経典のことば63
経典のことば(63)
立正佼成会会長 庭野日敬我神力を以て仏を供養すと雖(いえど)も身を以て供養せんには如(し)かじ。
(法華経・薬王菩薩本事品)犠牲的精神で布教を
はるかなむかし、日月浄明徳如来という仏さまが法華経の教えをお説きになりますと、それに感激した一切衆生憙見菩薩が、感謝と帰依のまごころを捧げるために、神通力をもって天の花々やりっぱな香を仏さまのみ上に降り注ぎました。
しかし、それではまだほんとうの供養ではないと考え、自分の身に火をつけて燃やし、その焼身の光明で大千世界をあまねく照らし出した……というのです。
これは何を意味しているかといいますと、第一に、自己を犠牲にして仏さまの教えを説き広めることが、仏さまに対する最高の供養だということです。
供養には「利供養」「敬供養」「行供養」の三つがあります。利供養というのは、仏前にお花や、お水や、お茶や、ご飯などをお給仕することです。敬供養というのは、まごころを込めて合掌・礼拝することです。
その二つも仏教徒として欠かしてはならない供養ですが、いちばん仏さまに喜んで頂く供養は、最後の行供養です。日々の暮らしに、仏さまのみ心にかなうような行いをすることです。その行いの中でも最高の行為は、自分の労力や時間を犠牲にして仏さまの教えを説き広めること、これです。これが一切衆生憙見菩薩(のちの薬王菩薩)の焼身の大光明があまねく世界中を照らし出したということの意味なのです。
このことは、現在のわれわれ日本人のためにこそ説かれた教えだと、わたしには思われてならないのです。
この経文のはじめに、日月浄明徳如来のおられた世は、たいへん平和な、いい時代だったことが述べられています。それにもかかわらず、一切衆生憙見菩薩は一身を犠牲にして「行供養」をしたのです。
いまの日本も、日月浄明徳如来の世には遠く及ばないにしても、世界でいちばん平和で、幸せな国です。その平和と幸福に酔いしれていることなく、いまこそ法華経精神を説き広めるために挺身しなければならない……と、お釈迦さまがわれわれ日本人に指示されているように思われてならないのです。
その意味からしても、われわれ法華経の行者はこの薬王菩薩品を改めてしっかりと読み直し、覚悟を新たにしなければなりますまい。生命を完全燃焼させよ
法華経行者でない一般の人々にとっては、この焼身ということをどのように受け取ったらいいのでしょうか。
それは「生命を完全燃焼させよ」ということだと思います。法華経は人間の生命の永遠性を説いています。現世の人生は確実に次の人生へ、次の次の人生へとつながっているのだ。だから人間としての無限の進歩のために、逆に悪道へと墜落してしまわないために、この世の一生を大事にせよ、きょう一日を精いっぱい生きよ……と教えているのです。
それも、自発的な完全燃焼でなければ意味はありません。一切衆生憙見菩薩が自ら進んで焼身したように。他から強制されていやいや燃焼したのでは中途で燃えつきてしまいます。いまの大方の学生が、高校までは受験勉強に完全燃焼させられ、大学に入ったとたんに虚脱してしまうのがその一例です。小学生・中学生が喜んで自分を完全燃焼させる場を与えられていないために、イジメ行為などに走ってしまうのは、もっと悲しい一例です。
右の第一の受け取り方でも、あとのほうの受け取り方でも、どちらでも結構。せっかくこの世に生まれてきたのですから、臨終の一瞬まで燃え尽きることのないよう、お互いさま精いっぱい生きようではありませんか。
題字と絵 難波淳郎