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人間釈尊56

  • 人間釈尊(56)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    峻厳な一面もあられた

    不公平の黙過をご叱責

     お釈迦さまの舎利弗に対する信頼は絶大なものがありました。しかし、あくまでも理性の人であったお釈迦さまは、舎利弗がどんなことをしようともとがめ立てしないといった、愛情におぼれるようなことはなさらなかったのです。
     わたしが調べたかぎり、舎利弗がお釈迦さまに厳しく注意されたことが二回ほどあります。
     その一つは、ある日、舎利弗を最上座とする比丘の一行が信者の家に招待された時のことです。帰ってきた沙弥(しゃみ=少年僧)にお釈迦さまが、
     「どうだったか。みんな満足に施食を受けたか」
     とお聞きになりますと、
     「満足の者もあり、不満足の者もございました。上座の比丘たちにはおいしいごちそうが出ましたが、わたくしども下座の者には胡麻の搾り粕と菜を煮合わせたのと米の飯だけでした」と、少年らしく率直に答えました。
     お釈迦さまはすぐ舎利弗をお呼びになり、
     「最上座のそなたが、信者の不公平なもてなしを黙過するとは何事であるか」とお叱りになりました。
     舎利弗はただただ恐れ入って引き下がり、食べてきたばかりのごちそうを吐き、ひそかに懺悔の真心を表したのでした。

    論難すべきは論難せよ

     もう一つは、提婆事件に関することです。提婆達多は、国王アジャセの支援もあって、相当数の弟子たちを引き連れてお釈迦さまに背き、別派を立てようとたくらんでいました。そして、教団内に混乱を起こすことを目的として、次のような戒律の改革案を提出しました。

    一、比丘は林中に住み、都市の付近に住んではならない。
    二、比丘は信者の食事の招待を受けてはならない。
    三、比丘は終生ボロをつづった衣を着るべきで、信者の献じた衣を着てはならない。
    四、比丘は樹下に眠るべきであって、家の中に寝てはならない。
    五、比丘は魚鳥の肉を食してはならない。

     しかし、お釈迦さまは――大勢の比丘の中には元気な者もおれば病気がちの者もおり、全部が全部そのような厳しい生活ができるものではない。仏道は心の解脱をこそ求めるものであるから、あまり形式にこだわることはない。戒律も比丘らしい生活から逸脱しないためのものであって、あまり束縛をきつくするとかえって道を求める気持ちを委縮させることになる――というお考えでした。
     そこで舎利弗をお呼びになって、
     「提婆達多の所に行って、この五則は仏道修行にふさわしくないと徹底的に論破してきなさい」
     と命ぜられました。舎利弗はいつになくもじもじしています。
     「どうしたのか。何か異論でもあるのか」
     「いいえ。世尊の仰せのとおりでございますが、じつはかねがねわたくしは提婆達多の才能を褒めたたえておりましたので、どうもバツが悪いのでございます」
     と申します。するとお釈迦さまはキッとしたお顔で、
     「褒めるべきことは褒めるのが道理であり、論難すべきことは論難するのが道理である。行ってきなさい」
     と決然と仰せられました。舎利弗は一言もなく恐れ入って出掛けて行き、使命を果たしたのでした。
     お釈迦さまには、こうした秋霜烈日のごとき一面もあられたのであります。
    題字 田岡正堂/絵 高松健太郎