法華三部経の要点13
法華三部経の要点 ◇◇13
立正佼成会会長 庭野日敬煩悩もよい方向に生かせば
宇宙の理法に従っておれば
無量義経の十功徳品に、次のような重要な一句があります。
「煩悩ありと雖も煩悩なきが如く、生死に出入すれども怖畏の想なけん」
煩悩というものは人間の生存本能からわき出てくる、いわば本能的な欲望というものであって、生身(なまみ)の人間としては避け難いものであります。お釈迦さまが「煩悩を滅せよ」とお説きになったのは比丘・比丘尼に対してであって、そうした出家修行者は阿羅漢という聖者の域に達するのをまずもっての目的として修行しているのですから、そうした本能的な欲望からも超脱する必要があったわけです。
しかし、在俗の信者たちには「煩悩が起こるがままにしておれば、それはいくらでも増大して身を誤るもとになるから、ほどほどに抑制しなければならぬ」と説かれたのでした。あくまでも「中道」を教えられたのです。「調和」を教えられたのです。「バランス」こそが平安への道であると教えられたのです。
ところが、この無量義経においては、「このお経の説く真実を悟れば、煩悩があっても煩悩がないのと同じような心境に達し、人生のどんな変化(生死)に遭っても動揺することがない」と説かれています。
つまり、宇宙の理法に素直に従って生きておれば、煩悩があってもそれが気にならなくなり、どんな逆境にあっても挫折することなく、いつも前向きの姿勢で暮らしていける……というわけでしょう。「平等」と「バランス」
では、その「宇宙の理法」とはどんなものでしょうか。いろいろな見方がありましょうけれども、次の二つに要約できると思います。
第一に「この宇宙には千差万別の存在があるが、すべてがそれ自身の存在価値を持っているのだ」ということです。仏教的にいえば、「すべてが久遠の本仏すなわち宇宙の大生命の分身であり、本質的には平等な尊い存在である」ということです。
第二は「それらの千差万別の存在が一つの大きな調和を保ち、バランス(つりあい)をとることによってこの宇宙は成り立っている」ということです。仏法的にいえば「諸法無我」ということです。
この二つの理法をしっかりと胸におさめておれば、現実の生活のうえでさまざまな苦悩や異変につき当たっても、「このマイナスの裏には必ずプラスがあるのだ」というバランスの理を思い出し、そこから新しい世界が開けてくるはずです。
戦後の洋画界に新しい分野を開いたとして名声の高かった林武画伯は、まだ若い画学生のころ石こう像のデッサンをしながら、「自分には石こう像の前半分しか見えない。背後に見えない半面がある」という考えがひらめいたそうです。その考えをつきつめた結果、この世界はすべて明と暗、陰と陽、プラスとマイナスといった相反するもののつりあいによって成り立っていることを悟り、それが後半生の素晴らしい画業となって結実したのだそうです。
また、このあいだ「朝日賞」を受賞した映画評論家の淀川長治さんは、子供のころから体も弱く、勉強もできず、体操は絶対ダメ、何の取りえもない存在だったと自ら告白しています。しかし、好きでたまらなかった映画に打ち込んだ結果、世のすべての人に愛されるあの「サヨナラ、サヨサラ」の淀川さんとなったわけです。
このように、すべての人に、表面の姿はともあれ、その本質においては平等な存在価値があるのです。表面がマイナスであっても、裏面には必ずプラスの世界があるのです。それによってこの世はバランスがとれているのです。
そのことを悟れば、煩悩があってもかえってそれを活用することができ、また、逆境にあってもその裏にあるプラスを見つけ出すことができ、つねに勇気と希望に満ちた人生を送ることができましょう。