本日は妙佼先生の二十七回忌の法要にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。
妙佼先生のご指導というものは、身近におった人たちでも、その時には、なかなか理解できないこともあったようです。意味の深いご指導が多かったのであります。
妙佼先生のお言葉を一遍に理解して実践できたような人であれば、法華経行者としての手本となるわけであります。
しかし、ほとんどの人がややもすると抵抗を感じ、なかなか素直に受け取れなかったのです。妙佼先生のご本懐に叶うには…
経典の中に『仏を見たてまつる者には、為に仏には値い難しと説く』と説かれてありますように、妙佼先生がお亡くなりになって年月がたてばたつほど、先生のご在世中のご苦労が浮き彫りになってまいります。
そしてまた、いろいろな現象を見せていただいたことによって、現在では妙佼先生が率先して実践された教えを、忘れようとしても忘れられない、怠けようとしても怠けるわけにいかない、という責任が自分にあるのだという気持を、皆さまがもっていただけるようになった、と思うのであります。
本日、私は皆さま方と共に妙佼先生のご冥福をお祈りするだけではなく、自分自身がその使命を果たさせていただこうという気持で、妙佼先生のお気持を体して、そのご本懐に叶うためにどのように行ずればよいか、ということを思わせていただくのであります。
かつて、妙佼先生を通じて「立正佼成会を基として法華経は世界万国に弘まる」というご神示があったわけですが、その当時はなかなか信じることができませんでした。
ところが今日では、「大乗仏教が生きているところは、日本である」と世界の方々が認めておられ、同時に佼成会に大きな期待が寄せられているのです。仏の一大事因縁を理解する事が
では、仏教の真価はどこにあるのかと申しますと、それは、『方便品』の中の「一大事因縁」に説かれてあります。
そこで、私たちはこの「一大事因縁」を理解することが大切になってくるわけであります。
つまり、「仏の一大事因縁」とは衆生に仏知見を開かせ、仏知見を示し、仏知見を悟らせ、仏知見の道(どう)に入(い)らしめんがために、仏さまは世に出現されたということです。
信仰は、一遍に理解することはなかなか難しいことです。
しかし、仏さまのお説を拝聴させていただきますと、最初に方便を説かれ、そして順々に教えを説かれて、最後に真実をお説きになられた。この真実が、法華経ということでありましょう。
妙佼先生の半生は、〝慈悲の生涯〟と言われますように本当に慈悲深く、その慈悲の故に厳しいご指導もあったわけです。
そして、さまざまな方便を使って信者さんを指導教化されたのです。
それは、「教えのとおりに実践すれば、だれでも幸せになれる」という慈悲の心の表れであったわけです。本日は妙佼先生の二十七回忌の法要にご参列いただきまして、誠にありがとうございます。
妙佼先生のご指導というものは、身近におった人たちでも、その時には、なかなか理解できないこともあったようです。意味の深いご指導が多かったのであります。
妙佼先生のお言葉を一遍に理解して実践できたような人であれば、法華経行者としての手本となるわけであります。
しかし、ほとんどの人がややもすると抵抗を感じ、なかなか素直に受け取れなかったのです。妙佼先生のご本懐に叶うには…
経典の中に『仏を見たてまつる者には、為に仏には値い難しと説く』と説かれてありますように、妙佼先生がお亡くなりになって年月がたてばたつほど、先生のご在世中のご苦労が浮き彫りになってまいります。
そしてまた、いろいろな現象を見せていただいたことによって、現在では妙佼先生が率先して実践された教えを、忘れようとしても忘れられない、怠けようとしても怠けるわけにいかない、という責任が自分にあるのだという気持を、皆さまがもっていただけるようになった、と思うのであります。
本日、私は皆さま方と共に妙佼先生のご冥福をお祈りするだけではなく、自分自身がその使命を果たさせていただこうという気持で、妙佼先生のお気持を体して、そのご本懐に叶うためにどのように行ずればよいか、ということを思わせていただくのであります。
かつて、妙佼先生を通じて「立正佼成会を基として法華経は世界万国に弘まる」というご神示があったわけですが、その当時はなかなか信じることができませんでした。
ところが今日では、「大乗仏教が生きているところは、日本である」と世界の方々が認めておられ、同時に佼成会に大きな期待が寄せられているのです。仏の一大事因縁を理解する事が
では、仏教の真価はどこにあるのかと申しますと、それは、『方便品』の中の「一大事因縁」に説かれてあります。
そこで、私たちはこの「一大事因縁」を理解することが大切になってくるわけであります。
つまり、「仏の一大事因縁」とは衆生に仏知見を開かせ、仏知見を示し、仏知見を悟らせ、仏知見の道(どう)に入(い)らしめんがために、仏さまは世に出現されたということです。
信仰は、一遍に理解することはなかなか難しいことです。
しかし、仏さまのお説を拝聴させていただきますと、最初に方便を説かれ、そして順々に教えを説かれて、最後に真実をお説きになられた。この真実が、法華経ということでありましょう。
