開祖さまご法話テキスト『求道』 1986年 
日鑛先生名誉哲学博士号記念祝賀会(第一部)

  •    神さまのお告げが今実現しつつある

     本日は、このようのお祝いをして頂くということは私は知らないで、教会長さん達がお集まりになっておるからというようなことで伺ったら、こういう立派のお祝いをして頂くということで、そこに樽の大きいのが並べてあるので、『こりゃあ一体、何事だ』と、そこへ入ってきてびっくりしたようなわけであります。
     今、日鑛が申し上げたような順序、また理事長さんがこのことに対して懇切にご説明頂いて、ここへ入ってきた私は、何も知らずにきて、そういう準備であったのかと、そんなことでありますが、問題は、お互いさまに宗教者が現在の世界の状態の中で、宗教者の対話という、話し合いということ、胸襟を開いて本当に真剣に話し合うという人間のする仕事の大切なこと。神様・仏様のほうでは、私どもに関係なしにもう話し合いはできていらっしゃって、そしてこういうお手配まで下さる時代になってきたということであります。
     そこで我々、宗教に関係する者は、キリスト教だ仏教だというので教派に執われているようなことなく、本当の神様・仏様のみ心に従って、世界中の宗教が対話をして、そしてそこから間違った戦争というようなことの起こってこないようにしなければならない。そういうことが私、感ずるところ、昭和四十年でありまするから、今年になりまするともう二十年であります。二十一年目になったわけですから、その二十一年という間、法王様がその公会議において説明をされたことを『本当なのかな。そういうことならキリスト教と仏教が手をつないでいくことはやぶさかではない』と、そのようなことを考えて、そうしまするとその五年後の一九七〇年、昭和四十五年を期して、インドのガンジー翁の無抵抗主義、というこの主義を通じて、近代の最も優れたマハトマ・ガンジー翁の無抵抗の平和を願うところの宗教者の考えというものがどうしても必要ではないだろうか、これを言い出したのはアメリカのユニテリアンの先生がたで、そういう先生がたがそういうことを言い出してきたのが、本当は一九六八年ですから、昭和四十三年ですね。昭和四十三年の正月にそういうお話が出たということは、この公会議から二年経った三年目の正月になったらそういう問題が起きてきたと、こういうことになるわけでございます。
     そのことが段々と実ってガンジーの生誕百年ということのその大きな行事として、世界宗教者の平和のための会議をやりたい、やろうじゃないかということがアメリカと日本の宗教界、インドの宗教界、まあこの三国の宗教者がまず立ち上がりまして、世界中のあらゆる宗教にそのことを訴えて、本当の話し合いをする気になってもらえないか、ということで世界中のかたに呼びかけて、三十九ヵ国のかたが集まって七十年の京都会議というものができたわけでございます。

  •  それまでは、宗教というものは自分の宗派以外の宗教というものはもう見るに忍びないような、必要のないもののように考えておった。ところが、法王様がこのことを呼びかけられて三年目にしてこのことが始まり、五年目にして世界宗教者の本当の語り合いという、宗教者の話し合いというものができたわけでございます。そういうことで、今日になりまするとそれからまた十五年を経て、もう十六年目になったわけでございますが、そういうことでこの運動が始まりましてからもう十八年でありまするけれども、そういう年月を経て、そしてその活動というものはどこまでも宗教者ということでありまするので、一人のものが有難いと思っていることは大事ではございまするけれども、それだけでは意味がないので、その宗教を信奉しているものが全部がそういう気持ちになって活動をしなければならないのであります。そういうところに、特にローマのカトリックでは、在家仏教という、この在家の活動というものに非常に比重を重く見ておるわけであります。そういう意味では佼成会の活動というものは、このように一遍に世界に解って頂くというようなことはなかなか至難の業だと思ったのでありますが、これが既に昭和十三年に会が始まって、十五年のちょうど今ぐらい、五月ごろですか、妙佼先生が目の病気に罹った。ちょうどその時に『どうしてこのようなことになったか』ということで神様にお伺いすると、『佼成会の御旗を作れ。目を出さないからだ』。佼成会の目というものは、あの異体同心・天壌無窮の中央にお題目を書いた旗でございます。『佼成会の旗を作れ』ということで、神様のお告げがあった。そしてそのお告げは、やっぱりこの『天壌無窮・異体同心の御旗を旗印にして、世界万国に立正佼成会を元として法華経が広まるのである』と、こういう神様のご指導があったのであります。それがまさにそのことが順々に浸透してきておるわけであります。

  •  そういう意味で、今度のローマと佼成会というだけじゃなしに、全世界の宗教がそういう風の考え方をしなければ本当の宗教の本質、本当に実行したとは言えない、ということになってきたわけでございます。これはですから、私が先程申し上げたように、神様・仏様のほうではもうご相談ができておって、こうあるべきだということをお示しになっておるんですが、凡夫は解らないためにモタモタしておりましたけれども、順々にそのことが表にキチンとこういうふうに形に現わして、サレジオ大学から学林の学長をしている者に博士号を贈ろうなんていうようのことは、二十年前には、そんなことは全然考えてもいなかったことでございまするが、そういうことが現われてきたということは、もう今より四十五年も前に、この会が始まったばかりのころに、神様のお告げがあったことが、今、実現している、とこういうことで、不思議のことでもないようにも考えるのでありますが、我々が本当にその気持ちにならなければ、本当の、その成果というものは現われてこない。
     いよいよこういうふうになりまして、世界的に見て頂く、世界中の宗教者が注目している在家仏教教団・立正佼成会であります。そういう意味で、在家のものが、在家の出家という言葉を使って活動を始めたものでありますから、在家であるけれども、心は出家の気持ち。自分の家(うち)にとらわれておらないで、自分の家を忘れて人の家の幸福のために活動する、とこういうような在家の出家というこの活動を皆さんが頑張ってして下さった。そのお陰で、外国のかたまでが在家仏教というものの在り方、そして大乗仏教というものの教義、そのものに最近では世界中が目を開いてくれ始めたわけであります。
     そういう意味でこれは、我々はおろそかにしていられない。本当に真剣になってこの在家仏教の本義を現わさなくちゃならない。こういう時期になったと思います。どうかそういう意味で、旧に倍してひとつ、今年という年にこういうひとつの出来事が、またここに節があったわけであります。皆さんのご精進を、くれぐれもお願いを申し上げまして、皆さまがたが本当に一人ひとりの手を取って、そして在家の本当の成仏、家庭の成仏ということに向かってご指導して頂くようにお願いを申し上げまして、ご挨拶に代えます。
     有難うございました。