人間釈尊66
人間釈尊(66)
立正佼成会会長 庭野日敬パセナーディ王との別れ
師弟であり親友でもあった
パセナーディ(波斯匿=はしのく)王とお釈迦さまは、もちろん師弟の間柄ではありましたが、その数々の接触を振り返ってみますと、なにか親しい友という感じがしてなりません。
あるとき王が、下腹を突き出すようにしてハァハァ息をしているのを見て、
「苦しそうだが、どうしたのですか」
と聞かれ、王が、
「今朝の食事を少し食べ過ぎたようで……」
と答えると、
「食べ過ぎはいけません。量を知って食をとることですよ。そうすれば寿命も延びるのですよ」
と忠告なさったこともあります。
あるときは、祖母を失って悄然(しょうぜん)としている王に、
川の水は休みなく流れ、往って帰ることはない。人の命もそれと同じである。逝く者は帰らない。たとえ千年の寿命があっても、必ず死んで去るのである。云々
という偈(げ)を詠んで、その悲しみを静められたこともあります。
このような親しい関係は晩年に至るまで変わることはありませんでした。世間と僧伽を比べて
晩年のある時期、お釈迦さまが釈迦族の国のメーダルンバという村にご滞在になっていました。ちょうどそのときパセナーディ王が近くまで所用で来たので、お釈迦さまを訪問しました。
ところが、いつもと違って王の顔色が冴(さ)えないのを見られて、
「王よ。何か心配事でもあるのですか」
とお尋ねになりますと、
「はい。心にかかることがいっぱいあります」
「どんなこと……」
「いまや、国は国と争い、王族は王族と争い、バラモンはバラモンと争い、金持ちは金持ちと争っております」
「うーむ。そのとおり」
「しかも、母は子と争い、子は母と争い、父は子と争い、子は父と争い、兄弟は兄弟姉妹と争い、姉妹は兄弟姉妹と争い、友人は友人と争っております」
お釈迦さまは、何度もうなずきながら聞いておられました。
二十世紀末のわれわれが、このパセナーディ王のこの言葉を読むとき、現在の世界の情勢や国内の世相と思いくらべて、何か慄然(りつぜん)たるものを覚えざるをえません。
さて、王は言葉を改めて、
「その点、世尊の僧伽(さんが)を見ていますと、お弟子さん方はよく和合し、共に喜び、争うことはありません。乳と水のように融和し、お互いに愛情をこめた眼で見ながら暮らしておられます。じつに世の中の最高の手本でございます」。
お釈迦さまは、口辺に微笑を浮かべながら聞いておられます。そのとき王は、改まった口調で、
「世尊よ。世尊もクシャトリヤ(王族)でいらっしゃいます。わたくしもクシャトリヤです。世尊もコーサラ人ですし、わたくしもコーサラ人です。世尊も八十歳になられましたが、わたくしも八十歳になりました」
「王よ。そのとおりですね」
「わたくしは世尊に最上の尊敬と親愛を抱いていることを申し上げておきます。……さて、用事がございますので、これで失礼いたします」
そして座を立ち、辞去して行きました。
お釈迦さまは、それからマガダ国の霊鷲山に戻られ、そして最後の旅に出られたのですから、これがパセナーディ王との一生の別れだったのでした。
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