経典のことば51
経典のことば(51)
立正佼成会会長 庭野日敬倶会一処(くえいっしょ)
(仏説阿弥陀経)共に極楽に生まれたい
阿弥陀経は、お釈迦さまが舎利弗に語りかける形で極楽浄土のありさまをお説きになった短いお経ですが、その中で現実世界に生きているわれわれに、しみじみした深い情感を覚えしめずにはおかないのが標記のことばです。
前後の経文を読みくだしにするとこうなります。
「まさに発願して彼の国に生ぜんと願ずべし。ゆえはいかに、かくのごとき上善人と倶(とも)に一処に会(え)することを得ればなり。舎利弗、少善根福徳の因縁を以ては彼の国に生ずることを得べからず」
純粋な心で、悟りの世界である極楽浄土に生まれたいと願う者は、必ずその世界に住む「悟りを得た人たち」と一つの場所に住むことができるであろう……というのです。
わたしは、この「倶会一処」の場は、いわゆる極楽浄土のみでなく、人間対人間のほんとうの魂の結びつきのある所がすべてそれであると思われてならないのです。それも、一人対一人の結びつきから展開されていくものと思うのです。一対一の人間関係から
慶應義塾大学の名塾長であった小泉信三博士は、「今度また人間に生まれ変わることがあったら、やはり現在世の妻と夫婦になりたい」と書いておられます。まことに「倶会一処」の典型と言えましょう。
親鸞上人は「たとい法然上人にだまされて、念仏して地獄におちるようなことがあっても、けっして後悔しない」と言っておられます。
日蓮聖人も、竜の口の法難に際して殉死しようとしたまな弟子の四条金吾に対する手紙に「もしそなたの罪が深くて地獄に行くようなことがあったら、たといこの日蓮を仏になるよう釈迦牟尼仏がどんなにお誘いになっても、それには随いますまい。そなたと同じく地獄に行きましょう」と言っておられます。
まことに人間対人間の、これ以上はないともいうべき深い信頼関係であり、「倶会一処」の極致であると言えましょう。こうなると、もはや地獄も極楽もありません。いや、そうした魂の美しい結びつきの世界こそが極楽だと言ってもいいでしょう。人類全体が倶会一処に
われわれ立正佼成会の会員は、こうした美しい人間関係が、できうる限り多くの人と人との間に結ばれることを願うものです。
その原点ともいうべきものがわれわれの法座です。まず、そこに「倶会一処」の精神が生かされているのです。
「わたしも救われたい。あなたも救われてほしい。みんな一緒に救われましょう」……そうした純粋な思いが溶け合って、暖かい気流がそこにいきいきと流れ満ちるとき、必ずその願いは成就するのです。
なぜならば、そういった心境にある人間はすべて、標記のことばにある「上善人」にほかならないからです。
そうした「倶会一処」の輪をしだいに広げて日本国全体に及ぼし、さらに地球上全体をそうした浄土にしようというのが、法華経に説かれる「通一国土」の理想であって、われわれ法華経行者はそのために身命(しんみょう)を惜しまぬ努力を続けているわけであります。
題字と絵 難波淳郎