庭野日敬法話選集_第6巻_02世界平和への歩み〈その二〉_01世界宗教者平和会議について_第一回世界宗教者平和会議〈京都〉開会の挨拶-01

  • 第一回世界宗教者平和会議〈京都〉開会の挨拶
    日本宗教連盟国際問題委員会委員長 庭野日敬
     本日ここに世界の各国からお集まりくださいました親愛なる宗教者の皆さまがたに対し、ご挨拶いたす機会を得ましたことを心からうれしく存ずるとともに、この会議を意義あらしめるために遠方よりご参集くださいました皆さまがたに、開催国の当事者として篤く感謝の意を表するものであります。また全日本仏教会会長の大谷光照猊下におかれましても、名誉総裁を快くお引き受けくださり、錦上花をお添えくださいましたことを有り難く存ずる次第でございます。
     さらに、この世界宗教者平和会議を実現すべく、準備委員、実行委員としてご努力くださいましたフェルナンデス大司教さまをはじめ、グリーリー博士、ディワカー師、アイゼンドラス師、フセイン教授、ロード師、マレー師、テイアディン教授、特に事務総長のジャック博士、日本側といたしましては、日本宗教連盟理事長の稲田(稔界)先生をはじめ三宅(歳雄)先生、中山(理々)先生、大石(秀典)共同事務総長、各委員の皆さま、またこの会議の準備にあたって今日までご奉仕くださいましたかたがたに対して心からお礼を申し上げる次第でございます。
     さて、常日ごろ、人間の魂の平和、人と人との間の平和、ひいては世界の平和のために尽力されておられる宗教者の皆さまがたと、一堂に会して語り合うということが、私の念願でありました。その夢が、今ここに実現いたしたのでありますが、私は、この会議が必ずや成功するであろうという確信を抱いているのであります。あるいは、お叱りを受けるかも知れませんが、なぜ私が、かかる楽観的な観測を持つにいたったかということを、ささやかな私の体験から申し上げることをお許しいただきたいと存じます。
     かつて宗教は、その各々が持つ宗教信念の故に、お互いに協力することが出来ず、むしろ反目し合ってきたというのが実情であります。しかし、交通機関の発達によって、地球はきわめて小さくなり、科学の進歩によって地球を客観的に眺めうる時代を迎えて、人類家族の結束が真剣に考えられる段階にいたっております。かかる時代に、武力や権力ではなく、人間尊重の精神によって、平和な世界を創造することの出来る活動力たりうるものは、宗教以外にはないと思うのであります。
     今こそ、宗教なるが故に対立するのではなく、人類の幸福と救いという共通の願いを持つ宗教なるが故にこそ、相協力して人間と世界平和のために貢献しなければならぬという深い責任を感ずるのであります。そのことが神のみ心、仏の精神を地上に実現せんとする私達宗教者の使命であって、そのために私達宗教者は「何をなすべきか、何が出来るか」を、この世界会議において真剣に語り合いたいものであります。
     そもそも、この世界宗教者平和会議の構想が芽生えたのは、一昨年すなわち一九六八年一月に開かれた「平和のための日米諸宗教者京都会議」の席上であります。それまで私とは一面識もなかった外国の宗教者と語り合ううちに、世界平和に対するお互いの熱意を確認し合い、同志を見出したという喜びを懐いたのであります。
     そして、その理解はやがて信頼となり、信頼による話し合いは友情を生み、ついには宗教の壁を乗り越えて宗教協力に高まり、この世界宗教者平和会議を実現するまでに育ってきた事実を、私は体験いたしたのであります。それは利害や打算で成し得るものではなく、また仏教徒とかキリスト教徒とかという範疇に埋没していてかなうことではありません。ただ一途に、人類の幸福のために貢献する宗教者として、力を合わせて何を為すべきかという一点にしぼって活動してきたからこそ可能であったわけであります。
     その意味から、私はこの世界会議準備のための二年間に得た宗教協力の楽しい体験と、今までにお会いした各国宗教者との熱意ある貴重な語り合いから、この世界宗教者平和会議が充分な成果をあげ、世界平和に寄与することが出来るという確信を持つにいたったのであります。
