経典のことば67

  • 経典のことば(67)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    忍辱の地に住し、柔和善順にして卒暴ならず、心また驚かず
    (法華経・安楽行品)

    柔軟心のすすめ

     現代語に訳せば、「いつも忍辱の境地におり、柔和な心をもち、我を張らずに真理に従い、身のふるまいに落ち着きがあり、どんなことがあっても驚いたり、慌てふためいたりしないことである」ということであり、菩薩はこうあるべきだというお諭(さと)しです。
     とくにこの前半が大切だと思います。忍辱というのは、たんに苦難に対して忍耐強いというばかりでなく、物事がうまくいっている場合も驕(おご)ることのない心境をもいうのです。ということは、本当の意味で自己を確立していることです。
     この「自己の確立」ということが、ともすれば誤解を招きやすいもので、うっかりすると「我を張る」ことにつながりやすいのです。ほんとうの自己というのは、仏のおん命に生かされている自分、宇宙の真理に従って生きている自分……でなくてはなりません。
     ですから、これまで真理だと思いこんでいたものがそうではないとわかったとき、あるいは、これが真理だという新しい発見をしたとき、従来のゆきがかりに執らわれることなく、面子(メンツ)にこだわることなく、真理の道に従うのが、本当に価値ある人間であり、価値あるものをつくり出すことのできる人間だ……ということになります。これが「柔和善順」です。
     仏法では、こういう意味の柔らかな心を何よりも重視しており、法華経はとくにそれを強調しています。寿量品にも「質直にして意柔輭に」とあります。道元禅師が宋の国に渡って五年の間、血の出るような勉学と修行をして帰国したとき、ある人が「宋の国で何を学んで来られましたか」と尋ねたところ、道元禅師はただ一言「柔軟心を学んできた」と答えたそうです。

    柔軟心はチャンスをつかむ

     今の世の中にも、この柔軟心を欠く人や、団体や、国家がたくさんあります。ある主義を、ある時期に「これが正しい」と認め、信じ、その主義にのっとって行動した。そこまではよかったのですが、月日がたつに従ってその主義に重大な欠陥があることがわかっても、なおかつそれにかじりついている団体や国家があり、そういう存在が、結局は自らも繁栄することなく、他にも迷惑をかけつづけていることを、皆さんはよくご存じのことでしょう。
     ところが、もっと自由自在な存在であるべき個人にも、そういう心の固い人がよくあります。そして自分で自分をがんじがらめに縛っているのです。そんな人を見ると早く目覚めてほしいと願われてなりません。
     帝政ロシアの文豪、アントン・チェーホフは、若いころ興味本位のユーモア小説を書きまくって流行作家になっていました。それまで貧しい生活をしていた一家を、二十歳を少し過ぎたばかりの身で、豊かに暮らせるようにしました。
     ところが、当時の文壇の長老格だった人から手紙が来て、「あなたの作品にはただおもしろさだけを狙って内容の空疎なものがある。才能を浪費せぬよう自重されたい」と忠告されました。チェーホフはそれを素直に受け、一転して人の心を、世の中を、深く深くみつめるようになりました。
     そして、百年たった今日でも盛んに上演されている『桜の園』『三人姉妹』などの名作を残したのでした。もし彼に柔軟心がなかったら、おそらく一時の流行作家で終わったことでしょう。
     柔軟心は、たんに真理を把握させるばかりでなく、実人生の上でもチャンスをものにさせる貴重な宝だと知るべきでしょう。
    題字と絵 難波淳郎