人間釈尊20

  • 人間釈尊(20)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    まず一人を導こう

    手はじめに旧師と旧友を

     「世の人々のために法を説こう」と決意されたからといって、直ちに「多くの大衆を相手に」などと考えられたのではありません。極めて地道に、「だれかこの法を理解してくれる人はないか。まずその人に話してみよう」と考えられたのです。
     最初に頭に浮かんだ相手は、旧師アーラーラ・カーラーマでした。あの人にこそと考えられたけれども、すでに死亡していることがわかりました。それならばと、やはり旧師のウッダカ・ラーマプッタを思い浮かべられましたが、これまた、もうこの世にはいないことがわかったのです。
     そうなると、次に考えられるのは、かつて苦行を共にした五人の修行者です。五人は、菩薩が苦行をやめたのを見ると、その地を離れてどこかへ去ってしまったのでした。世尊は天眼(てんげん)をもってその行方を探してみられると、ヴァラナシの鹿野苑にいることがわかりました。ヴァラナシは今のベナレスで、当時から仙人や修行者たちの集まる宗教の一大中心地だったのです。
     世尊は、思い立つとすぐ出発されました。ブッダガヤからヴァラナシまでは三百キロ以上離れています。その道のりをハダシで歩いて行かれたのです。おそらく十日ぐらいの旅だったでしょう。その熱意にはただただ頭が下がります。

    三度拒否されても諦めず

     鹿野苑に着かれたのは夕方近くでした。午後のめい想を終えた五人の比丘は、大きく枝を広げたニグローダ樹の下に集まって、くつろいでいました。昼間の暑熱も少しおさまり、木陰にはひんやりした空気が流れていました。
     「あ、あれはゴータマではないか」
     突然、憍陳如(きょうじんにょ)が西の方を指さしながら言いました。
     「えっ。ゴータマ?」
     「そうだ。違いない」
     「ぼくらに気づいたようだ。こっちへやって来る。だけど、あれは苦行を途中でやめた落ちこぼれだ。敬意を表するのはやめようぜ」
     「そうだ。食べ物だけはやってもいいが……」
     五人の相談は一決しました。ところが、世尊が目の前に近づいて来られると、全身から光明を発するようなその尊いお姿に打たれて、じっとしてはいられなくなりました。だれからともなく立ち上がり、礼拝して迎え、衣鉢を受け取り、足を水で洗って差し上げたのです。
     「ゴータマよ」
     ある一人がこう呼びかけました。すると世尊は厳かに宣言されました。
     「もうわたしをゴータマと呼んではいけない。わたしはすでに仏陀となったのです。すでに不死を証得したのです。これをあなた方に説いてあげよう」
     五人は、法を聞くことだけは拒否しました。三度もそうおっしゃったのに、三度とも拒否しました。しかし、拒否されればされるほど世尊の教化の熱意は燃え上がってきました。その熱意に打たれて、五人の抵抗の気持ちは次第に砕けていき、ついにその夜半、世尊が覚られた正しい生き方の道を、人間として初めて聞くことができたのです。これを初転法輪(しょてんぽうりん)と言います。
     それにしても、お釈迦さまのような方でも、
     第一に「まず一人を導こうとお考えになったこと」。
     第二に「わずか五人を教化するために三百キロもの道を十日もかかって歩いて行かれたこと」。
     第三に「三度拒否されても諦めず、ついに教化を果たされたこと」。
     この三つは二千五百年後の布教者であるわれわれにとって絶大なる手本であると思います。よくよくかみしめねばならぬ事実です。
    題字 田岡正堂/絵 高松健太郎