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経典のことば39

  • 経典のことば(39)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    転輪聖王の判断とは、無益の事を除き、有益の事に向かわせることである。
    (根本説一切有部毘奈耶薬事第十五)

    二人の農夫のけんか

     お釈迦さまが、前世の物語を縁として説かれた教えです。
     「むかしハラニシ城の郊外に一人の仙人が住んでいた。たいへん慈悲深く、一切の生きものに対して平等な愛情を持っていた。
     仙人のすぐ近くに二人の農夫が住んでいた。耕地のことから争いを始め、殴り合いのけんかになり、王に訴訟を起こして黒白をつけてもらうことにした。そして、はからずも二人の争いを見ていた仙人に、証人になってくれるよう頼んだ。仙人は快く承知して出廷した。
     王は仙人に向かって、
     『この争いはどちらが先に始めたのか』
     と聞いた。すると仙人は、
     『王よ、転輪聖王(てんりんじょうおう)の法によってお裁きになるならば、わたしは証人になりましょう。そうでないならば、証人はお断りします』
     と答えた。王は、
     『よろしい。そのとおりにしよう。さて証人よ、どちらが先に始めたのか』
     『この男があの男に怒りを抱き、あの男がこの男に怒りを抱き、お互いに殴り合ったのです』
     『それならば、二人とも罰せねばならぬのう』
     『王よ。だからわたしは先に申し上げたではありませんか。転輪聖王の法によって裁かれるなら証人になりますが、そうでないならご免こうむります……と』
     『どうもよくわからぬ。その転輪聖王の法とはいったいどういうことか』
     『無益なことはやめさせて、有益なことへ向かわせることです』
     その一言で、賢明な王はハタと悟った。そして二人の農夫に向かって、
     『おまえたちはすぐ帰って、農業に励め。二度とつまらぬ争いを起こしてここへ来るのではないぞ』
     と言い渡した。それ以来、二人は自分の田畑を耕作することに専念し、平和に暮らしたのであった」

    二十一世紀人類への示唆

     転輪聖王というのは、古来インドにあった思想で、世界を統治する帝王の理想像です。武力を用いず、正義と正法のみで政治し、天下を穏やかにまとめるというので、聖王と名づけられるわけです。
     したがって、この仙人が言った「転輪聖王の法」というのは、争いそのものを究明したり、当事者を処罰して一件落着とするといった、現象に執らわれた目先だけの処断ではなく、それをもう一つ飛び越え、もう一歩先と進んで、正しい生き方をガイドするという、積極的・創造的な法を意味するものです。
     この説法は、たんに個人と個人間の問題だけでなく、二十世紀から二十一世紀にかけての人類の、国家と国家、民族と民族との紛争を収める方途を教えてくださっているように思われてなりません。
     すなわち、国家・民族の別などを超越した機関ができて、世界中のだれもが納得できるような正法と道理によって事を裁き、無益な紛争や戦争をやめさせ、人類全体が幸せに生きるという有益な方向へ向かわせる。それが人間が救われる最後の道だぞ……と、この説話で示唆されているように思われてならないのです。
     そういう意味で、この言葉には無限の尊い響きがこめられていると感ずるのです。
    題字と絵 難波淳郎