経典のことば33

  • 経典のことば(33)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    四大の寒熱まさに医薬を須(もち)うべし。衆邪の悪鬼まさに経戒を須うべし。
    (法句譬喩経第一)

    唯心に偏した思想の弊

     舎衛国にコウセという長者がありました。まだ仏道に触れたことがなく、独特の頑固な人生観を持つ人でした。たまたま重い病気にかかり、生命も危うくなったのに、何の手当もしません。親戚や知人たちが心配して見舞いに来ては、なんらかの治療を受けるよう忠告するのですが、「わたしはこれまで太陽や月を拝み、王さまには忠義をつくし、親には孝行してきた。それさえやれば、たとえ命を落とそうともかまわないというのが、わたしの主義だ」と言い、頑として聞きません。
     ところが、親友のスダッタという長者が、「君の言うことにも一理はあるが、わたしが師事している釈尊というお方は、たいへんな神通力の持ち主で、そのお方にお目にかかった者はみんな福を得ている。一度こころみにお招きしてご説法を聞き、呪願をしていただいてはどうかね」と勧めましたので、さすがのコウセの心も折れて、それならばよろしく頼むということになりました。
     スダッタのお願いに応じてお釈迦さまがコウセの邸の門をくぐられると、美しい光明が病室まで差し込んできて、コウセはにわかに気分がよくなり、起き出してきておん前にぬかずきました。お釈迦さまは次のようにお説きになりました。
     「人間が天寿をまっとうしないで死ぬのには三つの場合がある。第一は病気にかかって治らないこと。第二は治っても身を慎まないために死を招くこと。第三は、わがままをとおし、事の正邪をわきまえずに振る舞うことである。このような病者は、たとえ日月を拝んでも、天地を拝しても、先祖を敬っても、忠孝をつくしても、病を除くことはできない。
     ではどうすればよいのか、第一に四大(身体の意)の悪寒や発熱は医薬を用いて治すことである。第二にもろもろの悪鬼の憑依(ひょうい)は経典読誦の力により、また戒を固く守ることによって除くのである。第三に(標記には省略しましたが)、聖者に仕え、貧国の者に施しをし、徳を積むことによって神々の感応を頂くことである」
     コウセは仰せに従って良医を招いて病気を治し、さらに布施の徳を積み、心身共に安らかな身となったのでした。

    素直に信じ行ずる

     ある特殊な宗教・宗派に属する人の中には、その教義の規定にだけ従って服薬やある種の医療行為を拒みあたら命を落とす人があります。その点仏教は「物心一如」の真理にもとづき、「医薬も手術も本仏の広大な慈悲の具体的な現れである」としているのです。本会が現代医学の粋を集めた綜合病院を設立したのも、そうした本義にもとづいているわけです。
     さて、右に述べられた治病の方法の第二ヵ条ですが、これは仏教をあまりに純粋化して神通力とか功徳とかを無視したがる人々にとっては、考え直さざるをえないお言葉ではないかと思われます。われわれ法華経を信奉する者としては、このまま素直に受け取らせていただけることです。法華経は初めから終わりまで神力と功徳につらぬかれたお経ですから。
     また第三ヵ条にも、神秘の力が説かれています。困窮の人々に布施するのは人間として最大の徳であることは言うまでもありませんが、その徳が神々に通ずるというお言葉は見過ごしてはならぬものと思います。そこに宗教の宗教たるゆえんがあるのではないでしょうか。
    題字と絵 難波淳郎