開祖さまご法話テキスト『一心』 1978年 法輪閣落成祝賀会
互いの考えを理解する事から協力が
私共のこの祝賀会におはこびいただきまして、まことにありがとう存じます。
法輪閣の落成ということでございますが、落成式の式典の方は大聖堂において今朝九時から執り行いました。そしてこちらの方は、皆さまにおいでをいただきまして、日ごろ私を鞭撻くださり、ご指導をくださいました皆さま方から、いろいろの角度からまたご指導をお願いしたい、と思うわけです。
この建物は、皆さまがおいでになって少しゆっくりと話し合いをしたいといっても、佼成会の信者は、聖堂にまいります信者が一日大体一万人でございます。従って、拡声器などでガヤガヤやっておりまして、落ち着いて話ができないような状態でございます。普門館の方でも講演会というようなことで、会の使わない日には外からのご注文がありまして、なかなか普門館は休む日がないという状態でございます。
そういうことで、何とかゆっくりとおいでいただいて――この宗教懇談というのは、ちょっぴり顔を合わせたぐらいではだめでございまして、まあいろいろの角度から思う存分お互いに話し合いして、その中から私共お互いの立場をよく理解し合うところから協力が始まるであろうと、そういうことを考えますと、協力をするのにはまずお互いの考え方をよく理解するということが必要であると思うのであります。
そういう意味で、おいでいただいて、ゆっくりと話し合いのできるような場所ということを念願しまして、設計を始めたわけです。設計を始めますと、佼成会の使える場所が、この場所をおいてもうほかにこの近所にないのでありまして最後の建物だからと、こういうものも、ああいうものもという注文がだんだんと増えてまいりました。そして不思議に、佼成会四十年の間に、仏教のいろいろの国宝的な仏画が宮原柳僊画伯によって復元されたものなどを私共がご後援申し上げて、その制作の完成をみましたものがたくさんありました。
従いまして、これからずうっと展示の場所をご覧いただきますと、その日本の国宝である、仏画の最も素晴しいものを復元したものが何点かございます。そういうものを皆さんにご覧に入れたいという考えがあるわけです。私の法華経観を具現したお釈迦さま
それと私は、世界宗教者平和会議なんていうことの使い走り役をおおせつかりまして、外国へ何回か毎年のように行っておるのでありますが、そういうことからして、外国の宗教建築を見ましても、それはその国の宗教の現れとでも言いますか、実に荘厳なるものが多いのであります。
日本の宗教もそういう意味で、この会場をずうっとご案内申し上げたら、いくらか日本の仏教というものはこういうものなのかな、というようなことがわかるように、何かできないものか――そんなことを考えまして、私のような素人が、まずい絵でございますが描いたのです。玄関へ入ってまいりますと、東の方にお釈迦さまの、十二月八日にお悟りを開いたということになりまして成道会というのがありますが、その成道のところの、お釈迦さまが夜明けの明星の光ったその瞬間に悟りを開いたという、そういうことをあそこに、菩提樹の下に座った、お釈迦さまの悟ったところを描かせてもらいました。
反対の方の絵には、増谷文雄博士のお説を伺いますと、お釈迦さまが悟っただけでは仏教は始まらないのだと。仏教の始まりというのは、鹿野苑においての初転法輪、要するに、お釈迦さまの説法を聞いてわかったと、わからせてもらったと、そういう相手がいて、聞く相手がおって、その聞く相手が少し認識をした時が始まりなんだということで、こういうお説を私は拝聴いたしまして、その絵を反対側の壁に描かせていただきました。
そして今度、このホールを考えます時に、千手観音さまをここに祀ってございますが、この観音さまが不思議なことに――私共の大聖堂に祀ってあります久遠実成のお釈迦さまという、あの光背の中に四大菩薩を配しました、ああいう仏さまはあんまりよそにいないのであります。あれは私の法華経観を、法華経の中のお釈迦さまとして作ったのでございます。それで、その仏さまを作るという問題が起きた時に、どなたに彫刻をお願いしようかというので、いろいろの方をお伺いしているうちに、錦戸新観先生をご紹介いただきました。
そうしますと、注文のない、大きな十一面千手観音さまが、石膏でもう出来上がっておりましたのを私は拝見しました。本部の本尊をお願いをしたのでございますが、あとで伺ったのでありますが、この観音さまを作るために、大きな桧の材木が玄関先に用意されていましたが、佼成会の方はもう期限つきであるので、その求めた素晴しい材木を全部使って佼成会の本尊を作り上げてくださったのです。そして勧請して、あと三年ほどかかって別の材料をそれから求めて、錦戸新観先生が今のこの観音さまをお作りなすったわけでございます。日本仏教の発展過程の精神を仏画に
