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経典のことば20

  • 経典のことば(20)
    立正佼成会会長 庭野日敬

    忿恚(ふんい)は百千大劫(こう)に集めし善根をすみやかに損害す。ゆえに忍辱(にんにく)の鎧を被(き)、堅固の力をもって忿恚の軍を砕くべし。
    (大宝積経)

    怒りは火事のようなもの

     電車の中でマナーの悪い少年を一老人が注意したところ、少年はカッとなって老人をなぐりつけた。その子は逮捕され、少年院送りとなった。最近あった話です。
     このことを新聞で読んで、一瞬の怒りというものの恐ろしさをあらためて考えさせられました。その子が少年院で立ち直ってくれればいいのですが、万一「どうせおれは悪い人間だ」というレッテルを自分自身に貼りつけ、その後ズルズルと日陰の人生を歩むのではないかという危惧を抱かざるをえませんでした。もしそうなったとしたら、一瞬の怒りがその子の人生をめちゃめちゃにしてしまったことになります。
     仏教では「貪・瞋・痴の三毒」ということを説いています。人間を破滅にみちびく心ざまの代表として、この三つを戒めているのです。貪(とん)は過去の欲望、瞋(じん)は私憤という怒り、痴(ち)は道理を知らぬ愚かさです。
     人が財産を失う道にたとえていえば貪は快楽追求のためのムダな消費のようなものです。痴は無計画な借金のようなものです。この二つはジワジワとその人の財産を食いつぶしてゆきます。それに対して、瞋は火事のようなものです。これまでコツコツと築き上げた財産をたった一夜で灰にしてしまいます。
     標記に掲げたことばは、人間の精神的財産について、同じようなことを言ってあるのです。百千大劫という長いあいだに積み重ねた善根も、私憤という怒りを爆発させれば、一瞬にしてそれを損なってしまう……というのです。
     赤穂城主浅野内匠頭長矩は名君でした。藩民を可愛がり、製塩業を奨励し、国を繁栄させていました。しかし、吉良上野介の意地悪を腹にすえかねて江戸城内で斬りつけたばっかりに、自身は即日切腹を命ぜられ、お家は断絶、家臣たちは浪々の身となってしまいました。まことに、長いあいだに積んできた善根をたちまちに無に帰したばかりか、藩民すべてに大きなマイナスを与えてしまったのでした。

    怒りを解消する最高の道

     腹を立てることは自分自身の健康にも悪影響をおよぼします。ひどく怒れば、頭がガンガンし、手足がブルブル震えるという自覚症状からでも大方の察しがつきますが、医学的な検査によれば、脈摶が非常に速くなり、血圧が上がり、血液中の糖分が増加し、胃腸の運動が一時停止するのだそうです。恐ろしいことです。
     では、腹が立ったらどうすればよいのか。ここには、忍辱の鎧を着て怒りの軍勢をうち砕け……とあります。この「忍辱」というのをたんに「忍耐する」という意味に解釈したのでは不十分だと思います。もちろん、腹が立った瞬間にジッとそれを抑える忍耐は必要ですが、そのままでは必ず相手に対しても、自分の心身にも、シコリが残ります。
     お釈迦さまがお説きになった「忍辱」にはもっと深い意味があるはずです。それは「この世は調和と融和によってこそ成り立っている」という真理に裏打ちされた「和の心」だと思います。そうした「和の心」を持って事態を観じ、相手の立場を理解しようと努めるならば、きわめて自然に、そして後にシコリを残すこともなく、その怒りは消滅してしまうでしょう。「忿恚の軍」は完全に砕かれてしまうでしょう。
     つまり、無理な抑圧でなく、真理に基づいて怒りを解消せよというのが、仏法の教えだと信じます。
    題字と絵 難波淳郎