法華三部経の要点63
法華三部経の要点 ◇◇63
立正佼成会会長 庭野日敬法華経行者こそ真のエリートである
人間という語の重大な意味
法師品の次の要点は、こう説かれていることです。「法華経の一偈でも受持し、読誦し、解説し、書写し、この経巻を仏と同じように敬い、さまざまに供養する者は、前世において無数の仏を供養し、そのもとで悟りを得た者であるが、衆生が苦しんでいるのを哀れに思うがゆえにこの人間界に生まれてきたのである」。
経文には「衆生を愍むが故に此の人間に生ずるなり」とあり、後の偈にも「清浄の土を捨てて 衆を愍むが故に此に生ずるなり 当に知るべし是の如き人は 生ぜんと欲する所に自在なれば」とあります。
この人間というのは、ヒトとか人類という意味ではなく、人と人との間、すなわち人々がたくさん住んでいる社会を言うのです。大漢和辞典を引いても、「人間」の項には①人の世、世間、俗界。②人。人類。俗に誤っていふ。とあります。
これはたんに辞句の解釈の問題ではありません。人の生きざまの上にとって実に重大な意味を持っているのです。というのは、人は決して単独に生きているのではなく、あらゆる人、あらゆる動物・植物、あらゆる自然環境と関連し、相互依存の上に生きているのだが、その中で最も濃密な関係は人と人との関係なのだ……という真実をこの語は含んでいるのです。われわれが何気なしに使っているこの「人間」という言葉を、この機会にじっくりとかみしめてみることが大切だと覆います。エリートには責任がある
さて、冒頭にかかげた経文を玩味しますと、この世で法華経に縁のあったわれわれは、前世において無数の仏さまのみもとにおいて修行し、すでに仏の悟りを得た身であったのに、悩みを抱えて苦しんでいるこの世の人々を見るに見かねて、それまで住んでいた安楽世界(清浄の土)を捨てて、わざわざ汚濁に満ちたこの娑婆世界に生まれてきたのだ、ということです。
なんというスバラシイことでしょう。なんという有り難いことでしょう。あなたが今どんな境遇にあろうとも、あなたは真の意味のエリートなのです。選ばれた人なのです。俗には、一流大学を出て、政界・官界・大企業などで活躍している人物をエリートと言いますが、それは永遠のいのちの世界の中ではホンの一瞬に過ぎないこの世のエリートであって、いま法華経を信じ、行じているあなたこそが本当のエリートなのです。
どうか絶大なる自信と誇りを持って頂きたい。社会的には恵まれない境遇にあろうとも、あなたは「仏さまに選ばれた人」なのです。このあとの経文にも「当に知るべし、是の人は則ち如来の使(つかい)なり。如来の所遣(しょけん)として如来の事を行ずるなり」とあるではありませんか。
ただし、選ばれたからには必ず責任が伴います。経文にも「衆生を哀愍し願って此の間に生れ、広く妙法華経を演べ分別するなり」とあるように、この法華経を広く説きひろめ、しかもさまざまに説き分ける(分別する)こと、これがわれわれの責務なのです。
この「分別」ということに特に留意しなければなりません。時代が変わり、国や民族が異なれば、生活様式も異なり、環境も変わります。社会風潮も違ってきます。それなのに、千遍一律にワンパターンの説き方をしたのでは、人を引きつけることもできないし、「なるほど」と納得させることもできません。ですから、この「分別」ということが不可欠になってくるのです。
いずれにしても、人に説かなければ、人を導かなければ、「如来の使い」とは言えず、真のエリートとしての責務も果たし得ないのです。それこそが、われわれがこの世に生まれ出た一大事なのです。