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心が変われば世界が変わる39
生まれ変わりは確かにある
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...心が変われば世界が変わる ―一念三千の現代的展開―(39) 立正佼成会会長 庭野日敬 生まれ変わりは確かにある 釈尊は転生を見通された 法華経は、序品の「彼の仏の滅度の後、懈怠なりし者は汝是れなり。妙光法師は、今即ち我が身是れなり」に始まって、第二十八品の「若し但書写せんは、是の人、命終して当に当に忉利天上に生ずべし」に至るまで、わずか二、三品を除いて(生まれ変わり)に関する文言のない品はありません。ましてや、歴劫修行(何度も生まれ変わって修行を続けること)によって、仏の境地に達するという思想は全巻に満ち満ちています。 これを教化のための方便と見る向きが現代人には多いようですが、そうではありません。人間のいのちは永遠不滅であり、従って生まれ変わりも確かにあるのです。お釈迦さまが、ご自身やお弟子たちの前世の身について語られるのも、やはり単なる方便ではなかったのです。無量義経に、世尊は六通(六種類の神通力)を具えたお方であったことが出ていますが、その一つの宿命通(しゅくみょうつう)というのは、人間の過去世のありさまを明らかに見通す超能力を言うのです。 お釈迦さまの言行を比較的忠実に収録したと言われる南伝の経典にも、方々にそのことが見受けられます。例えば、長部経典の大般涅槃経に、阿難が那提迦という村の信者たちが死後どうなったかを世尊にお尋ねしたのに対し、これこれの者は天に生じ、これこれの者は一度だけ生まれ変わって苦の人生を体験し、それを最後に浄土の人となった……などと、一々について詳しく答えられたことが出ています。 また、同じく迦葉獅子吼経には、異教の行者迦葉の質問に答えられて、「迦葉よ、我、清浄にして超人的なる天眼を以て或る弊穢生活の苦行者が、身壊命終の後、悪生・悪趣・悪処・地獄に生ぜるを見る云々」とハッキリおおせられています。世尊が卓越した力によって人間の転生の過去・現在・未来を見通しておられたことが、これらの事例でもわかります。 現代の精密な調査の結果も 無理に信ぜよなどとは申しませんが、現代になって、生まれ変わりが確かにあることが、学者たちの研究発表などを報じた記事でよく見かけます。最も有名なのは、アメリカのバージニア大学教授イアン・スティブンスン博士の研究で(世界各国から生まれ変わりの事例を集めたところ、一九六六年には六百件集まり、一九七三年には二千件に達した)、その中の二百件について博士は同僚研究者と共に直接調査しました。もちろん本人にもインタビューし、周囲の人々にも会い、前世の身が生活していたという場所にも行き、そこの住民たちの話も聞き、細大漏らさず調査したのです。 その結果、証拠が十分で疑う余地のほとんどないものが四十件あり、博士はその中の二十件をアメリカ心霊調査協会会報に発表したところ、科学者たちからも高く評価されました。それからさらに追跡調査を続け、八年後に改訂版を(前世を記憶する二十人の子供)という書名でバージニア大学出版局から刊行し、日本語訳も叢文社から出ています。参考のために、二、三の事例を紹介しましょう。 現存の人物が実証した事例 インドのチャタラプール地方大学の●〔植〕物学講師として現存するスワーンラタ・ミシュラ女史がまだ三歳半の時、教育者であった父に連れられて当時住んでいた町から遠く離れた大都市へ遊びに行きました。その途中、カトニ市という町に入った時、その幼児は突然、運転手に「あたしの家の方へ行って!」と言い出しました。また、その市内で休憩してお茶を飲みましたが、その時にも彼女は「あたしの家に行けば、もっとおいしいお茶が飲めるのに」と残念そうに言うのでした。 それがきっかけでスワーンラタは、変なことを口走るようになりました。自分は、前世ではカトニ市のパサク家の娘で、名前はビヤと言った。結婚して息子が二人いた……と言い、その名もはっきり告げるのでした。また、パサク家は白色の建物でドアは黒、ドアには鉄のかんぬきがしてあった。フロント・フロアには石板が敷き詰めてあり、家の後ろに女学校があって、すぐ近くに石灰工場と鉄道線路が見えた。わたしはノドに病気があって、ジャバルプールのナピ町のS・G・バブラット医師の手術を受けた……などと語るのでした。 それを伝え聞いた心霊研究家のバナージーという人が調査を始め、「鉄道線路と石灰工場が見え、近くに女学校のある白い建物」という言葉を頼りにパサク家を探し当てました。ところが、家の内外の様子はスワーンラタの言と全く符合し、当主のプラサド氏に会っていろいろ話を聞いたところ、その姉だったビヤの生涯がこれまたピッタリだったのです。ただ違うところは、病気が心臓病だったことと、医師の名がバブラットではなく、バラットであったということだけだったと言います。それは霊魂の些細な記憶違いだったろうとされています。(つづく) 仏立像頭部(タンジョール出土) 絵 増谷直樹...