     ところで、この世界会議を万国博覧会の開催期間中に行なえば、万博を見学できる関係上、会議参加者の数は、より増加するであろうという意見もございました。しかし、万博が掲げた「進歩と調和」のテーマは、あくまでも人類の希望であって、その希望を実現するのは、これからの仕事であります。そして、そのテーマを実現するためにその土台となるものこそ、私達宗教者ではないでしょうか。すなわち進歩を秩序ある進歩とし、対立を解消してすべてのものに調和をもたらすものは、私達宗教者の使命であるという意味から、あえて万博の終了後に、この世界会議を開いた私達の気持ちもご諒解いただきたいと存じます。
     たしかに、現代は宗教否定もしくは無視の傾向が強いと言われる今日であります。しかし、神仏を信ずる、信じないにかかわらず、人々の魂の最も奥深いところで、「はたして人間の存り方は、これで良いのか」という疑問とともに、時と処を越えた普遍の真理に基づく人間の歩むべき道を求めていることも否定できません。すなわち、盲目に等しい科学の暴走と世界中に充満する不調和、すなわち公害現象など等に対する不安と反省が徐々にわきつつあることも事実であります。
     万博の閉会式において、ある外国の代表が「もし進歩と調和のいずれを採るかという二者択一を迫られたならば、私は調和なき進歩よりも、進歩なき調和の方を採りたい」と言っております。今や人類は、地球という一つの船に乗った兄弟であるという表現さえなされる時代になりました。ある者は充ち足りて腹ふくるる思いをし、また一方には飢えに苦しむ者があるという不調和、自然と人間の不調和など、悲しむべき不調和現象が数多く見られるというのが世界の現状であります。
     さらに、こうした不調和の中で最も反省すべきことは、過去における私達宗教者の不調和であり、それはつまるところ、仏と神のみ心に対する私達宗教者の不調和であって、これに対する深い懺悔が先ず最初になされるべきでありましょう。
     この反省と懺悔の上に立って、討議し、努力してこそ、この世界宗教者平和会議が必ずや人類の福音となるような結果を生みだすと思うのであります。
     この会議を契機にして、仏の子、神の子である私達が手を携えて立ち上がるとともに、世界の大調和、すなわち世界平和の一日も早からんことを心からお祈りして私の挨拶を終わりたいと存じます。
     どうも有り難うございました。
    昭和四十五年十月十六日 (国立京都国際会館で)

  • 第一回世界宗教者平和会議〈京都〉開会の挨拶
    日本宗教連盟国際問題委員会委員長 庭野日敬
     本日ここに世界の各国からお集まりくださいました親愛なる宗教者の皆さまがたに対し、ご挨拶いたす機会を得ましたことを心からうれしく存ずるとともに、この会議を意義あらしめるために遠方よりご参集くださいました皆さまがたに、開催国の当事者として篤く感謝の意を表するものであります。また全日本仏教会会長の大谷光照猊下におかれましても、名誉総裁を快くお引き受けくださり、錦上花をお添えくださいましたことを有り難く存ずる次第でございます。
     さらに、この世界宗教者平和会議を実現すべく、準備委員、実行委員としてご努力くださいましたフェルナンデス大司教さまをはじめ、グリーリー博士、ディワカー師、アイゼンドラス師、フセイン教授、ロード師、マレー師、テイアディン教授、特に事務総長のジャック博士、日本側といたしましては、日本宗教連盟理事長の稲田(稔界)先生をはじめ三宅(歳雄)先生、中山(理々)先生、大石(秀典)共同事務総長、各委員の皆さま、またこの会議の準備にあたって今日までご奉仕くださいましたかたがたに対して心からお礼を申し上げる次第でございます。
     さて、常日ごろ、人間の魂の平和、人と人との間の平和、ひいては世界の平和のために尽力されておられる宗教者の皆さまがたと、一堂に会して語り合うということが、私の念願でありました。その夢が、今ここに実現いたしたのでありますが、私は、この会議が必ずや成功するであろうという確信を抱いているのであります。あるいは、お叱りを受けるかも知れませんが、なぜ私が、かかる楽観的な観測を持つにいたったかということを、ささやかな私の体験から申し上げることをお許しいただきたいと存じます。
     かつて宗教は、その各々が持つ宗教信念の故に、お互いに協力することが出来ず、むしろ反目し合ってきたというのが実情であります。しかし、交通機関の発達によって、地球はきわめて小さくなり、科学の進歩によって地球を客観的に眺めうる時代を迎えて、人類家族の結束が真剣に考えられる段階にいたっております。かかる時代に、武力や権力ではなく、人間尊重の精神によって、平和な世界を創造することの出来る活動力たりうるものは、宗教以外にはないと思うのであります。
