2024-1001-100001-002-001-cie-42018_hok

法華三部経の要点97

  • 法華三部経の要点 ◇◇97
    立正佼成会会長 庭野日敬

    心の改造によってのみ人類は救われる

    「後の五百歳」ということ

     薬王菩薩本事品の終わりのほうに「我が滅度の後、後の五百歳の中、閻浮提(えんぶだい=人間世界全体)に(この教えを)広宣流布して」というお言葉があります。この「後の五百歳」というのは、現代にも関係する仏さまの大事なお言葉ですので、その意味を解説しておきましょう。
     『大集経』というお経の中で、お釈迦さまは、「わたしが入滅した後の五百年は、残された仏弟子たちは教えを守ってよく煩悩から解脱するであろう。次の五百年は、禅定に入り、瞑想することによって自力で悟りを得ようとするようになるであろう。ここまでは仏法が正しく行われているので、『正法』の時代と言う。
     次の五百年になると、仏教を学問的に研究する風潮が盛んになり、一般の信仰者も経典を読誦することを主な行とするようになる。
     次の五百年になると、信者たちは塔や寺を建てお参りすることを本位とするようになる。以上の千年間は仏法が形式化されるという意味で『像法』と言う」と。

    人間の心を改造しなければ

     ところが、次の五百年、すなわちお釈迦さまが入滅されてから二千年を過ぎたころになりますと、仏教そのものについても宗派争いなどが盛んになり、一般社会においても闘争が激しくなって、仏法はあるいは隠れ没し、あるいは甚だしく損減するようになるというのです。そして、この時代以後を『末法』と名づけられています。
     法華経はこの末法の時代においてこそ説き広めなければならぬ教えであると、お釈迦さまは強調しておられるのです。さればこそ、「後の五百歳」ということをこの薬王菩薩本事品で二回、最後の普賢菩薩勧発品で三回も説いておられるのであります。
     お釈迦さまのご入滅は紀元前三八三年とされていますから、一九九〇年代の現在は、右の第五の五百年の末期に当たっているのです。まさにそのお言葉通り、個人も、企業を含む各種の団体も、そして国家も、エゴ一本槍となって競争と闘争に明け暮れています。人間同士が奪い合いをしているばかりでなく、人類は大自然をとめどもなく汚染し、破壊しつつあります。
     前記の『大集経』には、この末法の世の終末のありさまを次のように述べてあります。
     「あらゆる井戸・泉・池などはことごとく涸(か)れてしまう。大地は塩分が強くなり、至る所がひび割れ、裂け、見渡す限り丘だらけになる。山々の木々は焼け焦げ、長い間雨が降らないので、苗も作物もみな枯死し、薬草も枯れつくしてしまう云々」
     核戦争が起こればこうなることは必至ですが、よしんば核戦争が起こらなくても、現在のような大自然の汚染。破壊を続けておれば、遠からずこのようになってしまうでしょう。
     そうした人類の終末を防ぐには、ただ一つ、人間の心の改造を行うほかに方法はないのです。われわれが法華経精神の広宣流布に懸命になっているのは、せんじつめればそのためにほかならないのです。