心が変われば世界が変わる40
業の法則を実証する転生
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...心が変われば世界が変わる ―一念三千の現代的展開―(40) 立正佼成会会長 庭野日敬 業の法則を実証する転生 生まれ変わりの経過は では、生まれ変わりはどういう経過で行われるのでしょうか。人間が死んで肉体は分解しても、魂は肉体から離れて存在し続けると言われています。そしてもしそれが未純化であり、再び人間として修行をする必要のある魂ならば、その進化の状態にふさわしい夫婦の肉体を借りて母の胎内に宿り、新しい苦の人生を体験しつつ魂の進化を続けるものとされています。ですから、肉体のいのちは父母および先祖代々から受け継ぐのですけれども、魂ははるかな前世から自分のものであり、未来永劫に至るまで自分のものであるわけです。自分のものというよりは、自分自身そのものなのです。 仏教で説く業の思想もこれから出たものである。法華経の歴劫修行(何度も何度も生まれ変わって修行を続けること)によって、人格の完成へ向かうという思想も、やはりここから出ているのであります。 文化勲章受章の電子工学の世界的先駆者岡部金治郎博士は、科学者の目をもって魂の問題と生まれ変わりを研究している方ですが、その著(人間死んだらどうなるか)に、こう述べておられます。「……子供の魂は両親のそれらにはまったく関係のない外来のものであって、ある時期に宿ったことになる。その時期はよくわからないが、おそらく胎児になるかならないかのとき、すなわち、受精卵が胎児になろうとするころではないかと思われる」 また、その改訂版(人間死んだらこうなるだろう)には、次のように結論づけておられます。 「人間を含むすべての動物の主体は、魂であって、肉体は、魂が、その精神的機能を発揮するのに必要なものではあるが、主体ではない。魂から見れば、肉体は、新陳代謝によって絶えず変化している流れ者であり、またよそものであるといえよう」「人間死ねば肉体はもちろん滅亡してしまうが、しかし主体である魂の核は、単に状態が変わるだけである。すなわち活性状態から非活性状態に変わるだけであって、魂の核は生き通しのものであろう」 法華経に説かれる業報 法華経の譬諭品や勧発品に、この経を信ずる人を嘲笑したり、憎んだりする者が次の世でどんな業報を受けるかがさまざまに説かれています。人間に生まれ変わっても、諸根暗鈍であるとか、もろもろの悪重病をもって生まれる等々とあります。反対に、この経を素直に信受し、法の如くに行い、広く人に説くような人は、後の世にも善処に生じ、道を以て楽を受け、人間に生まれても利根にして智慧あり、人相も円満具足しているであろう……等々と、薬草諭品、随喜功徳品その他にいろいろと説かれています。 これらを、たいていの人は、戒めのための方便のように受け取ります。もっと悪意をもって、我が田に水を引く言葉だとか、脅迫的言辞だとか言う人もあります。それは、いずれも短見であって、業の法則・転生ということからすれば、まことにそうあるべきことなのであります。 一八七七年にアメリカのケンタッキーで生まれたエドガー・ケーシーという人は、ふとしたことから催眠状態に入って人々の前世の姿を透視する能力を得、それによって病気を治すいろいろな指示を与え、多くの人を救いました。ケーシーが透視した生まれ変わりの例は、二千五百件に及び、心理学者のジナ・サーミナラ女史がその転生例から、病気、結婚運、職業能力、家族構成等の前世的原因を分析して(超心理学が解明する転生の秘密)という著書にまとめ、全米的に評判となり、日本語訳も(たま出版)から出ています。 その本を読みますと、右に引いたような法華経の文言がなるほどと納得できる例がたくさんあります。 前世で人を水に浸した報い 例えば二歳の時から毎晩寝小便をする子がいました。