月2日 庭野布教本部長に新年の抱負を聞く
【機関紙誌】
佼成新聞 1970年7月3日 法名「庭野日鑛(にちこう)」に
【機関紙誌】
佼成新聞 1970年10月23日 世界宗教者平和会議開く
【機関紙誌】
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