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経典のことば44

  • 経典のことば(44)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    我身命(しんみょう)を愛せず
    但(ただ)無上道を惜しむ
    (法華経・勧持品)

    現代にもこんな人が

     法華経を行ずる者の気魄を一気に吐露した、すさまじいばかりの名句です。日蓮聖人がこれを一生の箴言(しんげん)とされたことは有名です。
     意味はいまさら説明するまでもありませんが、現代語に訳しますと「わたくしどもは、命など惜しいとは思いません。ただ仏さまのお説きになったこの無上の教えに触れない人が一人でもいることが何より惜しいのでございます」ということです。
     利己と自愛ばかりがまかり通っている今の世の中にはなかなかお目にかかれない精神のようですが、そうではありません。本会の会員にはこのような人がたくさんおられるのです。その一例を紹介しましょう。
     アフリカのスーダン東部の国境地帯に、飢えと戦火から逃れてきたエチオピア難民のキャンプがあり、そこに医療援助として本会から佼成病院の岩田好文医師と山下方子・池田友子・小柳昌代の三人の看護婦が派遣されました。熱帯の奥地という最悪条件下に活動しておられるその方々の様子を聞きますと、まさしく「不惜身命」の典型なのです。
     岩田医師は、日本では見られない病気が次々と発生するので、昼間の診療に疲れた身にムチ打って、夜の十時ごろまで研究に打ち込んでおられるそうです。看護婦さんの苦労もそれに劣るものではありません。
     ある日「赤ん坊を助けて」という連絡が入り、駆けつけてみると、明らかにコレラの症状。小柳看護婦がすぐその子を抱き取り、岩田医師が診察しました。その最中、子供が下痢し、看護婦の着衣にベットリかかった。その汚れを気にもせず、便の色を見た看護婦は「この色なら大丈夫よ」と叫んだ。その瞬間の小柳さんは、まさに天使そのものだったでしょう。

    人のために捧げる命なら

     また、ある日、病魔に侵された十二、三歳の男の子が、突如、山下看護婦にむしゃぶりついてきた。まわりの人たちが、危険だからとその子を引き離そうとした。だが、山下看護婦は、肩や腕をひっかかれながらも、「いいのよ、この子は寂しいのよ」と言って、じっと抱きかかえていた。すると男の子は、安心したように彼女の腕の中で静かになった。これまた天使の姿ではないでしょうか。
     雨期になってものすごい雨が降り、地面に柱を立て、ワラで屋根を葺いたばかりの病棟のベッドの下は泥水だらけになる。さらに、流れ込む泥水には大小便も混じり、その中にはたくさんの病菌が入り込み、衛生状態を極度に低下させる。そこで、雨がやむと、看護婦とスタッフたちは泥をかき出す作業をするのだが、靴をはいていると泥の中にめり込んで靴が脱げてしまうので、みんな素足になってやった。もし足に小さな傷でもあれば、そこから病菌が侵入してくることは必至だ。それでも、病棟を少しでも清潔にするために、彼女らはそんなことなど構っていなかった。
     あとで、そのことが批判されたとき、彼女らはこう言ったそうです。
     「わたしたちがここへ来たのは、一人でも多くの人の命をお救いするためです。そのためにわたしたちの命が使われるのなら、これ以上の喜びはありません」と。
     この報告を聞いて、わたしたちはただただ頭が下がりました。今の世にも「我身命を愛せず」の気魄に満ちた人はいるのです。それを思えば、法華経の行者であるかぎり、のうのうと暮らしてばかりいられないのではないでしょうか。
    題字と絵 難波淳郎