開祖さまご法話テキスト『求道』 1976年 法輪閣上棟式

  • ○万国に法輪を転ずる本となす
    ○信仰心を中心とした平和境の建設をめざす
    ○内なる信心をさらに強固に
    ○会員の菩薩行実践が法の証明役

     皆さま、本日はおめでとう存じます。
     私どもの会がこういう建物を必要とするような時代になりました。ご承知のように、大聖堂、普門館、今度は法輪閣と命名したわけであります。それぞれに皆その名を持つところの意味があります。最近、世界じゅうの宗教が、自分の教義の内容まで持ち込んで、自分の会の教義というものを認識してほしい──そういう願いをこめた人が続々とおいでになるわけであります。したがって、法の輪──法輪であります。あらゆる宗教の法の輪がこの法輪閣から転じられ、その信仰の輪が世界じゅうに拡大されまして、そして信仰心を中心とした平和境を建設しよう──そういう意味で法輪閣と命名をしたわけでございます。
     ただいま理事長さんのあいさつにもありましたように、毎度のことでありますが、銭高組の社長さんを初め、宇宿顧問さんを中心として、この作業にかかっていただいております関係者の皆さま方が、心血を注いで、この二十世紀の建築として、未来に残す大建築である、ということでお骨折りをいただいております。今日まで全く無事故で、きょうはむね上げでありまして、形がもうできました。いままでは大聖堂にいたしましても普門館にいたしましても、西洋館ともつかない、日本の建物としてはちょっとかっこうが変わっておる。そんなことを皆さん感じておられたのではないかと思います。私はそういう意味で、世界じゅうの宗教が自分の宗教の特徴だけを固守するのではなくて、あらゆる宗教が手をつなぐ──こういうことに相成りますと、特に大切なことは、日本という国は日本という特性をちゃんとはっきりしておく。手をつなぐのは手をつないで、理解をするのは理解をし、寛容であることはもちろんでありますが、しかし、寛容であり、お互いが理解をするという上におきましては、自分の性格というものをちゃんと一つ持っておらなければいかんと思います。信仰を持たない人の集まりというのは危険性があります。何の信仰でもいいから、一つの信仰によって、はっきりとした神さまとか仏さまを信じられるような境地の信心──これをしっかりと持っていることが大切であります。

  •  この近辺にはもうこういう場所はございません。外国の方がおいでになっても──これは日本の建築だな、というふうに、入ってくるとものを言わなくても──これは日本の宗教建築だと──そういう感じをちゃんと持たせる。日本のよさと言いますか、特徴と言いますか、大和民族のこの八百万の神さま──どこからどういう思想が入ってまいりましても、中国から儒教が入ってくれば儒教、道教が入ってくれば道教、仏教が入ってくれば仏教を日本流にちゃんと受けとめる。
     そしてそこにちゃんと根を張って、それに花が咲き、実をならせる。仏教でも、インドに始まった仏教でありますが、現在では本当の生きた仏教、本当に人間を教化している生きている仏教ということで、佼成会を世界じゅうの宗教者が注目するようになってきたわけであります。
     そういう意味で、言葉であらわすことも大切でありますが、こういう一つの日本式の屋根を、厳然としてしかも雄大な、荘厳な、そういうものをひとつつくり上げていただきたいというので、銭高組さんにお願いをしておるわけでございます。屋根ができたので大体のかっこうはつきましたが、いよいよこれから内装でございます。外装は本当に神さまのご守護で、鉄骨が一番安いときに鉄骨を買っていただき、銅が安くてどうもならんようなときに銅を買いまして屋根をふいたわけでございます。(笑い)したがって、よそさまが想像するよりもはるかにそういう面で私どもは神さまから大きなご功徳をちょうだいいたしておるわけでございます。
     いよいよこれから内装にかかります。外側の佼成会の活動をごらんになっていただく方に、佼成会の信者の信仰の内省が一体どの辺にあるか。絶対平和であって、安心を持ったところの、不動の信仰であるかないかを、今度は内装で決めていくわけであります。すーっとこの中へご案内申し上げてお話を交わしますと、外国の方が一遍に日本を認識をしていただくような内装をこれから施すわけでございます。
     そういう意味できょう幹部の皆さま方、東京教会、多摩の教会、一番ひざ元が大事なんです。宗教などというものは──などというものはと言っては失礼ですけれども──たとえばインドに生まれた仏教がインドではすたれてしまって、日本に現在は生きた仏教としてある。こういうように、うっかりしているというと、根元がどうかしてしまう可能性もなきにしもあらずであります。そこでやっぱり徳川の三百年間を考えてみますと、一つの理想のもとに、あのように鎖国主義までとられていろいろのことが多少はありましたけれども、三百年間安泰の政治を保ったということは、徳川家康が旗本八万騎を大切に、江戸をぴったりと治めておった──こういうことが安泰三百年を決めたわけであります。

  •  そういう意味で、何と言っても毎日のようにお目にかかる、宗教の本部として、全国から、または世界じゅうからおいでになる方々を受け入れるところの、旗本の一番ひざ元の信者さん、特にきょうお集まりいただきました幹部の皆さま方。皆さま方の行動が菩薩行としてどなたにも崇高に、尊厳に見えるか見えないかということが今後の問題でございます。内省において大安心を持っておれば、目は心の窓だと言われるわけであります。心がちゃんと穏やかでありますれば、目の方にすっきりとした窓があらわれるわけであります。
     どうかそういう意味で、皆さまの信心をこの法輪閣という閣の中から、また、本部の雰囲気にお運び願ったすべての方に──信心のある人もない人も──信仰というもの、仏教というもののあり方を示すのはここであります。法輪を転ずることが可能であるかどうかということにかかっておると思うのであります。
     ある宗教家が「庭野さん、もうこんな大きな普門館を建てたからあともう建てなさるな」と、これは今日もう百二歳になっておる──よく世間の人が、高いところから飛びおりるのを、清水の舞台から飛びおりるようだなんて言うんですが、清水の百二歳の大西良慶先生がこの普門館をごらんになってびっくりされて、「会長はえらいものを建てたなあ」と、「もう建物は建てなさるな」と言われたのでありますが、世界を舞台にしてやるためには、法輪閣というものが必要であると考えまして、お年寄りの意見も聞かずに黙ってここへ建ててしまいました。現在百二歳でかくしゃくとしておりますので、これが落成したらまた一遍大西良慶先生をお招きして「ちょっとお言葉に逆らいましたけれども、日本的で、清水の舞台を思わせる、しかも外国の方が来たら一遍目を覚ましていただく法輪閣をつくりました」と報告をいたしたいと、こんなふうに考えておるわけでございます。(拍手)
     どうかそういう意味で、いま拍手をした方々は大いにご寄進を願いまして、内装が本当に二十世紀の宗教建築としてすばらしいものだというように仕上げていただきたいと念願をいたしておるものでございます。
     いよいよ今後も、この法輪閣が荘厳に、そして尊厳さを持ったところの宗教建築としての落成を目指して、皆さま方の一段とご協力をお願い申し上げましてごあいさつにかえます。ありがとうございました。(拍手)