母親は普通の医者から精神科医にまでかかって手を尽くしましたが、いっこうによくならず、とうとう十歳を迎えました。たまたまエドガー・ケーシーの評判を聞いた両親は、相談に行きました。ケーシーが催眠に入って透視したところ、その少年の前生は、アメリカ初期の清教徒時代、つまり魔女裁判がよく行われていたころの福音伝道師で、魔女の容疑を受けた者を椅子に縛りつけて池に沈める刑を積極的にした人であることがわかりました。人を水浸しにしたその報いが夜尿症となって現れ、自分が毎晩水浸しになったわけです。 ケーシーは、(椅子浸し)などという刑があったことなど全然知らなかったのですが、百科事典を引いてみて、自分が透視した事柄の意味を知り、少年が眠りに入る前にある暗示を与えるように両親に指示しました。その指示のとおり、母親は子供のベッドのそばに座って、低い単調な声でこう話しかけたのでした。「あなたは親切で立派な人です。あなたは多くの人を幸福にするでしょう。あなたはつき合うすべての人を助けるでしょう。あたなは親切な立派な人です」。同じ意味のことをいろいろな言い方で五分から十分ぐらい、子供が眠りかけたとき繰り返しました。 すると、その晩、九年越しの寝小便のくせはピタリとやんだのです。それから数ヵ月間、母親はその暗示を続け、その間一度も寝小便をせず、次第に一週に一回の暗示ですむようになり、遂にその必要もなくなったというのです。サーミナラ女史は、この暗示について、大切なのは「寝小便ををしてはいけない」という肉体的意識に呼びかける暗示ではなく、霊的意識ともいうべきものに暗示が向けられたことである……と述べています。 もちろん現実の生活はいろいろな要素が錯綜していますから、直ちにそのまま現れないことが多いものです。だからといって、タカをくくっていてはいけないのであって、魂には善因も悪因もそのままピシリと記録されるものと知らねばなりません。(つづく) 侍者像・婦女形(法隆寺) 絵 増谷直樹...
心が変われば世界が変わる41
心を変えて世界を変えよう
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...心が変われば世界が変わる ―一念三千の現代的展開―(41) 立正佼成会会長 庭野日敬 心を変えて世界を変えよう 宇宙法に合致した大道を 今まで、数十回にわたっていろいろとお話をしてまいりましたが、とにかく、長い信仰生活を続けておりますと、仏法に不思議なしとか奇跡はないなどと申しますものの、不思議なことに出合うものであります。もちろん、それが信仰の目的ではないにしても、「なるほど、霊魂は不滅なんだなあ」といったことや、単なる常識では推し量れないような結果に遭偶して、驚かされることがあります。それはそれで素直に信仰しておりますと有難く納得できるものであります。臨終の状態から蘇生した話とか、その間に霊界らしきところに行ってきた本人の報告などを聞くことはたびたびあります。こうしたさまざまな話によって、宗教の説く教えの中で最も信じ難い(人間生き通し)ということも、ほぼ納得されたことと思います。 そこで、これまでに研究してきたことをまとめて、結論を出すことにしましょう。 一念三千の法門は、つまるところ、人間の心はどうにでも変えることができるもので、心を変えることによって仏界から地獄界までどこへでも行ける可能性があることを教えたものです。では、われわれは自分の心をどのように変えたらいいのでしょうか。一言にして言えば、真・善・美・聖の方向へもっていく努力をすればいいのです。それが、宇宙法に合致した人間の生き方の大道であるからです。その宇宙法とはどんなものか。根本の根本を言いますと―― (1)人間を含めたこの世の万物万象は、宇宙の大生命が具体的な形をとって現れたものにほかならない。従って、万物万象は元はただ一つであり、すべては同胞である。 (2)人間を含めた万物万象は、現象の上では必ず変化し、生滅する。