妙佼先生の半生は、〝慈悲の生涯〟と言われますように本当に慈悲深く、その慈悲の故に厳しいご指導もあったわけです。
そして、さまざまな方便を使って信者さんを指導教化されたのです。
それは、「教えのとおりに実践すれば、だれでも幸せになれる」という慈悲の心の表れであったわけです。親子の名のりを待っている仏様
私は常々皆さまに、「お導きをしなさい」と申し上げておりますが、それは多くの人々にこの尊い教えを実践していただき、平和な社会をつくりたいという心からの願いがあるからです。
お導きがたいへんなことは、よく承知しておりますが、そのお導きによって悩み苦しんでいる人々が本当に救われていくわけです。
「縁なき衆生は度し難し」と説かれていますように、お釈迦さまでもやはり、救いがたい者もおり、手を焼いた者もおったと思います。
ですから、お導きは言うことは簡単ですが実行に移すことは大変なことです。
しかし、佼成会の発足当時、わずか三十人足らずの会員であったものが、四十五年たった今日では五百七十万人にも達しているのです。
ヨーロッパの宗教家の皆さんは、この事実を「奇跡」だと評しております。「佼成会には奇跡が現れている」と。
なぜ奇跡かというと、ヨーロッパあたりでも信仰に入る人が、年々少なくなってきているという状態の時に、戦後の日本において、このような大勢の信者を有する教団になったのは、不思議なことだというわけであります。
お経をよく読んでごらんなさい。
仏さまの方では、私共に対して親子の名のりをされようと真剣になっておられるのです。
ところが、こっちのほうは、なかなか仏さまの方を向こうとしないのです。仏様の苦労を真摯に受けとめて
つまり、私どもがいかに業障であるかということが、あの法華七譬の中に説かれています。
これをよくかみしめてみると、ご法というものは、仏さまが大慈大悲をもって私どもに対して、幸せになる道をわからせようと、こんなにご苦労されている。
この仏さまのご苦労を、私どもが真っ直ぐに受けとめなくては申し訳ないという気持になるわけです。
また、そういう気持でお経を読誦させていただきますと、有り難くて有り難くて仕方がなくなってまいります。
朝、目が覚めるともうもったいなくて寝ていられなくなり、お経を上げられるようになるのです。
そういう意味で、一人でも多くの人にこの尊い法華経の功徳と、自分の体験を正直にお話して、この喜びをお伝えすれば、どんな方々ともご縁が結べるのであります。
皆さまが、まずお導きをさせていただき、そして心の中から歓喜してジッとしていられないという心になることこそ、妙佼先生が霊界でお喜びになってくださることと、私は思うのであります。
どうか、妙佼先生のご回向のためにも、一人が一人をお導きできますようにご精進のほどをお願い申し上げます。
(文責在記者)親子の名のりを待っている仏様
私は常々皆さまに、「お導きをしなさい」と申し上げておりますが、それは多くの人々にこの尊い教えを実践していただき、平和な社会をつくりたいという心からの願いがあるからです。
お導きがたいへんなことは、よく承知しておりますが、そのお導きによって悩み苦しんでいる人々が本当に救われていくわけです。
「縁なき衆生は度し難し」と説かれていますように、お釈迦さまでもやはり、救いがたい者もおり、手を焼いた者もおったと思います。
ですから、お導きは言うことは簡単ですが実行に移すことは大変なことです。
しかし、佼成会の発足当時、わずか三十人足らずの会員であったものが、四十五年たった今日では五百七十万人にも達しているのです。
ヨーロッパの宗教家の皆さんは、この事実を「奇跡」だと評しております。「佼成会には奇跡が現れている」と。
なぜ奇跡かというと、ヨーロッパあたりでも信仰に入る人が、年々少なくなってきているという状態の時に、戦後の日本において、このような大勢の信者を有する教団になったのは、不思議なことだというわけであります。
お経をよく読んでごらんなさい。
仏さまの方では、私共に対して親子の名のりをされようと真剣になっておられるのです。
ところが、こっちのほうは、なかなか仏さまの方を向こうとしないのです。仏様の苦労を真摯に受けとめて
つまり、私どもがいかに業障であるかということが、あの法華七譬の中に説かれています。
これをよくかみしめてみると、ご法というものは、仏さまが大慈大悲をもって私どもに対して、幸せになる道をわからせようと、こんなにご苦労されている。
この仏さまのご苦労を、私どもが真っ直ぐに受けとめなくては申し訳ないという気持になるわけです。
また、そういう気持でお経を読誦させていただきますと、有り難くて有り難くて仕方がなくなってまいります。
朝、目が覚めるともうもったいなくて寝ていられなくなり、お経を上げられるようになるのです。
そういう意味で、一人でも多くの人にこの尊い法華経の功徳と、自分の体験を正直にお話して、この喜びをお伝えすれば、どんな方々ともご縁が結べるのであります。
皆さまが、まずお導きをさせていただき、そして心の中から歓喜してジッとしていられないという心になることこそ、妙佼先生が霊界でお喜びになってくださることと、私は思うのであります。
どうか、妙佼先生のご回向のためにも、一人が一人をお導きできますようにご精進のほどをお願い申し上げます。
(文責在記者)