経典のことば38
経典のことば(38)
立正佼成会会長 庭野日敬麤(そ)者は麤事に悟り細者は細事に解(げ)す
(大荘厳経論・巻六)三帰依だけで助かった
今回はひとつ笑い話をしましょう。
むかし、ある所に一人の修行者が住んでいました。たびたび盗賊に襲われて、なけなしの物を盗まれるので、固く戸を閉ざして用心していました。
ある日また盗賊がやってきました。戸締まりの厳重なのを見て、
「おい、戸を開けろ」
と怒鳴ります。修行者は言いました。
「あんたを見るのが怖いから、戸は開けないよ。しかし、欲しいものは何でもやるから、この窓から手を入れなさい」
単細胞で頭の回転の鈍い盗賊は、言われるとおり小窓から手を差し入れました。修行者はすかさずその両手を捕まえ、縄でギリギリに縛り、あわてて逃げようとする盗賊をとらえて柱に縛りつけてしまいました。
そして、太い棍(こん)棒をふり上げ、力まかせに打ち据えました。
一つ打つと、
「帰依仏と言え」
と言います。盗賊が、
「帰依仏」
と唱えると、修行者はまた一つ打ち据え、
「帰依法と言え」
と言います。盗賊がそのとおりに唱えると、また一つ殴りつけ、
「帰依僧と言え」
と言います。あまりの痛さに気を失いそうになりながらも、言われるとおり唱えましたが、心の中に思いました。――この修行者はいくつ帰依を持っているのだろう。もうこの辺でおしまいにしてくれないかなあ――と。
ところが、修行者は、盗賊が素直に三帰依を唱えたのに免じて、縄を解いてやり、早く立ち去るように言いました。骨身にこたえる悟りこそ
よろよろと立ち上がった盗賊は、帰依仏、帰依法、帰依僧とは何の意味かと質問します。修行者がその由来と意味を説明してやりますと、にわかに――わたしを出家させてください――と言い出しました。修行者が――突然、どうしたわけで――と尋ねますと、盗賊は、
「仏さまは今日のわたしのことをチャンと知っておられて、三帰依だけを説かれたのでしょう。もし四帰依も五帰依も説かれたら、わたしは死んでしまったでしょう。仏さまはわたしをあわれんで、生かしておいてくださったのです。ですから、お弟子になりたいのです」
じつに見当違いも甚だしい解釈で、笑いがこみ上げてきますが、しかし、後でその盗賊が歌った標記の詩(偈)を読むと、出かかった笑いが急に止まるのを覚えます。
麤というのは粗(あら)いという意味で、細というのは緻密なとでもいう意味です。つまり「粗放な人間は粗放なことで悟り、緻密な人間は緻密なことで理解する」というのです。
これはスバラシイ真理だと思います。人間はすべて平等に仏性を持っているのですが、その発現の動機やプロセスは千差万別で、ある人はとんでもない事件によって仏性を開発させられ、ある人は教義などを細かに研さんして悟りを開くでしょう。そこに、どんな人にも向上の希望があり、また教化のおもしろみもあると思います。
国家としても、わが日本国は太平洋戦争という粗放極まる行為によって悟りを開き、軍備を放棄し、平和国家として生きることを決意しました。理論的に平和の大切さを探究した結果ではありません。国家の命運を賭けた荒々しい行為の結果の悟りです。それだけに、骨髄に徹して忘れることはありません。また、忘れてはならないのです。
題字と絵 難波淳郎