仏教者のことば59
唯一の権利--そしてこれは仏教徒にとって同時に義務でもある--は、仏陀が覚りに達するために歩めと教えた道(中略)、そして自分で歩んでみて真理であることに気づいた道を、万人の前に提供することに外(ほか)ならない。
C・…仏教者のことば22
新しく興ってくる西洋の思想は総合性をめざしているから、この新しい要求を満たす材料を仏教の真理の蔵から選び出すことを、むしろ希望するであろう。
C・ハンフレーズ・英国(仏教・原島進訳)仏教者のことば33
ほんとうに正しい信仰をもって来るならば、自然と自分はどこへゆくのだと、はっきり行手(ゆくて)がわかってこなくてはならなぬ。仰ぎ、伸びる気持、「自分はあそこへゆくのだな」という、目のあいた気持です。
友松円諦・日本(法句経講義)仏教者のことば46
絶えず善行を行なっていると、だんだん情緒が美しくなっていって、その結果、他の情緒がよくわかるようになり、それでますます善行を行なわずにいられないようになるのである。
岡潔・日本(春宵十話)仏教者のことば35
貴僧は、まだ女を背負っていたのか。
原坦山・日本(仏教布教大系)仏教者のことば68
アクのあるのを愛という。アクのないのを慈悲という。慈悲は平等であって、愛の方は区別がある。こっちが愛したかて、向こうが愛してくれなかったら、これは成立しない。けど、向こうがどうであろうが、言うこと聞いても聞かいでも、…
仏教者のことば23
才市やどんどこ、はたらくばかり。いまわ(は)あなたに、く(苦)をとられ、はたらくみこそ、なむあみだぶつ。
浅原才市・日本(妙好人浅原才市集)仏教者のことば26
畏れとは、人間を越えたもの、絶対者--神や仏--に対する畏怖心。一方、水、空気、光に対する畏敬の感情です。近代化はこの畏れをなくする方向に進んだ。ドイツの哲学者ニーチェによって、「神は死んだ」と言われたわけです。
東昇・日本…仏教者のことば24
この地上を全部牛の皮で覆うならば、自由にどこへでも跣足(はだし)で歩ける。が、それは不可能である。しかし自分の足に七寸の靴をはけば、世界中を皮で覆うたと同じことである。
河口慧海・日本(山田無文《手を合わせる》より)仏教者のことば14
聖者、人を駆(か)るに教網(こうもう)三種あり、いわゆる、釈・李・孔なり。浅深隔て有りと雖も竝(なら)びに皆聖説(せいぜい)なり。
弘法大師空海・日本(三教指帰巻上)仏教者のことば34
善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
親鸞上人・日本(歎異抄)仏教者のことば60
一切ノ法ハタダ道理トイウニ文字ガモツナリ。其外ニハナニモナキ也。ヒガコトノ道理ナルヲ、シリワカツコトノキワマレル大事ニテアルナリ。
慈円大僧正・日本(愚管抄巻七)仏教者のことば11
一日作(な)さざれば一日食(くら)わず。
百丈懐海禅師・中国(百丈清規)仏教者のことば31
念仏の機に三品(ぼん)あり。上根は、妻子を帯し家に在りながら、著(じゃく)せずして往生す。
一遍上人・日本(一遍上人語録)仏教者のことば17
ただ、わが身をも心をもはなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、こころをもついやさずして、生死をはなれて仏となる。
道元禅師・日本(正法眼蔵)仏教者のことば18
鉢盂(はつう)を洗い去れ
趙州禅師・中国(従容録第三九則)仏教者のことば36
実際の体験ある人の書はみな読むに価いする。いわんや実際の体験による信仰を述べたものはなおさらのことである。
清沢満之・日本(近代の仏教者)仏教者のことば21
人は阿留辺幾夜宇和という七文字を持(たも)つべきなり。
明恵上人・日本(栂尾明恵上人遺訓)