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人間釈尊62

  • 人間釈尊(62)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    仏も貪欲であられた

    倒れても前へ杖を投げて

     お釈迦さまが祇園精舎におられたとき、比丘たちに次のようなむかし話をされました。
     ――あるところにシュミラという修行者がいた。シュミラはたいそう説法が上手で、よく人々を良い道へみちびいた。
     あるとき国王に呼ばれて法を説いたところ、ことのほか気に入られて、
     「そなたに褒美をとらせよう。望みの物を言うがよい。何なりとかなえてやろう」
     と言われた。シュミラは、
     「では申し上げます。わたくしのために広い土地をください。そこに僧坊を建ててください」
     とお願いした。王は、
     「よろしい。そなたが一瞬も休むことなく走りつづけて行き着いた所までの土地を残らずそなたに寄進しよう」
     と約束された。そこでシュミラは身軽ないでたちになって走り出した。しだいに息が切れ、足も重くなった。しかし、少しでも広い土地が欲しいという一心から、けんめいに走りつづけた。
     やがて、もはや一歩も進めないほどヘトヘトになってしまった。しかし、なおも最後の力をふりしぼってヨタヨタと歩いて行った。
     いよいよ精も根も尽き果てたシュミラは、ばったりと地上に倒れた。しかし、彼は土に爪を立てるようにして這(は)って行った。そのうち這う力もなくなった。すると今度は体を横にして転がり始めた。が、ついにその力も尽きてしまった。
     そのときシュミラはどうしたでしょうか? 持っていた杖(つえ)を前の方へ投げて、
     「この杖の落ちた所までがわしの土地だ」
     と叫んだのであった――

    これが仏の貪欲

     この話をなさったお釈迦さまは、
     「わたしもこのシュミラと同じく貪欲なんだよ。もちろん土地が欲しいのでもなく、僧坊が欲しいのでもない。一歩でも多くの土地へ行って一人でも多くの人を救いたい。できることならこの三千世界の生きとし生けるものすべてを救いたい。これがわたしの貪欲なのだ。
     しかし、わたしも人間だ。体力にも寿命にも限りがある。いつかは倒れてしまうだろう。その時までわたしは走りつづける。布教の旅をつづけるのだ」
     とおおせられました。
     そのお言葉のとおりのことを、お釈迦さまは実行されたのでした。八十歳にもなられて、リューマチ性背痛という持病を持ちながら、なおも布教の旅に出かけられたのです。
     ベールヴァという村にさしかかられたとき、ちょうど雨期に入りましたので、そこで雨安居(第二十七回参照)をされたのでしたが、その年は米が不作でやむなく馬糧を召し上がったために、ひどく胃腸を害され、死の一歩手前を彷徨(ほうこう)されたのでした。
     それでも、たぐいなき精神力をもってその重病を克服されると、衰弱した肉体に鞭(むち)うつようにして再び北へ向かって旅立たれたのです。
     そしてついに力尽きてクシナーラという村でお倒れになりました。いよいよご入滅という時に、スダッタという異教徒が教えを乞(こ)いに来ました。阿難が――世尊はご臨終であられるから――と言って面会を断っているのを聞かれたお釈迦さまは、
     「阿難よ、法を聞きに来た人を拒んではならぬ。通しなさい」
     と言って枕元に呼ばれ、四諦の法をお説きになったのでした。それこそが、シュミラが倒れても前方へ杖を投げて「ここまでわたしの土地だ」と叫んだ所行そのままだったのです。
    題字 田岡正堂/絵 高松健太郎