そして、世界のいろいろの宗教の方がおいでになった時に、佼成会の願いは何かと、こう聞かれた時、どういうふうにしたらいいかということを考えまして、『一天四海 皆帰妙法』というのが私共の教えのひとつの中心であります。法華経ということになります。その法華経をどのようにするかということになりますと、『天壌無窮 異体同心』で、天地と共に窮まりなく異体同心。これまあ、世界中の人が皆、人種が違っても、顔の色が違っても、皆一つの心になって世界平和をつくろうと、こういうことが佼成会のひとつのねらいでございます。
四海帰妙というようなことで、この道場が出来ようとしている時に、とかくあの二百カイリ問題などがあって、海というものに対する関心が大変深くなってきて、そこで四海帰妙というのですから、四方みんな海にしようという考えを起こしまして、海の波を描いたのでございます。これも私の、まあ素人の作でございます。『慈眼視衆生 福聚海無量』――慈眼をもって人さまを見ますと、海の中には無限の徳があると言われております。そういうことを意味して、この絵を描かせていただきました。
まあそういうようなことで、二階の方に上がりますと、会長の部屋、そしてまた会長のところの応接室というようなものを、理事長さんはじめ皆さんが心配してくださいまして、今度皆さんがおいでになりましたらご案内できるようにならせてもらいました。このところにおいでいただきますと、あの鳥窠(ちょうか)禅師と白楽天の問答の絵を描きまして、『諸悪莫作 衆善奉行 自浄其意 是諸仏教』のこの字を入れたのであります。
要するにこの中を、展示のところをずうっとまいりますと、天平時代からの日本の仏画の進展、日本の仏教の発展過程の精神が、何か仏画の中にあるような気がするのであります。それをご覧になっていただいて、二階の私の応接間までおいでいただきますと、仏教徒は何ぞやと、こう言われましたら、悪いことをしないでいいことをして、自分の心を清めることが、これが仏教でございますと、こういうふうに書いておきまして、これをご覧いただきますと、もうめんどうなしに、ああ仏教というものはそういうものかと、言葉の通じない人でも絵をもって示したらわかるんじゃなかろうかと、こんなことを考えて、大それたものを描きました。仏教への考えを新たにの願いこめて
今までは私が勝手に描いたんでありますが、おしまいに今度は二八メートルのこの場所に何か描けということで、いろいろの草や木や、向こうの方に日本の霊峰富士をちょっぴりと――ちょうどこの場所から見ますと、霊峰富士があの場所にあるのです――そういう意味で、あそこに富士の頭をちょっぴり描きまして、西側をおさめたわけでございます。
これは何を意味しているかというと、お釈迦さまの言葉では、『一切衆生悉有仏性』という言葉だそうでありますが、日本のどなたがおっしゃったことか知りませんが、『草木国土悉皆成仏』という言葉が伝わっております。
草木国土悉皆成仏――草木国土が皆ことごとく仏になるんだということは、最近科学が進んで、私共と草木とが別々に生きているんではなくて、共存しているんだという説が大変よくわかるように、認識をさせていただいております。
そうなってまいりますと、むしろ『草木国土悉皆成仏』の方が、『一切衆生悉有仏性』というよりも、実感をもって感じられるのじゃなかろうかと、こんなことを考えまして、この木も草も皆ずうっとありますが、それは皆仏のひとつの現れだと、こういうことで、『草木国土悉皆成仏』ということを、右の方のいちばんすみっこへ少し小さく書いておきました。
まあそういう意味で、この中をご案内申し上げると、どなたが来ても「ああ、仏教というものはそういうものかな」と、こういうふうに思っていただきたいと、まあそこに少し下種結縁を結びまして、仏教に対する考え方を、ひとつ新たにしていただきたいという願いをこめて、下手なものを描かしていただいて、ようやく完成をしたわけでございます。
そういう意味で、日ごろご指導願っております皆さま方にお礼の意味もかねて、またご覧になっていただきまして、また皆さま方から、ご支援を願いまして、この先も仏教というものが人類のために貢献できるようにと念願いたしまして、きょうの催しをいたしたわけでございます。