人間釈尊21
人間釈尊(21)
立正佼成会会長 庭野日敬初めてサンガができた
初転法輪の内容は
鹿野苑における五比丘への説法で何を説かれたか。いろいろな説を総合してみますと……。
まず「官能の赴くままに欲望の快楽にふけるのはもちろんよくないが、あまりにも身を苦しめる修行も本当の悟りを得る道ではない。この二つの極端を離れて(中道)を行くことが大事である」と説かれました。
次に「この世は苦の世界であるが、苦の原因をつきとめその原因を取り除けば必ず苦は滅することができるのである」ということと、「その(苦を滅する道)は、ものごとを正しく見、正しく考え、正しく語り、正しく行為し、正しい生活をし、正しい努力をし、正しく思念し、正しいめい想をすることである」ということを、微に入り細にわたって懇々と説き聞かせられました。いわゆる(四諦)(八正道)の法門です。
そのとき突然、憍陳如(きょうじんにょ)が「阿若!(あにゃ=解った!)」と叫びました。その叫びにコダマが響き返すように、お釈迦さまは「阿若憍陳如(悟った憍陳如)!」と仰せられました。それから、これが彼の終生の呼び名となってしまったのです。
ついでに述べておきますが、のちの憍陳如は、寛容で情深く、教化力もすぐれていましたので、教団中でも最上座にありました。けれども、謙虚な人柄でしたので、舎利弗や目連のような年少気鋭の実力者たちがときたま憍陳如に気兼ねをするような様子を見せますので、自ら一歩退いて、そうしたニューリーダーたちに思うぞんぶん活躍させたといいます。
さて、憍陳如に続いて、あとの四人の比丘たちも次々に悟りをひらき、阿羅漢(すべての煩悩を去り世の人に尊敬されるに値する人間)の境地に達したのでした。
さきに、二人の商人や四人の女性が世尊の教えに帰依したことを述べましたが、そのとき説かれたのは、「布施の利益(りやく)」「戒(良い生活習慣)の大切さ」「善行をなせば天国に生まれること」などであって、世尊が悟られてブッダとなられた(法)そのものではなかったのです。そのような(法)を聞き、それによって悟りを得たのは、じつにこの五人の比丘が最初だったのです。仏・法・僧の三宝が確立
しかし、このときの説法においても、その後四十年ほどにわたって繰り広げられた無数の説法においても、奥の奥の真実まではお説きになりませんでした。なぜかといえば、お弟子たちの境地がそれを完全に受け入れられるまでに達していなかったからです。そしてご入滅を前にした法華経の説法において、初めて奥の奥の真実を明らかにされたのです。
さて、その法華経の方便品に、鹿野苑の説法につき次のように仰せられています。(諸法寂滅の相は、言を以て宣ぶ可からず。方便力を以ての故に、五比丘の為に説きぬ。これを(初)転法輪と名づく。便(すなわ)ち涅槃の音(こえ)、及以(および)阿羅漢・法僧差別の名あり)。
ここにありますように、このとき初めて涅槃(ねはん=究極の安らぎ)に至る道が説かれ、阿羅漢という言葉(音)がこの世に現れ、そして仏道修行者の集団である僧伽(サンガ)が生まれ、(仏)と(法)と(僧)との区別とそういう三つの名称(三宝の名)が生まれた……ということは、仏教史上の大きなイベントでありました。
【仏伝が編年史(年次を追った歴史)的に説かれるのは、菩薩の生い立ちから成道後せいぜい王舎城へ到達されるまでと、入滅を前にされた最後の旅のありさまだけです。ですから、これからこの稿も、順序を追った記述ではなく、人間釈尊をしのぶ逸話やイベントを自由に取り上げていきたいと思います】
題字 田岡正堂/絵 高松健太郎