しかし、その奥にある生命エネルギーは、宇宙の大生命の分流であるから永遠不滅である。 (3)人間を含めたこの世の万物万象は、一つとして孤立しているものはなく、すべてが相依相関、持ちつ持たれつ、生かしつ生かされつしながら共生しているのである。 真・善・美・聖をめざして (真)というのは、このような宇宙法そのものであり、最も大きな意味の真理であります。 (善)というのは、このような宇宙法に合致した心のもち方や行動をいうのです。日常生活における善・悪は、時代や民族によって異なることも多々ありますが、この根本は不変なのです。特に(万物は持ちつ持たれつして存在している)という真実に合致する心ばえや行動が善、それに反する心や行動が悪であると断定していいでしょう。 (美)というのは、このような宇宙法に合致した自然現象や人間の造出物に対して、直観的に起こす快い純粋感情です。そういう感情を起こす最大原因は、(調和)であると言われていますが、もともとこの宇宙が大調和の世界であるからには、その一部分である個々の現象においても(調和)こそが美の根源であると言っていいでしょう。 (聖)というのは魂が清まった状態を言います。真・善・美より、さらに高次元の心霊の世界において、高い完成度を示している状態です。われわれは、この聖の世界にこそ人間の本当の価値があることを悟り、その世界にあこがれ、そこに安住したい、と望まなければなりません。聖の世界こそが、人間の達すべき最高の境地なのです。 この境地に達するためには――生まれつき純粋に素直な心をもつ人は別として――宗教によるよりほかに道はありません。宗教の教えを学び、行ずることによってこそ、こうした本当に人間らしい、価値ある人間になることができるのです。 まず布施を行ずることから と言えば、大変難しいことのようですが、あながちそうでもないのです。前(三十七回)にも述べましたように、大乗仏教では在家の信仰者の心得の第一に「理屈はあとでいいから、まず布施を実行してごらんなさい」と教えています。布施というのは、いろんな形で人さまのために尽くすことですが、そのような行いをしますと、なんとも言えぬ快い気持になります。その気持は、物質や肉体に即した快感と違って、心が洗われるような快さです。つまり、魂が喜ぶのです。心霊が清まった喜びです(なぜ、そんな気持になるかと言えば、人さまに尽くす行為は(万物は持ちつ持たれつして存在している)という宇宙法に合致しているからです)。 現代人はあまりにも物質にとらわれた生活をしているために、この魂の喜び、心霊の清まりの快さというものを忘却し去っています。物の獲得に狂奔すれば当然の成り行きとして、他はどうなってもいいという利己心が増長し、その利己心と利己心が衝突して争いが起こり、心の安まることはありません。その争いが国家規模に拡大すれば戦争となり、獲得に狂奔した物も、金も、地位も、そして生命までも、無に帰してしまうのです。なんという空(むな)しいことでしょう。 今や、人類はそのような危機に直面しています。この危機を救うのは(人間の心)を(物に即した喜び)から(魂の喜び)へ、と転換させるほかに道はないのです。「一九八〇年代は宗教の時代である」と叫ばれているのは、そうした意味にほかなりません。 幸い仏教は、科学時代の今日の人々にもよく理解できる教えです。宇宙法にぴったり合致した教えです。多くの人がこの教えを本当に理解し、その一端でも(先に挙げた布施だけでも)行ずるようになれば、世の中はガラリと変わってくるはずです。(心が変われば世界が変わる)というのは、このことなのです。この大転回をめざして、われわれ仏教徒は不惜身命の働きをしなければなりません。それがわれわれ自身を生かす道でもあるし、日本という国を生かす道でもあるし、人類全体を生かす道でもあるのです。(おわり) 臼杵の石仏 絵 増谷直樹...
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