開祖さまご法話テキスト『求道』 1986年 
日鑛先生名誉哲学博士号記念祝賀会(第二部)

  •  今日、お祝いということだが、どんなことになるのかと思って、ちょっと様子が分らずに案内されるままに入ってきたのだが。
     まぁそして、せがれをみんなで盛り立ててくれて、どんなことになっているのかなあと、まぁ一抹の不安もあったわけです(笑)。
     皆さんの前で酒を飲んで歌を歌えと言われて、歌えるようにならないと、指導はできません。
     うちのせがれは、人さまの前で、皆さんがせっかく盛り上がって歌えという時に、歌えるのか歌えないのか、少々心配をしておったわけであります。ところが、皆さんが要望をしたら出てきた。そういうことが大事なんですよ。(拍手)

     皆さんも自分の子供が自分の親のやっている信仰が、信仰者としての価値があるように見てくれておるか。子供のほうは、親爺は佼成会へ行ったら少しは自分の意見は通るかも知れないけれども、世間には通らないというようなことで、子供が後ずさりをしているような信仰では駄目だ。ですから、せがれや娘が、親爺のしている信仰を、本当に『ああいうふうになりたい』『ああいうふうな気持ちで信仰していきたい』、信仰は一生のものです。ですから、『もう飽きた』ではいけない。始めてしまったらもう、最後まで頑張らなくっちゃ。(笑・拍手)

     人様に喜んでもらうことがあるなら、何でもやると。そういう、この捧げる気持ちがなければ駄目なんですね。(拍手)人様にだけ精進させてですね、『ああせい佼成(こうせい)会』で、やかましいことを言っておるけれども、自分では一向に努力をしない、そういうことでは人はついて来ません。ですから人様がハヤしたら、裸踊りでもヤル。(笑・拍手)そういう気持ちでなければね、人様がね、本当に裸になって本当のことをお互いが語り合う。今の宗教の一番大事なのはね、そのお互いに対話がスムースに行くか行かないかということなんです。ですから法座の修行が本当に徹底してうまく行っているかどうか。聞きたい人がですね、こういう問題に対して、これをひとつご指導願いたいということに対して、そのかたに『なるほど』と納得する対話ができなければ。対話をするというのは、皆さんが要望したら自分のできることは何でも全部さし上げる、そういう気持ちがなければならない。(拍手)

  •  私は佼成会の最初の頃は、
     お茶を飲ませて、お茶を飲んでシラフで『さぁ、皆さんの前で歌を歌いなさい』と言ったらすぐ歌える人でなければ支部長にしない。(拍手)毎日、道場で歌を歌ってもらっていちゃあ困るけれども。(笑・拍手)そんなことはありっこない。そこで皆さんの要望でですね、せっかく盛り上がって、さあここで教会長さん歌って下さいという時にね、全然歌えないということだと、それでは皆さんがついて来ない。そういう時には下手でも上手でも、ありったけの声で…。(拍手)
     人様を導くというのは、自分が導かれるので、皆さんの要望に自分が沿って行くというのは、自分が導かれているということなんです。お互い自分の思うところの線に沿っていけばね、そういうためには自分がありったけのことを捧げるという真心がなければいけない。

     もう私どもの時代、明治の時代ではね、関東で酒を飲んだら都々逸をやらなくちゃいかん。
     それで十七歳で東京へ来てですね、私の主人がもうお神酒を一杯つけて、私に一杯飲めというので飲ましてくれる。二人で一本飲むと都々逸が出るわけです。そして一日のこの疲労をですね、一杯飲んで、それからお風呂屋へ飛んで行ってお風呂へ入って、それでパァーッと発散して明日また早朝に備える。こういう生活を私はしたわけです。その時に初めて東京へ来て都々逸というものを主人に教わったんです。商売も教わったし歌も教わったし、私はもう、人様が教えてくれるなら喜んで習うというほうだから、それで今日になっているわけだ…。
     それじゃ都々逸を三題歌わしてもらいましょう…。(拍手)