     今こそ、宗教なるが故に対立するのではなく、人類の幸福と救いという共通の願いを持つ宗教なるが故にこそ、相協力して人間と世界平和のために貢献しなければならぬという深い責任を感ずるのであります。そのことが神のみ心、仏の精神を地上に実現せんとする私達宗教者の使命であって、そのために私達宗教者は「何をなすべきか、何が出来るか」を、この世界会議において真剣に語り合いたいものであります。
     そもそも、この世界宗教者平和会議の構想が芽生えたのは、一昨年すなわち一九六八年一月に開かれた「平和のための日米諸宗教者京都会議」の席上であります。それまで私とは一面識もなかった外国の宗教者と語り合ううちに、世界平和に対するお互いの熱意を確認し合い、同志を見出したという喜びを懐いたのであります。
     そして、その理解はやがて信頼となり、信頼による話し合いは友情を生み、ついには宗教の壁を乗り越えて宗教協力に高まり、この世界宗教者平和会議を実現するまでに育ってきた事実を、私は体験いたしたのであります。それは利害や打算で成し得るものではなく、また仏教徒とかキリスト教徒とかという範疇に埋没していてかなうことではありません。ただ一途に、人類の幸福のために貢献する宗教者として、力を合わせて何を為すべきかという一点にしぼって活動してきたからこそ可能であったわけであります。
     その意味から、私はこの世界会議準備のための二年間に得た宗教協力の楽しい体験と、今までにお会いした各国宗教者との熱意ある貴重な語り合いから、この世界宗教者平和会議が充分な成果をあげ、世界平和に寄与することが出来るという確信を持つにいたったのであります。
     ところで、この世界会議を万国博覧会の開催期間中に行なえば、万博を見学できる関係上、会議参加者の数は、より増加するであろうという意見もございました。しかし、万博が掲げた「進歩と調和」のテーマは、あくまでも人類の希望であって、その希望を実現するのは、これからの仕事であります。そして、そのテーマを実現するためにその土台となるものこそ、私達宗教者ではないでしょうか。すなわち進歩を秩序ある進歩とし、対立を解消してすべてのものに調和をもたらすものは、私達宗教者の使命であるという意味から、あえて万博の終了後に、この世界会議を開いた私達の気持ちもご諒解いただきたいと存じます。
     たしかに、現代は宗教否定もしくは無視の傾向が強いと言われる今日であります。しかし、神仏を信ずる、信じないにかかわらず、人々の魂の最も奥深いところで、「はたして人間の存り方は、これで良いのか」という疑問とともに、時と処を越えた普遍の真理に基づく人間の歩むべき道を求めていることも否定できません。すなわち、盲目に等しい科学の暴走と世界中に充満する不調和、すなわち公害現象など等に対する不安と反省が徐々にわきつつあることも事実であります。
     万博の閉会式において、ある外国の代表が「もし進歩と調和のいずれを採るかという二者択一を迫られたならば、私は調和なき進歩よりも、進歩なき調和の方を採りたい」と言っております。今や人類は、地球という一つの船に乗った兄弟であるという表現さえなされる時代になりました。ある者は充ち足りて腹ふくるる思いをし、また一方には飢えに苦しむ者があるという不調和、自然と人間の不調和など、悲しむべき不調和現象が数多く見られるというのが世界の現状であります。
     さらに、こうした不調和の中で最も反省すべきことは、過去における私達宗教者の不調和であり、それはつまるところ、仏と神のみ心に対する私達宗教者の不調和であって、これに対する深い懺悔が先ず最初になされるべきでありましょう。
     この反省と懺悔の上に立って、討議し、努力してこそ、この世界宗教者平和会議が必ずや人類の福音となるような結果を生みだすと思うのであります。
     この会議を契機にして、仏の子、神の子である私達が手を携えて立ち上がるとともに、世界の大調和、すなわち世界平和の一日も早からんことを心からお祈りして私の挨拶を終わりたいと存じます。
     どうも有り難うございました。
    昭和四十五年十月十六日 (国立京都国際会館で)