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人間釈尊39

  • 人間釈尊(39)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    釈尊の財産はこれだけ

    世尊の衣を頂いた迦葉

     さき(二十四回)に、出家して王舎城へと旅する摩訶迦葉をお釈迦さまが途中まで出迎えられた話を書きましたが、その直後にこういうことがあったのです。
     「ちょっと一休みしようか」とお釈迦さまがおっしゃるので、迦葉はすぐ自分の上着を脱ぎ、四つに畳んでその上に座って頂きました。お釈迦さまはその上着を触られて、
     「柔らかな布だね」
     とおっしゃいました。迦葉は即座に、
     「その上着を差し上げたいと存じますが、いかがでしょうか」
     と申し上げます。世尊はお尋ねになりました。
     「そなたは何を着て行くのか」
     「世尊の糞掃衣(ふんぞうえ)を頂きたいのですが……」
     世尊は黙って上着をお脱ぎになり、迦葉に与えられました。迦葉は思わず涙ぐむほどに感激してその上着を押し頂き、身に付けました。
     着ているものを交換する、それには並々ならぬ意味があるのです。隔てのない友情と親しみの表れなのです。お釈迦さまが初対面の迦葉をどうごらんになっていたかが、この一事でもうかがい知ることができましょう。
     糞掃衣というのは、墓場などに捨てられたボロ布をつづり合わせた衣で、世尊も他の比丘たちと同様、それを常用しておられたのです。
     それ以来迦葉は、一生のあいだ衣食住すべての面で質素な生活に徹し、教団中「頭陀(ずだ)第一」と評せられました。頭陀というのは梵語ドゥタの音写で、樹下石上を宿とし、鉢に入れられた食物以外は食べず、着るものは糞掃衣に限るといった暮らし方をいうのです。

    世尊は世界一の大富豪

     お釈迦さまもそのような生活をしておられたのですが、お気持ちはもっと広々としておられ、信者や国王に招待されれば気さくにお出かけになり、新しい衣を寄進されればこだわりなくお受けになりました。ただし、たいていはだれかに下げ渡されたもののようです。
     いずれにしても、簡素な生活という基本は守り続けておられました。その所有物といえば、他の修行者たちと同様、左の七点に限られていました。
     三衣(さんね)という三種の衣。まず(大衣)といって、托鉢に出たり、信者宅に招かれたりする時の正装。これは二十五条の布ぎれをつづり合わせて一条の布としたもの。次に(上衣)といって、説法をなさる時(弟子たちならば、礼拝・聴法の時)や集会などの際に着る平常着で、九条の布ぎれをつづり合わせて作る。三番目は(中衣)といって、日常の作業や就寝の時につける肌着。
     これらは、もともとはボロ布をつづったものだっただけに、たとえ新品でも鮮やかな色でなく、カサーヤ(濁った色)と定められていました。いまの袈裟(けさ)という名はそこからきているのです。
     この三衣一組に加えて、座ったり寝たりする時に敷く座具と、飲み水をこすための漉水嚢(ろくすいのう)と、托鉢の時、食物を受ける鉢と、それにカミソリ。これが全財産でした。
     それにもかかわらず、お釈迦さまはこの世で最高の大富豪であられた。なぜか。法華経譬諭品に「今此の三界は皆是れ我が有なり」とおおせられたように、「大宇宙は自分のものだ」とお考えになっていたからです。
     後世のわれわれも、もちろんお釈迦さまには及びもつかないけれど、精神世界の王者となることを一生の目標とし、できうる限り生活は簡素にしたいものです。なぜなら、今のままでは人類が滅びに向かうことは必至ですから。
    題字 田岡正堂/絵 高松健太郎